巻ノ百四十六 薩摩入り
秀頼が熊本城に入りそこから薩摩に向かっていることはもう家康は知っていた、それで限られた幕臣たちはあえて彼に問うた。
「ではどうされますか」
「右大臣殿について」
「如何為されますか」
「答えはわかっていよう」
家康は彼等に笑って返した。
「大坂は手に入れて豊臣家は大坂城と共にじゃ」
「滅んだ」
「だからですか」
「これでよいですか」
「最早」
「そうじゃ、もう幕府は安泰じゃ」
そうなったからだというのだ。
「右大臣殿が生きておるといっても最早じゃ」
「噂ですな」
「それに過ぎぬものですな」
「所詮は」
「そうしたものになりましたな」
「だからじゃ、もうよい」
秀頼のことはというのだ。
「もうこのままじゃ」
「薩摩に入ってもらい」
「そしてあちらで生きてもらう」
「そうしてもらいますか」
「そもそももっと穏やかに済ますつもりであった」
家康としてはというのだ。
「大坂から出てもらうだけでよかった」
「そして国持大名として遇する」
「そのつもりでしたな」
「幕府としては」
「大御所様としては」
「今も言うがわしは大坂が欲しかったのじゃ」
あの地がというのだ。
「それだけであった、だからな」
「大坂が手に入った」
「だからですな」
「これでよい」
「そうなのですな」
「うむ」
実際にと言うのだった。
「それでよかったし今もな」
「これでよい」
「そうなのですな」
「もう右大臣殿はよい」
秀頼、彼はというのだ。
「その供養は千にさせてじゃ」
「そうしてですな」
「もう死んだことにして」
「幕府は何もせぬ」
「何も言わないのですな」
「そうじゃ」
そうするというのだ。
「よいな」
「わかり申した、それでは」
「我等もです」
「右大臣殿はあの戦で腹を切られた」
「その様に」
「よいな」
こう言ってだ、家康は秀頼のことはよしとした。だがその後でだった。
服部を呼んでだ、彼にはこう言った。
「右大臣殿のことはよいが」
「それでもですな」
「お主もそう思っておるな」
「はい」
服部は家康に強い声で答えた。
「必ずです」
「近いうちにな」
「この駿府に来ます」
「そうじゃな、戦は確かに終わったが」
「あの御仁の戦はまだです」
こう家康に言うのだった。
「ですから」
「そうじゃ、大坂での戦は終わり幕府の天下は定まったが」
「それでもです」
「あの者の戦は終わっておらぬ」
「ですから」
「この駿府まで来てな」
「一戦挑まれるでしょう」
「そうであろうな、わしはもうな」
ここでだ、家康は服部にこうしたことも言った。
「長くはない」
「しかしその前に」
「あの者は来る、ならばな」
「受けて立たれますか」
「そうする、必ずな」
「ではそれがしも」
服部は家康に確かな声で応じた。
「その時は」
「共に戦ってくれるか」
「それがしは大御所様の、徳川家の忍です」
これが服部の返事だった。
「伊賀者は」
「だからか」
「はい、ですから」
それ故にというのだ。
「その時はです」
「お主も伊賀者達もか」
「大御所様のお傍にいます」
「済まぬのう、ではな」
「間もなくですな」
「わしにとってもあの者にとってもな」
まさにと言うのだった。
「最後の戦がはじまるわ」
「左様ですな」
「そうじゃ、しかしじゃ」
それでというのだった。
「戦をするからにはじゃ」
「勝ちますな」
「うむ、負けるつもりはない」
家康は服部に確かな声で答えた。
「あの者が来る時、攻めて来る場所はもうわかっておる」
「それ故に」
「おそらくこの城のことも既にな」
「まさに隅から隅まで」
「知っておろうが」
それでもというのだ。
「そのことに十二分に備えを置いてな」
「そうしてですな」
「戦う」
家康は強い声で言い切った。
「よいな」
「わかり申した、それでは」
「お主もな」
「思う存分戦わせてもらいまする」
服部も強い声で応えた。
「それがしにとってもです」
「最後の戦になるな」
「ですから。思う存分です」
「戦うか」
「そして大御所様には近寄せませぬ」
その者をというのだ。
「何があろうとも」
「そうか、ではな」
「勝ちまする」
家康に断言した、彼にとっても最後の戦となるその戦を。
「お任せあれ」
「頼むぞ、では伊賀者達特に十二神将をじゃな」
「十二神将は全員集めまする」
この神戸にというのだ。
「そしてそのうえで」
「あの者が来たならば」
「迎え撃ち戦いまする」
こう言ってだ、服部は家康の采配の下最後の戦いに赴くことになった。彼の下にいる伊賀者達と共に。
それでだ、服部は己の前に集まった伊賀者達に言った。既に十二神将達は全員揃っている。
「あの御仁がここに来られるぞ」
「やはりですか」
神老が十二神将、伊賀者達の先頭にいる彼等の中から言った。その伊賀者達の前に服部が立って話をしている。
「生きておられて」
「そしてな」
「ここに攻められますか」
「うむ、そうなる」
まさにとだ、服部は神老に答えた。
「あと暫くしたらな」
「左様ですか、では」
「うむ、お主達には城を守ってもらう」
この駿府城をというのだ。
「よいな」
「わかり申した、ではです」
今度は双刀が服部に言ってきた。皆服部の前に座して控えている。
「戦になれば」
「そうなればな」
「その時に我等は戦い」
「必ずじゃ」
「あの方を防ぐ」
「そうしてもらうぞ」
「死んだとは思っておりませんでした」
こう言ったのは雷獣だった。
「しかし」
「それでもか」
「はい、もうすぐにでもですな」
「右大臣殿はもうじゃ」
「薩摩に入られますな」
「そこからすぐにな」
「来られますか、この駿府に」
まさにとだ、雷獣はまた言った。
「早く」
「うむ、大御所様もお歳じゃ」
生い先短い、だからだというのだ。
「最後に雌雄を決するお考えの様じゃ」
「あの方らしいと言うべきでしょうか」
傀儡は目を閉じる様にして述べた。
「そのお考えは」
「お主はそう思うか」
「はい」
まさにとだ、傀儡は服部に答えた。
「今その様に思いました」
「左様か、確かにな」
「その通りですね」
「大御所様がご存命のうちに」
そう思えばというのだ。
「やはり早いうちに来られるな」
「来られるならば」
剛力も言ってきた。
「その時はお一人ではなく」
「家臣の御仁達もじゃ」
「来られますな」
「ご子息殿に同志のお歴々もな」
そうした者達もというのだ。
「共に来よう」
「そうやりますか」
「だからこそですな」
幻翁の目が光った、老人のその目が。
「我等は総出で」
「そうじゃ、戦ってもらう」
まさにとだ、服部は幻翁に答えた。
「だからお主達にも来てもらった」
「そうですな」
「十二神将にも全員な」
「そして我等の力の全てで」
「戦ってもらいじゃ」
「勝つ」
こう言ったのは土蜘蛛だった。
「そうですな」
「そうだ、戦うからにはな」
「勝たねば意味がありませぬ」
「そうだ、だからな」
「我々もまた」
「全力で戦ってもらうぞ」
「わかり申した」
「意地と意地の戦ですね」
音精の言葉は冷徹なものだった。
「この度の戦は」
「うむ、泰平の世は定まったな」
「先の戦で」
「それならばな」
「我等のこの度の戦はまさに」
「あの御仁は武士の誇りの為に来られる」
この駿府にというのだ。
「そして我等は忍として迎え撃つことになる」
「迎え撃つからには勝つ」
無明の言葉は冷静なものだった。
「ただそれだけのこと」
「左様、忍にも誇りはあるな」
「与えられた責を確実に果たす」
「それをしてもらう、そして我等も忠義はあるな」
影に生きて影に死ぬ、その忍達にもとだ。服部は無明に問うた。
「そうであるな」
「はい」
無明も確かな声で答えた。
「まさに」
「ならば」
「うむ、大御所様への忠義がない者はおるか」
このことに返事はなかった、皆目だけで返事をしていた。そして今度は氷刃が服部に対して言ってきた。
「だからこそここにおります」
「皆そうであるな」
「忍である我等を武士にしてくれたのですから」
「拙者も含めてな」
「その御恩がありますので」
それ故にというのだ。
「我等もです」
「ならばな」
「はい、忠義を賭けて」
「我等は戦おうぞ」
その最後の戦をというのだ。
「そうしようぞ」
「要はあの御仁達を帰らせるだけ」
道化はあえて軽くだ、彼のいつもの口調で話した。
「それだけのこと、難しく考えずに」
「全力でだな」
「戦えばいいだけ、あの御仁ならここで敗れれば」
「それでじゃな」
「もう二度と来ませぬ」
この駿府にというのだ。
「そうなりますので」
「もう首を取ることもないしね」
妖花も笑って話した。
「誰の首もね」
「そうだ、あの御仁達の維持と我等の維持の戦よ」
「そうした戦であり」
「難しい戦ではない」
「そうだね、だったらね」
「大御所様をお守りするぞ」
十二神将筆頭でもある妖花にだ、服部は言った。
「よいな、大御所様のお傍には拙者が控えてな」
「私達はだね」
「あの御仁達を防いでもらうぞ」
「わかったよ、何があろうとも」
妖花は不敵に笑いつつ言った、そしてその手に紅蓮の炎を宿らせてさらに言った。
「私達がいるから安心してね」
「その様にな、ではもう暫くすれば戦になるが」
「皆ね」
「全力で戦え、そしてな」
「死ぬこともだね」
「ならん」
このことも言う服部だった。
「最早戦国の世は完全に終わった、ならな」
「もう血を流すこともですな」
「あってはならぬ」
神老にはっきりとした声で答えた。
「よいな」
「はい、我等の働きは戦場と変わらぬことも多いです」
「他の大名家に忍び込むことも多いが」
「そこで殺されることも多いです」
「命懸けじゃ、しかしな」
「それでもですな」
「出来るだけじゃ」
こう言うのだった。
「命は粗末にせぬ」
「そうしたじだいになりましたな」
「だからじゃ、この度の戦でもな」
「死ぬことはですな」
「拙者は許さぬ、そのことも覚えておくのだ」
服部の言葉は強かった、伊賀者達に言ってそうしてだった。今は駿府城の守りを十重二十重に固めさせた。
駿府城がそうなっている時秀頼はようやく薩摩に入った、薩摩に入るとすぐに迎えの籠が来てだった。
「これからはです」
「間道を歩かずにか」
「これに乗って頂き」
その籠にというのだ。
「そうしてです」
「屋敷に入りか」
「そこでお過ごし下さい」
こうその使者に言われた。
「是非」
「わかった、ではな」
「はい、そして屋敷に入られたらすぐにです」
まさにその時にというのだ。
「殿も来られるので」
「そうか、そうしてか」
「今後のことをお話されるので」
「その言葉に従ってじゃな」
「お過ごし頂くことになります」
「わかった」
秀頼はその者の言葉に確かな顔で頷いて応えた。
「それではな」
「その様にですな」
「生きさせてもらう」
「その様に、それでは」
「籠にお乗り下さい」
「わかった」
秀頼も応えてだ、彼は籠に乗り。
国松も籠に乗った、そして幸村達は彼等を守ってさらに進んでいった。その道中幸村は島津家の者達に言われた。
「よくぞです」
「ここまで来られました」
「ここまで右大臣様をお守り下さいました」
「大坂から」
「見事です」
「いえ、これは全て天命です」
幸村は自分への言葉に謙遜して応えた。
「そして家臣達がいたからこそです」
「十勇士の方々ですな」
「お話は聞いておりますぞ」
「一騎当千の方々と」
「天下の豪傑と」
「大助もいましたし」
我が子のことも話した幸村だった。
「ですから」
「それで、ですか」
「ことを果たせた」
「そう言われますか」
「それがし一人ではとても」
秀頼を救えなかったというのだ。
「助けて下さる方もおられて」
「木下殿ですな」
「そのお話は聞いておりまする」
「無論他言はしませぬが」
「そうでしたな」
「はい、ですから」
そうしたこともあってというのだ。
「それがし一人ではとても」
「ううむ、そう言われるとは」
「真田殿は噂通りの方ですな」
「実に謙虚で出来た方です」
「まことの武士ですな」
島津家の者達は幸村の謙遜からかえって彼の人柄を知った、そのうえで彼等は幸村に鮭を勧めた、その時にだ。
彼等は治房や長曾我部、明石達も呼んだ。そして彼等だけでなく。
十勇士や大助達も呼んで盛大に宴を行った、そこで彼等の戦ぶりを聞いた。この時にだ。
幸村と十勇士達の戦を聞いてだ、彼等は唸って言った。
「ううむ、あと一歩でしたな」
「あと一歩で大御所殿の御首を取れましたな」
「いや、よくぞそこまで迫られました」
「真田丸での戦も見事でしたが」
「ははは、真田丸ですか」
幸村は真田丸の話に応えて述べた。
「今は懐かしいですな」
「左様ですか」
「そう思われますか」
「真田丸のことは」
「今では」
「あの時の戦は最近の様で遠い昔の様にも思いまする」
両方思うというのだ。
「どうも」
「左様ですか」
「その様に思われますか」
「今では」
「そうなのですか」
「はい」
こう島津家の者達に話した、酒それも好きな焼酎を飲みつつ。
「どうも、しかしはっきりと覚えておりまする」
「その戦ぶりは」
「幕府の軍勢を一手に引き受けた戦を」
「まさにですが」
「いや、あの時はあの真田丸でどれだけの軍勢が来ようとも」
その時の気概も話すのだった。
「凌ぐつもりでした」
「その思いのまま戦われ」
「そうしてですな」
「戦にも勝つ」
「そのおつもりでしたか」
「そうでした、しかしそれも」
ここでこうも言った幸村だった、ふと遠いそして残念そうな目になって。
「遠い昔です」
「そうですか」
「今ではですか」
「先日までの戦も」
「そう思われますか」
「激しい戦も終われば」
そして思い起こせばというのだ。
「まさにです」
「遠い昔のことですな」
「言われてみれば我等もそうですな」
「九州での戦も」
「そして関ヶ原のことも」
「その全てが」
ここで島津家の者達も遠い目になって述べた。
「まさにです」
「遠い昔のことで」
「それでいてすぐに瞼に思い浮かぶ」
「そうしたものです」
「ですな、これまで戦った全ての戦が」
まさにとだ、幸村はさらに話した。
「遠い昔ですが」
「それでいてすぐに瞼に思い浮かぶ」
「そうした近いものでありますな」
「遠いが近い」
「そうですな、戦とは」
「不思議なものです、しかし戦の世は終わりました」
幸村は確信を以て島津家の者達に話した。
「これから長きに渡ったです」
「泰平の世ですか」
「それが訪れますか」
「これより」
「そうなります」
まさにというのだ。
「これで、民達は泰平の世を楽しめます」
「それでは我等もですな」
「戦うことはないですな」
「左様ですな」
「はい」
幸村はまた答えた。
「二百年以上は続くかと」
「ううむ、長いですな」
「ではその間我等は常にです」
「右大臣様のご一族をお守りしていきまする」
「この薩摩の中で」
「そして真田殿も」
「はい、それがし達は薩摩で生きるつもりです」
幸村もこう答えた。
「そしてそのうえで」
「我等ともですな」
「こうしてお話をして頂けますな」
「何かと」
「そのつもりです」
こう話した、だが。
ここでだ、幸村はこうも言った。
「ですが暫しです」
「暫し?」
「暫しといいますと」
「少しですが」
それでもと言うのだった。
「薩摩から出ることになります」
「それは何故」
「何処に行かれるのですか」
「薩摩を出られるとは」
「それでは」
「それは言えませんが」
しかしというのだった。
「それでもです」
「暫しですか」
「薩摩を出られ」
「そしてですか」
「そのうえで」
「はい、やるべきことを果たしてきます」
まさにというのだ。
「そうしてきます」
「左様ですか」
「そうされるのですか」
「はい、しかし必ずです」
幸村は島津家の者達に強い声でこうも言った。
「それがしは帰ります、薩摩に」
「左様ですか、それでは」
「その時はまた飲みましょう」
「そしてそのうえで」
「楽しく過ごしましょうぞ」
「では」
幸村もこう応えた、そしてだった。
幸村は今は島津家の者達とも酒を楽しんだ、そうして秀頼は家久の下に辿り着いた。ここでだった。
家久は秀頼にこう言ったのだった。
「ではこれからは」
「この薩摩でな」
「お暮し下され、しかし」
「余の名はじゃな」
「はい、何か適当な名を名乗られて」
「豊臣の名はじゃな」
「隠して下され、酒も食いものも常に用意しますし」
家久は秀頼にさらに話した。
「銭もです」
「それもか」
「どの店にもお入り下され」
「店にもか」
「はい、何を買われて食されても銭はこちらで払っておきますので」
そうするからだというのだ。
「ですから」
「そうしたこともか」
「世のことは何も」
それこそ一切というのだ。
「気に病まれずに」
「暮らせばよいか」
「はい、何の憂いも悩みもなく」
「この薩摩でじゃな」
「お過ごし頂ければ」
「わかった、余は死んだことになっておる」
秀頼は家久に全てを理解し受け入れた顔と声で答えた。
「ならばな」
「その様にですな」
「生きよう、この薩摩でな」
「後のことは何のご心配もなく」
「過ごすとする、死ぬまでな」
「それでは」
「それは国松もじゃな」
「いえ、国松様はどうも」
秀頼の子である彼についてはだ、家久は小声になり話した。
「そのことがです」
「変わったか」
「はい、木下家から人が来て申し出てくれたのですが」
「まさかと思うが」
「どうも幕府も見て見ぬふりをする様で」
「国松は木下家の者となってか」
「一万石で」
家久は石高の話もした。
「大名になると」
「その様にしてくれるのか」
「はい、そう申し出てくれていますが」
「そうか、国松は大名か」
「如何でしょうか」
「もう余には何も言うことは出来ぬ」
秀頼は家久にこう返した。
「だからな」
「このことはですか」
「うむ、幕府が見て見ぬ振りをするのならな」
「それならばですか」
「木下家に任せる」
北政所の兄の家であるこの家にというのだ。
「全てな」
「それでは」
「全ては木下家に任せる」
国松のことはというのだ。
「その様にな」
「わかり申した」
「そして余はな」
「この薩摩で」
「その様にする」
「それでは」
「そしてじゃが」
ここでだ、秀頼は自分から家久に話した。その話はというと。
「実は家臣の者達がな」
「幕府、いえ大御所殿にですか」
「そう考えておるが」
「当家は何も知らぬこと」
家久は微笑み秀頼に答えた。
「真田殿は大坂で見事に果てられました」
「だからか」
「はい、長曾我部殿も四条河原でそれがしがお会いしました」
そうなっているというのだ。
「雨の中あの御仁に傘を差し上げました」
「そして首を刎ねられたか」
「この世にはおられませぬ」
こうなっているからだというのだ。
「ですから」
「よいか」
「はい」
秀頼への返事は一言だった。
「その様に」
「そう言ってくれるか」
「もう死んでおられます」
幸村も長曾我部もというのだ。
「ですから」
「もうか」
「死人が動くなぞありませぬ」
あくまで死人ということにして話す家久だった。
「ですから」
「そうか、ではな」
「はい、それがしは一切です」
「何もせずにか」
「そう致します」
「ではな」
秀頼は家久の言葉に頷いた、そしてだった。
彼は秀頼主従に屋敷を用意しそこに住んでもらい彼等の生活の面倒を見た、幸村も己に用意してもらった屋敷に入り。
大助そして十勇士達と共に暮らしはじめた。その暮らしはというと。
ごく自然にだ、落ち着いたものでだ。
幸村は屋敷で鍛錬の後で十勇士達に話した。
「こうしてな」
「はい、鍛錬を続け」
「時が来れば」
「その時は」
「その時は間近じゃ」
ここで幸村の目が鋭くなった。
「よいな、年が変わるまでにな」
「はい、駿府にですな」
「行きますな」
「そうしますな」
「後藤殿のところに参る」
まずはというのだ。
「そしてじゃ」
「そうしてですな」
「後藤殿と合流し」
「そしてですな」
「そのうえで駿府に向かう」
「そうしますな」
「うむ」
その通りだとだ、幸村は答えた。
そしてだ、十勇士達にこうも言った。
「全ては後藤殿次第、それでじゃ」
「我等のうちの誰かがですな」
「後藤殿のところに向かい」
「そして右大臣様と我等が健在なことをお知らせし」
「そのうえで」
「後藤殿のお怪我のことも聞くのじゃ」
それもというのだ。
「そして完治された時にな」
「後藤殿がよしと言われれば」
「まさにその時にですな」
「大和で後藤殿と合流され」
「そのうえで」
「駿府に向かう、後藤殿は大和の大宇陀におられる」
幸村は既に後藤がいる場所もわかっていた。
「あの地にな」
「大宇陀ですか」
「確か長谷寺の東でしたな」
「伊勢に向かう道の途中ですな」
「そこに後藤殿がおられますか」
「今は」
「そうじゃ、だからじゃ」
その駿府にというのだ。
「だからな」
「はい、今からですな」
「我等のうちの誰かが向かい」
「そしてですな」
「我等のこともお話しますな」
「後藤殿のお身体のこともお聞きして」
「そうする、問題は誰に行ってもらうかじゃが」
幸村はここで十勇士を見た、屋敷で寝食を共にしている彼等を。だがここで彼等とは別の者が名乗りを挙げた。
「それはそれがしが」
「お主がか」
「はい、行って参りまする」
大助だった、名乗りを挙げたのは彼だったのだ。
「これより」
「そうしてくれるか」
「宜しいでしょうか」
「脚の怪我はもうよいな」
「山を駆けられるまでに」
実際にという返事だった。
「無事になりました」
「そうか、ならな」
「はい、大和にですな」
「行くがいい」
こう大助に告げた。
「よいな」
「今にでもですな」
「今すぐに発てるか」
「はい」
これが大助の返事だった。
「父上のお言葉があれば」
「わかった、では真田道を使いじゃ」
そうしてというのだ。
「そのうえでじゃ」
「大和の大宇陀に向かい」
「後藤殿に全てをお話せよ」
「そして後藤殿のこともですな」
「お聞きせよ、わかったな」
「さすれば」
大助も頷いて応えた、そしてだった。
大助はすぐに姿を消した、幸村はその大助がこれまでいた場所を見てそのうえで十勇士達に対して話した。
「拙者はこれ以上はないまでに幸せな者じゃ」
「大助様も立派になられた」
「だからですか」
「そう言われますか」
「その様に」
「うむ、お主達がいて武士道を歩めてじゃ」
そしてというのだ。
「あの様な見事な息子までおる、だからな」
「今の様に言われましたか」
「これ以上はないまでに幸せ者だと」
「そうなのですな」
「そうじゃ、家臣であり友であり義兄弟であるお主達がいてな」
そしてというのだ。
「あの様な息子がおる、しかも武士道を歩めておる。約束も果たせたしな」
「関白様とのそれも」
「そのことも出来た」
「それ故に思われたのですか」
「今の様に」
「心からな、悔いはない。しかし死ぬつもりもない」
幸村は十勇士達にこうも語った。
「それは何故かはわかるな」
「はい、我等十一人生きるも死ぬも同じ」
「義兄弟として友として」
「死ぬ時と場所は同じです」
「だからこそ」
「そうじゃ、右大臣様に勝って帰ると約束した」
ほかならぬ幸村自身がだ。
「そうした、ならばな」
「次の戦でもですな」
「死なずにですな」
「駿府から勝って帰って」
「そうしてですな」
「そうじゃ、全員生きて帰ってじゃ」
そうしてというのだ。
「右大臣様に勝ったと申し上げるぞ」
「では、ですな」
「駿府の戦が最後になろうとも」
「それでもですな」
「我等は死なぬ」
「決して」
「その通りじゃ、絶対に死んではならん」
幸村の言葉は澄んでいた、何処までも。
「わかったな」
「承知しております」
「何があろうとも生きて帰りましょうぞ」
「それも笑って」
「勝ったと右大臣様に申し上げましょう」
「そういうことじゃ、我等が死ぬのは駿府ではない」
主従十一人が共に死ぬ時と場所はというのだ。
「ではな」
「駿府で思う存分戦いましょうぞ」
「後藤殿、長曾我部殿、明石殿と共に」
「大助様も交えて」
「十五人か、一騎当千の者達が」
ここでまた笑って話した幸村だった。
「これ以上はないまでの陣営じゃ、ではな」
幸村はここまで行ってだった、今は話を止めて再び鍛錬をはじめた。薩摩での暮らしは平穏なものだった。
だが夜空を見てだ、彼は十勇士達に苦い顔で述べた。
「よくない、そろそろな」
「まさか」
「まさかと思いまするが」
「大御所殿が」
「うむ、大きな将星が落ちようとしておる」
幸村にはわかった、今その星が空から落ちようとしているのが。それで共に夜空を見ている十勇士達にも話すのだ。
「あの星は大御所殿の星じゃ、その星が落ちれば」
「大御所殿はお亡くなりになられる」
「そうなられますか」
「ではその前に」
「出来るだけ」
「うむ、急がねばならんが」
しかしと言うのだった。
「それにはじゃ」
「どうなるかわかりませぬな」
「後藤殿が如何か」
「若しあの方の傷が深く治るのが遅ければ」
「その時は」
「止むを得ぬ」
これが幸村の返事だった。
「我等だけでな」
「駿府に行くしかありませぬな」
「そうせねばなりませんな」
「そしてそのうえで」
「戦わねばなりませんな」
「そうじゃ、そうなっても仕方がない」
まさにと言うのだった。
「戦うぞ」
「我等の最後の戦を」
「それをしますか」
「何としても」
「そうしますか」
「うむ、後藤殿がおられねば危ういが」
彼の武勇、それがなければというのだ。
「しかしな」
「それでもですな」
「ここは戦うしかありませぬな」
「後藤殿がおらずとも」
「例えそうなっても」
「そうじゃ、戦ってそしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「我等は勝たねばならぬ」
「祈るしかないですか」
清海が苦りきった顔で述べた。
「後藤殿の傷のことを」
「その時は、ですな」
伊佐も言ってきた。
「我等だけで戦いましょうぞ」
「後藤殿の分まで」
海野も苦い顔で言った。
「そうしましょうぞ」
「何、その時はいつも以上に戦いまする」
望月も言ってきた。
「そして勝ちまする」
「左様、ある戦力で戦うまでのこと」
穴山はあえて不敵な笑みで述べた。
「全力で」
「そうすれば問題はありませぬ」
由利も笑ってみせた、あえてであるが。
「何一つとして」
「何、苦しいことなぞありませぬ」
猿飛は心から笑っていた、それも明るく。
「何しろ我等が全員いるのですから」
「大助様もおられますし」
霧隠は彼のことを話に出した。
「充分以上ですぞ」
「しかも長曾我部殿、明石殿もおられる」
筧が名を出したのは彼等だった。
「後藤殿は残念でも後藤殿に勝ちをお報せ出来まするぞ」
「ははは、足りぬ足りぬと言う状況ではないですな」
最後に言ったのは根津だった。
「これだけの顔触れがいますから」
「そうじゃな、しかもよく星を見れば」
幸村は十勇士の言葉に勇気付けられ笑顔になった、そうしてまた星を見てこんなことを言ったのだった。
「後藤殿の星もあるが」
「どうなっておりますか」
「それで後藤殿の星は」
「一体」
「明るく輝いておられる」
そうなっているというのだ。
「つまりだ」
「必ずですな」
「後藤殿は傷を癒されていますな」
「そしてそのうえで」
「我等と共に」
「戦ってくれる、星が教えてくれておる」
幸村は後藤の星を見つつ確かな声で述べた。
「ではな」
「はい、それでは」
「大助様が戻られるのを待ちましょう」
「大助様が吉報を持って来られることを」
「そのことを」
「そうしようぞ、拙者も待ち遠しくなった」
思わず笑みを浮かべてだ、幸村は述べた。
「大助がここに帰って来るのがな」
「そして帰って来れば」
「その時はですな」
「すぐに駿府に向かうのですな」
「後藤殿と合流したうえで」
「そうするとしよう」
幸村は星を見て笑顔になっていた、そしてだった。
今は大助が戻って来るのを待つことにした、戦が出来る残された時は少ないと感じながらもそれでもだった。彼は星に希望も見たのだった。
巻ノ百四十六 完
2018・3・8