巻ノ百三十六 堺の南で
四月も終わりになろうとしていた、その中でだった。家康は大坂まであと少しのところまで迫ったところでだった。
軍議を開いてだ、こう言った。
「紀伊、八尾、若江そして都からもじゃ」
「大坂城を囲み」
「そうしてですな」
「一気に押し潰す」
「そうしていきますな」
「そうじゃ、特に南から攻める」
大坂のそこからというのだ。
「そこに多くの兵を置く」
「やはりあそこになりますな」
藤堂高虎が家康に応えた、その大柄な身体から。
「攻めるとなりますと」
「うむ、あの城を攻めるとなるとな」
「開けて大軍を動かせますので」
「あそこからじゃ、北と東からも攻めるが」
それでもとだ、家康かこちらから攻めることについては難しい顔になって述べた。
「どちらも川があるからのう」
「大坂は実に川が多いですからな」
今度は景勝が言ってきた。
「淀川にしろ大和川にしろ」
「それが城の守りにもなっておる」
実際に秀吉もそれを使って城の縄張りを行っている、川と堀を見事に合わせてこの上なく堅固な城にしたのだ。
「それでじゃ」
「北と東から攻めるよりも」
「南に軍勢の多くを置いてじゃ」
「一気に攻めまするか」
「そして大坂城の本丸まで迫る、もう裸城じゃ」
そうなっているからだというのだ。
「後は一気に攻められる」
「ですな、ああなってはです」
政宗もここで口を開いた。
「南から攻めれば」
「楽に攻め落とせる、しかし敵もそれはわかっておる」
大坂方の方もというのだ。
「だから敵も南に残っておる軍勢を置いてくるわ」
「そしてそこには」
険しい顔でだ、井伊が言ってきた。井伊直政の息子直孝である。
「あの真田殿もですな」
「間違いなく出て来る、お主と同じ赤備えでな」
「やはりそうですか」
「赤備えと赤備えで戦ってみるか」
家康は笑ってまだ若い直孝に問うた。
「そうしてみるか」
「それでは」
「うむ、その時はお主にも頼むぞ」
「それでは」
「では平野川を渡り軍勢を南に配して」
前田利常も言ってきた。
「大坂方の軍勢が迎え撃つのを退け」
「本丸まで向かう、しかし途中で降ると言えばな」
その時のことを話すのも忘れない家康だった。
「それで終わりじゃ」
「戦は」
「敵の首は歯向かわぬ限り取るな」
つまり殺すなというのだ。
「よいな」
「さすれば」
「都、奈良は押さえておる」
この二つの街は既にそうしている、家康はそのうえで軍勢を大坂に向かわしておりその途中で軍議を開いたのだ。
「では後はな」
「北と東からさらに迫り」
「そして南からですな」
「紀伊より堺の方に上がり」
「そのうえで」
「浅野家にそう伝えておる」
紀伊を治めるこの家にというのだ。
「ではな」
「浅野殿が堺を押さえてくれれば」
こう言ったのは松平忠直、冬の陣での失態を祖父家康に怒られた彼であった。
「その時には」
「堺は無事じゃがな」
「それでもですな」
「これは間に合わぬわ」
堺を押さえることはというのだ。
「先に大坂方が来てな」
「そうしてですか」
「焼かれる、しかしそれでもな」
「紀伊からの浅野殿の軍勢は進み」
「そして南を押さえてくれるわ」
このことは安心していいというのだ。
「そして我等は東から迫りな」
「平野の川を渡って」
「そしてじゃ」
「南にですか」
「軍勢の殆どを置くのじゃ、焦ることはない」
実際に余裕のある感じの家康の言葉だった。
「八尾や若江での戦もあるであろうが」
「それに勝ったうえで」
「平野の川を渡ってな」
「南にきますか」
「茶臼山やその辺りに向ける」
軍勢をというのだ。
「そしてその辺りにじゃ」
「陣を敷きますか」
「充分に用意をしてじゃ」
「全軍で」
「攻める、そこで大坂方を雌雄を決し」
さらに言う家康だった。
「戦国の世も完全にじゃ」
「終わらせるのですな」
「この度の戦で」
「そうしますか」
「もう刀や槍は収めるべきじゃ」
ここで完全にというのだ。
「本来は関ヶ原でそうしたかったが」
「仕方ありませんな」
ここで言ったのは秀忠だった。
「ここここに至っては」
「うむ、しかしな」
「是非にですな」
「ここで終わらせる」
家康は秀忠にその決意をあらためて述べた。
「そうした戦にするぞ」
「そのことも頭に入れて」
「この度の戦は勝つ」
戦国の世を終わらせることも考えつつとだ、家康は秀忠だけでなく諸大名達に告げた。そしてその後でだった。
秀忠だけを呼んでだ、彼にそっと囁いた。
「何度も言うがわしは右大臣殿はな」
「命だけは」
「そうしたい、それはよいな」
「はい、そしてですな」
「この度お主だけを呼んだのはこのことではない」
むしろというのだった。
「辰千代のことじゃ」
「もうご存知と思いますが」
「今度は幕府の旗本を切ったそうじゃな」
「はい、それがしが送った二人を」
秀忠は難しい顔で家康にこのことを話した。
「そうしてです」
「そのことをじゃな」
「悪びれずにです」
「居直った態度か」
「軍議の時もでしたな」
「見たであろう」
先程の軍議には忠輝もいた、だが彼はその軍議の時でどうだったかというと。
「ふんぞり返って一言も出さずな」
「何も言わず」
「わしの話も聞いておらぬ」
父であり天下人である家康のだ。
「あの態度ではな」
「この度の戦でもですな」
「何かすればな」
「もうその時は」
「幾ら一門でも放っておけぬ、いや」
「徳川の一門だからこそ」
「愚行を許しては天下に示しがつかん」
それ故にというのだ。
「だからじゃ」
「辰千代は」
「わしも歳じゃ、長くはないがな」
「父上が世を去られたら」
「その時までにあの態度ならじゃ」
「改易ですか」
「そうせよ、一門こそ罰してこそじゃ」
そうしてこそというのだ。
「天下の法と裁きが成るからな」
「是非共ですか」
「辰千代は仕置きせよ」
「それでは」
「腹を切らせるには及ばぬが」
そこまでの極刑はというのだ。
「しかしな」
「それでもですな」
「これ以上は捨ておけぬ」
決してというのだ。
「だからな」
「この度の戦の態度次第では」
「改易、そして辰千代自身は蟄居じゃ」
そうせよというのだ。
「よいな」
「厳しい処罰ですな」
「それをあえてせよ、あの勘気は結局治らぬな」
「どうしてもですな」
「ずっと見ておったが治らぬからな」
忠輝の勘気、それがだ。
「あれをどうにかしてこそじゃ」
「幕府の法と裁きが成り立つので」
「必ずせよ、そして切支丹じゃが」
「それもですな」
「何としても認めるでない」
この教えのことも話した家康だった。
「あの教え自体はどうでもよいがな」
「そこから南蛮の者達が入って来るので」
「国を掠め取りにな」
そうしてくるからだというのだ。
「だからな」
「ですな、それがしもそう思いまする」
「あの者達は民を攫い売り飛ばし奴婢にさえする」
「恐ろしいことです」
このことには秀忠も顔を青くさせていた、語る家康も思うだけで恐ろしいという感じであり顔に出ていた。
「まことに」
「そうなっては天下の政も成り立たぬ」
「だからですな」
「民を護ってこその政じゃな」
「よき民達を」
「だからじゃ」
「切支丹はですな」
「許すな」
絶対にというのだ。
「よいな」
「肝に銘じておきます」
「そしてこの戦が終われば諸法度をじゃ」
「これまで定めてきたものを」
「天下に広く知らせてな」
「法としますな」
「そうする、それがわしの最後の仕事になるか」
天下の政のというのだ。
「そうなるであろうか」
「そうですか」
「もう一年かのう」
遠い目になってだ、家康はこうも言った。
「わしが生きられるのは」
「では」
「その一年の間にな」
「幕府の土台をですか」
「完全に固めておきたい、そしてな」
「幕府をですな」
「末永く栄えて続く様にしたい」
その一年の間にというのだ。
「だから今もな」
「戦をしてですな」
「大坂を手に入れてな」
「そうしてそのうえで」
「諸法度も定め」
「辰千代も」
「あ奴のことも収めてな」
そうしたことを全て整えてというのだ。
「この世を去りたい、あと死んだ後もじゃ」
「日光にですな」
「わしは入ってそうしてな」
「あちらからですか」
「わし自身が江戸の東北、鬼門を護る」
「比叡山の様に」
都の東北つまり鬼門にあるこの寺をだ、秀忠は話に出して家康に問うた。この寺のことは天下によく知られている。
「そうなられますか」
「そうなる、それにわしが祀られて神となればな」
「権威になってですな」
「それが余計に幕府の格になるからな」
「亡くなられた後もですか」
「わしは手を打っておくからな」
「そこまでお考えとは、しかし」
秀忠は家康の考えを理解して唸って述べた。
「そこまでされれば」
「幕府も安泰じゃな」
「長い間」
「ではな、全て手を打ってな」
「そうしてですな」
「わしはあちらの方に行く」
死んだ後の世にというのだ。
「宜しく頼むぞ、しかし実は辰千代はな」
「やはり」
「出来ればしたくないが」
厳しい処罰、改易及び蟄居はというのだ。
「あれでは仕方がない、幕府のことを思えば」
「どうしてもですな」
「処罰せねばならぬ」
「さもなければ示しがつきまぬな」
「諸藩、万民にな」
「身内に甘くては」
「法と仕置きは仁が必要にしても」
秀忠も言った。
「それでも」
「公平でなければならぬからな」
「だから今も豊臣家を攻めておりますし」
「辰千代も然りじゃ、切支丹も過ぎた身勝手も許せぬ」
「その通り、では」
「うむ、豊臣家も仕置きしてな」
「辰千代も」
秀忠から述名を出した。
「やはり」
「あの態度のままではわしの死後せよ、その手筈は整えておくからな」
「それに添って」
「せよ、さてでは今の仕置きを進めよう」
豊臣家にもと言うのだった。
「よいな」
「これより」
「先に言った通り兵は平野の川を渡らせてな」
「城の南に集め」
「そこから攻める、そうしてじゃ」
「一気にですな」
「攻めていく」
軍議で話した通りにというのだ。
「よいな」
「さすれば」
「降ればよし、右大臣殿はここに至れば蟄居」
その仕置きをするというのだ。
「暫しな、そしてじゃ」
「その蟄居の後で、ですな」
「許そう。長くて十年じゃ」
その蟄居の時はというのだ。
「大野修理が責の全てを取るであろうからな」
「あの者がですか」
「それに免じてな」
「十年ですか」
「うむ、それで許す。反省が見られたならばじゃが」
「まあそこは」
「お主の裁量じゃな」
自分の後のというのだ。
「そこは任せる、しかし千とはじゃ」
「離縁させぬ」
「そこは頼むぞ、そして右大臣殿もそうするからな」
「辰千代もですか」
「反省の念がないなら別じゃが」
「それがあれば」
「改易、蟄居にしてもじゃ」
それでもというのだ。
「やはりな」
「十年で、ですか」
「それで許してやるのじゃ。しかしあ奴はのう」
「とかく勘気が強く」
「強情者でもあるからな」
「今もああですし」
しかもあらためる素振りもなくだ。
「蟄居にしても反省しておらぬのでは」
「その時は仕方ない」
「永蟄居もですか」
「考えておくことじゃ」
「そうなりますか」
「うむ、しかしな」
「それでもですな」
「仕方ない、その場合は」
忠輝の行いがあらたまらなぬならというのだ。
「そのことはわかっておく様にな」
「それでは」
「今言うことはそれだけじゃ、ではな」
「まずはですな」
「兵を進めるぞ」
「わかり申した」
秀忠も頷きそうしてだった、幕府の二十万の大軍はまずは大坂の南に向かっていた。このことは大坂も知っていてだ。
大野はすぐにだ、秀頼に言った。
「では我等もです」
「堺、そしてじゃな」
「紀伊の方に進み」
そうしてというのだ。
「浅野家の軍勢を迎え討ちます」
「そうするな、しかし」
ここで秀頼は顔を曇らせて大野にこう言った。
「浅野家はな」
「当家にとっては譜代ともいう家で」
「ついて欲しかったが」
「はい、しかし浅野家もです」
「今の流れには逆らえぬか」
「まずは家です」
これをどうして守るのか、大野は大名の家にとって最も重要な問題を秀頼に語った。
「家を守ることを考えますと」
「幕府につくこともじゃな」
「仕方ありませぬ」
それが現実だというのだ。
「やはり」
「そういうことじゃな、恨むことは筋違いであるな」
「そう言われますか」
「浅野家には浅野家の都合があるわ」
悲しい顔であるが達観してだ、秀頼は述べた。
「ならばな」
「浅野家は責めませぬか」
「余はな、しかし主馬は違うな」
「そちらの方への出陣が決まっていますが」
紀伊の方へのだ。
「あ奴は怒り狂っております」
「やはりな。主馬はお主とは違い血の気が多い」
「ですから」
「お主とのことも聞いておる」
秀頼も大野を襲ったのは治房の手の者だと思っている、だがそれは確かな証拠がないので彼も断を下さなかったのだ。
「あの者は余から見ても血の気が多い」
「はい、ですから」
「この度もじゃな」
「堺も幕府につきそうですし」
「堺も攻めてじゃな」
「そして浅野家もです」
この家もというのだ。
「怒りのまま攻めるかと」
「そうか、あちらには岡部大学と塙駄右衛門がおるな」
治房の下にはというのだ。
「二人に何もなければよいな」
「怒りのまま攻めて」
「怒れば我を忘れる」
秀頼もこのことはわかっていた、ここでは言わないが己の母をいつも見ていてそれで学んだのである。
「それで采配が乱れてな」
「大学と塙殿に何かあれば」
「それが悪いことになるやも知れぬからな」
それでというのだ。
「そうしたことがなき様にな」
「ですな、それでなのですが」
「うむ、紀伊から来る戦の後でじゃな」
「幕府の軍勢が迫っております」
この大坂城にというのだ。
「先の戦と同じく二十万の軍勢が」
「そうか、大御所殿も来られておるな」
「御自らが」
「では余も受けて立ちな」
「ご出陣もですか」
「せねばな、そして皆と共にうって出てじゃ」
そうしてというのだ。
「千の祖父殿、余にとっても義理の祖父殿だが」
「互いに死合うことも」
「覚悟するか」
「そこまでお考えですか」
「他の者達が戦っておるのに余だけ安穏としていられるか」
秀頼の言葉が強いものになった、普段の彼からは想像出来ないものだった。
「だからじゃ、余も馬に乗りな」
「そうしてですか」
「戦う、そしてじゃ」
「大御所殿とですか」
「雌雄を決しようぞ」
秀頼も決意を固めていた、そのうえでこれからの戦のことを見据えていた。その戦はまずは堺ではじまった。
堺の者達は豊臣の軍勢が来ると皆逃げていた、治房はその町に火を点けて焼かせその燃える様を見つつ言った。
「幕府につこうとするならな」
「こうしたこともですな」
「仕方ありませぬな」
「町を焼くことも」
「そのことも」
「そうじゃ、我等が勝てばまた興してやる」
堺の町をというのだ。
「しかし今はな」
「幕府につくならばですな」
「放ってはおけぬ」
「だから町を焼き」
「幕府につかぬ様にしておきますか」
「こうしてな、そしてじゃが」
治房は馬上から燃える堺の町を見つつ己の家臣達に話した。
「これより浅野家の軍勢が来るが」
「迎え討ちますな」
「やはり幕府に味方する岸和田城を囲むと共に」
「そうしてですな」
「主力は岸和田よりさらに南に進み」
「そこで浅野家の軍勢を迎え討ってじゃ」
そうしてというのだ。
「退けるぞ、そうしてじゃ」
「紀伊から来る軍勢を防ぎ」
「そのうえで、ですな」
「平野川から来るであろう幕府の軍勢と戦う」
「そうしますな」
「もう城は裸城で兵も減った」
この二つのことは治房の両肩にも重くのしかかっていた、敗れる要素として彼の脳裏から離れていなかった。
「だからな」
「ここは、ですな」
「浅野家の軍勢を退け」
「そうしてですな」
「平野の川を渡って来る幕府の主力とも戦いますな」
「返す刀で」
「そうする、余裕はないのじゃ」
自分達にはというのだ。
「だからな」
「岸和田も紀伊も」
「両方ですな」
「勝たねばなりませぬな」
「何があろうとも」
「そうじゃ、ましてや浅野家はな」
今度は南の紀伊の方を見てだ、治房は目を怒らせて言った。その怒りは誰が見ても明らかなものだった。
「豊臣家にとっては譜代中の譜代じゃ」
「ですな、それがです」
「幕府につくとは」
「許せませぬ」
「そうじゃ、だからじゃ」
それ故にと言うのだった。
「ここはな」
「一気に南下し」
「そうしてですな」
「浅野家を討ちますか」
「その軍勢を」
「そして出来ればじゃ」
紀伊の方を見て言う治房だった、そのまま。
「紀伊の和歌山城もな」
「憎むべき浅野家の城も」
「裏切り者の城もですな」
「攻め落としそうして」
「我等のものとしますな」
「そうじゃ、そして南の憂いを完全に絶ち」
そこから先も言う治房だった。
「そしてじゃ」
「さらにですな」
「今度はですな」
「返す刀で平野の方に向かい」
「敵を討ちますな」
「幕府を」
「大御所殿の首も挙げるぞ」
浅野家の面々の次はというのだ。
「よいな、では岡部殿と塙殿にはな」
「先にどんどん進み」
「そうしてですな」
「浅野家の軍勢を討つ先陣をしてもらう」
「そうしてもらいますか」
「そう伝えよ」
治房はこう言った、だがここでだった。
家臣の一人が治房にだ、怪訝な顔で尋ねたのだった。
「殿、それでなのですが」
「何じゃ」
「はい、その先陣ですが」
「岡部殿と塙殿のか」
「そのことですが」
治房に怪訝な顔で話した。
「やはり塙殿は」
「先陣を務めて頂いていることはか」
「あの方はとかく功を逸りますので」
「先陣にするとか」
「真っ先に突っ込み」
そうしてというのだ。
「無駄に命を散らされるかも」
「言われてみればそうじゃな」
治房も言われてみてこの危惧を覚えた。
「あの御仁はな」
「はい、ですから」
「塙殿の先陣はか」
「今からでもです」
「第二陣に回してか」
「岡部殿にされては」
「そうじゃな、しかしな」
ここでだ、治房はその家臣に難しい顔でこう述べた。
「今わしがこう言ってもな」
「最早ですか」
「一旦先陣に出て引っ込む塙殿と思うか」
「いえ、あの方はそうしたことはです」
まさにとだ、その家臣も答えた。
「間違ってもです」
「聞かれる御仁ではないな」
「そうなれば最早です」
「誰が何と言ってもな」
「先陣を務められます」
無理にでもそこに居座ってだ。
「そうされます」
「だからじゃ」
「それで、ですか」
「もうな」
「先陣を務めてもらうしかありませぬか」
「そうじゃ、思えばな」
後悔も感じてだ、治房は述べた。
「塙殿についてはな」
「この度の出陣、先陣を申し出られた時に」
「止めるべきであった」
先陣を受けることもというのだ。
「その時にな」
「そうですか」
「しかしな」
「ことここに至っては」
「塙殿の武運に期待するしかない」
「無事に浅野家の軍勢を退けて」
「そのうえでじゃ」
まさにというのだ。
「和歌山城までの先陣もな」
「務めてもらうしかないわ」
「そうなりますか」
「しかも岡部殿よりもじゃ」
「塙殿の方がですな」
「戦をご存知じゃ」
加藤義明の下で多くの戦を経てきた彼の方がというのだ。
「だからな」
「それでは」
「このままいく」
「それでは」
「我等も岸和田に向かいそしてな」
「浅野家ともですな」
「戦うぞ」
こう言ってだ、治房は兵を進めさせた。そしてこの時塙は治房の言う通り岡部より先に先に軍勢を進めさせていた。
自ら軍勢の先頭にいて馬に乗ってだった、彼は兵達に言っていた。
「ではじゃ」
「はい、さらに急ぎ」
「そうしてですな」
「浅野家の軍勢と出会えば」
「即座にですな」
「攻めてそうしてじゃ」
そのうえでと言うのだった。
「打ち破ってじゃ」
「紀伊に入り和歌山の城もですな」
「手に入れますな」
「そうする、紀伊を手に入れれば大きいぞ」
豊臣家にとってというのだ。
「南の憂いがなくなる、そうなればじゃ」
「幕府の本軍との戦も有利になる」
「そうなりますな」
「だからこそですな」
「まずはですな」
「今の戦じゃ」
浅野家とのというのだ。
「それならばな」
「何としてもですな」
「勝ちましょう」
「そして紀伊も手に入れれば」
「その力も使えますし」
「大きいわ、やってやるわ」
塙は目を輝かせていた、そうしてだった。
彼の手勢を率いて遮二無二南に進んでいた、だが。
彼はここでだ、兵達にこうも言った。
「よいか、くれぐれもな」
「大学殿にはですな」
「遅れを取らない様にする」
「そこはですな」
「必ずですな」
「そうじゃ、あの御仁は既に功を挙げておる」
堺を焼いている、岡部は既にそれをしているというのだ。
「だからじゃ」
「ここはですな」
「常に急いで、ですな」
「そしてですな」
「先に戦を仕掛ける」
「我等がですな」
「そうして攻めるぞ、いいな」
こう言ってだった、彼は自身が率いる兵達を急がせていた。そうして進んでいたがその動きを見てだった。
対する浅野家の方は首を傾げさせていた。
「敵の先陣だけが前に出ておりまする」
「岡部殿の軍勢はそのずっと後ろにいます」
「塙殿の軍勢だけが突出しております」
「ではですな」
「まずはですな」
「塙殿の軍勢と戦いますか」
「そうしますか」
こう話してだ、彼等も兵を進め塙の軍勢との戦に向かった。そうしてその軍勢を向かってそのうえでだった。
塙の軍勢との戦に入った、彼等は弓矢や鉄砲を出したが。
塙は自身の軍勢の先頭に立っていた、それで彼の兵達はこう言った。
「塙殿、それはです」
「幾ら何でも無謀ですぞ」
「大将が自ら先頭に立っては」
「そうして槍を手に突っ込まれるなぞ」
「言うな、これがわしの戦じゃ」
塙はその彼等に前を見据えて笑って言った。
「この塙駄右衛門のな」
「塙殿のですか」
「戦なのですか」
「自ら先頭に立たれて戦う」
「それが」
「そうじゃ、わしは前は加藤家に仕えておった」
加藤義明、彼にだ。
「その時大将の器ではないと言われた」
「そうして出奔されたのですな」
「そのことは聞いておりまする」
「ではですか」
「この度はですか」
「自ら先陣を務められ」
「一軍を率いられ」
「そうしてですか」
「先頭で戦われますか」
「そうする、そして死んでも構わぬ」
こうまで言うのだった。
「一軍の大将となった、そしてじゃ」
「先の戦ではですな」
「見事夜討ちも成功させて」
「そして功を挙げられた」
「だからですな」
「もう思い残ることはない」
「そうじゃ、ならばここでも思う存分戦いじゃ」
そうしてというのだ。
「勝てば確かによいがな」
「散ってもですか」
「それでもよい」
「それで、ですか」
「今からですか」
「先陣の先頭を務められ」
「果敢に戦われますか」
「首を取られるならよい」
それでもというのだ。
「しかしな」
「取られぬならですな」
「あくまで戦い続ける」
「そうされますな」
「そうじゃ、わしの武運に賭ける」
こう言いつつ先陣のさらに先頭を駆け続けるのだった。
「このままな」
「わかりました、ではです」
「我等もその塙殿に続きます」
「それもまた武士の道」
「そう思います故に」
「済まぬな、わしは一軍の将となれ功も為せた」
加藤義明が出来ぬと言ったそれがというのだ。
「ならば死んでも構わぬ、生きているならそれまでよ」
「では我等も」
「お供致しますぞ」
塙の心意気に打たれてだった、彼が率いる者達はそのまま浅野家の軍勢に突き進む。そうしてそのまま敵軍と会ってもだった。
塙は進み続けた、その彼を見た浅野家の者達は思わず唸った。
「まさにこのままか」
「突き進んでくるか」
「見事なよ、ならばな」
「我等も相手をしようぞ」
「さあ、命が惜しくないなら来られよ」
塙はその彼等に大音声で叫んだ。
「思う存分戦おうぞ」
「そう言うか、ではな」
「我等も相手をさせて頂く」
「そしてそのうえで」
「その首挙げさせてもらおう」
浅野家の名のある者達が応え塙に向かった、塙は思う存分戦いそうしてだった。一軍の将として散ったのだった。
その報を受けてだった、治房は苦い顔で報を届けた旗本に問うた。
「それで軍勢は」
「はい、退くことが出来ております」
「兵はどれだけ失ったか」
「それ程は」
失っていないとだ、旗本はこのことも答えた。
「失っていませぬ、しかし」
「戦にはじゃな」
「敗れました」
このことは間違いないというのだった。
「そして今こちらに退いております」
「そうか、ならばな」
「塙殿が率いておられたその先陣と合流し」
「退くぞ」
こう言ってだった、治房は軍勢を退かせた。塙を失っただけでなく浅野家の軍勢を迎え撃つ戦にも敗れた痛い緒戦となった。
その報を聞いてだった、幸村は難しい顔で言った。
「予想はしておったが」
「塙殿は倒れられましたな」
「残念ながら」
「そうなってしまいましたな」
「うむ、あの御仁は一騎駆けの方じゃ」
塙の気質をよく知っての言葉だ。
「だからな」
「ああした時はですな」
「どうしてもですな」
「先陣ともなれば余計に」
「ああして出られてですな」
「ああなってしまう」
的になり討たれてしまうというのだ。
「ご自身はそれで本望であろうがな」
「それでもですな」
「この度の様なことになりますな」
「痛い負けを喫する」
「そうなってしまいますな」
「元々浅野家が幕府につくのは仕方なかった」
幸村は浅野家の事情を考えて述べた。
「そしてじゃ」
「ああしてですな」
「大坂に攻め込んで来ることも」
「それも考えられることですな」
「もう大坂に味方をしてもな」
城は裸城となり兵も減ったしだ。
「何にもならぬ」
「それはもう自明の理」
「だから浅野家もですな」
「幕府についた」
「そうしたのですな」
「そうじゃ、確かに紀伊を押さえればよかったが」
それでもというのだ。
「土台無理なこと、ではな」
「適度なところで、ですか」
「岸和田城を手に入れるなりして」
「そこを抑えとしてですか」
「迫る幕府の軍勢に向かうべきでしたか」
「そう思う、しかし今言っても栓なきこと」
敗れた今はというのだ。
「だからな」
「要はこれからですな」
「これからどうすかですな」
「幕府の軍勢は迫っておりますし」
「あの軍勢にどう向かうかですな」
「それが大事じゃ」
今の自分達にはというのだ。
「だからな」
「これからどう戦うか」
「幕府、即ち大御所殿の軍勢と」
「それこそが大事で」
「どう戦うかですな」
「幕府の軍勢は北と東からは来ぬ」
この二つの方角からはというのだ。
「確かに大坂の城は裸になったがな」
「また川がありますな」
「城の北と東には」
「それがよい守りになっていて」
「それで、ですな」
「この二つからは来ぬ、西からもな」
こちらからもというのだ。
「海から攻めるものじゃが」
「それもですな」
「まず出来ませぬな」
「幕府はこの度の戦で水軍は使っておりませぬ」
「だからですな」
「これもない、これは幸いである」
ここでこうも言った幸村だった。
「海に幕府の水軍がおらぬのはな」
「ですな、確かに」
「ですからいざとなれば」
「その時はですな」
「用意が出来ておりますし」
十勇士達も幸村に述べた。
「その時こそは」
「海からですな」
「密かに、ですな」
「それが出来ますな」
「だからじゃ、これはまことに有り難い」
この度幕府が水軍を使わなかったことはというのだ、実は幕府も水軍を持っている家はかつて西軍にいたり豊臣恩顧だったりしたのでこの度の戦では出させていないのだ。
「それでじゃ、この三方から攻めるのではなくな」
「南ですな」
「やはりあそこから攻めまするな」
「開けたあの場所から」
「先の戦でも主力を向けてきましたし」
「殿も真田丸を置かれましたしな」
「まさにあそこから攻めればな」
幸村は十勇士達に確かな顔で答えた。
「この城はとりわけ弱い」
「だからこそ太閤様もあちらに深く広い堀を築かれて」
「そして多くの櫓や門を築かれたのですな」
「石垣も壁も高かったですし」
「そうされていたのですな」
「そうだったのじゃ、しかしその南がじゃ」
裸城となった今ではというのだ。
「何もない、だからな」
「これ以上攻めやすい場所はない」
「そうなっていますな」
「だからですな」
「あそこから攻めるのですな」
「そうしてくるわ」
家康もというのだ。
「大軍で一気にな」
「それをどうするかですな」
「どう防ぐかですな」
「平野の川を渡らせると」
「もうそれで我等は危うくなりますな」
「そうじゃ、だから敵を出来る限りな」
まさにというのだ。
「平野の川を渡らせぬ様にする」
「それが肝心ですな、この度の戦では」
「まずは」
「城の南に来られてはまずい」
「だからこそ」
「そうじゃ、裸城になったことは仕方がない」
今言ってもというのだ。
「しかしな」
「それならそれで、ですな」
「戦う」
「敵を城の南に集めさせぬ」
「それが肝心ですな」
「その通りじゃ、塙殿は倒れられたが兵は健在じゃ」
その失った数が少ないことをだ、幸村はよしとした。
「ならばな」
「その兵達を率い」
「そうしてですな」
「また戦いまするか」
「そして今度は」
「我等も出ることになる」
こうもだ、幸村は十勇士達に話した。
「そして後藤殿、毛利殿に長曾我部殿にじゃ」
「木村殿も」
「あの方もですな」
「この度の戦にはとりわけ意気込みを見せておられますが」
「あの方もですな」
「先陣を申し出られておる」
木村重成、彼がというのだ。
「その為の全ての用意もされておるわ」
「そのことですが」
大助が父に言ってきた。
「あの方は奥方様をです」
「近江の方にじゃな」
「落ち延びさせられました」
「そうされたな」
「そして今はご自身だけです」
一人で住んでいるというのだ。
「日々身を精進されていますそ」
「食も節しておられますな」
「戦の前はたらふく食うものですが」
大助もこれはわかる様になっていた、先の戦でどの者も次の日に戦になるとわかっていたら大飯を食っていたのを見たからだ。
「あれは」
「死んで首を取られて喉に飯があったり腹を切った時に腹から飯が出たりするのじゃ」
「そうしたことがあってですか」
「木村殿はその話を聞かれてな」
「食を節されて」
「それでじゃ」
そのうえでというのだ。
「死ぬ時を待たれておるのじゃ」
「そうだったのですか」
「そうじゃ、あの方も覚悟を決めておられる」
この度の戦で果敢に戦いそして死ぬことをというのだ。
「それでじゃ」
「あの様にですか」
「されておるのじゃ」
「そうでしたか」
「死ぬ為にな。しかし我等はな」
「生きる、ですな」
「真田の武士の道は死ぬものではない」
生きるもの、だからだというのだ。
「それでじゃ」
「何があろうとも」
「飯は食う」
「そして力をつけてですな」
「戦うのじゃ」
そうするというのだ。
「何があろうともな」
「わかり申した、ではそれがしも」
「飯はある」
兵糧には困っていない、豊臣家はその力を使い兵糧はしこたま入れておいたのだ。その為兵達が餓えることも起こっていない。むしろたらふく食っていた。
「ならばな」
「それで、ですな」
「たらふく食ってな」
「戦いまする」
「そうせよ、そして生きるのじゃ」
「何があろうとも」
「拙者もそうするしな」
幸村自身もというのだ。
「だからな」
「それがしもですか」
「生きよ、そして無論お主達もじゃ」
十勇士達に対しても言うのだった。
「皆生きよ、よいな」
「はい、それでは」
「これからの戦で何があろうともです」
「戦いそして」
「生き残ります」
「そのことを誓い合おうぞ。それでじゃが」
あらためて言う幸村だった。
「幸い飯だけでなく酒もある」
「ですが、今も尚」
「城には酒がふんだんにありますな」
「ではその酒も飲み」
「英気を養いますか」
「そうしようぞ、やはり酒はな」
これについては笑って話した幸村だった。
「何時でも飲みたいものじゃ」
「戦を前にしても」
「それでもですな」
「やはり飲みたくなりますな」
「どうしても」
「それでじゃ、今宵も皆で飲もうぞ」
こう言うのだった。
「塙殿の杯も出してな」
「ですな、あの方もお好きでしたし」
「あの方の冥福を祈ると共に」
「杯も出しましょうぞ」
「あの方の分のそれも」
「そうして共に飲もうぞ」
塙も入れてというのだ。
「そうしてじゃ、今宵も飲み」
「そして戦の為に英気を養い」
「そしてですな」
「そしてそのうえで」
「戦いましょうぞ」
「戦になれば」
十勇士達は早速だった、その酒に肴を出した。肴は大阪の海で獲れた新鮮な魚を刺身にしたものだった。
その刺身を食いつつだ、幸村はまた言った。
「美味いのう」
「ですな」
「この魚も美味です」
「やはり大坂はよいですな」
「海の幸が絶品です」
「しかも水がいいので米もよく」
「酒も美味いです」
十勇士達も食いつつ応えた。
「上田とは違いますな」
「無論九度山とも」
「海の幸がふんだんにあり」
「しかも酒もよい」
「こんなにいい場所はありませぬ」
「天下一の美味処ですな」
「そうじゃ、場所もよいしのう」
大坂のそれもと言う幸村だった。
「都にも奈良にも近いな」
「はい、実に」
「それぞれの場所にすぐです」
「そして前の瀬戸内から西国のあちこちに行けます」
「何ともよい場所です」
「太閤様がここに城を築かれたのも道理です」
「全くじゃ、しかしな」
こうも言った幸村だった。
「そうした場所故にじゃ」
「幕府もですな」
「ここが欲しいのですな」
「大坂という地が」
「そうなのですな」
「大坂が欲しいのじゃ」
このこともわかっている幸村だった。
「幕府はな」
「大坂自体がですな」
「実は豊臣家はどうでもいい」
「潰さずともよい」
「そう考えているのですな」
「そうじゃ、大坂を手にいれば幕府の天下は盤石のものになる」
豊かで西国全体に睨みを利かせられるこの地をというのだ。
「だからじゃ」
「これまでですな」
「幕府は大坂を手に入れようとしてきた」
「この度の様に戦をしてまで」
「そうですな」
「この戦は切支丹からはじまった」
茶々が領内での彼等の布教を許した、それが家康にしてはどうしても認められるものではなかったからだ。
「しかしな」
「大坂を手に入れる為なのもですな」
「それも事実ですな」
「この度の戦の訳は一つではない」
「そういうことですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからじゃ」
「それで、ですか」
「幕府は大坂が欲しい」
「この地を」
「それこそどうしても」
「それでの戦じゃ、幕府は大坂がどうしても欲しい」
それが家康の考えだというのだ。
「関ヶ原の前にもそうした動きがあったであろう」
「でしたな、徳川家の兵を多く入れたこともありました」
「西の丸に天守を築こうとしたことも」
「あの時は強引にもでしたな」
「大坂城に居座ろうとさえしていましたな」
「そうして城をご自身のものとされてじゃ」
当時の家康の考えもだ、幸村は述べた。
「大坂自体をな」
「乗っ取る」
「そうお考えでしたか」
「そして今もですな」
「大坂をご所望ですな」
「そうなのじゃ、それでの戦じゃ」
まさにというのだ。
「そしてこの魚も酒もな」
「これからは幕府がですか」
「味わうことになる」
「大坂のものは」
「そうなりますか」
「我等が負けるとな」
その時はというのだ。
「そうなるわ」
「ですか、やはり」
「ではここは」
「何としても勝ちましょうぞ」
「我等の意地にかけて」
「その為の策もある、そしてその策の為に」
さらに言う幸村だった。
「お主達にも頑張ってもらう、さらにな」
「さらに?」
「さらにといいますと」
「実は後藤殿とお話をしてな」
彼と、というのだ。
「協力して頂けることになった」
「後藤殿ですか」
「あの方にもですか」
「協力して頂いて」
「そのうえで、ですか」
「戦ってな」
そしてというのだ。
「勝つぞ」
「わかり申した」
「ではです」
「我等と後藤殿が」
「共に力を合わせて」
「大御所殿を倒すのですな」
「そうじゃ、後藤殿とお会い出来ねば」
幸村は彼のことも話した。
「とてもな」
「こうしたことはですな」
「考えられなかった」
「そうですか」
「必勝の策も」
「よくお主達と会えて」
そしてというのだった。
「後藤殿にもお会い出来たわ」
「天下の豪傑であるあの方と」
「そうですか」
「まさにな」
そしてその為にというのだ。
「ことを為せる可能性が出て来たわ」
「ではですな」
「今度はですな」
「その可能性を高める」
「非常にですな」
「そのつもりじゃ」
まさにと言ってだ、そしてだった。
幸村はその僅かな可能性を高めんと考えていた、それは今は僅かでも彼は全てを賭けるつもりであった。
巻ノ百三十六 完
2017・12・26