巻ノ百二十三 山を出て
大野からの文を受け取りだ、幸村は大助と十勇士達に話した。
「遂にじゃ」
「はい、いよいよですな」
「この山を出て」
「戦に出られる」
「その時になりましたな」
「そうじゃ」
その通りだというのだ。
「その時が来た」
「ではこれより」
「すぐに山を下りましょうぞ」
「是非」
「そして大坂に」
「いや」
ここで幸村はこう言った。
「その前にやることがある」
「これまでのことですな」
大助が父に応えてきた。
「やはり」
「うむ、これまで九度山にいたが」
「これまでの間」
「九度山の民達にはよくしてもらった」
「常に」
「村で採れた野菜をくれたり猟の獲物もな」
「何かとでしたな」
大助も話した。
「届けてくれました」
「幕府の目があったが」
「それを気にもされず」
「そのうえでな」
「よくしてくれましたから」
「恩を忘れてはならぬ」
絶対にという言葉だった。
「拙者は常に言っておるな」
「はい、父上は」
「人は忘れてはならぬものがあってな」
「恩もですな」
「そのうちの一つじゃ」
「だからその恩を」
「忘れてはならぬ」
「では」
「その恩としてな」
まさにとだ、幸村はここで。
自分達の後ろにある幾つかの酒樽を見てあらためて我が子と十勇士達に話した。
「これを渡し」
「そして、ですか」
「そのうえで、ですか」
「別れの挨拶とする」
「そうされますか」
「そう考えておる」
こう話した。
「そして他にもな」
「この屋敷にあるもの」
「それを全てですな」
「これまでよくしてくれた礼として」
「贈りますか」
「些細なものしかないが」
質素な家だ、幸村も十勇士達も贅沢はない。それで宝だのそうしたものは全くないのが現実である。
しかしだ、それでもと言うのだった。
「あるものはな」
「全てですな」
「贈り」
「これまでの礼とする」
「そのうえで、ですな」
「山を去られ」
「大坂に」
「そうしたい、伊賀者達は見張っておる」
幸村はこのことをはっきりとわかっていた、彼等も隠れていたがその視線と耳をそばだてていることがだ。
「それも十二神将達がな」
「おりますな」
「九度山の傍から見ています」
「それも常に」
「そうしています」
「そうじゃ、しかしな」
それでもと言うのだった。
「ここはな」
「恩を忘れてはならぬ」
「それも武士ですな」
「武士としての道の一つ」
「恩に報いるのも」
「そういうことじゃ、伊賀者達が見ていても承知のうえ」
笑ってだ、幸村は言い切った。
「ではな」
「それでこそ殿」
「我等の主」
「それではです」
「我等も」
「伊賀者達が止めるのならな」
幸村はこの時こうも言った、やはり笑ったまま。
「よいな」
「一戦交えても」
「そうしてもですな」
「大坂に入る」
「そうしますか」
「どのみち戦になる、ならじゃ」
それならというのだ。
「行くぞ」
「あえてですな」
「大坂に」
「そうしてでも」
「行きますか」
「そうする、どちらにしても恩を返すのは」
それはというのだ。
「何としてもせねばいかん」
「では」
「これから行きましょうぞ」
「そうしましょう」
「今から」
「村に」
十勇士達も大助も賛成した、そしてだった。
屋敷にあるもの、酒も食いものも財になりそうなものも全てだった。持って行ってそうしてだった。
村人達を神社の境内に集めてだ、幸村自ら言った。
「この度拙者は決めた」
「大坂にですか」
「大坂に行かれるのですな」
「知っておったか、確かにな」
村人達の返事を聞いてだ、幸村は驚きと共に応えた。
「拙者は今からな」
「はい、これより」
「大坂にですな」
「行かれますな」
「そうされますな」
「これまでのこと礼を言う」
幸村は村人達に深々と頭を下げて礼を述べた。
「何かとよくしてもらった」
「当然のことです」
「真田様のことを思えば」
「常に我等によくしてくれたではないですか」
「それならです」
これが村人達の返事だった。
「我等もです」
「すべきことをしただけです」
「ですから」
「このことはです」
「お気になさらずに」
「特に」
「恩だの礼なぞ」
「そうしたことは」
全く、というのだった。
「九度山を出られるのですな」
「そして大坂に向かわれる」
「そのうえで戦に加わられるのですな」
「そのつもりじゃ」
幸村は村人達に正直に答えた。
「そして大坂の城を枕にな」
「討ち死にされるのですか」
「そのおつもりですか」
「その覚悟は出来ておる」
十勇士、そして大助を後ろにして言い切った。
「そのうえでの出陣じゃ」
「左様ですか」
「それではです」
「我等に止める理由はありませぬ」
「それも一切」
村人達は再び幸村に答えた。
「我等は見送らせて頂きます」
「むしろここは我等の方がです」
「真田様の出陣を祝わせて頂きます」
「ご武運がある様にと」
「何と」
村人達の今の言葉にはだ、幸村だけでなく十勇士や大助までも驚いた。それで彼等は村人達に対して慌てた口調でそれぞれ言った。
「そうせずともよい」
「別にな」
「出陣の祝いなぞ」
「我等は只の浪人」
「山に幽閉されておったな」
「その様なことは関係ありませぬ」
村の長老が手振りまで入れて言う彼等に笑って返した。
「全く」
「そう言うが」
「幾ら何でもじゃ」
「我等の様な者達にそこまで」
「祝いなぞ」
「我等の気持ちです」
長老は遠慮しようとする彼等にまた言った、笑顔は変らない。
「真田様とご一同に対する」
「それでなのか」
「それはよいと」
「そう言うのか」
「はい」
その通りだという返事だった。
「ですからどうぞお受け下さい」
「酒はどんどん持って来ます」
「粗末ですが食いものも」
「遠慮せず飲んで食って下され」
「宴に入って下され」
「そこまで言うか。それならば」
幸村は村人達の心を感じ取った、それは何よりも深く熱いものであった。その深さと熱さがわかったからだ。
村人達にだ、笑い意を決した顔で返した。
「受けさせて頂く」
「ではです」
「共に飲み食ってです」
「賑やかに過ごしましょう」
「そのうえで」
「うむ、翌朝大坂に発つ」
宴の後でというのだ。
「そうする」
「わかり申した、ではです」
「我等も酒を出しまする」
「それで好きなだけ飲みましょうぞ」
「美味いものも食って」
「ではな」
幸村も応え十勇士も大助もだった、彼等はそれぞれの妻子も呼んでそうしてだった。思う存分飲んで食って楽しんだ。
当然幸村も痛飲した、彼は飲みつつ長老に言った。酒は彼が盃に入れてくれたものだ。
「拙者はこれでな」
「はい、大坂に向かわれ」
「戦いそしてな」
「最後の最後まで、ですか」
「生きてな」
そうしてというのだ。
「必ずな」
「すべきことを果たされますな」
「うむ」
その通りという返事だった。
「そうする」
「死ぬおつもりはないですな」
「真田にそうした考えはない」
「あくまで最後の最後まで生きて」
「その果たすべきことを果たすのじゃ」
こう長老に話した。
「何が何でもな」
「左様ですな」
「だからな」
「死なれることはですな」
「無駄に命は捨てぬ」
長老にもこう約束した。
「拙者も他の者達もな」
「そのお言葉聞いて安心しました」
「そうか」
「これが間違いなく今生の別れとなりますが」
「それでもじゃ、拙者達はな」
「大坂ではですな」
「散らぬ」
また言ったのだった。
「そのつもりじゃ」
「勝たれますか」
「そのつもりで戦う」
こう言う、だが大坂に入って勝てるとは思っていなかった。幸村にはもうそうしたことも見えていたのだ。
しかしだ、それでも言うのだった。
「命は一つ、この世で死ねば生まれ変わりな」
「また別の生となりますな」
「この生で出来ることは終わりじゃ」
そうなってしまうというのだ。
「だからな」
「何としても生きられますか」
「この生ですべきことは何としてもする」
まさにその為にというのだ。
「拙者は。だから迂闊に死なずに」
「大坂での戦も」
「何があっても生き延びる、安心せよ」
「わかり申した」
長老も応えた、そしてだった。
村人達は幸村主従を意気揚々と宴まで開きそうして九度山から送った、朝に村から出る時には総出で見送った。
そこでだ、長老はまた幸村に言った。
「では」
「うむ、これでな」
「ご武運を」
「必ずやすべきことを果たす」
「そうしてからですな」
「天命まで生きる」
そうするというのだ。
「拙者達はな」
「そのお言葉確かに受け賜わりました」
「ではな」
「はい、大坂まで」
無事にとだ、長老は村人達を代表して言ってだ。幸村主従と手を振り合って別れた。こうしてだった。
幸村は九度山を出た、すると周りにだ。
すぐに伊賀者達の気配を感じたがだ、彼は平然としてこう言った。
「気にすることはない」
「はい、一切ですな」
「気にすることなくですな」
「このままですな」
「大坂に向かいますか」
「そうせよ、何かあってもな」
若し伊賀者達が前に出てもというのだ。
「その時もな」
「戦をしても」
「それでもですな」
「大坂に向かう」
「そうしますな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「そうしていくぞ」
「わかり申した」
「それではです」
「このまま行きましょうぞ」
「伊賀者達は気にせず」
「我等は大坂に」
「来る者だけ相手をする」
幸村は十勇士そして大助にまた言った。
「我等はこのまま大坂に向かうぞ」
「どうやら見ているのは十二神将ですが」
「伊賀者達の中でも腕利きの」
「それでもですな」
「我等は」
「そうじゃ、気にすることはない」
例え彼等が見張っていてもというのだ。
「来ぬ限りはな」
「こうした時はですか」
「わかっておってもな」
幸村は大助の問いにすぐに答えた、妻子は十勇士達が守っている。
「それでもな」
「大坂に行くことをですか」
「優先させるのじゃ」
「気になっていてもですか」
「何時何処におるかは完全にわかっておいてな」
「そのことはですか」
「絶対じゃ」
相手の居場所はというのだ。
「そしてどの者かもな」
「わかっていて」
「そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「先に進むのじゃ」
「倒さずともよいのですか」
「倒していてはきりがないし今はな」
「大坂にですか」
「行った方がよい、大坂で戦になるのは近い」
そうした状況だからだというのだ。
「それでな」
「今はあえて」
「構わずな」
「大坂にですか」
「行こうぞ、そしてな」
「大坂に行く為に」
「伊賀者達に来られる前にな」
攻められない為にもというのだ。
「ここはじゃ」
「真田の忍道にですか」
「入るぞ。よいな」
「わかり申した」
「妻子達が気になるが」
忍道に慣れていないというかはじめて入る彼等も見て言った。
「しかしな」
「それでもですか」
「ここはじゃ」
あえてというのだ。
「あの道に入る」
「そしてすぐに大坂に」
「向かうぞ」
「はい、それでは」
大助が応えた、そしてだった。
不意にだ、一行はというと。
姿を消そうとした、だが。
すぐにだ、十勇士達が幸村に囁いた。
「殿、やはりです」
「波の忍達ならともかく」
「相手が相手です」
「十二神将達が相手では」
「どうにも」
「そうか、ではな」
幸村は彼等の言葉を聞いて言った。
「仕方がない」
「このままですか」
「一戦を覚悟し」
「そのうえで、ですな」
「大坂まで行きますか」
「そうしようぞ」
こう言うのだった。
「今はな」
「はい、では」
「その間我等がです」
「お守りします」
「何があろうとも」
妻子達もというのだ。
「ですからこのままです」
「大坂に向かいましょう」
「それも胸を張って」
「百々と」
「城入りもまた武士の晴れ舞台」
だからと言う幸村だった。
「だからな」
「是非ですな」
「我等は公の道を進み」
「そしてそのうえで」
「大坂城に入りますか」
「そうしましょうぞ」
「ではな」
幸村も応えてだ、そしてだった。
主従はあえて堂々と大坂に向かっていた、その彼等を見てだった。十二神将達はここでこう言った。
「百々と大坂に進むな」
「我等が見ているのを知りながら」
「堂々と」
「まさに武士として」
「そうしているな」
「ああまで堂々とされていると」
「止めようにもな」
そうすべきだとわかっていてもだ。
「止められぬ」
「しかし止めねばならぬ」
「どうしてもな」
「ここはな」
「真田殿の大坂入りを止める」
「それが我等の務め」
「だからこそな」
何としてもというのだった。
「何とかせねばならんが」
「だがのう」
「ああまで堂々とされると」
「公の道まで通っておる」
「それではな」
「迂闊に攻められぬ」
「どうしたものか」
「ここは」
「いや、いや、止める」
神老がここに他の十二神将達に話した。
「ここはな」
「そうすべきか」
「やはり真田殿を大坂に入れてはならん」
「戦のことを考えれば」
「真田殿も十勇士もかなりの傑物」
「ご子息の大助殿もおられるが」
彼のことも話すのだった。
「あの御仁も若いがな」
「それでも文武両道の御仁という」
「ならばな」
「何としてもお止めしよう」
「我等で」
「ならね」
妖花も言ってきた。
「私が行くよ」
「姫様が」
「そうされると言われますか」
「真田殿の一行をお止めする」
「そうされると」
「我々は」
十二神将達も言ってきた。
「ここは周りを固めます」
「真田殿と一行の周りを」
「そして結界を張り」
「そのうえで」
「お願いするね、十勇士と大助殿は確かに強いけれど」
妖花はここで言ってきたのだった。
「それは将あってのことだよね」
「はい、確かに」
「どの方も確かに一騎当千の方々ですが」
「しかしですな」
「それでもですな」
「十勇士も大助殿も」
「将ではありませぬ」
豪傑であってもというのだ。
「それでもですな」
「ではです」
「将一人をどうにかする」
「真田殿を」
「それだけだよ、ただ私でも真田殿はね」
幸村のことも話すのだった。
「私でもね」
「討つことはですか」
「出来ませぬか」
「姫様でも」
「あの方は」
「あの人は本当に強いから」
服部の片腕、もっと言えば分身とさえ言っていい彼女から見てもだ。
「傷を負わせられる位だね」
「ですがその傷で、ですね」
「大坂の戦に出られない様にする」
「それが出来る」
「だからですね」
「それを狙っていくよ」
これが妖花の考えだった。
「それでいいね」
「わかりました」
「それではです」
「ここはです」
「そうしていきましょう」
「是非」
「我々も協力します」
十二神将達もというのだ。
「そしてそのうえで」
「何としてもです」
「真田殿をお止めして」
「大坂に行かせぬ」
「そうしましょう」
「絶対にね、じゃあね」
こう話してだった、妖花は姿を消した、だが。
その気配を察してだ、十勇士達は話した。
「どうやらな」
「うむ、一人な」
「動いたな」
「そうじゃな」
こうひそひそと話した。
「それもかなり強い者が」
「十二神将の中でも」
「動いた」
「これはまさかと思うが」
「十二神将筆頭、妖花か」
幸村もここで言った。
「あの者が動いたか」
「そして他の十二神将達はです」
「我等の周りにいます」
「若し我等が迂闊に動けば」
「その時はです」
「間違いなく」
十勇士達は幸村にさらに囁いた。
「襲い掛かってきます」
「そうした危うい結界を張っております」
「ですからここで動けるのは」
「申し訳ないですが」
「拙者しかおらんか」
幸村は十勇士達に正面を向いたまま言った。
「ここはな」
「はい、そうかと」
「我等は結界にあたります」
「そのうえで他の十二神将達を動かせませぬ」
「奥方様や姫様もお守りします」
「拙者達の妻子も」
「頼む、大助もじゃ」
幸村は我が子に声をかけた。
「結界にあたれ」
「わかりました」
大助は父の言葉に確かな声で応えた、そこには自身の父に対するこれ以上はないまでの信頼があった。
「それでは」
「では拙者はな」
「その動いた者にですか」
「向かう、その間のことは頼む」
「さすれば」
大助は頷きそしてだった、そのうえで。
一人だ、すっと前に出て妻子達に言った。
「少し用を足してくる」
「はい」
妻の竹は夫に微笑んで応えた、実は察しているがそれはあえて隠してにこやかに微笑んで応えたのだ。
「それでは」
「うむ、すぐに戻る」
こう妻にも言ってだ、幸村は前に出てだった。そのまま十勇士達が見えない場所にまで進んだ。すると。
その前に広い袖を持つ丈の長い忍装束の女がいた、女は微笑んで幸村に言ってきた。
「真田源次郎殿だよね」
「如何にも」
その通りだとだ、幸村は女に答えた。
「そしてお主は伊賀十二神将筆頭」
「あれっ、伊賀のことも知ってるんだ」
「忍の者でもあるが故」
忍の世界もというのだ。
「承知」
「そういうことなんだ」
「左様、妖花殿であるな」
「名乗るつもりはなかったけれどね」
「最初から知っていたこと」
妖花のこともというのだ。
「既に」
「じゃあ話は早いね」
「拙者達に大坂に向かうな」
「戦が終わるまででいいんだ」
少女の言葉であ、妖花は幸村に話す。
「それまでの間九度山にいてね」
「戦に加わるな」
「そう、多分戦が終われば流罪も終わるよ」
幸村達に課せられていたそれもというのだ。
「だからね」
「ここは退き」
「大坂には入らないでくれるかな」
「戦が終わるまでか」
「本当にその間だけでいいんだ」
妖花は微笑んだままだ、だがそれでも恐ろしいまでの殺気が全身から立ち込め続けている。
「それまでね」
「戦が終われば拙者達の流罪が解かれ」
「そうして大名にも戻れるから」
「それは貴殿の考えではあるまい」
「半蔵様が言われているよ」
「即ち大御所殿のお言葉」
「そう、悪い条件じゃないよね」
幸村を見据えたままでだ、妖花は彼に問うた。
「そうだよね」
「確かに。大名に戻れることは」
「決してね、大御所様はこうした時は嘘を言われないよ」
若い頃から天下の律儀殿と言われているだけあってというのだ。
「そして人を見る目もおありだから」
「それ故に」
「真田殿もね」
戦が終わるまで九度山にいればというのだ。
「流罪が解かれて」
「大名に返り咲くこととなる」
「今は八丈島におられる宇喜多殿と一緒にね」
宇喜多秀家だ、彼は関ヶ原の後八丈島に流されているのだ。
「そうなるよ」90
「宇喜多殿もか」
「そう、あの方も見事な方だから」
その心と才を知る家康によってというのだ。
「そうなるから。だからね」
「拙者はここは退き」
「静かにして欲しいんだ、いいかな」
幸村を見つつ告げた。
「あと少しだけね」
「流罪が解かれ大名に戻れる」
妖花のその言葉をだ、幸村はまず反芻した。そのうえであらためて彼女に言葉を返した。
「悪いことではない」
「そうだよね」
「このまま退くとな」
「だから」
「しかし」
ここでだ、幸村は妖花を見据え強い声で言った。
「拙者の考えは違う」
「じゃあどうしてもかな」
「そうだ、拙者も他の者もだ」
十勇士も大助もというのだ。
「誰一人として帰るつもりはない」
「どうしても?」
「左様」
そうだというのだ。
「何があろうとも」
「そう、じゃあね」
「勝負をいたすか」
「そうさせてもらうね、私もね」
彼もというのだ。
「これがお仕事だからね」
「だからだな」
「行くよ」
こう言ってだ、妖花はその背に何かを出した。それは紅蓮に燃える巨大な鷲を思わせる姿の鳥だった。
その鳥を見てだ、幸村は言った。
「火の鳥、つまり」
「鳳凰だよ」
妖花自ら和した。
「これはね」
「そうだな」
「私の火の術だよ」
「そしてその火の術でか」
「今から闘うから」
「では拙者も」
幸村もだ、その動きを見てだった。
姿を消した、そうして何処からか手裏剣を投げるが。
妖花はその手裏剣を跳んでかわし鳳凰に言った。
「飛ばして」
「・・・・・・・・・」
鳳凰は無言で応えそうしてだった、その翼をはばたかせた。するとその炎の羽根が周囲に飛ばされてだった。
辺り一面を撃った、すると。
羽根の一つが消された、妖花はそれを見て言った。
「そこだね」
「気付いたか」
「そうよ」
こう言った、姿を表した幸村に。
「こうして攻めればね」
「例え隠れていようともか」
「居場所がわかる」
こう言うのだった。
「だからな」
「それでじゃな」
「わかったよ。けれどね」
妖花は再び対峙した幸村に言った。
「上手に隠れたね」
「万全に隠れたつもりだったが」
「半蔵様か私でないとね」
「見付けることは出来なかった」
「そうだったよ」
幸村に微笑んで話した。
「とてもね」
「そうか、しかしな」
「しかしだね」
「拙者の手はまだある」
それはというのだ。
「まだな」
「そうなんだ、じゃあ」
「その手も出そう」
「今度はどうするのかな」
「隠れても無駄なら」
それならとだ、幸村は腰の刀を抜いた。その刀は村正だ。それを抜いて構えてそのうえで妖花に対して言った。
「隠れずに闘うのみ」
「そうくるんだね」
「左様、こちらで闘う」
剣術でというのだ。
「それでもよいか」
「いいよ、私も炎だけじゃないからね」
妖花も笑って応えた。
「だからね」
「それでか」
「こちらで闘うよ」
この言葉と共に左手を前に出した、するとそこには忍者刀があった。その刀を手に幸村に対して言った。
「忍の剣術と体術でね」
「そちらでか」
「そう、こっちも隠れても無駄だろうし」
幸村にはというのだ。
「だからね」
「そうか、ではな」
「行くよ」
この言葉と共にだ、妖花は鳳凰を収めた。幸村はそれを見て彼女に問うた。
「何故隠した」
「だって剣術と体術で闘うからね」
「だからか」
「そう、これは忍術だから」
「そのうちの炎の術じゃな」
「こっちはね」
それはというのだ。
「使わないよ」
「そうか、ではな」
「これで闘うよ」
こう話してだ、そしてだった。
妖花は音もなく幸村に向かった、幸村もまた対して。二人はそのまま激しい一騎打ちに入り何十合百合と打ち合った、刃と刃が撃ち合い銀が飛び散り。
かなりの時それが行われていた、だがここでだった。妖花に対して声がきた。
「待て」
「半蔵様!?」
「そうだ、若しやと思い来たが」
この言葉と共にだ、服部が出て来て二人の間に来て言ってきた。
「真田殿が相手ではな」94
「私でもだね」
「互角だ」
勝てないというのだ。
「だからね」
「それでか」
「そうだ、だからだ」
「ここはなんだ」
「仕方がない」
「では」
「一人では無理だ」
幸村に勝つことはというのだ。
「真田殿だけは、だからな」
「ここは退いて」
「そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「大坂に移れ」
「けれど場合によっては」
「確かに戦えと言った」
服部もそれは認めた。
「それはな」
「しかしなの」
「事情が変わった、大坂の戦力が思ったより強くなった」
「だからなの」
「お主達をここで失う訳にはいかぬ」
「けれどここで真田殿を倒せば」
妖花は服部に食い下がる様に言った。
「それで」
「確かに大坂の力は落ちるな」
「真田殿がおられないだけね」
「そして十勇士達もじゃな」
「差し違えるつもりで向かえば」
「そうじゃ、差し違えることなれば」
十二神将達がとだ、服部は妖花に返した、
「そうなれば我等はそれだけ戦力を失う」
「忍の者が」
「大御所様もそう思われてな」
「止められたの」
「拙者もその考えになった」
だからだというのだ。
「だからな」
「それじゃあ」
「そうじゃ、ならん」
絶対にという言葉だった。
「ここで闘うことはな」
「じゃあ真田殿の主従は」
「仕方がない」
服部は妖花に苦い顔で述べた。
「大坂に行って頂く」
「そうなるの」
「真田殿が大坂に入られれば確かに大きな力になる」
大坂にとってだ。
「間違いなくな、しかし真田殿がおられずとも」
「大坂はなの」
「十万の兵に天下の豪傑が多く集まった」
幕府の思っていたよりも遥かにというのだ。
「それでお主達も揃ってなければならぬ」
「大坂に勝つ為に」
「大御所様はそう決められた」
「わかったよ」
妖花も難しい顔であるがそれでも頷いて応えた。
「じゃあね」
「うむ、お主達はすぐにな」
「ここからだね」
「都に向かわれている大御所様の本陣に入りな」
「そこでだね」
「大御所様のお傍におれ、拙者は大坂に留まり」
そしてというのだ。
「大坂を見ておく」
「じゃあこのこと十二神将達に知らせておくね」
「頼む」
「じゃあ真田殿」
未練を押し殺した顔でだ、妖花は幸村に顔を戻して言った。
「またね」
「うむ、またな」
「戦の場でね」
「会おうぞ」
こう話をしてだ、そのうえでだった。
妖花は姿を消した、そして一人残った服部が幸村と対してだ。そのうえで彼を見据えてそうして告げた。
「では」
「大坂にじゃな」
「行かれよ、ですが」
「大坂に行けば」
「確かに大坂は大御所殿の予想よりも強くなったが」
「負けまする」
このことは避けられないというのだ。
「どうしても」
「左様じゃな、茶々様が主であられる限りは」
「それでも行かれますか」
「拙者達は幕府とはどうも巡り合わせが悪い」
「上田の時より」
「もっと言えば三方ヶ原の時よりもか」
徳川家が武田家と戦った戦だ、この戦で家康は信玄に散々に打ち破られ九死に一生を得て難を逃れている。
「あの時真田家は武田家の家臣であったからのう」
「思えばその頃からですな」
「唐家は徳川家即ち幕府と巡り合わせが悪い」
「だからですか」
「拙者は幕府の下では戦えぬ、それに」
「先の関白様のことですな」
服部は幸村にこのことも話した。
「あの方とのお約束も」
「流石服部殿、ご存知か」
「聞いておりました、右大臣様を何としても」
「お守りし」
そしてというのだ。
「お命を助けねばならんのでな」
「だからでありますか」
「拙者は大坂に入る」
敗れるとわこあっていてもというのだ。
「そうする所存」
「左様ですか、では」
「大坂に入れば」
「それがし達は敵同士」
「そうなるな」
「容赦しませぬ、しかし忍であれど」
影に生き影に死ぬ者であろうともだ、服部は幸村を見据えて彼に告げた。
「卑怯未練は一切せず」
「正面からか」
「真田殿のお相手を致す」
「では拙者も」
「正面からですか」
「受けて立とう」
「そのお気持ち承りました、では」
ここまで話してだ、服部もまただった。
姿を消した、その気配が消えたのを見届けて幸村は十勇士と妻子達のところに戻った。そうしてだった。
竹にもだ、笑って言った。
「今戻った」
「はい、それでは」
「行こうぞ」
明るくこう言った。
「大坂までな」
「わかりました、それでは」
「父上、それでなのですが」
娘の一人が言ってきた。
「我等はこのままですね」
「うむ、大坂の城に入る」
「そうなりますね」
「このままでな」
着のみ着のままでというのだ。
「行こうぞ」
「わかりました」
「それもまたよしですな」
「我等にとっては」
「忍でもある我等にとっては」
「そう考えるとしよう」
こう言ってだ、彼等は大坂に向かう。しかし九度山を出て摂津に入るとだ。彼等の前にある者竜が姿を表した。
巻ノ百二十三 完
2017・9・16