巻ノ百四十一 槍が折れ
家康はその数と鉄砲に弓矢、そして槍で以て幸村と彼の軍勢と止めようとしていた、それは真田の軍勢も見ていた。
それでだ、幸村の傍にいた筧が言ってきた。
「殿、大御所殿の軍勢ですが」
「見事なものじゃな」
幸村も駆けつつ筧に応えた。
「その守りは」
「鉄砲に弓矢、槍にと」
「我等を寄せ付けぬな」
「しかもその数たるや」
今度は伊佐が言ってきた。
「我等を圧倒しております」
「普通に攻めては押し返されまする」
海野は眉を顰めさせ幸村に話した。
「間違いなく」
「ここはどうされますか」
穴山も駆けている、その手には今も鉄砲がある。
「一体」
「若し攻められるならば」
清海は楽しそうに己の得物を振ってみせつつ言った。
「この時こそですな」
「攻める」
幸村の返事はこの一言だった。
「ここまで来て退くことはないであろう」
「ですな、確かに」
霧隠は幸村のその返事に笑みで応えた。
「これまでこの時を待っていました」
「ではですな」
根津も刀を手にしている、その刃は今も白銀に輝いている。
「これより我等一丸となり」
「敵陣に攻め込みますな」
望月も拳を振るわんとしている、戦うその意図は明らかだ。
「今より」
「ではこれより」
由利も笑う、敵の大軍を目の前にして。
「攻め込みましょうぞ」
「我等の力の全てを使いますぞ」
猿飛はそのつもりだった、今こそ己の全身全霊を使い戦うと決めていた。
「そしてあの堅固な守りを突き崩します」
「このまま普通に攻めてもじゃ」
幸村は十勇士達全員に話した。
「あの鉄砲と弓矢と槍の数じゃ」
「だからですな」
「我等の数では退けられますな」
「そうなってしまいますな」
「間違いなく」
「ここはお主達とじゃ」
それにだった。
「拙者の力でな」
「十一人の力で」
「それで攻めて」
「まずは敵のあの守りを突き崩す」
「そうしますな」
「そしてじゃ」
幸村はさらに言った。
「それからじゃ」
「大御所殿を」
「あの方の御首を挙げましょうぞ」
「あの大軍を突き破り」
「そうして」
「そうじゃ、そうする」
こう言ってだ、そしてだった。
「これよりな」
「わかり申した」
「では」
「再び術を使いまする」
「そしてそのうえで」
「斬り込みまする」
家康の陣にとだ、こう言ってだった。
幸村は己の軍勢を勢いを殺すことなく突き進ませた、今まさに家康自身が率いる軍勢が鉄砲と弓矢を構え。
槍衾に守られたうえで一斉に攻撃を仕掛けようとした、まさにその瞬間にだった。
十勇士達は己の術、渾身のそれを放った。水に鉄砲、風に岩それに木の葉と毒の霧、炎に雷にとあらゆるものが一点に放たれた。
攻撃が放たれたその場所がまるで無数の大砲に撃たれた様に吹き飛んだ。そこに幸村の軍勢が一斉にだった。
幸村を先頭に雪崩れ込む、幸村は二本の槍を振るいつつ黄色い具足と陣笠の徳川の足軽達を薙ぎ倒しつつ言った。
「大御所殿、今よりそこに参る!」
「真田殿か!」
「まさかご自身が来られるとは!」
騎馬武者、幕府の腕に自身のある旗本達が愛馬と共に幸村の前に来た。
「その心意気お見事!」
「まさに天下の豪傑!」
「しかしここは通す訳にはいかぬ」
「我等が相手を務める!」
こう言ってそしてだった、幸村に向かうが。
幸村は二本の槍を彼等にも振るった、そうして幕府の腕自慢の旗本達も倒していき敵の軍勢をさらにだった。
攻め立てた、守りを突破された幕府の軍勢にその幸村を止めることは出来なかった。
彼等は次々と倒された、そこに十勇士達と赤備えに六文銭の兵達の攻めを受けてだった。
幕府の軍勢は崩れた、これには家康も驚いた。
「何と、わし自ら率いる幾万の軍勢がか」
「守りを破られました」
「そしてさらに攻められ」
「そのうえで、です」
「こちらに迫られています」
「この様なことは三方ヶ原以来じゃ」
家康は驚きを隠せないまま言った。
「この様なことは、しかし」
「相手は赤備え」
「武田のそれですな」
「真田家も武田家の家臣」
「そして赤備えを継いでおりまする」
「そうじゃ、赤備えにじゃ」
まさにと言う家康だった。
「またしてやられるか」
「大御所様、ここはです」
大久保が家康に言った。
「我等が食い止めまする」
「そうしてくれるか」
「決して本陣には寄せませぬ」
家康がいるこの場所にはというのだ。
「ご安心下され、ですが」
「それでもじゃな」
「若しもの時は」
その時のこともだ、大久保は家康に決死の顔で話した。
「お逃げ下され」
「この場からか」
「はい、そうされて下され」
こう言うのだった。
「そして何とかです」
「生きてか」
「大御所様さえ生きておられれば」
例えこの本陣まで幸村が来ようとも、というのだ。
「我等は勝ちです」
「そうじゃな、わしが討たれるとな」
「それで戦は負けです」
幕府のそれになるというのだ。
「最早、しかし」
「それでもじゃな」
「大御所様が生きておられれば」
「幕府の勝ちじゃな」
「後は真田めを討ち取り」
そうしてというのだ。
「この難を逃れられます」
「だからじゃな」
「ここはです」
まさにというのだ。
「いざとなれば」
「逃げてじゃな」
「生きられて下され」
「天下人が敵に背を向けるのは名折れ」
その名声そして面子に傷が付く、家康はこれが幕府の威信に大きく関わることがわかっていた。だがそれでもだった。
今自分が死んでは幕府が危うい、この戦にも敗れる。そのこともわかっているからこそだった。家康は大久保の言葉に応えた。
「わかった、ではな」
「はい、それでは」
「いざという時はな」
「お逃げ下され」
「そうする、馬をもて」
家康は周りの者達に言った。
「そしてじゃ」
「はい、その時は」
「いざとなれば」
「馬で、ですな」
「わしは逃れる、しかしお主達もじゃ」
家康は真田の軍勢がここまで来た時に自分を逃がす為に踏み止まって戦うであろうその者達に対しても言った。
「三方ヶ原の様にな」
「命を捨てるな」
「そう言われますか」
「この度は」
「わしはあの時の様なものは嫌じゃ」
自分の為に忠義の勇士達が命を落とすことはというのだ。
「だからじゃ、戦えどもじゃ」
「命は捨てるな」
「それは粗末にするな」
「そう言われますか」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「そこは頼むぞ」
「わかり申した」
「大御所様がそう言われるなら」
「ここはです」
「危うくなれば」
「その時は」
「下がるのじゃ」
こう言ってだ、そしてだった。
家康は己の馬を連れて来させてそうしてだった、いざという時の用意をしたうえで。
本陣に今は座して兜を被った、そのうえで采配を執り続けた。
幸村は前を見た、そこにだった。
家康の馬印を見た、そのうえで十勇士達に問うた。
「お主達にも見えるな」
「はい、見えまする」
「大御所殿の馬印が」
「日の丸の扇」
「それが確かに」
「大御所殿はそこにおられる」
そのすぐ近くにというのだ。
「だからじゃ」
「あそこにですな」
「辿り着きそうして」
「そのうえで、ですな」
「あそこにいる大御所殿を」
「何とか」
「討つぞ」
まさにと言うのだった。
「そうすれば我等の勝ち、今我等は攻めておる」
「毛利殿も長曾我部殿も」
「明石殿もそうされていますな」
「ではこのまま攻めましょうぞ」
「大坂方の軍勢全体で」
「そうして攻めてじゃ」
そのうえでというのだ。
「よいな」
「勝ちましょう」
「あと一歩で大御所殿です」
「あの馬印の下に行けますから」
「そうじゃ、ここで右大臣様が出陣されれば」
その時こそとだ、幸村は言った。
「軍勢全体の士気が上がる」
「これ以上はないまでに」
「そうなりますな」
「そしてその勢いで」
「あと一押しが出来て」
「勝てる」
大坂方がというのだ。
「大御所殿の御首を取れるわ」
「ではですな」
「今は遮二無二攻め」
「そうして大御所殿に迫る」
「そうしていきますか」
「そうじゃ、まだ敵は多いが」
彼等と家康の馬印の前にはまだ多くの敵がいた、彼等も必死で戦っている。
「それでもじゃ」
「何とか迫り」
「そのあと一押しで、ですな」
「大御所殿に槍を浴びせ」
「そうして」
「そうなる、拙者の分身達も戦っておる」
六人の彼等もというのだ。
「その者達と共にじゃ」
「攻めていきますな」
「このまま」
「そうしていきますな」
「そうじゃ、しかし拙者の分身達も」
七耀の術で出した彼等のこともわかっていた、自分の分身であるだけに自分の身体の様にわかっていた。彼等の状況が。
「かなり傷付いてきたな」
「左様ですか」
「これまでの戦で」
「そうなってきておりますか」
「無茶をしておる」
それがはっきりわかる攻め方だった、幸村から見ても。
「それでじゃ」
「殿の分身達もですか」
「傷付き」
「そうして」
「倒れるのが近い」
そうした状況だというのだ。
「拙者自身はまだまだ戦えるがな」
「我等もですが」
「しかし兵達がです」
「疲れが見えてきました」
「倒れる者達も増えてきました」
「そうなってきております」
「そうじゃな、ここで右大臣様が出陣して下さらないと」
そうならないと、というのだ。
「兵達がな」
「疲れていき」
「やがて限界に達して」
「そうして」
「攻められなくなる、我等十一人だけでは限度がある」
どうしてもというのだ。
「だから是非じゃ」
「右大臣様には出陣させて頂きたい」
「そうなのですな」
「戦に勝つ為には」
「何とか」
「そろそろご出陣の頃じゃが」
城の方をちらりと見た、だがそこに秀頼がいることを示す馬印、秀吉のものだったそれは見えはしない。
「まだか」
「まさかと思いますが」
「茶々様がでしょうか」
「ここでまたです」
「何か言われたのでしょうか」
「有り得るのう」
幸村もその可能性は否定しなかった。
「あの方が」
「若しそうならば」
「この戦敗れますな」
「右大臣様が出陣されないなら」
「兵達の士気が上がらず」
「そうなって欲しくはない、若しそうなれば」
幸村にはわかっていた、その場合どうなるかが。
「戦は明日我等が破れてじゃ」
「終わりますな」
「城が陥ちて」
「そうして」
「そうなる、だからな」
それでというのだった。
「ここはじゃ」
「茶々様には何とか」
「今ばかりは我儘を言われないで欲しい」
「そうですな」
「そうじゃ、今日それを言われると」
いつもの様にというのだ。
「大坂は完全に滅ぶ」
「ですな、ですから」
「ここはです」
「我儘を言われず」
「右大臣様を出陣させて欲しいです」
「全くじゃ、しかし我等は今はこのままじゃ」
秀頼のことが気になるがというのだ。
「攻めていくぞ」
「わかり申した」
「大御所殿を目指し」
「そうしていきましょう」
十勇士達は幸村の言葉に頷き攻め続けた、幸村もそれは同じで彼等と自身の分身達と共にだった。兵を率い自らも戦った。
その勢いは凄まじく遂に家康の軍勢は崩れた、幕臣達はそれを見て家康に言った。
「大御所様、最早です」
「この陣にまで来るのは間違いありませぬ」
「ですからここは」
「何とか」
「こうなったか」
家康は苦い顔になり立ち上がって言った。
「馬を用意しておいてよかったのう」
「ここはお逃げ下さい」
「後ろは我等が引き受けます」
「ですからここは」
「後ろに」
「わかった、ではな」
「拙者がお供します」
大久保は大槍を手に家康に言った。
「そして敵がどれだけ来ようとも」
「守ってくれるか」
「必ず、こうした時はです」
まさにというのだ。
「拙者の様な武辺の出番」
「三河武士のか」
「近頃三河武士もたるんでおりまする」
その生粋の三河武士の言葉だ、多くの戦の場を駆け回ってきた。
「この程度の戦これまで幾つあったか」
「そうであるからか」
「はい、ここは拙者そしてです」
「生粋の三河武士達にか」
「お任せ下され、そして」
「何があとうともか」
「生き延びて下され」
三河武士の忠義を以てだ、大久保は家康に言った。
「必ず」
「済まぬな」
「ははは、大御所様はこうした時いつもそう言われますな」
「そうであるかのう」
「はい、我等が命懸けの時は」
そのうえで家康を助ける時はというのだ。
「我等にそう言われますな」
「当然じゃ、お主達の忠義にこれまでどれだけ助けられたか」
そう思うと、というのだ。家康にしても。
「そう思わずにはいられぬ」
「だからですな」
「うむ、わしはじゃ」
「そう言われますか」
「必ずな、そしてな」
「生き延びらまするな」
「お主達に応えてな」
こう言ってだ、家康は馬を走らせて陣を後にした。彼を護る者達以外に踏み止まる相手も残った、それは大久保達だった。
彼等は決死に戦いそうしてだった、家康を逃がさんとする。彼等には彼等の想い、武勇と忠義に対するそれがあった。
だが幸村達にとってそれは難儀なものだった、それ故に。
足を止められてだった、幸村が思わず歯噛みした。
「くっ、真の三河武士達が出て来たな」
「はい、ここで」
「遂に本陣に迫ったというのに」
「馬印まであと一歩」
「そこまで至ったというのに」
十勇士達も苦い顔で言う。
「ここに来てですな」
「十勇士達も出て来ましたな」
「これは難儀です」
「困ったことですな」
「馬印は動いておる」
家康の居場所を示すそれがだ、見れば確かに動いておった。
「退いておる、これではな」
「ここで何とか攻めねば」
「そうせねばですな」
「大御所殿に追いつけぬ」
「そうなりますな」
「何とかせねばならん、ならば」
幸村は決した、その覚悟はというと。
「拙者の分身達は死ぬ、そうしてでもじゃ」
「攻めて」
「そうして三河武士達を蹴散らし」
「そのうえで、ですな」
「大御所殿を討ち取りますな」
「そうするしかない、拙者の分身は六人おる」
それならばというのだ。
「その分身を全て死なせてでもじゃ」
「この防ぎを突き抜け」
「そうしてですな」
「大御所殿に迫りますな」
「そうするとしよう、分身が全ていなくなろうともじゃ」
それでもというのだ。
「拙者はおる、ならばじゃ」
「戦える」
「殿ご自身がおられれば」
「それで」
「だからじゃ」
この場はというのだ。
「分身達が命賭けで攻める」
「そこで倒され消えようとも」
「そうしてもですな」
「何とか戦い」
「そのうえで」
「攻め切る」
家康を討ち取る、そうすると決めてだった。
幸村は分身達をここぞとばかりに攻めさせた、その渾身の攻めで三河武士の決死の守りを果敢に攻めてだった。
彼等の一点、そこをだった。
攻めて突き破った、これには三河武士達も驚いた。
「何っ、我等の守りをか」
「それを抜けたか!?」
「おのれ、何という攻めじゃ」
「これが真田というのか!?」
「大久保殿、ここはです!」
一人の若武者が大久保に叫んだ。
「我等にお任せを、そして」
「わしはじゃな」
「すぐに大御所殿のお傍に!」
そこに向かって欲しいというのだ。
「そうして下され」
「うむ、こうなってはな」
「真田殿と十勇士が向かいまする!」
天下に知られた豪傑である彼等がというのだ。
「ですから」
「ここはじゃな」
「はい、大久保殿が向かわれて下され」
「大御所殿のお傍には服部殿と伊賀十二神将がおるが」
「あの御仁達では足りぬやも知れませぬ」
「そうじゃな、どうも不思議じゃ」
戦っていてだ、大久保が察したことがあった。それは何かというと。
「真田の攻め、どの場でも激しい」
「それが何か」
「うむ、まるでどの場所にも真田殿がおってな」
そうしてというのだ。
「攻めておる様な」
「そうしたものをですか」
「感じる」
こう言うのだった。
「どうもな」
「それはおかしいことですな」
若武者は大久保の今の言葉に怪訝な顔になった。
「真田殿はお一人です」
「そうじゃな、しかしな」
「あらゆる場所にですか」
「真田の軍勢のな」
「おられぬか」
「では」
若武者はまずはこう考えた。
「影武者がいて」
「それでじゃな」
「それぞれの場所で采配を執っておられるのでしょうか」
「影武者は影武者じゃ」
大久保は若武者にこう返した。
「所詮はじゃ」
「真田殿程の采配は執れませぬか」
「到底な、どうも何人もの真田殿が同時にな」
「戦の場におられる」
「そんな感じじゃ」
「そんなことが有り得るのでしょうか」
「それはわからぬ、わしの知っている術ではない」
大久保は若武者に眉を顰めさせて答えた。
「一人の人間が同時に幾つもの人間はおることなぞ」
「とてもですな」
「ない、忍の分身の術もじゃ」
「あれは幾人も同時に采配を執るものではない筈」
「そうじゃ、相手を惑わすものでな」
その場に幾人もの同じ者が姿を現わしてだ。
「采配を執ったりするものではないわ」
「ではそれは」
「わしの気のせいか、しかしな」
「真田殿が幾人もおられては」
「強いのも道理、一人でも相当な御仁じゃ」
家康が恐れるだけの智略と采配、そして武勇を持っているというのだ。
「それなのにじゃ」
「幾人もおられるとなると」
「恐ろしいまでの強さじゃ、陣を突き抜かれることも」
「道理ですか」
「それならな」
まさにというのだ。
「それも道理、しかしな」
「ここはですな」
「わしはその道理に逆らう」
「では」
「うむ、大御所様はわしが命にかえてもお守りする」
「お願いしました」
「ではな」
大久保も馬を走らせた、そうしてだった。
家康の馬印の方に馬を走らせた、その間にもだった。
幸村と十勇士達は駆けていた、三河武士達の決死の守りを突き抜けたうえで家康を追っていた。あくまで追いすがる敵の兵達を跳ね飛ばし。
懸命に追っていた、だがそれでもだった。
家康も逃げる、遂に馬印まで迫ってそれを持っていた騎馬武者を倒してもだ。家康は逃げ続けていた。
それを見てだ、十勇士達は苦々し気に幸村に言った。
「殿、馬印は倒してです」
「何とか大御所殿に手が届くところまで迫っていますが」
「それでもです」
「攻撃を仕掛けても」
「伊賀者達がいてです」
「攻撃が当たりませぬ」
見れば服部と十二神将達が必死にだった、家康を守っていた。彼等は結界を出して家康の後ろで盾を作っていた。
その盾に阻まれてだ、幸村も十勇士達も手裏剣や鉄砲、術や気を放っても攻めきれずにいたのだ。家康には全く当たっていない。
だからこそだ、十勇士達は苦々し気に言うのだった。
「幾ら攻撃を仕掛けようとも」
「我等だけではです」
「結界を破れませぬ」
「あの結界を破るには」
「やはり」
「うむ、多くの兵で攻めるしかない」
幸村はここでもどうすればいいのかはわかっていた、このことはだ。
「多くの槍で突き崩すしかないわ」
「ですな、それでは」
「ここはですな」
「もっと多くの兵がいてくれれば」
「士気の高い兵達が」
「攻めきれるが」
幸村も苦い顔で言った。
「しかしな」
「それでもですな」
「まだ右大臣様のご出陣はありませぬか」
「まだ」
「城の方から法螺貝はないですか」
「鳴らぬ、どうやら」
ここで幸村は言った、己のその考えを。
「茶々様がな」
「左様ですか」
「それではですな」
「最早ここは」
「我等だけで」
「やるしかない」
それならばとだ、幸村も覚悟を決めた。例え秀頼が出陣せず大坂方の兵達の士気が今以上に上がらずともだ。
自分達が攻めるしかない、そう覚悟を決めてだった。
さらに攻めさせた、そうしてだった。
彼は遮二無二といった調子でさらに攻めさせた、だが家康は必死に逃げ服部と十二神将達も彼を守っていた。その為幸村も十勇士達も家康を討てなかった。それでも今は家康にとっては絶体絶命の状況だった。
それでだ、家康は馬を必死に走らせつつ思わず言葉を漏らした、その言葉はどういったものかというと。
「覚悟を決めるか」
「大御所様、それは」
「腹を切るか」
こう言うのだった。
「このまま真田に討たれるよりはな」
「そう言われますか」
「最早逃げきれぬ」
「だからこそ」
「彦左衛門はああ言っていたが」
しかしというのだ。
「このままでは逃げきれぬやも知れぬ、それでは敵に討たれるよりな」
「ご自害され」
「そうしてですか」
「首を取られぬ」
「そうされますか」
「その時は首は埋めよ」
自分のそれはというのだ。
「よいな」
「ですがそれは」
「何とかです」
「思い止まって下され」
「我等がお守りしますので」
「どうか」
周りを護る旗本達は必死に言う、だが家康は観念しようとしていた。それでまた言うのだった。
「だがこの状況では」
「しかしそれは」
「我等が食い止めます」
「ですから思い止まって下さい」
「それだけは」
「生き延びて下され」
「左様です、ここはです」
服部も家康に言ってきた、結界を張って彼を護りつつの言葉だ。
「どうかです」
「お主もそう言うか」
「大久保殿の言われた通りです」
「ここは生き延びることか」
「我等がお護りしますので」
だからこそというのだ。
「ここは最後までです」
「逃げ延びるか」
「馬印が倒されたことは無念なれど」
これは十分な恥であった、家康のそれが倒れたことは幕府の軍勢がそこまで押されていることの証であるからだ。
「しかしです」
「わしはまだ生きておるからか」
「大御所様が生きておられれば」
「幕府は勝ちじゃな」
逆に討ち取られれば負けとなる、そういうことでもあった。
「だからか」
「はい、ここはです」
「何とか逃げ延びてか」
「そしてです」
「敵の攻めが限界に達すればじゃな」
家康は持ち前の戦上手をここで発揮した、これまでの生涯での多くの戦からそうした読みはお手のものになっているからだ。
「その時はな」
「はい、すぐにです」
「反撃じゃな」
「そうしましょう」
「半蔵、城の方はどうなっておる」
家康はここで服部にこのことを問うた。馬でひたすら逃げつつ。
「一体」
「右大臣様の馬印は見えませぬ」
服部は家康の言葉に従い城の方を見てから答えた。
「全く」
「そうか、では茶々殿はだな」
「またなのでしょう」
「我儘を言っておるか」
「それで右大臣様はです」
「出陣出来ずにおるか」
「そうかと」
服部はこう家康に答えた。
「これまで通り」
「わかった、ではじゃ」
ここまで聞いてだ、家康は確かな顔になり服部に述べた。
「この度の戦はじゃ」
「勝てまするな」
「うむ」
服部に答えた、声も今は確かなものだ。
「あと少し逃げればな」
「大坂方の兵の士気は極限には上がらず」
「真田の兵もな」
今幕府の軍勢を攻めている彼等もというのだ。
「そうなってな、そしてな」
「その分ですな」
「疲れが来るのが早くてな」
そうなってというのだ。
「限界が来る、無限に動ける者なぞおらん」
家康はこうも言った。
「だからじゃ」
「ここはですな」
「あと少し退く、そしてな」
「真田家の軍勢の動きが止まった時に」
「反撃じゃ」
それに転じるというのだ。
「そうするとしよう」
「では」
「わしは馬鹿なことを言ったわ」
この言葉は笑って言った家康だった。
「腹を切るなぞな」
「それは我等がさせませぬので」
「そうじゃな、天下人たる者が簡単に腹を切ってはな」
「なりませぬぞ」
「そうじゃ、もう言わぬ」
家康は先程の自分を今の自分の戒めとして述べた。
「決してな」
「そうして頂けると何よりです」
「そしてじゃ」
「真田家の軍勢の動きが止まれば」
「そこを攻めよ、あと少しでじゃ」
「その動きがですな」
「止まる」
家康はこの言葉は確信を以て言った。
「そしてその瞬間にな」
「反撃に転じますな」
「そうする、今は幕府の軍勢全体が攻められておろうが」
このことも察している家康だった。
「しかしじゃ」
「敵の攻めが止まった時には」
「反撃に転じる、竹千代も今は攻められておろうが」
将軍である秀忠もというのだ。
「あ奴は死なぬわ」
「お傍に柳生殿がおられるからですな」
「あの者がおれば安心じゃ」
「天下の剣豪であられるが故に」
「そうじゃ、あの者が竹千代を護ってくれる」
だからだというのだ。
「安心じゃ、ではな」
「あと少しですな」
「辛抱をしよう」
家康はこう考えてだ、今はだった。
退きつつも反撃の機会を待っていた、そして家康が服部から聞いて読んだ通りにであった。大坂城では。
秀吉は大手門を出た、しかしここでだった。
城の女御衆が必死にだ、泣いて止めて言ってきたのだ。
「どうかここはです」
「茶々様のお傍にいて下され」
「今も怯えておられます」
「ですから」
「そう言うがここで余が出陣せぬとじゃ」
見事な具足と陣羽織に身を包み馬に乗りつつもだ、秀吉は女御衆に包まれてそのうえで困り果てた顔で言っていた。
「戦は勝てぬ」
「そう言われてもです」
「茶々様もそう言っておられます」
「どうか右大臣様にお傍にいて欲しいと」
あくまで言う女御衆だった。
「ですから」
「ここは思い止まって下さい」
「ご出陣は」
「城におられて下され」
「だが余が出ねばだ」
秀頼も退けない、自分が出なければ戦がどうなってしまうかは戦のことは殆ど知らない彼にもわかることだからだ。
「この度の戦は」
「勝てまする」
「戦は勝ちまする」
「どうして我等が敗れましょう」
「大義は我等にあるというのに」
戦を知らぬ秀頼よりも遥かに知らない女御達はそれでも言うのだった。
「それでどうして敗れるのか」
「勝つのなら問題ありませぬ」
「ですからここはどうか」
「ご出陣はお止め下され」
「茶々様のお傍にいて下さい」
城の女御達は泣いてすがりついて秀頼の出陣を止めていた、秀頼も行きたがったが彼にはその女御達の手を払うことなぞ出来ずにだ。
必死に言ってどいてもらおうとするだけだった、だが女御達はどくつもりはなく時だけが過ぎていった。
その状況を見てだ、戦の軍監を務める大野は歯噛みして言った。
「抜かった、ここはな」
「母上達にですな」
「御殿にいてもらうべきでしたな」
その大野に治房と治胤が応えた。
「そしてそのうえで」
「そこから出てもらわずに」
「茶々様と共に」
「今日は静かにしてもらうべきでしたな」
「そうであった、まさか右大臣様のご出陣までじゃ」
大坂方にとっては乾坤一擲の戦に勝つ為にどうしても必要なそれにもというのだ。
「茶々様のお願いの通りにな」
「動かれて」
「そうしてですな」
「右大臣様のご出陣を阻むとは」
「思いも寄りませんでした」
「全くじゃ、これではじゃ」
それこそと言う大野だった。
「右大臣様が出陣されずにじゃ」
「我等はですな」
「この戦極限まで士気が上がらず」
「その為に」
「攻めきれませぬな」
「ここで右大臣様が出陣されれば」
諸将や兵達の願い通りにだ、また事前の軍議通りにというのだ。
「勝てるやも知れぬというのに」
「兄上、こうなってはです」
治房が兄に決死の顔で申し出た。
「母上に他の女御衆の方々も」
「御殿にじゃな」
「はい、帰ってもらい」
そうしてというのだ。
「静かにしてもらいましょう」
「そうじゃな」
大野が治房の言葉に頷こうとした、しかしここで彼の周りにいる旗本達が言ってきた。
「修理殿、敵がまた動きました」
「あれは松平越前殿の軍勢です」
「この状況で攻めようとしています」
「数も多いですぞ」
「あのままあの軍勢を好きにさせれば」
危ういとだ、彼等は口々に言った、それを見て大野もだった。
歯噛みしつつだ、治房だけでなく治胤にも言った。
「お主達でじゃ」
「はい、ここはですな」
「松平越前殿にですな」
「兵を向けるべきですな」
「我等もそちらにですな」
「行ってもらう、何としてもじゃ」
絶対にと言うのだった。
「そうしてくれ、よいな」
「わかり申した」
「それではです」
「大手門の方が気になりますが」
「ここは」
「わしもじゃ」
大野自身もだった。
「ここでな」
「右大臣様がまだ来られる今は」
「全体の采配をですな」
「するしかない」
だから大野も動けなかった、そして並の旗本達を大手門の方に行かせても茶々の腹心として城を実際に動かす女御衆が聞かぬこともわかっていた。
だからだ、今はこう言うしかなかった。
「ここは右大臣様が振り切って下さるか」
「母上達が諦められるか」
「どちらかになることを祈るしかありませぬな」
「仕方がないわ」
こう言うしかなかった。
「ここはな」
「左様ですな」
「無念ですが」
弟達もこう言うしかなかった、そしてだった。
治房と治胤は敵に向かった、そして大野は全体の采配を続けた。それは彼にとっては苦渋の選択であった。
明石も攻め続けていた、しかし。
大手門の方を見てだ、彼は残念そうに言った。
「これはな」
「右大臣様はですか」
「このままですか」
「出陣されぬ」
「それも有り得ることですか」
「女御衆がお止めしておるか」
明石にも何故秀頼が出陣しないのかは察しがついた、そのうえでの言葉だ。
「だからか」
「何と、ここでですか」
「女御衆の方々がそうされているのですか」
「この大事な時に」
「その様なことを」
「あの方々は戦を知らぬ」
それこそと言う明石だった。
「だからじゃ」
「その様なことをされ」
「戦の邪魔になっている」
「肝心のこの時に」
「そうしたことをされていますか」
「そうであろうな」
やはり苦い顔で言う明石だった、彼も己の軍勢を攻めさせつつ自ら槍を縦横に振るい敵を倒している。
だが軍勢全体の疲れが見えてきていてだ、このことに歯噛みしていた。
「茶々様のお傍にいて欲しいとな」
「また茶々様ですか」
「またしてもですか」
「何かと出て来ますな」
「どうしても」
「仕方がない、この城はじゃ」
大坂城、つまり自分達はというのだ。
「そうした城じゃ」
「右大臣様が主でなくですな」
「茶々様が主であられ」
「女御衆がその下で取り仕切る」
「そうした城ですな」
「だからじゃ」
それ故にというのだ。
「こうした時にあの方々が騒げば」
「それで、ですな」
「これまでもそうでしたし」
「今もそうですが」
「ああなってしまいますな」
「そうじゃ、大事を間違えることになる」
やはり苦い顔で言う明石だった。
「政も戦も知らぬ方々がそうされれば」
「若し茶々様が政や戦をご存知で」
「そうであられれば」
「そして女御衆の方々もですな」
「そうであったならば」
「あそこまではじゃ」
とてもというのだ。
「なっておらんかったわ」
「左様ですな」
「そう思いますと無念であります」
「このまま右大臣様が出陣されぬなら」
「それならば」
「それでも塙殿、木村殿、後藤殿がおられれば」
先に散った彼等がというのだ。
「何とかなったやも知れぬが」
「それでもですな」
「お三方はもうおられませぬ」
「岩見殿も討ち死にされていますし」
岩見重太郎、豪傑と呼ばれた彼もだ。昨日の戦でそうなっていた。
「それではですな」
「将も足りず」
「この状況を覆せぬ」
「そうなりますか」
「うむ、まことに無念じゃが」
それでもというのだった。
「そうなってしまうわ」
「では殿」
家臣の一人が明石に問うた。
「若し今日の戦がです」
「わしが心配している通りになればじゃな」
「はい、その時は」
「おそらく明日で戦が終わる」
「そうなってしまいますか」
「しかしわしはそれでもじゃ」
例え戦に敗れてもというのだ。
「生きる」
「そうされますか」
「真田殿がいつも言われておるが」
「生きる武士道ですな」
「切支丹は自害はせぬ」
己の信仰も話に出す明石だった、信仰は自身の軍勢の旗にも出しているが彼にとっては絶対のものである。
「決してな」
「だからですな」
「そうじゃ、死ぬならば戦の場でじゃ」
「生きるのならですな」
「逃れてじゃ」
そのうえでというのだ。
「機を待とう」
「そうされますか」
「お主達は好きにせよ」
家臣達にはこう言うだけだった。
「お主達それぞれのな」
「では」
「我等はですか」
「自害するなり戦の場で死ぬなり」
「生き延びるなりですか」
「好きにせよ、若し今日と明日の戦で死なぬなら」
明石はまた己の話をした。
「生きる、何としてもな」
「そうされますか」
「ではその時まで我等もです」
「お供します」
「それが我等の今の断です」
今日のというのだ。
「ここで死ねばそれまで」
「明日は殿と共に死ぬか生き延びまする」
「何、ここまで戦ったのです」
「そうするのも面白いでありましょう」
「そう言ってくれるか、では共に戦おうぞ」
明石は家臣達の返事を聞いて馬上で笑った、そうして槍を握り締めなおしてそのうえで彼等に話した。
「武名を残すまでな」
「そうしてやりましょう」
「若しかすると大御所殿の御前にも辿り着けるでしょう」
「そうなれば御首を貰うまで」
「ではですな」
「思う存分戦いましょうぞ」
「皆の者このまま突いていくぞ」
そうして攻めるというのだった。
「よいな」
「はい、それでは」
「このまま突き進みましょう」
「この手が動く限り」
「そうしていきましょうぞ」
家臣達も兵達も頷いてだった、法螺貝の音と共に攻めるのだった。
大坂方の軍勢は攻め続ける、その状況は攻められる幕府の軍勢にとっては恐ろしいものだった。だが。
その彼等を見てだ、政宗はいよいよという声で言った。
「そろそろ頃合いじゃ」
「敵の攻めが終わる」
「その頃合いですか」
「そろそろ」
「そうだというのですな」
「そうじゃ、そろそろじゃ」
まさにとだ、政宗は己の家臣達に答えた。
「敵の動きが止まる」
「攻め続けていますが」
「その勢いが止まりますか」
「いよいよ」
「そうなりますか」
「そうじゃ、そしてそこでじゃ」
政宗はさらに言った。
「わかるな」
「そこでですな」
「我等が攻める」
「そうするのですな」
「そういうことじゃ、鉄砲騎馬隊にじゃ」
さらにだった。
「普通の騎馬隊、鉄砲隊に弓矢隊にじゃ」
「槍隊もですな」
「全ての兵達がですな」
「攻めてじゃ」
そうしてというのだ。
「劣勢を覆すぞ、そしてな」
「勝ちますな」
「今日の戦も」
「そうしますな」
「そしてじゃ」
さらにだった。
「明日もじゃ」
「明日ですな」
「明日はいよいよですな」
「この戦を終わらせる」
「そうした戦になりますな」
「うむ、あの城もじゃ」
政宗は大坂城の天守閣を見た、彼にとっても馴染みのある城である。その馴染みのある見事な天守閣を見ての言葉だ。
「明日でお別れじゃ」
「そうなりますか」
「明日になれば」
「落城ですか」
「いよいよ」
「そうなる、こうなったのも茶々殿の多くの勝手故じゃ」
政宗もわかっていた、このことは。
「そしてそれ故にじゃ」
「あの城が陥ちますか」
「遂に」
「そうなりますか」
「見事な城であるがな」
そうなるとだ、こう言ってだった。
政宗は反撃の用意をさせた、大坂方の攻めがいよいよ終わると見てだ。そのうえで彼は今度は自分達が攻める用意をさせていた。
巻ノ百四十一 完
2018・2・1