巻ノ百三十八 仇となった霧
幸村、後藤、毛利の軍勢は合流を目指していた、だが。
その中でだ、後藤は夜が明けようとしているのを感じつつ言った。
「何か湿めっぽくないか」
「空気が」
「そういえば」
「これはな」
その霧を感じて言うのだった。
「朝になれば危ういかも知れんな」
「まさかと思いますが」
「霧がでるか」
「それが出てですか」
「周りが見えなくなる」
「そうなるやも知れませぬか」
「うむ、ここはな」
ここでこう言った後藤だった。
「真田殿の家臣に霧を操れる御仁がおる」
「霧隠殿ですな」
「十勇士の一人であられる」
「あの御仁にですか」
「力を貸して頂きますか」
「そうしようか」
こう言うのだった。
「今のうちに」
「では今よりですか」
「真田殿がおられると思われる方にですな」
「人をやり」
「そうしてですか」
「霧隠殿を呼ぼうか」
朝起きて霧が出るならというのだ。
「そしてじゃ」
「若し霧が出たならば」
「その時はですな」
「霧を払ってもらい」
「そのうえで、ですな」
「真田殿、毛利殿の軍勢と合流してじゃ」
そこから先もだ、後藤は話した。
「一気にじゃ」
「幕府の軍勢を突き破っていき」
「そうしてですな」
「そして最後はですな」
「大御所殿の御首を」
「先に木村殿が向かわれているが」
しかしという言葉だった、後藤はその太い眉に悲しいものを宿らせてそのうえでこうも話したのだった。
「もうな」
「あの方はですか」
「やはり」
「戦の場において」
「散られるであろう」
そしてその通りだった、後藤の読みは。
「果敢に戦われそうしてな」
「見事にですか」
「武士として果てられる」
「そうなられますか」
「そうであろう」
こう言うのだった。
「あの方はな、そしてな」
「大御所殿はですか」
「あの方はですか」
「無事である」
「そうなのですか」
「そうであろうな」
このこともその通りだった、何処までも後藤の読み通りだった。
「そして幕府の軍勢は多い、こちらにもじゃ」
「兵が向かっており」
「そうしてですな」
「朝になれば」
「我等もですな」
「戦になる」
こう周りの者達に話した。
「そしてじゃ」
「その時にですな」
「真田殿、毛利殿と合流し」
「前にいる敵軍を破っていき」
「果てはですな」
「大御所殿も」
「今ここで破らねばな」
まさにというのだ。
「どうにもならぬわ」
「若し大坂城の南にまで至られると」
「あそこに軍勢が集まり攻められると」
「そうなってしまっては」
「危ういですな」
「大坂城は元より南が問題であった」
後藤もこのことはよくわかっていた、その広く開けている場所には大軍を置き攻めやすいのだ。
「だからな」
「そこに入られる前に」
「ここで、ですな」
「戦の勝敗を決する」
「そうするのですな」
「その通りじゃ、わしも槍を持ってな」
後藤自らというのだ。
「そうしてじゃ」
「戦われますな」
「そうされますな」
「ここは殿も」
「そうされますか」
「そうじゃ、わしも武士じゃ」
だからこそというのだ。
「そうして戦ってじゃ」
「勝つのですな」
「何としても」
「わしの槍は色々言われておるが」
天下一の腕とさえ言われている、だから幸村も清海と共に彼のところに来て清海にその技を学ばせ身に着けさせたのだ。
「その槍もな」
「振るわれ」
「そうされてもですな」
「敵を倒していき」
「大御所殿の御首も」
「わしが取らずともお主達が取れ」
家康、彼の首をというのだ。
「そして手柄にせよ」
「はい、では」
「我等は是非です」
「そうさせて頂きます」
「必ず」
「そうせよ」
こう己の家臣達に言う、そして後藤は彼等にこうも言った。
「褒美は思いのままじゃしな」
「殿もですな」
「この戦に勝てば播磨一国」
「大名に返り咲きですな」
「それも国持大名ですから」
「出世ですな」
「そうしたことはどうでもよい」
国持大名、それも故郷である播磨のそれになるということについてはだ。後藤は平然とした顔で述べた。
「別にな」
「宜しいのですか」
「播磨一国だというのに」
「実質百万石近くですが」
「それだけの国も」
「右大臣様にそこまで買われているのは嬉しい」
そのことはというのだ。
「非常にな、しかしな」
「欲はですか」
「それはおありではないですか」
「特に」
「そうなのですか」
「そうじゃ、そうしたことはな」
特にと言うのだった。
「別によい」
「左様ですか、では官位もですか」
「そちらもよいですか」
「それにも興味がない、わしが望むのはな」
それはというと。
「武士としてどうあるべきかじゃ」
「興味があるのはそちらであり」
「特にですな」
「禄や官位はいい」
「そうなのですな」
「そうじゃ、そうしたものに興味がある御仁もおるが」
むしろそうした者の方が多い、後藤もこれまでの人生でそうした者達を多く見てきたし会っても話してもきている。
「しかしわしはな」
「違う」
「そうしたものはですか」
「特によく」
「武士として生きたい」
「そのうえで」
「武士として死にたい、しかしこうも思う」
死ぬ時も考えつつだ、後藤はさらに話した。
「この戦で死ぬことはな」
「されませぬか」
「この度の戦では」
「まだ死なぬ」
「そうもお考えですか」
「真田殿を見てな」
それでというのだ。
「わしはこの戦では死ぬべきではないとも思っておる」
「だからですか」
「この度の戦では、ですか」
「死ぬおつもりはない」
「そうなのですか」
「まだやるべきことがある様に思う、それはな」
何かというと。
「武士として果たすべきことをしてじゃ」
「そうしてですか」
「その時にこそですな」
「死にたい」
「そうお考えですか」
「そうじゃ、大御所殿の首を取ることか」
その武士として果たすべきことは何か、後藤は考えつつ話した。
「やはりな」
「ですか、天下一の方を討ち取られ」
「それがですか」
「殿が武士として果たされること」
「そうお考えですか」
「その様にな、ではな」
後藤はここまで話してだ、前を見てこうも言った。
「先に進むぞ」
「そして、ですな」
「まずは藤井寺に入り」
「そこで、ですな」
「真田殿、毛利殿の軍勢と落ち合うぞ」
まずは藤井寺を目指すのだった、そして実際にだった。
後藤は己の軍勢を藤井寺にまで進ませた。そこで幸村と毛利の軍勢を待ったが彼が予想した通りにだった。
霧は深く周りが全く見えなかった、それで後藤は苦い顔で言った。
「この霧ではな」
「とてもですな」
「霧隠殿がおられぬと」
「とても」
「何も見えぬわ」
到底というのだ。
「これではな」
「だから真田殿の軍勢に使者を送りましたが」
「藤井寺に来られる様に」
「しかしですな」
「この霧ではその使者も」
「来られぬわ」
到底という言葉だった。
「あちらまでな」
「左様ですな」
「この霧では」
「真田殿の軍勢にもです」
「辿り着けず」
「真田殿もですな」
「霧隠殿の力を用いられぬ」
後藤は苦い顔のまま話した。
「そしてな」
「この霧の中でどうするか」
「問題はこのことですな」
「この霧の中どう戦うか」
「このことですな」
「そうじゃ、この辺りのことはわしも頭にある」
地の利はあるというのだ。
「だからここはまずは小松山に行くぞ」
「あの山にですか」
「そしてですか」
「山を制してですな」
「そのうえで」
「幕府の軍勢と戦うぞ」
まさにそうしてというのだった、そして実際にだった。後藤は己の兵をまずは小松山に進ませた。そうしてだった。
後藤は敵の報をすぐに聞いた、先陣が見事山の頂に達したと聞いてから。
「よいな」
「はい、山を押さえましたし」
「そうしてですな」
「迫る幕府の軍勢を迎え撃つ」
「そうするのですな」
「そうせよ、数では我等は大きく劣るが」
それでもと言うのだった、率いる兵達に。
「そうしてな」
「はい、真田殿毛利殿の軍勢が来られるまで」
「霧も晴れて」
「そうしてですな」
「その時までは」
「凌ぎきるぞ」
そうして合流してからあらためて攻めようというのだ、こう告げてだった。
後藤は小松山において戦いはじめた、まずは敵の先陣である水野日向守勝成が率いる先陣が来た。そしてだった。
「後ろにはですな」
「松平少将殿の軍勢が来られていますな」
「そして伊達殿の軍勢も」
「左様ですな」
「うむ、相手にとって不足はないわ」
後藤は笑みさえ浮かべて家臣達に言葉を返した。
「ならばな」
「ここは、ですな」
「思う存分戦いましょうぞ」
「相手は名立たる方々」
「何も惜しくはありませぬ」
「そうじゃ、思う存分戦うのじゃ」
こう言ってだった、後藤は兵達を小松山に布陣させてそうして山を駆け上がって来る幕府の軍勢を迎え撃っていた。
後藤は善戦し敵を引き寄せていた、だが。
政宗はその後藤と彼の軍勢がいる小松山、まだ深い霧の中に覆われているその中で残念そうに話した。
「惜しいな」
「後藤殿はですか」
「そう言われますか」
「うむ」
こう己の家臣達に答えた。
「一騎当千の御仁であり采配も見事であるが」
「この度の戦で」
「散られますか」
「今の幕府の軍勢を凌ぐには数が少ない」
後藤が率いる兵の数を見ての言葉だった。
「その為にじゃ」
「押されてですか」
「我等の数の前に」
「そうしてですか」
「遂には」
「敗れるわ、午前で終わりじゃ」
後藤と彼の軍勢はというのだ。
「後藤殿の軍勢の数は二千六百程度であろう」
「その様ですな」
「それに対して我等は一万」
「伊達家の軍勢だけでもです」
「水野殿の先陣は一万二千」
先陣のことも言われた。
「そして少将様の本陣もおられます」
「それではですな」
「勝てる筈がありませぬな」
「山を制してそこから戦うのは見事じゃ」
高い場所を制してというのだ。
「それはな、しかしな」
「それでもですな」
「衆寡敵せず」
「そうなってしまいますな」
「我等の数の前では」
「やはり戦は数ですから」
「勝てるものではないわ、大坂方は先の戦よりも数を大きく減らした」
十万から六万を切った、そこまで減ってというのだ。
「そしてじゃ」
「岸和田の方でも先の八尾の方でも敗れましたし」
「その様じゃな」
木村の戦のこともだ、政宗は聞いていた。
「つい先程忍から話が届いたわ」
「左様ですな」
「どうやらです」
「井伊殿が勝たれましたな」
「そして木村殿は」
「その様じゃ、おそらく木村殿はな」
政宗は彼の結末は予見した、それはというと。
「見事にな」
「散られましたか」
「そしてですか」
「見事にですか」
「名を残されましたか」
「そうなられたであろう、そして後藤殿はな」
今戦っている彼はというと。
「おそらくな」
「これからですな」
「敗れそうして」
「見事に散られる」
「そうなってしまいますか」
「そう思う、このままじゃ」
まさにというのだ。
「数で押し切られて敗れてしまうわ」
「そして午後はですな」
「後から来られる真田殿、毛利殿の軍勢とですか」
「戦いそして」
「今度はですな」
「真田殿と毛利殿、特に真田殿じゃ」
幸村、彼がというのだ。
「あの御仁を討つことが出来れば」
「大坂は後藤殿、木村殿と並ぶ将を失い」
「その分力を落としますな」
「そしてそのうえで」
「我等はですな」
「後はかなり楽に攻められる」
大坂城、豊臣家の心臓であるこの城をというのだ。
「ましてや今のあの城は完全な裸の城じゃ」
「攻めるのは楽ですな」
「それも実に」
「特に南からは」
「幕府の大軍で攻めれば実に容易いですな」
「勝てまするな」
「そうなる、もうじゃ」
それこそというのだ。
「その時程楽なことはないわ」
「では」
「今日で後藤殿、真田殿を討ち」
「戦を決めまするか」
「そうしたことになろう」
まさにと言うのだった。
「万事ことが進めばな」
「万事ですか」
「そうなればですか」
「戦はその様には進まぬわ」
こちらの思惑通りにというのだ。
「だからな」
「ここはですか」
「まずは後藤殿の軍勢を攻めるのですな」
「数を頼みに」
「そうすべきですな」
「そうじゃ、そして小十郎に伝えよ」
彼の右腕であった片倉の子だ、美男として知られる彼のことも話すのだった。
「鉄砲騎馬隊を用いてじゃ」
「小松山を登ってですか」
「そうして攻めよ」
「その様にせよと」
「そうじゃ」
「数を頼みにしてもじゃ」
例えそうしてもとだ、政宗は激しい銃の音や雄叫びが聞こえるその山を見据えつつ命じていた。激しい戦が行われているのは間違いなかった。
「後藤殿を攻めるのは難しいからな」
「ここはですな」
「山を駆け登りつつですな」
「鉄砲騎馬隊に攻めさせる」
「そうしますか」
「我が伊達家の切り札を使わねば」
後藤にはというのだ。
「討ち取れぬやも知れぬ、だからな」
「ここはですか」
「山を登って攻めるのは不利にしても」
「それでもですな」
「若しもの場合は」
「切り札として」
「用意をさせよ」
鉄砲騎馬隊を用いるそれをというのだ。
「よいな」
「わかりました、ではです」
「片倉殿にその様にお伝えします」
「そしてそのうえで」
「まずは後藤殿をですな」
「討ち取るのじゃ」
政宗はこう己の家臣達に告げた、そうしつつ小松山に布陣する後藤の軍勢を激しく攻めさせていた。水野の軍勢と共に。
そうしつつだ、そのうえでだった。
鉄砲騎馬隊の用意までさせた、そうして大軍で攻め続けるとさしもの後藤の軍勢も数の差が出てだった。
次第に劣勢に追い込まれ遂にだった。
後藤自ら槍を持って敵を倒すまでになっていた、彼はその自慢の槍術で敵達を次々に倒していたが。
やがて受ける傷も増えてだった、彼も死を覚悟しだした。
「これではな」
「もうですか」
「敗れる」
「そう言われますか」
「わしもそろそろ動けなくなる」
今は気力で立っている、だがその気力もというのだ。
「そうなってしまう、そうなればじゃ」
「その時は」
「御首をですか」
「敵に取られるわ、それはされたくない」
これが後藤の考えだった。
「だからじゃ、ここはな」
「我等がですか」
「殿の御首をですか」
「埋めよ」
「何処かにですか」
「そろそろ腹を切る、それが出来ぬ時は」
まさにと言うのだった。
「頼めるか」
「首だけでも」
「その様に」
「その様にな、そしてお主はじゃ」
常に己を護っていた長沢佐太郎、木村と同じ位の若武者に顔を向けた。そのうえで長沢の若々しい顔を見つつ話した。
「若い、だからな」
「この場ではですか」
「死ぬのは惜しい、生き延びてじゃ」
「そのうえで」
「生きよ」
こう言うのだった。
「これからもな」
「いえ、それがしはまだ」
「去れと言っておるのだ、何としてもな」
「では」
「馬から離れるでないぞ」
下りるな、決してというのだ。
「そしてじゃ」
「何処かで、ですか」
「達者でな」
「殿・・・・・・」
長沢は涙を落した、だが後藤の言葉は変わらなかった。
「大宇陀にでも行くのじゃ」
「大和の」
「あちらに心ある者達がおる、だからな」
「それがしが大坂におったとしても」
「何も言わず受け入れて匿ってくれる」
だからこそというのだ。
「それでじゃ」
「大宇陀まで逃れ」
「そこで生きよ」
「・・・・・・わかり申した」
長沢も遂に頷いた、そしてだった。
彼は後藤に別れを告げると馬で何処かに去った、後藤は他にもまだ戦えるという者達だけを連れてそうしてだった。
彼等を率いて山麓まで兵を突進させつつ叫んだ。
「後藤又兵衛基次、この武勇しかと御覧あれ!」
その巨大な槍を縦横に振るいつつ戦う、そうしてまさに一騎当千の働きをしてそのうえで幾多の敵の者達を倒してだった。
多くの矢や刀や槍、銃の傷を受けた。そうして動く力が尽きたと感じて周りの者達に言った。
「もうよい、では」
「御首を」
「これより」
「もう腹も切れぬわ」
気力も尽きた、動ける気力もなくなってというのだ。
「だからじゃ」
「ここはですか」
「もう」
「うむ、頼む」
こう言って後藤は馬上にて意識を失った、その彼を見てだった。彼の周りに残っている者達は話した。
「殿はそう言われるが」
「うむ、ここで死なれるには惜しい」
「そうした方じゃ」
「我等で殿をお救いしよう」
「今なら間に合う」
戦の場を見て彼等は思った、確かに敵の方が多いが彼等は今は敵を討つよりも倒した者達の首を得て持ち運ぶことに忙しい。
その状況にまだ生きている者は逃げようとしている、そしてだった。
先程後藤が若いからと言って逃がされた長沢が戦の場に戻って来てだ、そのうえで後藤を探していた。
「殿、申し訳ありませんが共に」
「おお長沢戻ってきたか」
「そうしてきたか」
「ならば都合がいい」
「ここは頼めるか」
後藤の家臣達はその長沢を見付け彼に声をかけた。
「殿は気を失われた」
「だがまだ生きておられる」
「殿ならばまた目を開けられる」
「そして必ず傷を癒される」
それでというのだ。
「殿を頼む」
「我等は残っている兵達をまとめて下がる」
「その間にじゃ」
「お主は殿をお護りして落ち延びよ」
「あらためてな」
「では大宇陀の方に」
長沢は後藤に言われたそこを話に出した。
「落ち延びよと」
「そうしてくれるか」
「殿は今はもう戦えぬ」
「だから今は傷を癒してもらう為にな」
「殿を落ち延びさせてくれ」
「大宇陀の方にな」
大和のそこにというのだ。
「ここは我等に任せよ」
「だからお主には殿を頼みたい」
「そうしてくれるか」
「ここは」
「それがし殿と共に戦の場で死ぬつもりで戻りましたが」
長沢は彼等の言葉を受け感慨を込めた顔になり言った。
「しかし殿をですか」
「うむ、助けて欲しい」
「殿と共に生きてくれ」
「また時が来るやも知れぬ」
「その時に備えてな」
「わかり申した」
ここでだ、長沢は彼等に対して頷いて応えた。
「では」
「お主の馬は大きい、殿のお身体も運べる」
「殿の具足と槍は我等が預かる」
「殿の具足と槍は我等が命にかえても護る」
「だから再び落ち合った時にな」
「殿にお渡しするからな」
「お主は殿ご自身を頼んだぞ」
家臣達が長沢が運びやすい様に後藤の具足と槍を預かった、長沢もここは刀以外の武具を外して戦の場に置いてだった。
身軽になりそうして気を失っている後藤を己の馬の背に乗せてだった、そうして他の者達にまたと別れの言葉を告げてだった。
馬を走らせた、後藤を乗せた馬は瞬く間に彼方へと消え去った。
それを見届けてだ、残った者達は戦った。
「ではな」
「うむ、我等もすべきことをしよう」
「残った兵達をまとめ退くとしよう」
「そして真田殿、毛利殿の軍勢と合流しよう」
「使者も出してな」
「殿のこともお話しよう」
こう話してだった、彼等は実際に兵をまとめてだった。
戦の場から退いた、その頃には正午になっており霧も晴れていた。その為幸村と毛利の軍勢にそれぞれ使者を送ることが出来たが。
霧が晴れて兵を率いつつだ、幸村は苦い顔で言っていた。
「この霧はな」
「はい、それがしの力が及び中では消せましたが」
霧隠が言ってきた。
「霧があまりにも深く広くあったので」
「それでじゃな」
「全ての霧は晴らせませんでした」
如何に霧隠といえどだった。
「とても」
「よい、これだけの霧はな」
幸村は申し訳なさそうに言う霧隠を慰めて言った。
「どうにもならぬわ」
「そう言って頂けますか」
「それよりも今はじゃ」
「はい、一刻も早くです」
筧が言ってきた。
「前に進み」
「そうしてじゃな」
「毛利殿の軍勢と共にです」
「後藤殿の軍勢とじゃな」
「合流してです」
そのうえでというのだ。
「共に戦いましょう」
「そうじゃな、おそらく後藤殿はな」
「今はですな」
「激しい戦に入っていてじゃ」
「敵の数は多いです」
海野も言ってきた。
「ですから」
「危うい状況におられるわ」
「だからこそですな」
「急ぐぞ、しかし後藤殿の星を見たが」
幸村はこのことも話した。
「この戦では命は落とされぬ様じゃ」
「では殿、あの方は」
「命はご無事じゃ」
穴山にも話したのだった。
「そのことは安心してよい」
「そうなのですな」
「急がねばならんがな」
「そのことはよいですな」
「我等にしてもな、しかし急ぐぞ」
「無論です、急がねば」
今度は根津が言ってきた。
「それでも危ういのですからな」
「軍勢が崩壊してしまう、そして生きておられるとしても」
「捕虜になることもですな」
「そうやも知れぬ、後藤殿を失う訳にはいかぬ」
「では」
「急ぐぞ」
「殿、小松山の方から聞こえまする」
由利が言ってきた。
「兵達が戦う音と声が」
「そうか、やはりな」
幸村は根津のその言葉に納得した顔で頷いた。
「あの山でか」
「あの地で戦うならですか」
「少数で大勢を相手にするならな」
「あの山ですか」
「あそこに入ってだ」
そのうえでというのだ。
「戦う、高所を利用してな」
「そうなのですか」
「うむ、あそこしかない。しかし」
幸村は顔を厳しくさせてこうも言った。
「後藤殿の軍勢は二千六百、それに対して幕府は二万以上」
「それだけの大軍では」
それこそとだ、今度は望月が言った。
「如何に後藤殿といえど」
「危ういな」
「今にも敗れますな」
「そうじゃ、だから急ぐぞ」
「しかし後藤殿は、ですか」
伊佐は軍勢を進ませる幸村に彼のことを尋ねた。
「生きておられますか」
「星の動きによればな」
「それは間違いないですか」
「星は嘘は言わぬ」
それが示す運命はというのだ。
「だからじゃ」
「亡くなられずに」
「生きておられる、しかしな」
「それでもですか」
「敗れる、そのことは危うい」
「だからですな」
「急ぐぞ」
「では我等だけでも」
猿飛が気をはやらせて幸村に申し出た。
「先に行って宜しいでしょうか」
「そうしてじゃな」
「はい、後藤殿をお助けしましょうか」
こう幸村に言うのだった。
「そうしましょうか」
「そうじゃな」
少し考えてだ、幸村は猿飛に答えた。
「ここはな」
「はい、それでは」
「お主達が先に行ってな」
「後藤殿をですな」
「お助けしよ」
「では殿」
最後に清海が申し出た。
「ここは」
「うむ、先に行ってくれ」
「そうして後藤殿をお助けしてきます」
「若し後藤殿が采配が執れぬ様ならな」
あえて最悪の場合を考えて言う幸村だった、そうなっている場合も考えてそのうえで采配も考えているのだ。
「後藤殿の家臣の方々が執られている」
「では我等は」
「その方々をお助けして」
「そうしてですな」
「そうじゃ、おそらく退くことになるが」
軍勢、それがだ。
「それをお助けするのじゃ」
「わかり申した」
「ようやく霧も晴れましたし」
「それでは」
「そうします」
「ではな」
幸村は十勇士達を後藤の軍勢を助けに向かわせた、そして彼は己の軍勢を進ませつつ傍らにいる大助馬に乗る我が子にも話した。
「ではな」
「はい、我等はですな」
「このまま進みじゃ」
「そうしてですな」
「敵の軍勢とあたるが」
「敵はおそらくですな」
「後藤殿をお助けする場合もそうでない場合もな」
いずれにしてもというのだ。
「伊達家の軍勢と戦うぞ」
「あの伊達家ですか」
「この家の軍勢は知っておろう」
「はい、鉄砲騎馬隊です」
大助はすぐにこの軍勢の名を出した。
「伊達家といえば」
「そうじゃ、鉄砲騎馬隊じゃ」
「その鉄砲騎馬隊が相手ですか」
「伊達家の武士の家の次男三男から命知らずの者を集めてじゃ」
政宗がそうさせたのである。
「そうしてじゃ」
「馬に乗らせ鉄砲を持たせてですな」
「駆けながら撃つのじゃ」
「そして必要とあらば」
「刀を抜いて切り込むこともする」
「まさに命知らずの者達ですな」
馬に乗り鉄砲を撃つなぞ危ういことこの上ない、手綱を持たずに両手で鉄砲を持ってそれを撃つからである。
だが鉄砲騎馬隊はそれをやる、それで大助も言うのだ。
「天下にそれを知られた」
「伊達公も天下の傾き者であるからな」
「そうしたことを考えられてですな」
「行わせてな」
「武名は馳せてきましたな」
「その鉄砲騎馬隊が来る」
間違いなくというのだ。
「だからな」
「これよりですな」
「まずはその鉄砲騎馬隊を撃ち破るぞ」
大助に強い言葉で話した。
「よいな」
「わかり申した」
大助は父の言葉に素直に頷いた、そうしてだった。彼は父とその軍勢と共に兵を進ませた。そして幸村は後藤の軍勢からの使者の言葉を聞いた。
「そうか、後藤殿はか」
「お命はありますが」
「この場からか」
「はい、一時ですが」
「逃れられたか」
「大宇陀の方へ」
大和のそこにというのだ。
「今は長沢という者に護られて」
「わかった」
幸村はその旗本にすぐに答えた。
「そのことは」
「はい、残念ですが最早戦うことは」
「この度もな」
「それは出来なくなりましたが」
「いや、生きられているならばな」
それならと答えた幸村だった。
「よい、それでは貴殿等だが」
「我等はといいますと」
「今家臣の者達を向かわせた」
十勇士、彼等をというのだ。
「その助けで退かれよ」
「戦の場から」
「兵もかなり減っている筈、ここは我等に任せ」
「そうしてですか」
「下がられよ」
こう後藤の軍勢から来た旗本に話した。
「よいな」
「それではこのことを」
「軍勢に戻られたらお話されよ」
今後藤の軍勢の采配を執っている者達にというのだ。
「よいな」
「わかり申した」
旗本も頷いた、そしてだった。
旗本はすぐに幸村に一礼し後藤の軍勢かろうじて生き残った彼等のところに戻った。その彼を見送ってからだった。
幸村はあらためてだ、大助に言った。
「聞いたであろう」
「はい、後藤殿はご無事ですな」
「もうこの度の戦では戦えぬが」
「傷は深い様ですな」
「しかしじゃ」
それでもと言うのだった。
「ご無事じゃ」
「だからですな」
「ここはじゃ」
まさにというのだ。
「このことを幸いとしてな」
「若しもですか」
「また後藤殿の御力が必要な時はな」
「その時はですか」
「ご助力を願おうぞ」
「そうしますか」
「うむ、後藤殿がよいと言われればな」
その時はというのだ。
「そうしようぞ」
「わかり申した」
「そしてじゃが」
「我等はですな」
「先に話した通りじゃ」
「先に進み」
「そして戦うぞ」
幕府の軍勢、彼等とというのだ。
「おそらく伊達家の軍勢とな」
「そしてその軍勢は」
「鉄砲騎馬隊がおる」
その彼等がというのだ。
「そしてかなりの強さであるが」
「それでもですか」
「拙者に策がある」
「父上に」
「それで戦うとしよう」
「そうされますか」
「うむ、しかし今日はな」
苦い顔になりだ、こうも言った幸村だった。
「諦めるしかなくなった」
「大御所殿の軍勢との戦は」
「そして大御所殿の御首を取ることはな」
それはというのだ。
「後藤殿がおられぬのでは」
「そうですか」
「それは適わなくなった、明日じゃ」
「では」
「明日間違いなく幕府の軍勢は大坂城の南に来る」
「そこに布陣してですか」
「攻めて来る、そこにじゃ」
まさにその大坂城の南にというのだ。
「大御所殿もその軍勢と共にじゃ」
「おられて」
「そうしてな」
「そのうえで、ですか」
「攻めて来られる、そこでじゃ」
「我等はですか」
「一気に攻めてじゃ」
「大御所殿の御首を」
まさにと言った大助だった。
「獲りますか」
「そうするぞ」
「ではその時にこそ」
「全てを賭けるぞ」
「わかり申した」
「明日にこそ全てがかかっておる」
この戦のそれがというのだ。
「豊臣家が残るかどうかがな」
「若し勝てばですな」
「残る、しかしな」
「敗れれば」
「もうその時はな」
「滅ぶしかないですな」
「そうなるからじゃ」
それでというのだ。
「我話はな」
「明日にこそですな」
「全てを賭ける、そしてその明日の為にな」
「これからの戦も」
「戦うぞ、十勇士達は後藤殿の軍勢の方に行かせたが」
それでもというのだった。
「ここは必ずじゃ」
「破りますな」
「伊達家の軍勢をな」
その鉄砲騎馬隊もというのだ。
「そうしようぞ」
「必ず」
「それでは今から少しな」
今度は干し飯を出して言う幸村だった。
「腹ごしらえをするぞ」
「戦の前に」
「皆も食せよ」
干し飯を出してというのだ。
「そうせよ」
「そして」
「戦になればな」
「戦うのですな」
「食わずしては戦えぬ」
とてもと言う幸村だった。
「だからじゃ」
「今のうちにですな」
「干し飯、そして水もじゃ」
飲むものもというのだ。
「飲んでな」
「そうしてですな」
「戦うのじゃ」
こう言ってだった、幸村は己の軍勢の全てに干し飯と水を飲み食いさせた。そうして必ず来る戦に向かうのだった。
巻ノ百三十八 完
2018・1・8