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巻ノ百四十二

               巻ノ百四十二  幸村の首

 秀頼の出陣は女御衆達の邪魔により遅れに遅れていた、むしろ出陣出来ない状況が続いていた。そうしてだった。

 大坂方の攻めはいよいよ限界に来ていた、大野も軍勢全体の動きを見て苦い顔になってそうして行言った。

「このままではじゃ」

「はい、攻める勢いがです」

「いよいよ止まろうとしています」

「ここで止まれば」

「まだ大御所殿の御首を手に入れていませぬから」

「将軍殿もじゃな」

 大野は周りの者達に秀忠のことも問うた。

「そうじゃな」

「はい、残念ですが」

「将軍殿もまだです」

「そちらも攻めていますが」

「それでもです」

「将軍殿の陣も思ったより堅固で」

「そのせいで」

 攻めていてもというのだ。

「攻めきれておりませぬ」

「将軍殿御自ら槍を取っておられます」

「そうして戦っておられますし」

「柳生殿がです」

 剣豪である彼が秀忠の傍にいてというのだ。

「刀を常に取り換えそのうえで」

「兵達を次から次に切っておりまして」

「中々攻めきれておりませぬ」

「将軍殿の方も」

「そして大御所殿は」

 家康、大坂方が今第一に狙っている彼はというと。

「真田殿が追いすがっていますが」

「それが中々です」

「追いつけていませぬ」

「そしてです」

「次第にです」

「さしもの真田殿の軍勢も」

「戦が続き」

「他の方の軍勢と同じく」

 どうにもというのだった。

「疲れが見えて」

「そしてです」

「遂にです」

「限界がきております」

「他の方の軍勢と共に」

「早く右大臣様が出陣されねば」

 どうしてもと言う大野だった。

「この戦、我等の攻めが止まってじゃ」

「ここで士気が上がらず」

「最後の一押しというのに」

「それがなく」

「その結果ですな」

「敗れる、何とかしてじゃ」

 ここはとだ、苦い顔のまま言う大野だった。

「右大臣様に大手門から出て出陣してもらいたいが」

「まだです」

「女御衆の方々がお止めしています」

「旗本の我等が何と申し上げましても」

「下がれと追い返されます」

「そうされますので」

「わしが行くべきか、しかし」 

 それはだった、大野にはわかっていた。今この場で大坂方全体の采配を執っている彼がいなくなればだ。

「わしが行ってはな」

「はい、修理殿がおられねば」

「ここでおられねば」

「やはりです」

「どうにもなりませぬ」

「そうじゃ、まして女御衆は全て茶々様のお言葉を聞かれてじゃ」

 それで動いているというのもわかっていた、大野には。

「ああしておられる、わしではな」

「茶々様のお言葉ならば」

「だからですか」

「わしはあの方にだけは何も言えぬ」

 茶々の言葉に逆らえないのはよくわかっていた。

「どうしてもな」

「ご幼少の頃から共におられて」

「その為にですな」

「あの方には申し上げられぬ」

「そうなのですな」

「うむ、無念じゃ」

 今となってはそれが余計にだった。

「わかっておってもな、こうした時に治部殿か刑部殿がおられれば」

「茶々様をお止め出来ましたな」

「それも常に」

「あの方が何を言われても」

「いざとなれば」

「すぐにお止めしていましたな」

「それが出来た、しかし言ってもはじまらぬ」

 今この時に及んでというのだ。

「どうしてもな」

「ですな、では」

「それでは」

「この場は」

「このままですな」

「わしはここで采配を執り続ける」

 このままというのだ。

「そしてだ」

「そのうえで、ですな」

「右大臣様が何とか女御衆の方々を振り切られる」

「そのことをですな」

「期待しますな」

「それしかないわ」

 どうしてもというのだ、それでだった。

 大野は秀頼の出陣を待った、それしか出来ないとわかっているからだった。だが戦局はいよいよであった。

 大坂方の攻めの限界が来た、それはまずはだった。

 長曾我部の軍勢で起こった、これまで攻め続けていた長曾我部勢もその勢いが次第に衰えていき遂にだった。

 動きが止まった、長曾我部はそれを見て言った。

「最早じゃ」

「攻めきれませぬか」

「あと一歩でしたが」

「それはもうですか」

「出来ぬ」

 土佐以来の己の家臣達に歯噛みして述べた。

「最早な」

「ではどうされますか」

「ここは」

「致し方ない」

 こう家臣達に答えたのだった。

「ここは退くぞ」

「そうされますか」

「もうこれ以上攻められぬなら」

「それならば」

「それしか出来ませぬな」

「うむ、このまま退きじゃ」

 そしてというのだった。

「大坂の城まで入るぞ」

「殿、しかしです」

「ここで攻めるのを止めますと」

「最早です」

「我等は」

「負けじゃ、明日は最早攻めるどころではない」 

 長曾我部は家臣達に達観した声で答えた。

「幕府の軍勢が城を完全に囲んでじゃ」

「そうしてです」

「城攻めにかかります」

「そうなってしまってはです」

「もう本丸しかないあの城は」

「そうじゃ、陥ちるわ」

 それは自明の理であった、誰から見ても。

「そうなってしまうわ」

「左様です」

「そうなってしまいまする」

「そうなればです」

「お家の再興も」

「出来ぬ」

 それこそとだ、長曾我部は家臣達に答えた。

「最早な、だが時を待つことじゃ」

「そしてですか」

「その時が来ればですか」

「また戦う」

「ではですな」

「城に戻るが明日はじゃ」

 その時はというのだ。

「よいな」

「はい、それぞれですな」

「城が陥ちるその時になれば」

「まさにその時に」

「落ち延びよ、そして時を待て」

 そうしろと言うのだった。

「わしもそうする、その時が来れば」

「再びですな」

「槍を取ることですな」

「そうすべきですな」

「うむ、そうせよ」

 こう言ってだ、長曾我部は己の軍勢を退かさせた。そうして次に毛利勝永もであった。

 戦の状況を見て兵を下がらせ明石もであった。

 兵を退かさせていった、それを見て十勇士達は幸村に言った。

「殿、お味方の軍勢がです」

「次から次に退いております」

「結局右大臣様は出陣されませんでしたし」

「最早戦は」

「今日は」

「今日大御所殿を討たねばな」

 それがわかっているからこそだ、幸村は己に話す十勇士達に答えた。

「この戦は負けじゃが」

「しかしです」

「もうこの状況では」

「この戦は」

「我等も殿と同じ考えですが」

「最早」

「無念なこと」

 幸村もわかっていた、もう戦の趨勢は決してしまった。そして今自分達はどうしても家康の首を取れぬことも。

 それでだ、彼は十勇士達に無念の顔のまま答えたのだった。

「ではじゃ」

「はい、ここはですな」

「退くのですな」

「城まで」

「そうしますな」

「我等が大坂方全体の後詰となってな」

 そのうえでというのだった。

「退くぞ」

「わかり申した」

「では我等がその殿軍を務めまする」

「後詰のさらに後詰を」

「そうします」

「拙者もじゃ、こうした時にもじゃ」

 まさにと言う幸村だった。

「七耀の術は役に立つ」

「そうなりますか」

「では、ですな」

「殿の六つの分身は」

「まさにここで」

「存分に働いてもらう、そしてじゃ」

 そのうえでというのだ。

「最後の最後まで戦ってもらう」

「そうしますか」

「そしてそのうえで」

「ここはですな」

「何とかですな」

「軍勢を逃がしますな」

「そうする、六人の分身全てをじゃ」

 まさにと言うのだった。

「失っても構わぬ、分身はまた出せる」

「力を蓄えれば」

「その時はですね」

「また出せる」

「だからこそ」

「こうした時にもだ」

 まさにというのだった。

「使える、だからいいな」

「はい、それでは」

「分身を盾にもしてですな」

「そしてそのうえで」

「我等はですな」

「大坂にはですな」

「うむ、帰られる。しかしな」

 幸村は十勇士達にさらに話した。

「お主達は城に帰ってもらうが」

「しかしですな」

「策がおありですな」

「左様ですな」

「そうじゃ、拙者は分身達に影武者にもなってもらうが」 

 そのうえでというのだ。

「大坂城ではなくな」

「他にもですな」

「行くべき場所がある」

「だからですな」

「今は城に帰らず」

「そしてですな」

「右大臣様を逃がす策を用意しておく」

 それをというのだ。

「よいな」

「はい、それでは」

「そこはお願いします」

「我等は大助様と共に右大臣様をお護りします」

「最後の最後まで」

「その時が来るまで」

「そうせよ、ではな」

 それではとだ、幸村も十勇士達に応えてだった。  

 そうしてだった、真田の軍勢も退きはじめた。その動きを逃げつつ見てだった。

 家康はまだ馬を駆けさせていたが危機が去ったと見てほっと胸を撫で下ろしてそのうえで己のすぐ後ろにいた大久保に言った。

「何とかじゃな」

「はい、ここはです」

「生き延びられた様じゃな」

「諦めなかったからですな」

 確かな声でだ、大久保は家康に槍を手にしたまま答えた。

「この様にしてです」

「わしは助かったか」

「左様です、さしもの真田殿もです」

「これでか」

「軍勢を退かせています」

「遂に攻めきれなかったか」

「その様です」

 大久保も後ろを見た、そのうえで家康に述べた。

「徐々にですが退いていっています」

「そうか、ではな」

「これからはですな」

「うむ、惜しい男じゃが」

 多くの戦を経て生き抜いてきた者としてだ、家康は大久保に答えた。

「ここでな」

「真田殿の御首を」

「首を取った者は禄だけでなく茶器も馬もやろう」

 そうした褒美を弾むというのだ。

「一国に匹敵する茶器も刀もじゃ」

「思いのままですか」

「そうじゃ、それだけのものをやる」

「だからですな」

「ここで討つのじゃ」

 幸村、彼をというのだ。

「そしてそのうえでじゃ」

「明日の戦の憂いをですな」

「払っておくのじゃ」

「わかりました、それではその様に」

 伝えるとだ、大久保は家康にこの度の戦の槍奉行として応えた。そしてすぐに家康の言葉を伝えてだった。

 退く馬の軍勢の向きを変えさせた、これで攻守が逆になったが。

 ここでだ、家康は周りの者達に問うた。

「馬印はどうなった」

「馬印ですか」

「あれですか」

「今は立っておりますが」

「途中どうなっておった」

 己の傍に今は立っている馬印を見つつの問いだった。

「一体。持っておる者が違っておるが」

「先程の戦の中で死んでいます」

 そうなっていたとだ、今持っている者が答えた。

「そしてそれがしが慌てて大久保殿から受け取りました」

「お主が受け取ったのか」

「はい」

 大久保は家康に実直な声で答えた。

「途中受け取りました」

「受け取ったのか」

「最初持っていた者から」

「まことに受け取ったのか」

 家康は大久保に怪訝な顔になって問うた、今度は彼に問うたのだった。

「そうなのか」

「それが何か」

「倒れている旗を取ってではないのか」

「天下人の馬印が倒れる筈がありませぬ」

 大久保は家康にこれまでよりも強い声で答えた。

「決して」

「倒れてはおらぬのじゃな」

「左様であります」

「それを知る者は」

 家康は大久保だけでなく周りの者にも問うた、だが一人もだった。

 答えられなかった、実は激しく攻められ誰も馬印どころではなかったのだ。伊賀者達も家康を護るのに必死で馬印どころではなかった。

 それで一人も答えられなかった、それで言うのだった。

「おらぬか」

「それがしが知っております」

 また言った大久保だった。

「馬印が倒れなかったことは」

「お主はそう言うが」

「天下人の馬印は倒れぬもの」

 大久保はあくまで言うのだった。

「決して、ですから」

「それでか」

「はい、馬印はです」

「倒れておらぬか」

「そうであります」

「わかった」

 大久保の言葉をとだ、家康は彼に述べた。

「馬印は倒れておらぬ」

「左様でありまする」

「断じてな」

 家康も大久保の言葉の通りとした、真実は知らないがここは大久保のその言葉を事実としたのだった。

 そしてだ、家康はあらためて言った。

「ではこれより退く敵軍を攻めよ」

「はい、それではですな」

「全軍で、ですな」

「逃げる敵を追い」

「討ちますな」

「そうせよ、特に狙うのはな」

 誰かは言うまでもなかった、それは。

「真田源次郎、あの者の首を狙うのじゃ」

「わかり申した、それでは」

「真田殿の首必ず取ります」

「そうしてきます」

「このことを全ての者に伝えよ」

 幕府方のというのだ、こう言ってだった。

 家康は大坂方の軍勢を攻めさせた、その時に特に幸村の軍勢を攻めさせた。その中でまずはだった。

 家康の孫松平忠直の話が彼の本陣にまで来た。

「何と、それはまことか」

「はい、越前様はです」

「昨日の大酒の失態を挽回されんとです」

「今果敢に攻められています」

「真田殿の軍勢を」

「ふむ、昨日はわしも大酒で戦に加わらなかった失態に怒って今日の攻めには加わるなと言ったが」

 それでもとだ、家康は述べた。

「しかしな」

「それでもですな」

「今の攻めはですな」

「独断であっても」

「それでもですな」

「よい、昨日のことは許そう」 

 家康は笑って笑みをこう言った、そしてだった。

 家康はそのままだ、忠直に攻めさせた。そしてその次の報も入った。それは彼の攻めに加わった以上のことだった。

 忠直の率いる越前兵達が家康の前に参上して一つの首を持って来た、服部はその首を見てその眉をぴくりと動かした。

 だが彼はすぐにその眉を戻した、それで何も言わなかったが。

 越前の者達が強い声でだ、家康に言った。

「大御所様、真田殿の首を持ってきました」

「今ここに」

「真田源次郎殿今ここに」

「持って来ました」

「まことか?」

 家康は越前の者達の言葉に思わず聞き返した。

 そしてその己の前に出された首を見てだ、周りの者達に問うた。

「この首間違いないか、わしはあの者の顔はよく知らぬ」

「これは」

 幸村をよく見てきた幕臣がいた、その幕臣がその首を間近でまじまじと見てからそのうえで家康に述べた。

「真田殿です」

「間違いないか」

「はい」

 そうだと言うのだった。

「これは」

「そうか、ではな」

「はい、真田殿をです」

「我が孫の者が打ち取ったか」

「そうなりまする」

「そうか、ではあ奴には褒美をやろう」

 家康は笑みを浮かべてだ、その忠直に後で天下の茶器初花をやることにした。そうしてであった。

 軍勢をさらに攻めさせた、そうしていってだった。

 大坂方の軍勢をさらに攻めてこの日の戦は勝ちで終わった、だが。

 軍議で諸大名に明日城攻めをすると命じた後でだ、服部に言われた。

「大御所様、真田殿ですが」

「あの首はか」

「はい、おそらくですが」

「偽物か」

「影武者かと」

 こう言うのだった。

「どうやら」

「そうか、ではか」

「真田殿はです」

「死んではおらぬか」

「そうかと、どうも戦の場でですが」

 服部は家康にさらに話した。

「真田殿は七人おられたとか」

「七人とか」

「これは七耀の術を使われたかと」

「それはどういった術じゃ」

「不動明王の奥義の一つでして」

 こう前置きしてだ、服部は家康に話した。夜の本陣の奥には今は二人だけである。それで服部も話スのだ。

「それを極めると分け身の術も使える様になり」

「身体が七つにか」

「分かれてです」

 そうしてというのだ。

「一度に七つの場所で考え動くことが出来ます、しかしご本人は一人」

「後の六人は分け身か」

「そうした術です、しかしまさか不動明王の奥義を窮めるとは」

「そうした者がおるとはか」

「流石におらぬと思っていました」

「そこまでの奥義であったか」

「はい、しかし真田殿はその奥義を使われ」

 そしてというのだ。

「今日は戦われていたのでしょう」

「道理で恐ろしい戦ぶりであった」

「そうですな、まことに」

「そしてまだか」

「生きておられるかと、ですから明日は」

「城攻めになるが」

「真田殿が城におられれば」

 その時はというのだ。

「非常に厳しい戦いになると、しかし」

「明日あの者は城にはおらぬか」

「おそらく右大臣殿をお救いする為に動かれるかと」

 戦ではなくそちらにというのだ。

「そうされるでしょう」

「そうか、そちらに向かうか」

「そうかと、ですから」

「明日はか」

「城自体は楽に攻め落とせるでしょう」

 これ自体はというのだ。

「真田殿がおられないのでは」

「それはよいがな」

「はい、しかし真田殿の働き自体で」

 秀頼はというのだ。

「そうなるでしょうが。大御所様としては」

「それならそれでよい」

「右大臣様はですな」

「太閤様に言われたことは忘れぬ」

 決してとだ、家康は服部に述べた。

「右大臣殿を頼むとな」

「臨終の床で、ですな」

「言われた、だからな」

「それで、ですな」

「約束は守るものじゃ」

 家康は律義者だ、このことは幼い頃から変わることがない。その為に天下の諸大名や民達に信頼されているのだ。

 それ故にだ、今もこう言うのだ。

「さもなければ何も成らぬわ」

「不信になるからですな」

「信じられぬ者の言うことなぞ聞かぬな」

「はい、誰も」 

 服部もこう答えた。

「そうしたことは」

「そうじゃ、戦国の世のならいは騙し討ちであったが」

「裏切りと」

「そうしたことばかりの者なぞ誰も信じぬ」

 それこそというのだ。

「そしてそうした者が天下人であるならな」

「天下もですな」

「泰平にならぬ、だからこそな」

「右大臣殿は」

「その命は奪いたくはない」

 決して、という言葉だった。

「わしにしてもな」

「だからですな」

「あの者が右大臣殿を助けるならじゃ」

「見過ごされますか」

「そうする、無論わしも助命は言う」

 秀頼のそれをというのだ。

「すんでのところでもな」

「そうされますか」

「もうここに至ってはすぐに大名として遇することは無理がある」

 戦もここまで進めばというのだ。

「どうしてもな、一旦高野山に蟄居としてじゃ」

「それからですか」

「わしが死んでからでよいか、竹千代に伝えておく」

 秀忠、将軍である彼にというのだ。

「わしが死ねば恩赦ということでな」

「右大臣殿の罪を解き」

「そうしてからじゃ、大名に戻す」

「そうされますか」

「それでよい、とにかくわしは天下人になったが」

「太閤様とのお約束については」

「忘れておらぬし破るつもりはない」

 それはというのだ。

「一切な」

「だからですか」

「右大臣殿の命は奪わぬ。大坂を貰う」 

 ここでも大坂だった、やはり家康が欲しいのはこの地だった。

「それだけのことじゃ、しかし城はな」

「攻め落としますな」

「そうする、明日は総攻めじゃ」

 それにかかるというのだ。

「攻められる者達でな」

「わかり申した、それでは」

「お主達はわしの周りにおれ」

「城攻めにはですな」

「加わることはない」

 その必要はないというのだ。

「もう大坂の城の命運は決まっておるわ」

「陥ちるだけですな」

「本丸だけ、その様な城なぞな」

 今の幕府の大軍で攻めればというのだ。

「一日で攻め落とせるわ、ではな」

「明日で戦は終わりですな」

「そうなる、では兵達には今宵もたらふく食わせてやる」

 そうして明日の城攻めに備えて力をつけよというのだ、まさに腹が減っては戦が出来るということだ。

「明日を境に戦の世は終わるわ」

「民達が望んでいた泰平の世にですな」

「ようやくなるわ」

「そうなるのですな」

「だからな」

「明日はですな」

「大事な戦じゃ」

 戦国の世を終わらせる意味でもというのだ。

「ようやくな」

「そうですな、長い戦乱でしたが」

「それが終わるのじゃからな」

「是非ですな」

「勝って終わるぞ」

 城を攻め落としてというのだ、こう言ってだった。

 家康は兵達に大飯を食らう様に告げた、そうして自らも喰らい明日に備えるのだった。

 大坂の城ではもう誰もが疲れ果てていた、それで秀頼は大野に対してこう言っていた。

「今宵のうちにじゃ」

「逃げたい者はですか」

「追わぬと告げよ、そしてな」

「幕府に降るなりしてもですか」

「生きよと伝えよ」 

「そしてですか」

「城に残る者はな」

 その彼等はというと。

「命を賭けて戦ってじゃ」

「そうしてですか」

「戦う様に伝えよ」

「それでは」

「そしてじゃが」

 さらに話す秀頼だった。

「真田源次郎はどうなった」

「どうもです」

 大野は秀頼に幸村の行方についてこう述べた。

「討たれた様です」

「そうなのか」

「首を取られたとか」

 このことを言うのだった。

「そう言われています」

「あの者が討たれたか」

「はい、どうやら」

「生きて帰ってはおらぬが」

「馬は帰っております」

 幸村が乗っていたそれはというのだ。

「そして槍ですが」

「あの者のじゃな」

「二本の槍も家臣達が持って帰っていますが」

 それでもというのだ。

「ですが」

「そうか、死んだか」

「そう思っていいかと」

「わかった、しかし今日の戦でな」

 まさにとだ、秀頼は己の前にいる諸将を見て述べた。

「多くの将帥も兵達も死んだな」

「はい、最早です」

 大野は秀頼に頭を垂れて述べた。

「これ以上攻めることは出来ませぬ」

「そうじゃな」

「はい、明日はこの城に幕府の軍勢が来ます」

「そうなってしまえば」

 毛利も言ってきた。

「もうもちませぬ」

「今のこの城ではな」

「どうにもなりませぬ」

 守りきれぬというのだった。

「残った兵も少ないですし」

「では明日でじゃな」

「何もかもがです」

「終わりか」

「はい、ですから」

「それではな」

「国松様は何としてもです」

 治房が秀頼に言ってきた。

「それがしが命に代えても」

「護ってくれるか」

「必ずや」

「既に加藤殿が受け入れを言われていてです」 

 大野がまた秀頼に話した。

「そしてです」

「国松もじゃな」

「お助け下さるとのことです」

「そうか、そしてじゃな」

「加藤殿のおられる肥後からです」

「さらにじゃな」

「島津殿の薩摩まで逃がして下さるとのことです」

「薩摩は天下の端、しかも国境は蟻一匹入ることは出来ませぬ」

 このことを話したのは治種だった。

「例え幕府といえどです」

「薩摩に入ればじゃな」

「安心出来ます」

「そうじゃな」

「ですから」

「わかった、では国松とは水盃を交えよう」

 秀頼は家臣達の言葉を受けて述べた。

「そうしよう」

「それでは」

「そして余は最後まで戦い」

「いえ、そこは何とかです」

 すぐにだ、大野が腹を切ろうという秀頼に申し出た。

「それがしが防ぎます」

「修理、お主がか」

「はい、それがしが腹を切り」

 そうしてというのだ。

「責を取りますので」

「余はか」

「何とか。千様と共にです」

「生きよと申すか」

「お願いします」

「しかし余も武士、だからじゃ」

 秀頼は己の前で話す大野に強い声で述べた。

「恥を知っておるつもりじゃ」

「そうはいきませぬ、どうか」

「ここはか」

「はい、何とぞです」

 生きてくれとだ、大野は秀頼に言うのだった。

「そうして下され」

「何としてもか」

「拙者が命に代えてお守りします」

「そう言ってくれるか」

「ですから」

「済まぬな」

「有り難きお言葉、では」

 大野は秀頼にあらためて促した。

「これより」

「うむ、国松とな」

「是非共」

 別れの水盃をとだ、こう言ってだった。

 秀頼に親子の今生の別れをさせた、そうしてから己の弟達に明石、長曾我部、毛利といった残った諸将達に述べた。

「今日までかたじけのうございました、しかしです」

「明日で、ですな」

「全ては終わりです、明日はです」

 毛利に応えて言うのだった。

「我等の別れの時、責はこの修理めが取りますので」

「我等はですな」

「生き延びて頂きたい」

 こう諸将に言うのだった。

「お願いします」

「わしは何としてもぜよ」

 長曾我部は意を決している顔だった、その顔での言葉だった。

「生きてそして」

「お家をですな」

「再興しちゃるきのう」

 こう大野に言うのだった。

「何があってもな」

「そうされるおつもりですか」

「明日城が陥ちれば何処かに逃れる」

「それでもですな」

「また機が来ればな」

 その時はというのだ。

「戦ってそうして」

「わかり申した、では」

「うむ、修理殿明日まで戦おうぞ」

「それがしはです」

 明石も言ってきた。

「長曾我部殿と同じく」

「何としてもですな」

「生き残り切支丹の信仰を再び」

 明石もまた強い決意で言うのだった。

「日の本でも出来る様にしていきます」

「その様にされますな」

「必ず」

「では」

「拙者は右大臣様と国松様の別れが終わればすぐに」

 治房も言ってきた。

「国松様と共にな」

「大坂の海に出てじゃな」」

「そこから熊本藩が用意しておる船に乗り」

 そしてというのだ。

「落ち延びまする」

「頼む」

 大野は次弟にも頼んだ。

「是非な」

「それでは」

「そしてお主もじゃな」

 大野は末弟である治胤にも声をかけた。

「ここで敗れてもじゃな」

「機を見て再び」

 治胤の返事は長曾我部や明石と同じものだった。

「ことを為します」

「そうか、そうしてくれるか」

「はい、そして幕府を倒します」

 こう長兄である大野に言うのだった。

「何があろうとも」

「そうか、皆戦うか」

「そして兄上は」

「この度の戦の責任を全てわしにある」

 大野ははっきりと言い切った。

「だからな」

「そうしてですか」

「そうじゃ、わしが腹を切ってな」

 そうしてというのだった。

「右大臣様と茶々様のお命だけはお助けする」

「そうお考えですか」

「その様にされますか」

「うむ、しかし大御所殿はお助け下さるが」

 家康ならばとだ、大野もわかっていた。家康の本心は大坂が欲しいだけで秀頼の命は秀吉との約束から何としても助けたいとだ。

「しかしな」

「それでもですな」

「思わぬことが起こるのが戦」

 この言葉もだ、大野は苦い顔で述べた。

「この度の戦でよくわかった」

「ですな、確かに」

「何かと」

 弟達が長兄に答えた。

「戦というものはです」

「一体何が起こるかわかりませぬ」

「この度の戦でもそうでした」

「常にでした」

「そうじゃ、戦は何が起こるかわからぬ」

 それが茶々の我儘であってもだ、大野はその茶々を最後まで止められなかった己の至らなさに無念さを噛み締めつつ言った。

「だからな」

「何か不慮のことが起こり」

「右大臣様をお助出来ぬ」

「そのこともですな」

「兄上がお考えですな」

「その時どうなるかじゃが」

「修理殿、そのことですが」

 これまで軍議の末席にいなくなった幸村の代理としていた大助がここではじめて言葉を出してきた。

「おそらくですが」

「お父上がか」

「何かお考えですので」

「だからか」

「はい、父上はおそらく」

 秀頼の前では何を言い出すかわからない茶々がいるのであえて言わなかった、そこは大助もわかっていたのだ。

「生きておられて」

「そしてか」

「必ずです」 

「奇策を用意されていてか」

「右大臣様を助けて下さいます」

 大助は大野に述べた。

「何があろうとも」

「そうか、その為にか」

「はい、父上はその為にです」

「今は身を隠してか」

 そのうえでというのだ。

「動いておられるか」

「そうかと、ですが」

「今はか」

「はい、何処かにておられ」

「この城にはおられぬか」

「しかし父上は生きておられまする」

 このことは大助は確信していた、そのうえで大野に言うのだ。

「ですから」

「わかった、ではな」

「はい、いざという時は」

 大野が言う思わぬことが起こって秀頼が窮地に陥ってもというのだ。

「ご安心下され」

「その言葉疑うことはしない」

 大野は大助に確かな声で答えた。

「真田殿は決して嘘を言われぬ、そしてそのご子息である貴殿も」

「信じて頂けますか」

「その目を見ればわかる」

 大助の目をというのだ、見れば一点の曇りもなく澄んでおりそのうえ何よりも強い光を放っていた。まだ元服したてだが確かな者の目だった。

「貴殿もまた嘘を言わぬことを」

「有り難きお言葉」

「有り難くはない、真実を言ったまでのこと」

 それに過ぎないというのだ。

「だからな」

「礼にはですか」

「及ばぬ、そして十勇士もか」

「今は控えていますが」

 全員城に戻って来た、そのうえで大坂城の一室にいてそこで明日の戦に備え今は休んでいるのだ。

「しかし」

「それでもじゃな」

「はい、その時が来れば」

「必ずじゃな」

「右大臣様をお助する為に父上と共に」

「働いてくれるか」

「そうしてくれます、及ばずながらそれがしも」

 大助は自らもと言った。

「その為にも」

「わかった、では頼む」

「それでは」

「右大臣様のお命、真田殿もおられるなら」

 大野は確かな顔になり述べた。

「明日は安心してな」

「戦いますか」

「そうする」

 治房に再び答えた。

「豊臣の最期の戦を見せてやろうぞ」

「そして時が来ればですな」

「うむ」

 それぞれ散って想いや役目を果たせとだ、大野は行間にこの言葉を入れて諸将に述べた。そうしてだった。

 大野は諸将と水盃を交えさせた、そのうえでだった。 

 次の日の戦に向かうことにした、彼等はもう戦がどうなるのかはわかっていたし受け入れていた。だがそれでもだった。

 多くの者が城に残った、そうして最後の戦を挑むのだった。



巻ノ百四十二   完



                  2018・2・8

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