巻ノ百三十五 苦しい断
家康は駿府に戻り暫くは機嫌がよかった、大坂の大野とのやり取りと彼の文を読んで満足していた。そうしてだった。
正純や崇伝にもだ、こう言っていた。
「右大臣殿の江戸屋敷を考えておくのじゃ」
「何処にどれだけの屋敷を建てるか」
「そのことをですな」
「国持大名の屋敷にせよ」
大きさ、そして格はというのだ。
「よいな」
「はい、そして入られるお国は」
「どの国にされますか」
「上総と下総じゃな」
この二国と言う家康だった。
「考えたがやばりな」
「この二国ならばですな」
「幕府の目も届く」
「しかも国持大名の格になる」
「だからですな」
「この二国がよい、あと茶々殿じゃが」
彼女の話もするんどあった。
「もうわしの正室にという話はな」
「宜しいですな」
「それは」
「ははは、わしももう古稀を超えた」
七十、その高齢をというのだ。
「だからじゃ」
「それはいい」
「もうですか」
「そうじゃ、まあ茶々殿は江戸で姉妹でな」
常高院、彼女とというのだ。
「静かに暮らしてもらい時にはな」
「末の妹であられる奥方様とも」
「上様の奥方様とも」
「会ってじゃ」
そうしてというのだ。
「仲良くしてもらおう」
「そうしてですな」
「ことを収めますか」
「修理は腹を切るそうじゃ」
家康はこのことも話した。
「責を全て負ってな」
「戦のこと、切支丹のこと」
「それ等全てのことについてですか」
「修理殿が全ての責を負われ」
「腹を切られますか」
「そうじゃ、確かに責は誰かが負ってじゃ」
そうしてというのだ。
「ことを収めねばならんからな」
「だからですな」
「修理殿が腹を切られ」
「全てを終わらせるか」
「そうなる、これは仕方ないな」
大野の切腹、それはというのだ。
「やはりな」
「左様ですな、責のことは」
「どうしても」
「では、ですな」
「このことは」
「修理は手厚く弔ってやることじゃ」
責を負って腹を切ったならというのだ。
「そうせよ、ただ修理は今大坂でとかく恨まれておる」
「それは仕方ないですな」
「どうしても」
「講和から裸城になったことは」
「修理殿が茶々様を止められなかったのですから」
「そうなる、しかし怨みを買ってな」
その為にというのだ。
「身が心配じゃな」
「左様ですな」
「大坂であまりにも怨みを買っています」
「だからですな」
「何かありますと」
「そうじゃ、それでじゃ」
家康は二人にさらに話した。
「修理の身の周りに誰か密かにつけるか」
「伊賀者か甲賀者を」
「そうしますか」
「そうも考えておるが修理は己の家臣達に絶対に信頼を置いていてじゃ」
そうしてというのだ。
「その者達に護らせておる、そして鋭い」
「それで、ですな」
「忍の者をつけても」
「気付かれて」
「帰されますな」
「その辺りはしっかりしておる」
大野という者はというのだ。
「それでじゃ」
「身の回りのことは」
「修理殿次第ですか」
「あの御仁の家臣の者達次第」
「そうなりますか」
「いや、襲われただけでじゃ」
その時点でというのだ。
「修理は怪我を受けたなら茶々殿の説得も出来なくなり怪我の手当で引っ込んでいる間にな」
「戦をしようという者達が力を増し」
「そうしてですな」
「そしてそのうえで」
「戦に向かいますか」
「そうなる、だから襲われただけで終わる」
今の講和の流れがというのだ。
「だから出来ればな」
「修理殿が襲われる前に」
「襲われない様にしておくべきですか」
「だから伊賀者でも甲賀者でも」
「送りたいですか」
「そうしたい、しかし修理は幕府の頼みは受けぬ」
あくまで豊臣家の家臣だからだ、茶々を止めることは出来ないがその忠義については誰もが認めるものだ。
「決してな」
「密かに送ろうにも」
「大坂城においてそうしては」
「気付かれますな」
「特に真田家の者達に」
「十勇士がおる」
家康も彼等のことは頭の中に入れている、まさに一騎当千の者達として。
「気付かぬ筈がない、だから修理に話してな」
「そうしてですな」
「修理殿の周りに公然と置きたい」
「しかしそれは出来ぬ」
「どうしてもですな」
「そうじゃ、確かに修理も己の家臣達に護られておるが」
それでもというのだ。
「それで足りぬかも知れぬ」
「だからですな」
「ここはですな」
「助っ人を送りたい」
「それが本音ですが」
「それが出来ぬな」
苦い顔で言う家康だった。
「困ったことじゃ」
「そういえばです」
ここで正純が家康に話した。
「修理殿は今上の弟の主馬殿とです」
「反目しておるな」
「主馬殿が怒られています」
講和、そして城が裸城になってしまったことについてだ。
「主馬殿は激情家、それ故に」
「余計にじゃな」
「兄君である修理殿を憎んでおられ」
「何をしてもおかしくないか」
「刺客を送る位は」
「するな」
「はい、それで修理殿が襲われれば」
殺されずとも傷を受けずともそれだけでというのだ。
「確かに講和は遠のきますな」
「そうなるな」
「浪人達を大坂から出すことも茶々殿の江戸入りも右大臣殿転封も」
「その全てが潰れる」
「そして戦になりまする」
「だからわしも思うのじゃ」
それも強くとだ、家康は正純に答えた。
「修理の護衛の者達をな」
「こちらからも送りたい」
「その様にな、しかしそれで出来ぬとなれば」
「修理殿の運と用心に期待しますか」
「それしかないのう」
こう話してそしてだった、家康は難しい顔でいた。そして彼の危惧は残念ながら当たった。数日後に届いた文を見てだった。
家康は駿府にいる者達に苦い顔で告げた。
「戦を覚悟していよ」
「まさか大坂で動きが」
「それがありましたか」
「左様ですか」
「うむ、修理が何者かに襲われた」
家康が危惧していたこのことがというのだ。
「傷を負った、命に別状はないが」
「襲われたとなると」
「もうそれで、ですな」
「事態は終わりですな」
「最早これで」
「そうじゃ、講和の話は吹き飛ぶわ」
それを進めていた大野がそうなってしまい彼の下にいる大坂の講和派が力を失ってしまってというのだ。
「完全にな」
「だからですか」
「戦の用意ですか」
「それを進めますか」
「今から」
「浪人衆は大坂が出さぬ」
家康はまずはこのことから話した。
「そして茶々殿もじゃ」
「大坂に留まり」
「右大臣殿もですか」
「あの方も」
「戦を決意するわ」
ことここに至ってはとなってというのだ。
「もう仕方がない、ではな」
「戦の用意をし」
「大坂で動きがあればですか」
「出兵ですな」
「大坂まで」
「そうする、江戸にも伝えよ」
即ち秀忠と彼の下にいる者達にというのだ。
「もう戦は避けられぬわ」
「しかしですな」
ここで柳生が家康に聞いてきた。
「今に至っても」
「うむ、右大臣殿はな」
「お命をですか」
「奪うつもりはない、太閤殿もそうしてきた」
敵だった者を許してきたというのだ、北条家にしても北条氏政は命を助けられそうして高野山に入れられている。
「ならばわしもじゃ」
「右大臣殿のお命は」
「奪うことはせぬ」
柳生にはっきりとした声で答えた。
「最悪でも高野山に蟄居でな」
「許されますか」
「そうして暫くして蟄居を解いてな」
「あらためてですな」
「大名に戻す、それでよいわ」
「では千様も」
「夫婦のままじゃ」
このことについても言う家康だった。
「その様にするぞ」
「それではその様に」
「では戦の用意をせよ」
あらためて告げてだった、家康は出兵の用意を命じ江戸にもそれを伝えた。当然それは諸藩にも伝えられた。
景勝はその命を受けて景勝に言った。
「いよいよな」
「豊臣家がですな」
「終わる時が来た」
「左様ですか」
「大野修理殿が襲われてな」
「講和の流れが潰えましたな」
「そうしてな」
そのうえでというのだ。
「浪人衆はそのまま残してな」
「戦の用意をはじめたのですか」
「大坂はな、そして幕府もな」
大坂と対する彼等もというのだ。
「戦を決意したうえで」
「当家にもまた」
「文を送ってきた」
「合戦の用意をせよと」
「そうしてきたわ」
「それでは」
「すぐに戦の用意に入るのじゃ」
景勝は兼続に確か声で話した。
「よいな」
「わかり申した、それでは」
兼続も応えた、そうしてだった。
そのうえでだ、兼続は景勝にこう言った。
「豊臣家の天下はまさに一酔の夢でしたな」
「義父上の詩か」
「はい、ふとこう思いました」
「確かにな、太閤様は天下を統一されたが」
「それは一代だけのことでした」
「天下人となり栄耀栄華も極められたが」
それもまた、というのだ。
「結局はな」
「一代限りのことで豊臣家も終わる」
「それならばです」
「まさに一酔の夢か」
「そうですな」
「お主の言う通りじゃな、あれだけの栄耀栄華がな」
「今まさに終わり」
「後には何も残らぬ」
景勝は険しい表情、彼にとってはいつものそれで述べた。
「一切な」
「ですな、しかし」
「大御所様としてはな」
「右大臣殿のお命までは」
「そうお考えじゃ、まあそこはな」
「大御所様次第ですな」
「うむ」
そうだとだ、景勝は兼続に答えた。
「そうなる、ではじゃ」
「はい、これより」
「出陣の用意じゃ」
景勝も命じてそのうえでだった。
上杉家も出陣の用意に入った、他の出陣を命じられた大名達も同じで多くの家がまた出陣に入った。
この状況にだ、ようやく傷が癒えた大野は苦い顔で言った。
「最早こうなってはな」
「どうにもなりませぬな」
「この状況は」
「最早」
「仕方がありませぬな」
「戦しかない」
こう己の家臣達に言った。
「だから先日の馬揃えにも出たが」
「しかしですな」
「それでもですな」
「この状況をどうするか」
「それは」
「まだ考える、何としてもじゃ」
それこそというのだ。
「右大臣様のお命だけは」
「何とかせねば」
「そうしてですな」
「この状況でも」
「その様にですな」
「思っておる」
今もというのだ。
「そうしてな」
「はい、これより」
「何とかして」
「右大臣様のお命だけは」
「その様にしていきますな」
「そうする、手を尽くしてな」
こう彼の家臣達に言うのだった。
「そうしようぞ」
「それでは我等も」
「及ばずながらです」
「尽力します」
「右大臣様の為に」
「その様にな、わしはふがいない家臣であったが」
それでもというのだ。
「手を打ってじゃ」
「そうしてですな」
「その上で何としても」
「右大臣様をお助けし」
「お命だけは」
「そうする、既に腹は切るつもりであった」
それならというのだ。
「もう覚悟は出来ておるからな」
「何としてもですな」
「死ぬ気でことを進め」
「このことを果たされますか」
「お命にかけて」
「そうする、その為には真田殿もな」
幸村、彼にもというのだ。
「働いてもらう」
「十勇士にも」
「そして何としても」
「右大臣様だけは」
「そうする、そして戦はな」
これはというと。
「避けられぬならじゃ」
「懸命に戦い」
「そうして」
「勝つ」
「そうしますな」
「戦は勝たねばじゃ」
それこそというのだ。
「どうにもならぬな」
「はい、まさに」
「戦は」
「そうしたものですな」
「武士ならば」
「死力を尽くしてな、そうしてじゃ」
そのうえでとだ、さらに話す大野だった。
「右大臣様もお護りしようぞ」
「わかり申した」
大野の家臣達は主に応えた、彼等は既に死を覚悟していた。そのうえでもう避けることが出来なかった戦に向かっていた。
大坂城の雰囲気は変わった、講和してからの殺伐として荒れた裸城を見てのそれからだった。
意気込み楽しみにするものになっていた、彼等は明らかに戦を待ち望んでいた。
「さあ、いよいよぞ」
「また戦になるぞ」
「生きるか死ぬかじゃ」
「死ねばもうそれまで」
「生きれば栄達じゃ」
「二つに一つ」
「簡単な話じゃ」
笑って話していた、彼等にとってはこのまま裸城にいる方が苦痛で戦で散ればそれでよしであった。その為彼等の士気はむしろ冬の戦よりも高かった。
だがその彼等を見てだ、長曾我部は苦い顔で明石に言った。
「いかんのう」
「城の雰囲気がでござるな」
「皆死兵になっておる」
「自ら死のうという者達に」
「戦は死ぬものではない」
これが長曾我部の考えだった。
「戦い願いを果たすもの」
「だからですな」
「ああして皆死に急ぐ様なものはな」
「本来の戦に向かうものではない」
「自害と変わらぬ」
一軍でのそれと、というのだ。
「死ぬ気で戦い生きるのが戦でじゃ」
「死ぬ気で戦い死ぬのは」
「本来の戦ではない、だからな」
「長曾我部殿は危ういと言われるのですな」
「そうじゃ」
今の城の者達の自暴自棄の気持ち、それがというのだ。
「見ていてこれ程危ういと思ったことはない」
「確かに。言われてみますと」
明石も彼等のそのかえって死ねることを喜びとしているものを見て述べた。
「もう負けて死んで」
「それで終わると思っておるな」
「苦しむことはない、そんな感じですな」
「戦は戦って勝つもの」
それが目的だとだ、長曾我部は看破した。
「それで何故じゃ」
「死ぬことを喜ぶのか」
「それでは勝てる筈がない、もっともな」
ここで苦い顔になってこうも言ったのだった。
「この度の戦はな」
「勝てる戦ではない」
「それは確かじゃ」
このことは長曾我部も否定しなかった、だが。
それでもだ、彼は明石にこう述べた。
「しかしな」
「それでも生きるものですな」
「潔く死ぬのは何時でも出来る」
「それこそ」
「大事なのは生きてことじゃ、やるべきものがあるのなら」
「何としてもですな」
「生きるべきじゃ、勝って武勲を身を立てたいなら」
この城に来た浪人達の多くが思っていることだ、少なくともそう思いここまで来た。そのことが間違いないならというのだ。
「是非な」
「戦いに勝ちそうして」
「生きることを目指すべきじゃ、この様な有様では」
「最初からですか」
「勝てるものではない、まことに危ういわ」
「では」
「やはりこの度の戦負けるわ」
その兵達を見てあらためて思ったことだ。
「負けてそしてじゃ」
「逃げ延びることが出来ねば」
「落ち武者狩りに捕まって終わりじゃ」
そうして首を切られるというのだ。
「そうなってしまうわ」
「そうですか、では」
「明石殿、お主は目指すものがあるな」
「それがしは切支丹です」
幕府が禁じた耶蘇教を信じている、明石は長曾我部に確かな声で答えた。
「ですから」
「切支丹が認められる国にしたいな」
「戦に勝ち」
「そう思われるならな」
「何としてもですな」
「生きてじゃ」
そうしてというのだ。
「それを果たされるのじゃ」
「敗れようとも」
「それでもな、わしは家の再興じゃ」
長曾我部家、彼自身の家だ。
「何としてもな」
「それを果たされますか」
「その為にここまで来た、それならばじゃ」
「例え敗れようとも」
「落ち延びそうしてじゃ」
「生きてそうして」
「また再起を期すわ」
「そうされますか」
「何があろうともな」
それこそというのだ。
「首さえ身体とつながっていれば」
「お家再興を目指されますか」
「そして果たす、必ずな」
「ではそれがしも」
明石は長曾我部の決意を聞いて彼に確かな声で応えた。
「果たします」
「切支丹としてじゃな」
「何があろうと生きて」
「ではな、共にな」
生きようとだ、二人は誓い合った。死ぬ為の滅ぶ為の戦になりそうだったが彼等はそれでも生きようと誓っていた。
大野はその中で密かに北政所に文を送りそのつてから彼女の兄である木下家と連絡を取った。そうしてだった。
やはり密かに大坂に来た木下家の者にこう話した。
「ではいざという時は」
「当家からですな」
「右大臣様を逃がされて下され」
「そしてそのうえで」
「はい、加藤家と島津家とも話をしております」
「左様ですか」
「ですからいざとなれば」
大野は拝む様にして木下家の者に言った。
「右大臣様は」
「お任せ下され、そしてこのことは」
「断じてですな」
「我等誰にも話しませぬ」
それこそというのだ。
「それこそ殿がです」
「木下殿が」
「一子相伝とされ我等に至っては」
「もう誰にもですか」
「言いませぬ、言いそうものなら」
その場合になってもとだ、木下家の者は大野に約束した。
「腹を切ってです」
「口もですな」
「封じます」
その命を消してまでしてというのだ。
「そうしますので」
「だからでござるか」
「はい、ご安心下され」
「右大臣様に何があっても」
「我等が秘密にします、そして」
「西国に逃れても」
「誰にも言いませぬ、無論加藤家も島津家もですな」
木下家の者は大野に両家のことを問うた。
「やはり」
「はい、それはです」
「既にですか」
「加藤家は熊本の城に密かに右大臣様の為のお部屋を用意されていますし」
「ならば」
「最初からです」
それこそ加藤清正が生きていた頃からだ。
「何かあればです」
「匿われるおつもりで」
「ですから」
それでというのだ。
「他言はありませぬ」
「絶対に」
「そして島津殿は」
「あの家は元からの秘密主義」
「ですから他の誰に言うことなぞ」
具体的には幕府に話が漏れる様なことはだ。
「ありませぬ」
「では」
「はい、若しもです」
「右大臣様が逃れられても」
「漏れませぬ」
この話はというのだ。
「その手配は真田殿が事前にされておったとか」
「何と、あの御仁が」
「この戦の前に。虎之助殿がご存命の頃に」
「その頃にですか」
「既に動かれていてです」
これは大野も最近知ったことだ、それで幸村の先に先にあらかじめ打てる手を打っていく知に舌を巻いたのだ。
「用意してくれていて」
「それで、でありますな」
「はい、何がありましても」
それこそ秀頼が絶体絶命になってもだ。
「大丈夫とのことです」
「では」
「はい、後はです」
「当家がですな」
「その時はお願い申す」
「当家は北政所様のご実家です」
ねね、秀吉の正妻だった彼女のだ。
「ですから右大臣様もです」
「何がありましても」
「戦には加われずとも」
それでもというのだ。
「お助け申す」
「さすれば」
「いざという時はお頼り下され」
「そうさせて頂きます」
大野は再び木下家の者にすがる様に頼み込んだ。
「くれぐれも」
「そして修理殿は」
「それがしですか」
「どうされますか」
「決まっております、右大臣様さえご無事なら」
「戦の責を取られて」
「はい、腹を切ります」
木下家の者にもこう言うのだった。
「そうする次第であります」
「左様でありますか」
「この様に至った責もありますし」
「それで、なのですか」
「そう致します」
「では」
「右大臣様をお願い申す」
自分はいいと言うのだった、木下家の者とこうした話もした。彼もまた打てる全ての手を打っていた。
戦が再び近付く中でも時は動き昼になれば夜にもなる、そして夜になると星も出るがその星を見てだった。
幸村は十勇士達と大助に眉を曇らせて言った。
「多くの将星が落ちておるな」
「将星が」
「落ちておりますか」
「西のな」
そちらのというのだ。
「逆に東の将星はじゃ」
「そちらはですか」
「西とは違い」
「殆ど落ちておらぬ」
そうした有様だというのだ。
「これはな」
「戦の流れですな」
「それを示していますな」
「これからの戦の」
「それをですな」
「うむ、しかし右大臣様の星と思われる一際大きな星はな」
その星はというと。
「落ちず我等もじゃ」
「我等の星はですか」
「落ちておらぬ」
「そうなのですか」
「うむ、拙者の星もお主達の星もな」
十勇士達にも大助にも話した。
「落ちておらぬ」
「では」
「我等は次の戦では」
「死なぬ様じゃ」
星が示す限りではというのだ。
「どうやらな」
「そうなのですか」
「相当な将の方が死のうとも」
「殿とそれがし達は」
「誰も死にませぬか」
「それはどういうことか」
幸村は考えつつ彼等に述べた。
「考えてみたがな」
「はい、どういうことでしょうか」
「我等の星が落ちぬのは」
「死なぬのは」
「ことを果たせということであろう」
こう家臣達に話した。
「我等が果たすべきな」
「それでは」
「この戦の最後で」
「右大臣様をですか」
「お救いせよと」
「そうであろう、しかし何としてもじゃ」
彼等はというのだ。
「戦がはじまればな」
「その時はですな」
「勝ちを目指す」
「その勝ちの為には」
「何としてもですな」
「大御所殿の首を取るしかなくなった」
幸村は十勇士達に強い声で告げた。
「最早な」
「左様ですな」
「もう大坂の城は裸城です」
「戦になればすぐに大軍に迫られます」
「それこそ天守まで」
「しかも兵の数も減った」
先の戦がはじまった時と比べてだ、幸村はこのことも話した。
「そうなったな」
「はい、十万が今や五万八千」
「相当に減りましたな」
「四万以上も減りました」
「そのことも不利ですな」
「ならば一気に攻めてじゃ」
そうしてというのだ。
「大御所殿の首を取るしかじゃ」
「ありませぬな」
「幕府の総大将であるあの方の御首」
「それを」
「それしかなくなった、先の戦でもそれを考えたが」
今の戦はというのだ。
「その時よりも遥かにじゃ」
「今の戦では」
「そうすべきですな」
「むしろそれしかない」
「そうした状況ですな」
「そうじゃ、では戦になれば一気にじゃ」
主な軍勢を率いてというのだ。
「幕府の本陣を目指してな」
「そのうえで、ですな」
「そうしてですな」
「幕府を本陣を攻め落とし」
「一気に」
「大御所殿の御首を手に入れるぞ、よいな」
こう言ってそしてだった。
幸村は戦の策を練りはじめた、それは諸将達が集まっても同じだった。既に皆覚悟を決め兵達も配していた。
幸村のその策と布陣を聞いてだ、後藤が言った。
「最早ですな」
「はい、我等全てがです」
「死兵となりそのうえで」
「戦いそしてです」
「勝つしかないですな」
「そう思いまする、特に」
幸村は後藤に強い声で話した。
「大事なことはでござる
「大御所殿を討つかどうか」
「討てればそれで、です」
「戦は我等の勝ちじゃな」
「そうなります、しかし」
それがとも話した幸村だった。
「若しもです」
「大御所殿を討てねば」
「戦は我等の負けです」
「この城の有様ではのう」
長曾我部がここで言った。
「攻め込まれるとな」
「はい、敗れますな」
「守れるものではない」
今の大坂城ではとだ、長曾我部はあえて話した。
「本丸まで迫られてな」
「攻め落とされますな」
「そうなるからな」
だからだというのだ。
「ここはな」
「大御所殿の御首を手に入れ」
「勝つしかないな」
「そうしましょうぞ」
「それではな」
「確かに、です」
木村もここで話した。
「ここここに至ってはです」
「戦に勝つには」
「大御所殿の御首を取るしかありませぬ」
「木村殿もそう思われますな」
「はい、ではそれがしもです」
「大御所殿をですな」
「何としてもです」
強い決意で以てだ、木村は幸村に答えた。
「それがしが何としてもです」
「大御所殿の御首を」
「はい、そして将軍殿も」
秀忠、彼もというのだ。
「是非です」
「その御首をですか」
「取ってみせましょう」
「そこまでお思いですか」
「はい、惣して豊臣の武士道を見せてやりましょう」
天下にというのだ。
「そうしてやりましょう」
「はい、それでは」
「真田殿の御考えに賛同致します」
「そしてそのうえで」
「この戦死ぬ気で戦い勝ちます」
己の決意も話した木村だった。
「何としても」
「大御所殿の首を挙げ」
「そうしますので」
「お命にかえても」
「その所存です」
「左様ですか」
「木村殿、それはどうか」
幸村は命を捨てようとする木村に言おうとしたがそれよりも前に明石が彼に言った。
「そう思いまするぞ」
「と、いいますと」
「武士は命を惜しまぬものですが」
「それでもですか」
「左様、命を粗末にするものではありません」
こう言うのだった。
「死のうとするのではなく」
「死ぬ気で戦いそうして」
「生きるものです」
「では」
「大御所殿の首を取られて」
そしてというのだ。
「城に帰られて下さい」
「そこで死ぬなというのですか」
「そうです、その首を右大臣様の前に持って来て下さい」
秀頼に家康の首を見せよというのだ、気むr尚その手で。
「そうされて下さい」
「それが武士の道でござるか」
「左様、それがしも死ぬつもりはありませぬし」
「何としてもですか」
「勝ちそしてです」
「生きられるのですか」
「そのおつもりです」
「そうですな、わしもです」
毛利も言ってきた。
「戦に勝ちますが」
「毛利殿もですか」
「家を再興させる為、ならば」
「死なずに」
「大名に返り咲きまする」
生きてそうしてというのだ。
「必ず」
「それではそれがしも」
「その様にお願い申す」
「ではそれがしも暴れまするが」
塙も明石と毛利の言葉を受けて言った。
「必ずや」
「はい、夜討ちをされても」
「必ずですな」
「生きて帰り最後まで」
「暴れられるべきです」
「左様ですな」
「各々方、宜しいか」
大野も諸将に話した、確かにこれまでのことで立場を失くしてしまっているがやはり大坂の執権は彼以外にいなかった。
治房の睨む視線を感じているがそれでもだ、大野はそれをものともせず諸将に話した。
「この度の戦の策は一つです」
「大御所殿の御首を取る」
「それしかない」
「最早ですな」
「それしか」
「その時を待ちその時が来れば」
まさにというのだ。
「宜しいですな」
「全軍一丸となり」
「そうしてですな」
「大御所殿の本陣に突き進み」
「その御首を取る」
「そうしますな」
「そうしましょうぞ、右大臣様も出陣されます」
秀頼、彼もというのだ。
「その時はまさにです」
「一丸となって攻めて」
「そうしてですな」
「勝つのですな」
「必ず」
「そうしましょうぞ、大御所殿さえ討てば」
家康、彼をだ。
「戦は勝ちです」
「幕府の総大将さえ討てれば」
「それで、ですな」
「勝ちに大きく傾く」
「そうなりますな」
「左様、ですから」
それでというのだ。
「乾坤一滴の勝負を挑みましょう」
「その時に」
「そうしましょうぞ」
「我等で」
諸将も大野に応えた、大野はこの時の軍議はこれで終わった。そして彼は治房を呼び止め先のことで顔を強張らせている彼に話した。
「お主に頼みたいことがある」
「と、いいますと」
「お主は国松様を何としてもじゃな」
「はい、お護りするつもりです」
「ならばそれを頼む」
こう言うのだった。
「是非な」
「国松様をですな」
「何があってもな」
「そのお命をですか」
「頼む、わしからもな」
「左様ですか、しかし」
治房は兄を警戒しいざとなれば刀を抜かんばかりの顔になって彼にと生かした。
「それだけでしょうか」
「どういうことじゃ」
「お話するのはそれだけでしょうか」
「他には何もない」
大野はその治房を見据えてこう返した。
「わしがお主に言うことはな」
「まことでありますか」
「まことじゃ、決してじゃ」
「他のことはですか」
「言わぬ」
強い声での返事だった。
「決してな」
「それでは」
「うむ、国松様をじゃ」
秀頼の子である彼をというのだ。
「頼むぞ」
「わかり申した、それでは」
「何としてもな、そしてじゃ」
「兄上もですな」
「全てを賭けてな」
まさに彼のそれをだ。
「右大臣様はお護りするからな」
「ですか」
「わしは至らぬ臣だった」
己をこう自責しての言葉だ。
「戦になることも講和も裸城になることもな」
「その全てをですか」
「何も出来なかった」
茶々を止められなかったというのだ、だがそのうえでもだった。彼は治房に対して強い声で言ったのだった。
「しかしそれでもじゃ」
「右大臣様は」
「うむ、お助けする」
その命をというのだ。
「何があろうともな」
「では我等は」
「そのことは果たす、そしてな」
「それがしもですな」
「国松様を頼むぞ」
「わかり申した」
確かな声でだ、治房は再び兄に約束した。そうしてだった。
先のことは大野があえて聞かずにことを進めさせた、大坂での再度の戦が最早目前に迫っているその中で。
巻ノ百三十五 完
201712・17