そのままの勢いで近づいてくる。その表情が見えたとき、嫌な予感がした。なんかすごく怒ってませんか? 額には青筋が浮かんでいるし、目なんかアレほとんど白目じゃん。元々の三白眼の黒目どこ行ったのだろうか。
「オレガノ先生どうしたんですか。そんな怖い顔して――ッ!?」
一応警戒していた俺は、オレガノ先生のラリアットを頭を下げることで回避に成功する。「何するんですk――ぶへぇ」
勢い余って通り過ぎていったオレガノ先生の方へ振り返り、文句の一つでも言おうかと思ったが、オレガノ先生の華麗なUターン、上から振り下ろした拳が俺の頭に落とされた。
「いったぁ‥‥‥何するんですか!」
「はぁはぁ、すまん。ついな」
ついで殴られたらたまったもんじゃないですよ。まぁオレガノ先生のことだから何か理由があるんだろうけど。
「どうしたんですか。珍しいですね、オレガノ先生のその感じ」
「まぁ、な。いや、お前には伝えておくか」
立ち話もなんだしという事で、学校の食堂で話すことにした。夏休みという事で、ちゃんとした営業はしておらず、メニューもほとんど購買の総菜パンみたいなものしか売っていなかった。
まぁ、美味しいからいいんだけどね。
「まぁ実はな、あの日フィオナを逃がしてしまったのは俺だったんだよ」
「え? オレガノ先生が? なんで?」
わざとではないのだろうけど、オレガノ先生にしては珍しいミスだ。
「俺があの日、竜舎のドアを開けると、目の前にフィオナがいて、驚いて眠り笛を吹いた。それなのにも関わらず、フィオナは動きを止めることなく海に出て行ってしまった。‥‥‥フィオナには眠り笛が効かないのかもしれない」
「えぇ、それってかなり厄介ごとの匂いがプンプンするんですけど」
「匂いどころかそのものだからな」
どうしよう、フィオナの特殊化はだいたい、ほぼ、というか絶対に俺に起因する。ということは俺に責任やら、原因解明の話がふられるわけで。
「面倒くさそう‥‥‥。あ、それで、ドアを開けてフィオナが居たってことは、誰かがフィオナの部屋の柵を開けてたってことですよね。俺は絶対に閉めましたよ。さすがにそこを忘れたりはしませんよ、どんなに急いでいたって」
「それは大丈夫だ。いや大丈夫ではないんだが、フィオナ自身がぶち壊したっぽいな。そこまでして追いかけたかったのかってちょっと引いたわ」
「フィオナがねぇ‥‥‥あ」
「だいぶ老朽化してきてたし、柵の方もガタが来てたんだろうな――ん? 何か言ったか?」
「いえ、何でもないです。ちょっとパンがのどに詰まちゃって」
あのときの衝撃で緩んでいた柵か。黙っておこう、これ以上俺の責任を増やしたくない。大丈夫、俺が言わなければバレないはず。
「それで、先生は大丈夫なんですか? その、罰則じゃないですけど、責任問題みたいな」
「あぁ~それな。ない訳じゃないが、軽いもんだ。誰かさんのお陰で、フィオナに関しちゃ致し方ないということで片づけられるそうだ」
全部が全部俺のせいじゃないやい。
「ところで、ランディ。この後は何か予定があるのか?」
「一応、昼過ぎくらいに乗り合い馬車で、イヴの実家に行く予定ですね。まぁ、友達の家に行くだけですけど」
ドットヒッチ領には、温泉街の構想があるらしいし、今から行くのが楽しみでならない。未だ構想段階とはいえ、多少は温泉なるものがあるだろう。これは行かねばな。
少し肌寒くなってきた秋が一番いいんだよな。夕暮れ時の風向きが変わって、涼し気な風が、土地の匂いを連れて鼻を通り抜けるあの感じ。
でも温泉なんていつ入ってもいいですからね。
「ほぉ、学生の本分だ。存分に遊んでくると良い」
あ、初めて見たかも。オレガノ先生の笑ったところ。
意外とオレガノ先生も若いころはやんちゃしていたのかもと、意図しないところでのギャップを発見して、親近感が湧いた。どっかで他の生徒に自慢しちゃお、早くイヴに会いたいな。
「で、何か用があったんですか?」
「フィオナに眠り笛を使う実験をしたかったんだが、もう昼前だしなぁ」
「? それならすればいいんじゃないんですか?」
何故俺がいる必要があるのだろうか。効いたらOK、聞かないときは今のまま。いる必要は?
俺が顔をくしゃっと歪ませて考えていると、オレガノ先生がお茶をひと啜りして、俺の疑問に答える。
「もし眠り笛が微妙に効いて、暴れだしたらどうする。万が一のストッパーとしてお前以上の適任はいないだろう」
そ、そうですね。二者択一だと思ったけど、そういうこともありますよね。はい、すみませんでした。
「幸いにも普段は行儀良いし、暴れることも無かったから、今は良いけど、戻ってきたらちょっと付き合えよ」
「了解しました」
「そら助かる。ほら手伝いの駄賃だ。これ喰っていいぞ」
まだ手付かずの総菜パンを一つ渡してきた。ふふ、こんなんで懐柔されると思ったらだめですよ、頂きまーす。うん、美味い。
話がひと段落したところで、席を立ち、食堂で別れた。時間も時間なので、俺も街に繰り出して、乗り合い馬車の停留所がある北側の砦の門に向かった。