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第75話

 その後を、四郎を抱いた八代が続き、美代みしろがあたふた追いかける。


 三門様──、つまり、美代みよの両親は出かけて不在。この屋敷の数人しかいない使用人は、煌と八代が来たことから、屋根裏の使用人部屋へ下がっている。


 隠密の八代が美代みよの警護と諸々の事まで行うはずと読んだからだ。


 お陰で、屋敷は物音ひとつしない。


「客間へ……」


 廊下に八代の声が響き、煌も頷いた。


 屋敷は事実上自由に使える。煌達は、大型の暖炉が備わる舞踏会も開ける程広々とした客間に足を踏み入れる。


 暖炉には、心なし程度の火がくべられており、その前に置かれてある来客ソファーに皆は陣取った。


 パチパチと薪が弾ける音の中、四郎が八代の膝の上で、口火を切った。


「煌ちゃん!美代みよちゃんがステファンに、妃候補だって喋っちゃったよ!!」


 ひっと、美代みしろが声をあげる。


 ジロリと八代が美代みしろ睨み付けるが、その相貌には落ち着きが見受けられなかった。


「四郎!それは本当か?!」


 座るソファーから立ち上がり、煌が叫ぶ。


 すぐに、焦りを見せてしまったと後悔したのか、煌は皆の視線をはぐらかそうと、暖炉に向かい燃える火へ視線を定めた。


 小さいながらも、炎はゆらゆらと燃えている。


 煌の心は暖炉の火と同じ様に揺らめいた。


「……四郎、状況を説明しろ」


 煌は、動揺を隠そうと四郎へ空々しく問うた。


 四郎は八代の膝から飛び降りると、煌の側へ行きこれまでの経緯を喋る。


「……で、美代みよちゃんは、ステファンを見張ってカメラの在りかを突き止めることに同意した」


 話し終わった四郎に、八代がキツイ眼差しを送る。


「……それは、美代みよ様には、荷が重すぎるのでは……」


 言って、煌を伺った。


「この状況で、あの美代みよに、そこまで探らせるのは無理だろう……」


 煌も八代の言いたいことを汲み取ったのか、伏し目がちに言う。


「四郎、ご苦労だった。よく知らせてくれた」


 煌は、四郎を労うと、ソファーに腰を下ろし考え込む。


 そもそもは、蕎麦屋、長寿案で、宗右衛門が言い出した事だった。美代みよにステファンを探らせるべきだと……。


 八代も美代みしろも術をかけられていた為に、反対はしなかった。集まっていた隠密達も同調し、煌は、事を荒立てたくないばかりに美代みよがステファンを見張る事に同意した。


 煌達が潜入する以上、美代みよに負担がかかることはないという考えがあったのだが、事態は思わぬ方向に進んでいる。


 美代みよが妃候補だとステファンに知られてしまった。


 これでは、ますます、ステファンに付けこまれるはず。


 黙り混んでしまった煌に、


「お、お頭!私が、美代みよ様と入れ替わります!」


 美代みしろが、居留地で影武者になると言い出した。


「そうすれば、美代みよ様は、御屋敷に戻ることが出来て、なおかつ、危険を侵さなくてもよいはずです!」


 長寿庵では術の為、美代みよを使うことに賛成していた美代みしろだったが、今は判断が付くのだろう。起こりうる危機を回避しようと煌に申し出たようだ。


「お頭!!」


 美代みしろが身をのりだし訴える。


「……いや……その必要はない。美代みよは私が守る……」


 煌は静かに答える。


 だが、視線は燃える炎を見つめたままだった。


美代みしろ。お前はこのまま美代みよ様の影武者をこなすのだ」


 八代が言った。


「は、はい。八代様……」


 煌と八代の結束に、美代みしろは、恐る恐る返事をする。


 暖炉を見つめる煌からは、並々ならぬ気迫が発せられ、八代からは任務をこなそうとする強い意志が流れていた。


「……明日には、我らがステファンの屋敷に潜入する。美代みしろ、お前の出る幕はない」


 念を押すように、煌は美代みしろへ言った。


「叔父上と叔母上、いや、三門様は、泊まりがけの招待を受け出かけられた。この屋敷は自由に使える。つまり……その間が、勝負でもある……」


 八代と美代みしろを交互に見て、煌は決意を述べる。


 美代みしろは、美代みよとして女学校へ通い、煌と八代が居留地へ潜入して、ステファンの魂胆から美代みよを救い出す。美代みよの両親が不在の間に行えば、表沙汰にもならず、事は収まるはずだ。


「いいか、穏便に終わらせるのだ」


 強い口調で語る煌の姿は、ステファンへ挑む気力に満ちていた。その迫力に押された八代と美代みしろは、無言で跪き、頭を垂れた。


「四郎、美代みよの所へ戻り、大丈夫だと告げてくれ」


 煌は、足元にうずくまる四郎へ指示を出す。


「わかった。煌ちゃんと八代ちゃんに任せれば問題ないってことだね」


「後は……これ以上、余計なことを喋らぬよう……伝えてくれないか?」


 煌の言葉に、四郎はコクリと頷いた。


 八代が立ち上がり、窓を開ける。


 四郎は勢い良く外へ飛び出し、再び夜の闇に紛れてしまった。


 煌は、明日からの事を思う。美代みよが、妃候補であると知られてしまった事実をどうするか悩んだ。


 暖炉の炎が、煌の行き詰まる心待ちを読んだかのようにパチリとぜる。


「美代……。無茶をしなければよいが……」


 煌の呟きに、八代が小さく頷き、美代みしろは、顔をこわばらせている。


 夜の帳が屋敷を包む。


 月は空に浮かんだまま、静かに輝き続けていた。


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