巻ノ百二十七 戦のはじまり
家康は二条城に着いた、そこで幕府の軍勢の状況を聞いて確かな顔になってそのうえでこう言った。
「よい流れじゃ」
「はい、ではですな」
「大御所様もですな」
「これより」
「この二条城を発ってじゃ」
そうしてというのだ。
「大坂に行くぞ」
「はい、それでは」
「これより大坂に向かい」
「そうしてですな」
「大坂の南に布陣されますな」
「大坂城の」
「そうじゃ」
まさにそこにというのだ。
「そうしてそこからな」
「攻めまするな」
「そうしますな」
「攻める、か。まあ見ておれ」
どうして攻めるかはだ、家康は笑うだけで言わなかった。
「戦の仕方をな」
「城を攻めるのではない、ですな」
「大御所様がよく言われていますが」
「人を攻める」
「もっと言えば人の心を」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「そうすれば勝てる、それで大坂方じゃが」
「はい、篭城です」
「一兵も城の外に出ておりませぬ」
「大坂城に篭って戦う様です」
「やはりな」
家康は笑って頷いた。
「そうなったか、では尚よい」
「城を完全に囲み」
「そのうえで、ですな」
「人の心を攻める」
「そうしますか」
「城を攻める必要はない」
家康の今の言葉には余裕すらあった。
「むしろ堅固なこと天下一の城じゃ、その様な城は攻めてもじゃ」
「いたずらに兵を失うだけですな」
「鉄砲も矢も届きませぬし」
「それではですな」
「攻めてもですな」
「あの城はそうそう攻めてもじゃ」
また言う家康だった。
「落とせぬ、だからな」
「力押しはせぬ」
「それに限りますな」
「そうじゃ、篭城すると思っていたが」
家康の読みではだ。
「実際に篭城した、ならばな」
「城を完全に囲み」
「そしてですな」
「茶々殿のお心を攻める」
「そうしていきますか」
「そうせよ、茶筌殿も城を出られた」
織田信雄の話もした。
「ならばな」
「お話も聞かれるのですな」
「織田殿から」
「そうもされますか」
「それは何より、そして有楽殿からはじゃ」
実は幕府とつながっている彼からはというと。
「常にじゃ」
「はい、大坂の中のことをですな」
「教えてもらいますな」
「情報を伝えてもらう」
「そうしてもらいますな」
「そのうえでじゃ」
それでというのだ。
「我等は攻めていくぞ、兵はあまり動かさずにな」
「わかり申した」
「それではその様に」
幕臣達は家康の言葉に頷いた、そしてだった。
幕府の軍勢は二十万の大軍で大坂に来た、そうして大坂城を東西南北で完全に囲んだ。その囲むのを最後まで見てだった。
幸村は苦い顔でだ、天守閣の最上階から後藤に言った。
「まさにでしたな」
「うむ、攻め時であったな」
後藤も幸村に苦い顔で応える。
「それがな」
「茶々様が外に出るなと言われ」
「攻めずじまいだった」
「全くですな」
「これはじゃ」
「あえて自ら勝機を逃したもの」
その二十万の軍勢を見下ろしながら言った、本丸の高台にある五層の天守閣からは実によく見えるのだ。
「何ということか」
「若し太閤様ならば」
秀吉、彼ならというのだ。
「やはりな」
「囲むのを待つ様なことはされず」
「攻めておられたわ」
「むざむざ」
「完全に囲まれるのを黙ってみてじゃ」
そしてと言う後藤だった。
「兵達の士気も落ちている」
「そうなってもいますな」
「茶々様はお気付きでないが」
「このこともですな」
「厄介じゃ」
「全く以て」
「今攻めてもな」
城からうって出てだ。
「最早退けることは難しい」
「兵糧も武具も確かにありますが」
「それでもじゃ」
まさにというのだ。
「篭城だけで勝てるか」
「そうした話はありませぬ」
孤城に篭城して勝ったことはというのだ。
「ですから」
「外に出ていれば」
「こうして囲まれることもありませんでした」
「難儀じゃ、確かに大坂城の堀は広く深い」
「鉄砲も弓矢も届きませぬ」
「大砲ですらな、しかしな」
「音はかなりです」
大砲のそれはというのだ。
「それも武器ですからな」
「その音で攻められますと」
「どうしてもな」
「危ういですが」
「茶々様はな」
その彼女はというのだ。
「このこともじゃ」
「ご存知ないですな」
「そうじゃ、果たしてどうなるか」
「それがしが何とかです」
幸村は後藤に言った。
「守り抜きです」
「真田丸でか」
「そしてです」
「頃合いを見てだ」
「はい、茶々様にもう一度お話し」
そしてというのだ。
「確かに難しくなりましたが」
「打って出る」
「そう提案します」
「そうしようか、わしもじゃ」
後藤もこう幸村に言った。
「囲まれたままではな」
「どうしようもないですからな」
「真田殿が踏ん張られてな」
「そうしてですな」
「戦の流れが変わったところで」
まさにその時にというのだ。
「もう一度な」
「茶々様にお話をして」
「そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「外に出る様にな」
「しましょう」
「囲まれてはどうしようもない」
とかくというのだ。
「だからな」
「何とかしましょうぞ」
「そしてその為にじゃな」
「策もあります」
幸村にというのだ。
「ですから」
「その策でか」
「戦の流れを変えます」
「その様にされるな」
「はい」
こう後藤に言った。
「こうなればです」
「それしかないな」
「それがしが真田丸に引き寄せ」
幕府の軍勢をだ。
「そしてです」
「敵を散々に破り」
「流れを変えまする」
「そしてそこで茶々様に申し出て」
「外に出ましょう」
「では外に出たならば」
「城の周りの敵をさらに打ち破り」
真田丸でそうした様にというのだ。
「そのうえで」
「勝つか」
「そうするしかないですな」
「全くじゃ、しかしその時もな」
「流れを変え様にもですな」
「茶々様がどうか」
大坂城の実質的な主である彼女がというのだ。
「何と言われるか」
「つくづくそのことが問題ですな」
「若し北政所様ならば」
秀吉の正室であったねねならというのだ。
「こうした時はな」
「はい、我等に任せて頂き」
「決して口を出されぬ。そもそもな」
「切支丹についても」
幕府との戦の発端になったこのこともというのだ。
「認められませんでしたな」
「ご自身が江戸に行かれることもされてたわ」
茶々が頑として断っているそれもというのだ。
「そうされていたわ」
「左様ですな」
「流石に太閤様の正室であられたからな」
「大御所殿の正室となることは」
「無理であったろうが」
しかしというのだ。
「それでもな」
「悪い様にはなっていなかったですな」
「北政所様が右大臣様のご生母ならな」
「今の様にもですな」
「戦にすらなっていなかったわ」
そもそもと言う後藤だった。
「真田殿もそう思われるな」
「はい」
その通りだとだ、幸村も答えた。
「北政所様ならば」
「そうじゃな」
「そう思うと残念なことですな」
「まことにな、しかしな」
「もうそれを言ってもですな」
「栓なきこと、ならばな」
後藤はここでも敵の大軍を見下ろして幸村に話した、見れば見る程かなりの数の軍勢である。二十万は伊達ではなかった。
「勝つしかない」
「では」
「真田丸での検討をお願いする」
「お任せ下され」
「何とか流れを変えてな」
「そのうえで」
「外に出られる様にしよう」
こう話してだ、幸村は早速だった。
真田丸に戻ってだ、家臣達に言った。
「間もなく戦になる」
「ではですな」
「我等もですな」
「戦にかかり」
「そうしてですな」
「敵を倒す」
「そうするのですな」
家臣達も幸村に言う。
「そしてそのうえで」
「殿もですな」
「戦いに勝つ」
「そのことを目指しますな」
「そうじゃ、そしてな」
ここで十勇士達に言った。
「お主達には特にじゃ」
「はい、城の外に出てですな」
「そしてそのうえで」
「敵を煽りこの真田丸を攻めさせる」
「その様にしますな」
「その通りじゃ」
まさにという返事だった。
「だからじゃ」
「はい、我等にですな」
「敵に真田丸を攻めさせる様にする」
「そうしますな」
「そしてそのうえで、ですな」
「徹底的に破る」
「そうしますな」
「お主達は敵を乱してな」
そしてというのだ。
「その後は真田丸においてじゃ」
「我等はですな」
「今度は戦う」
「そしてそのうえで敵を散々に破る」
「そうもせよというのですな」
「そうじゃ、よいな」
十勇士達にこうも言うのだった。
「この度は」
「はい、わかり申した」
「それではです」
「この度の二つの大任引き受けましたぞ」
「喜んで」
「頼むぞ、そしてお主達にはな」
さらに言う幸村だった。
「もう一つ命じることがある」
「生きよ」
「ここでは絶対に死ぬな」
「そうせよというのですな」
「我等全員に」
「そうじゃ」
その通りという返事だった。
「それもよいな」
「はい、ではです」
「何があろうともです」
「生きて帰ってきます」
「真田丸に多くの兵を引き寄せて」
「そのうえで」
十勇士達は幸村に口々に誓った。
「そして様だ丸の戦で思う存分暴れます」
「その時も生きまする」
「殿と死ぬ時死ぬ場所は同じですから」
「だからこそ」
「そうせよ、我等は死ぬ時と場所は同じと誓った」
義兄弟としてだ、幸村と十勇士達は主従であると共に義兄弟同士でありまた互いに友である間柄なのだ。
だからだ、幸村もこう言うのだ。
「ならばじゃ、よいな」
「はい、生きまする」
「例え何があろうとも」
「そしてですな」
「この度の戦でも」
「生き残る」
「そうじゃ、おそらく我等の戦はここで終わらぬ」
今からはじまる戦でというのだ。
「次、そしてそのまた次もな」
「ありますか」
「だからここでは死なず」
「皆生き残り」
「戦い続けますか」
「そして次の戦でも次の次の戦でもじゃ」
そちらの戦でもというのだ。
「よいな」
「はい、死なぬ」
「絶対にですな」
「命を捨ててはならぬ」
「次の戦も次の次の戦も」
「それは決して」
「何度も言うが真田家は潔く死ぬ家ではない」
そもそもだ、このことは昌幸もそうであり幸村にしても兄である信之にしてもそうだ。もっと言えば真田家が信濃の国人としてその立場を確立した時よりも前からだ。
「あくまで生き続けてじゃ」
「そうしてですな」
「その目的を達する」
「そしてそのうえで、ですな」
「さらに生きる家ですな」
「だからじゃ、死んではならんぞ」
誰一人としてというのだ。
「死ぬ時と場所は同じという誓いもあるしな」
「はい、ではです」
「そのことこの度の戦でも肝に銘じます」
「そのうえで思う存分戦いましょう」
「真田家の武を見せてやりましょうぞ」
「相手に不足はない」
幸村は笑ってこうも言った。
「大御所殿に将軍殿が揃って出陣されていてじゃ」
「上杉殿、伊達殿、藤堂殿とですな」
「諸将も揃っておられまする」
「まさに関ヶ原がまた来た様ですな」
「錚々たるものですな」
「それだけの相手に真田の武を思う存分見せられるのじゃ」
それならというのだ。
「これ以上の果報はあるまい」
「全くですな」
「まさに武の見せどころ」
「これ以上の大舞台はありませぬ」
「本朝の歴史でもそうそうですな」
「そうじゃ、こんなよき戦の場はないぞ」
相手にとって不足はない、そして真田家の武をふんだんに見せられるならばというのだ。幸村は今も笑っていた。
「では拙者もな」
「思う存分采配を振るわれますな」
「この真田丸において」
「そうされますな」
「例えここに幕府の軍勢の全てが来ようともじゃ」
二十万、そこまでの大軍がというのだ。
「それでもじゃ」
「負けぬ」
「左様ですな」
「真田丸は越えさせぬ」
「一兵たりとも」
「そうする、その為の真田丸じゃ」
この出城だというのだ。
「多くの敵が攻めてきてもな」
「それでもですな」
「この真田丸は攻め落とせませぬな」
「到底」
「幕府の全軍が来ても」
「そうじゃ」
こういう幸村だった。
「それだけの縄張りはして工夫もしておる」
「しかも鉄砲も多くあります」
「右大臣様が授けて下さったそれが」
「弾も多いですし」
「弓矢も槍もあります」
「これ以上はないですな」
「そうじゃ、武具にも不足しておらぬ」
それならばというのだ。
「これ以上はないまでに戦える」
「ですな、しかも我等の武具ですが」
「実によいですな」
「まさかあれが認めてもらえるとは」
「これ以上はないまでに嬉しいことです」
「赤備えにしてもらった」
具足も兜も槍もだ、刀の柄から馬具まで全て赤く塗ったのだ。真田家の赤備えを許してもらったのだ。
「武田家からの伝統の赤備えを許してもらった」
「素晴らしきことです」
「やはり我等は赤備えです」
「赤備えが最もよいです」
「最高ですな」
「その赤備えでじゃ」
火を連想しつつ言う幸村だった、彼にとって赤備えは彼が勝頼に仕えていた頃からの自分のひいては真田家の色なのだ。
それでだ、赤備えについてさらに言うのだった。
「戦えることもよいであろう」
「ですな、流石にそれはないと思っていました」
「赤備えは」
「しかしそれが実現出来る」
「このこともよいことですな」
「我等は何と果報者か」
幸村は実際に自分の幸せを噛み締めていた、まさに武門の誉れを極めているというのだ。
「この果報、本朝の長い歴史でも随一じゃな」
「ですな、ではその果報を胸にですな」
「戦いましょうぞ」
「これより」
「そうせよ、伊賀者や甲賀者は幕府の中におる」
幕府の陣にというのだ。
「だからじゃ」
「あの者達についてはですな」
「大御所殿や将軍殿の陣に行かなければよい」
「左様ですな」
「そうなりますな」
「いても大した者はおらぬ」
大坂にはというのだ。
「お主達に対することが出来る者はな」
「服部殿か十二神将となりますが」
「それでもですな」
「そうした御仁達は大御所殿の本陣にいる」
「だからですな」
「お主達の相手になる者は仕掛ける先にはおらん」
幕府の本陣に行かない限りはというのだ。
「若し来た時は警戒すべきじゃが」
「それでもですな」
「我等が仕掛ける先の家の軍勢は安心していい」
「仕掛けても」
「そのことは安心せよ、若し服部殿や十二神将が来ればな」
その場合についても話す幸村だった。
「わかっておるな」
「その時は下がる」
「真田丸に入ろうとせぬ限り」
「城の外ではそうする」
「それでいいですな」
「そういうことじゃ、忍同士の戦は城の中でせよ」
真田丸ひいては大坂城に入った時にというのだ、彼等が。
「服部殿ならば。わかるな」
「あの御仁ならば大坂城に忍び込み」
「そして本丸で右大臣様のお命を奪うことも出来ますな」
「それも容易く」
「今の状況でも」
「あの御仁に忍として戦えるのは拙者とお主達だけじゃ」
こうも言う幸村だった。
「だからじゃ」
「はい、ではですな」
「服部殿と十二神将に注意したうえで」
「仕掛けていきます」
「その様にな」
こう言って幸村は十二神将を真田丸から出させ大坂城の南にいる軍勢に仕掛けさせた、この時家康は本陣にいたが。
その本陣でだ、大久保と話をしていた。
「お主には済まぬことをした」
「宗家のことで、ですか」
「お主が関りがないことはわかっておる」
大久保家であるが傍流である彼はというのだ。
「そうした者ではない」
「それでもですか」
「お主も連座させたことはな」
そうして大名から旗本に落としたことはというのだ。
「実にな」
「その様なことは言われぬことです」
大久保は家康に強い声で応えた。
「上様は今や天下人なのですから」
「だからか」
「天下人のお裁きならばです」
それならというのだ。
「それがし文句hありませぬ、ただこの度の戦ではです」
「武勲を挙げるか」
「この槍で持って」
傍らにある見事な槍を見つつ答えた。
「そうさせて頂くだけです」
「そう言ってくれるか」
「それがしも三河武士です」
だからだというのだ。
「槍で生きてみせまする」
「そしてか」
「大御所様をお守り致します」
「そうしてくれるか」
「槍奉行に任じて頂いたからには」
それならばというのだ。
「是非共」
「そうか、では頼む。しかしな」
「それでもですか」
「これかわもわしはわしに非がある時はじゃ」
そう感じた時はというのだ。
「頭を下げる」
「そうされますか」
「自らの非も認めぬ様では真の天下人とは言えぬ」
そう思うからだというのだ。
「だからな」
「そう思われた時は」
「そうする、迂闊にはせぬがな」
「だから今もですか」
「お主に謝ったのじゃ」
そうだったというのだ。
「そうしたのじゃ」
「そうでしたか」
「うむ、そうなのじゃ」
「そのお考えわかりました」
大久保は謹厳な顔で応えた。
「大御所様のご深謀は」
「その様でな」
「それが天下人でありますな」
「そう思う、してこれからじゃが」
「はい、今はです」
大久保は家康に確かな顔で答えた。
「動くべきではないかと」
「城を囲んでじゃな」
「このままでいいかと」
こう言うのだった。
「暫くは」
「そうしていればよいな」
「相当な堅城です故」
大坂城はというのだ。
「ですから今はです」
「攻めずにな」
「様子を窺われるか」
「わしの考え通りにか」
「されるがよいかと」
これが大久保の考えだった。
「少なくとも迂闊に城を攻めては」
「そうしてはじゃな」
「下手に多くの兵を失いまする」
だからだというのだ。
「ですから」
「攻めぬ」
大坂城はというのだ。
「囲んだままでじゃ」
「仕掛けていきまするな」
「城の兵達の士気は高くない」
大坂城の彼等のというのだ。
「そしてさらにじゃ」
「減っておりますな」
「有楽殿からの文を見るとな」
城の中から密かに矢文で送って来るのだ。
「茶々殿が何かと口出ししてな」
「戦について」
「それが実に酷いものでじゃ」
「兵達の士気にもですな」
「影響を与えておる」
悪い意味でというのだ。
「しかも薙刀を持って鉢巻、襷を巻いて女御達を連れて城のあちこちを歩いて兵達に采配を執っておるがじゃ」
「それがかえってですな」
「実に酷い采配でじゃ」
兵達から見てもだ。
「兵達の士気をさらに落としておる」
「それで大坂からこちらに降る兵達もですな」
「多いのじゃ」
そうなっているというのだ。
「そして、わかるな」
「はい、茶々殿こそがです」
「大坂の主じゃ」
「それも絶対の」
「戦の場においてもな」
これまでの政だけでなくというのだ。
「ならばな」
「そこをですな」
「衝いていく」
「そうされますか」
「そうすれば兵達を失うことなくじゃ」
「勝てまするな」
「そうなる、しかしお主だから言うが」
共に若い頃から知っている大久保だからというのだ。
「わしの好みは知っておろう」
「大御所様のお好きな戦は」
「城攻めではない」
「外で戦うことですな」
「ははは、若い頃からな」
家康は笑って大久保に話した。
「わしも三河武士だからな」
「三河武士は外で正面から戦い」
「そして勝つものじゃな」
「はい、大御所様もでしたな」
「若い頃からじゃったな」
「幾度も外で戦われてきました」
城の外でだ、つまり野戦が家康が好きで得意とする戦だ。とはいっても城攻めも実は苦手ではない。
「そのうえで勝ってきました」
「幾度も四天王そしてお主ともな」
「戦ってきましたな」
「だから外での戦がよい、謀を使うよりもな」
城を囲んでそのうえでだ。
「そこで勝敗をつけたいが」
「それは適いませぬな」
「ならそれは仕方ない」
それならというのだ。
「仕掛けていくぞ」
「さすれば」
「そして大坂を手に入れようぞ」
「この場所はよい場所ですからな」
「実にな」
「はい、だからですな」
「手に入れてその後はじゃ」
それからのことも話す家康だった。
「ここはじっくりと治めよう、ではこれよりじゃ」
「諸将をですな」
「ここに集める」
家康の本陣にというのだ。
「そのうえで皆に話をしよう」
「わかり申した」
すぐに将軍秀忠と幕臣達そして諸大名が集められた。家康はそこで彼等に対してこう言ったのだった。
「わしが命じるまで城は攻めるな」
「そしてですな」
「そうじゃ、ゆうるりと囲んでいればよい」
秀忠にも話した。
「今はな、そしてな」
「然るべき時にですな」
「またわしが言う」
「さすれば」
「皆兵達に美味いものをたらふく食わせよ」
家康は明るく笑ってこうも言った。
「大坂の海の幸なり何なりな」
「では大御所様」
ここで政宗が家康に問うた。
「それを肴として」
「そうじゃ、酒もじゃ」
「ふんだんにですな」
「飲ませるのじゃ」
兵達にというのだ。
「そうするのじゃ」
「わかり申した」
「お主達もじゃ」
政宗にも言うのだった、そして諸将にも。
「ふんだんにじゃ」
「美味なものをですな」
「食ってじゃ」
「そして飲む」
「そうせよ、そしてその姿をじゃ」
「城の者達にも見せる」
「そうしてやるのじゃ、余裕を見せよ」
飲み食いするそれをというのだ。
「好きなだけな」
「大御所様、ではです」
景勝も言ってきた。
「この度は」
「うむ、まずはな」
「そうしてですな」
「楽しむのじゃ、そして間違ってもな」
「自らですな」
「わしが言わぬ限りはな」
「攻めることはない」
「そういうことじゃ」
こう言うのだった。
「そうしていればよい」
「それで勝てるのですか」
家康の孫、結城秀康の嫡子であり今は越前松平家の主である松平忠直が祖父である家康に尋ねてきた。
「城を攻め落とさずに」
「そうじゃ、無闇に攻めてもじゃ」
家康は孫に対して温和な声で答えた。
「落ちぬものは落ちぬ」
「あの大坂城は」
「そうじゃ、だからじゃ」
「兵達で攻めずにですか」
「囲んでいればよい」
「兵糧攻めでしょうか」
忠直は祖父に怪訝な顔になり問うた。
「それでは」
「あの城には多くの兵糧がある」
「ではそれもですか」
「意味がない、数年は持ち堪えるわ」
例え兵糧攻めにしてもというのだ。
「我等も疲れ切ってしまうわ」
「そうなるからですか」
「それもせぬ」
兵糧攻めもというのだ。
「別にな」
「では一体」
「まあ見ておれ」
孫であるのでどうしても情が入って穏やかに言う家康だった。
「お主は若い、これから戦を学ぶべきじゃ」
「だからですか」
「ここは落ち着いてじゃ」
「敵を囲んだままで、ですか」
「攻めるな」
絶対にというのだ。
「そうせよ、わしのやり方を見ておれ
「それではですな」
「お主はお主の軍勢の陣でゆっくりとじゃ」
「大御所様の戦の仕方をですか」
「見て学べ、よいな」
「わかり申した」
忠直は家康に素直に頷いた、これで彼も黙った。
そしてだ、政宗や景勝達諸将もだった。家康の言葉に素直に従い迂闊に動くことはせず布陣を固めた。
忠直は己の陣で彼の家臣達に家康に言われた言葉を告げていた。
「その様に言われておるからな」
「だからですな」
「この度はですな」
「大御所様のお言葉に従い」
「動かぬ」
「そうされますな」
「うむ」
若くはっきりとした声で答えた。
「そうするぞ」
「わかり申した、ではです」
「我等は守っておきましょう」
「そしてそのうえで」
「大御所様の戦の仕方を見て」
「学んでいかれますな」
「そうする、わしはまだまだ若年」
自分で言う忠直だった、精悍な顔は若々しさに満ちている。
「だからお祖父上のお言葉に従いじゃ」
「そしてですな」
「今は守られますな」
「それも固く」
「そうしていようぞ」
こう言って守りを固めたまま動かないつもりだった、だが。
幕府方の布陣を真田丸から見てだ、幸村は会心の笑みを浮かべてその上で彼の家臣達に落ち着いた声で言った。
「これはよいことじゃ」
「敵の動きはですな」
「よいですか」
「あの状況で」
「守りは固めておる」
このことは幸村が見てもだった。
「だがそれはこちらが篭城しておるとわかってのこと」
「うって出ることはせぬ」
「そう見てですな」
「攻めぬ様にしておる」
「そうした守りの固め方ですか」
「しかも軍勢と軍勢の戦を考えてのことじゃ」
このことも言う幸村だった。
「忍が仕掛けるとは考えておらぬわ」
「忍の者は相変わらず大御所殿と将軍殿の軍勢におるだけです」
「我等に対することが出来るだけの者は」
「それぞれの家の忍の者達もいますが」
「敵ではないですな」
「我等と対せられる忍は服部殿と十二神将のみ」
幸村、そして十勇士達にというのだ。
「それでその服部殿と十二神将が大御所殿と公方殿の陣地におるのなら」
「仕掛けられる」
「左様ですな」
「他の家の陣に仕掛け」
「この真田丸を攻められますな」
「そうじゃ」
その通りだというのだ。
「だからじゃ、よいな」
「はい、では」
「一旦外に出て参ります」
「そしてそのうえで」
「敵を乱してきます」
その十勇士達が言ってきた。
「こちらに引き寄せます」
「全て殿の手筈通りに」
「ではですな」
「そうしてからは」
「この真田丸において」
「うむ、攻めて来た敵達をじゃ」
まさにというのだ。
「徹底的に打ち破ってな」
「そうしてですな」
「戦の流れを変えて」
「そのうえで茶々様を説得し」
「外にうって出る」
「そうしますな」
「そうする、その第一歩じゃ」
戦に勝つ為に外で戦える様な流れにする為にというのだ、幸村は先の先まで見ていてそのうえで考えていた。
「これからのことはな」
「それで父上」
大助が父に怪訝な顔で言ってきた。
「気になることがあります」
「大砲か」
「はい、あれを使われると」
「それじゃ、あれは本丸の奥ならばな」
「何があろうとですな」
「絶対に届くことはない」
その弾はというのだ。
「だから茶々様はじゃ」
「その本丸の奥におられれば」
「何ともない」
「だからですな」
「迂闊に外堀に面しておる櫓にでもおられるとな」
「普通は大砲の弾すら外堀に阻まれますが」
そこまで大坂城の堀は広いのだ、これもまた大坂城が難攻不落たる所以だ。
「風に乗れば」
「外堀の櫓に届くこともある」
「それで茶々様が外堀の櫓の一つに入られれば」
そしてそこを狙われればというのだ。
「危ういですな」
「大砲は弾が当たることなぞ滅多にない」
幸村はこのこともわかっていた、戦の場でその様なものに当たるなぞ相当に運が悪い者であるというのだ。
「それこそな、しかしな」
「若しもですな」
「櫓に当たるか長きに渡ってその凄まじい音を聞かれるとな」
「その音が問題ですな」
「それじゃ、大砲は弾で攻めるよりもじゃ」
球で城の壁や櫓を壊せる、確かに大坂城の堀ではそれも極めて困難であるがだ。
「音で攻めるものじゃ」
「父上がいつも言っておられますな」
「そうじゃ、弾が落ちたりものを壊す音も撃った時の音もな」
「凄まじいので」
「まずで雷じゃ」
それが落ちた時の様にというのだ。
「凄い音じゃからな」
「それで、ですな」
「迂闊にじゃ」
まさにというのだ。
「聞くものではない」
「しかもそれが長く続くと」
「余計に心に堪える」
「若し茶々様が堪えられると」
「戦は危うくなる、ましてやあの方はじゃ」
茶々、彼女はというと。
「非常にお気が強いな」
「はい、それがしが見ましても」
その通りだと答えた大助だった。
「あの方は」
「そうじゃな、しかも激しいご気質じゃ」
「常高院様や幕府のご正室様とは全く違うとか」
妹二人とは、というのだ。彼女達は姉ではなく母であるお市の方にその気質が似たのであろうと言われている。
「どうにも」
「そうじゃ、しかしな」
「それでもですか」
「あの方はその反面脆い」
「非常にお気が強くとも」
「すぐにお心が折れられる方の様じゃ」
幸村は自身が見た茶々について我が子に話した。
「若し何かあればな」
「そこで、ですか」
「お心が折れられる、だからじゃ」
「大砲の音にですか」
「弱いであろう、実はこの城の女御衆が言っておるそうじゃが」
この話もするのだった。
「あの方は雷がお嫌いとのことじゃ」
「雷が」
「あの音が随分とお嫌いらしい」
「そうなのですか」
「そして燃えるのもな」
「では大砲は」
大助もここまで聞いてわかってだ、父に問い返した。
「あの方にとっては」
「鬼門じゃな、大御所殿がそこまでご存知かはわからぬが」
「茶々様を攻めるには」
「これはかなり厄介なことじゃ」
まさにというのだ。
「だから出来ればな」
「大砲をですか」
「何とかしたいが」
「ですが我等は」
「流石にこの真田丸とその外にまでしか手が回らぬ」
幸村は大助に苦々しい顔で述べた。
「大砲を他の方角から撃たれるとな」
「東や西、北から」
「それだけで危うくなる」
「では余計に」
「茶々様には本丸にいてもらいたい」
そして戦にも口出ししてもらいたくないというのだ。
「絶対にな、しかしな」
「それはですな」
「あの方をお止め出来る者がおらぬからな」
「父上もですな」
「拙者は所詮外様じゃ」
大坂ではというのだ。
「大坂譜代の大野修理殿も止められず片桐殿に至ってはじゃ」
「止められず挙句にですな」
「あの様になった」
城を出る羽目になったというのだ。
「だからな」
「それで、ですか」
「うむ、あの方を止められぬ」
「ですから外堀の方に来られることもですか」
「現に今もそうされておるな」
「はい」
「ではな」
「まさにですな」
「撃たれに行く様なものじゃ」
大砲にというのだ。
「そしてお心を撃たれるわ」
「そうなってしまえば」
「しかもあの方は戦の場に出られたこともない」
このこともあるというのだ。
「大砲の音なぞ聞かれたこともない、鉄砲ですらな」
「尚更悪いですな」
「お主も鉄砲の音は何度も聞いた」
修行の中でだ、それどころか筧が操る雷を術を習ってもいる、それで手裏剣に雷を宿らせたりすることも出来るのだ。
「怖くないな」
「全く」
「しかしじゃ」
「あの方は違う」
茶々、彼女はというのだ。
「雷にも弱いからな」
「それの様な大砲にも」
「弱い、ではな」
「大砲を撃たれてはなりませぬな」
「まして雷は長くて一日であろう」
「はい、鳴り落ちるのは」
「しかし大砲は違う」
こちらはというのだ。
「撃とうと思えば何日でも撃てるな」
「昼も夜も」
「そうして攻めればどうなる」
「雷とは比べものになりませぬ」
「そうじゃな」
「では」
「大砲は国崩しという」
城を崩すからである。
「そう言うな」
「はい、左様です」
「しかしそれはな」
「城を攻めるだけでなく」
「そうじゃ、人が城を守るな」
「その人を攻めるのにもですな」
「大砲は使える、そしてじゃ」
さらに話す幸村だった。
「その心もな」
「そうなりますか」
「わかるな、そのことは」
「よく」
大助は父の言葉に真剣な面持ちで答えた。
「父上がこれまで教えて下さったこともありますし」
「武具は時として相手に見せる、そして振るうだけでな」
「相手にですな」
「心を怖気付けさせてじゃ」
そのうえでというのだ。
「戦に勝つことが出来る」
「だからこそ大御所殿もですな」
「大砲をそうして使われますか」
「そうであろうな、だからな」
「我等は外に出て戦うべきであり」
「そしてじゃ」
幸村は大助にさらに話した。
「城の傍で大砲を使わせることもな」
「させるべきではなかった」
「無論茶々様も本丸におられてじゃ」
「そこにおいてですな」
「動かれぬことがじゃ」
まさにこのことはというのだ。
「よかったのじゃが」
「それがですな」
「今に至った、どうにも悪い方に悪い方にじゃ」
大坂方、つまり幸村達にというのだ。
「流れておるな」
「左様ですな、確かに」
「この戦相当なことをせぬとな」
今に至ってはとだ、幸村は大助に深刻な顔で述べた。
「勝てぬな」
「ただ兵の数の差だけでなく」
「完全に囲まれた」
茶々が言った篭城策をした結果だ、そうなってしまったというのだ。
「ならばな」
「それをですな」
「どうして覆すかじゃ」
「そして大砲もですな」
「使わせぬ、しかしそれが大御所殿相手に出来るか」
家康、彼にというのだ。
「お主はどう思うか」
「非常に難しいかと」
大助は強張った顔で父である幸村に答えた。
「それは最早」
「そうじゃな」
「はい、大御所殿は天下の名将です」
「これまで数多くの戦を経て来られたな」
「まさに百戦錬磨ですな」
「そこまでの方じゃ、勝ち戦も負け戦もご存知じゃ」
その両方をというのだ。
「その御身を以てな」
「負け戦もですか」
「勝ち戦には勝ち戦の、負け戦には負け戦の学べることがある」
「どうすれば勝てるかどうすれば負けぬか」
「それがわかる、だからな」
「あの方はその両方をご存知なので」
「とりわけお強い」
戦を知り抜いている、それが家康だというのだ。
「お若い時から戦の場に出ておられてな」
「それ故にですな」
「今も軍勢を動かされぬ、大御所殿が直接率いられる軍勢だけはな」
例え十勇士達を使って乱し挑発し乗せてもというのだ。
「動かぬわ、そしてあの方が動かれぬならな」
「それならばですな」
「この戦勝つのは難しい」
「では他の大名の軍勢を動かしますか」
「これからな。そしてな」
「真田丸まで寄せてですな」
「そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「散々に打ち破りな」
「その勢いで、ですな」
「茶々様を説得してじゃ」
「外にうって出て」
「攻めるべきじゃ」
「そうなりますか」
「我等はな」
こう大助に話した。
「そして外に出ればな」
「はい、その時は」
「わかるな」
「大御所殿、公方殿の本陣を」
「一気に攻める」
そうするというのだ。
「そしてお二方の首を取るぞ」
「そうせねば勝てませぬか」
「ことここに至ってはな」
大坂城を囲まれた今となってはというのだ。
「それしかない」
「都や奈良を取ることはですな」
「もう出来ぬ、大御所殿が大坂まで来られたならな」
そして秀忠もだ。
「それならな」
「それでは」
「これよりじゃ」
「戦になれば」
外の戦に持ち込めばというのだ。
「大御所殿の本陣を目指し」
「突き進むぞ」
「わかり申した、乾坤一滴ですな」
「左様、しかし今はな」
今の状況はというのだ。
「例え敗れてもな」
「大坂城がありますので」
「守りも後ろも確かじゃ」
その両方がというのだ。
「だからじゃ」
「後ろからものも援軍も来て」
「思う存分戦えるわ」
「この城はこのことも大きいですか」
「そうじゃ、ただ堅固なだけではない」
茶々はこのことばかり頭にあるがというのだ。
「兵糧も多くあってな」
「守りも確かなので少しの備えの兵だけ置いて」
「思いきり攻められる」
「それが大坂城の利点じゃ」
「その利点を活かし」
「攻めるぞ、よいな」
「その時は」
大助も頷いた。
「そうしましょうぞ」
「ではな」
幸村は大助にこう言って十勇士達を真田丸の外に出した、そうして戦を仕掛けるのだった。全ては勝つ為に。
巻ノ百二十七 完
2017・10・17