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第77話

「ステファン様、すみません。すぐに、新しいパンを用意します。あっ、スープも用意しますね!」


 美代はステファンへ申し訳なさそうに微笑んだ。


 ステファンは美代の笑顔に一瞬心が和らいだものの、四郎が言った言葉がとにかく、引っ掛かる。


 美代に喋るな、余計なことを言うなという事は、まだ、重大な秘密を隠しているのだろうか?


「……シロは、猫だからね。美代さん、パンの事は気にしないで。それよりも……何故、美代さんは喋ってはいけないのですか?」


 ステファンは意を決して、踏み込んだ質問を美代へ投げかけた。


 美代の表情が固くなる。そして、慌てて大鍋の前に立ち、出来上がったスープを確認した。


「えっと、別に、何でもありません。あの、喋り過ぎるのはみっともないから……それだけです……」


 美代はステファンへ背を向けたまま、ぎこちなく答える。


 パンを食べていた四郎の動きも止まり、美代の背中をじっと見上げた。そして、何か警戒するように、パンを咥えると、静かに食器棚の隙間に潜り込み、今度はステファンへ冷たい視線を投げ掛けてくる。


 ステファンは、その様子に口を閉ざした。


 美代のぎこちない態度と四郎の警戒するかのような動きは、どちらも何か隠しているように思えてならない。だが、ここで問い詰めても、恐らく美代を困らせるだけだろう。


 ステファンは、黙ってスクランブルエッグを一口頬張った。まだ、ほんのりと温かさが残っており、ステファンの混乱する心を落ち着かせてくれた。


 美代は、追求から逃れられたからか、ホッとしたように息をつき、スープの準備を始めた。


「あっ、そうだ!お飲み物!私、紅茶なら淹れることができます!ステファン様、紅茶はいかがですか?」


「ええ、美代さんが用意してくれるものなら、私は何でも頂きますよ」


 忙しげに動く美代からは、不穏な様子は無くなっている。ステファンも、ひとまず、嫌な空気が消えたことに安堵した。


 緊張していた台所は、おだやかで優しい朝食の時を取り戻している。しかし、そこで四郎が、食器棚の隅から顔をだしチクリと言い放つ。


「ふーん、ステファンって、優しいね。でも、それも、どこまでのものだか……」


 ステファンは、その小さな囁きを耳にして、スプーンを置くと四郎を一瞥した。


「シロ……お前、意外と口が達者だな……」


「別にーー。ただの猫の戯言だよーー。気にしないで、聞き流してよーー」


 四郎は気だるそうに、明らかな嫌みを言うと、眠たそうに欠伸をした。


「え、えっと、あ、あの、スープです!レタスのスープです!」


 重い雰囲気を何とかしようとしてか、美代が声を張り上げ、スープ皿をステファンへ差し出してきた。


「……レタスの?へぇ、変わったスープですね」


「あ、そのぉ、サンドウィッチのレタスが残っていたので。それに、お味噌汁では、菜っ葉を使います……レタスでもいいかなぁと思って……」


 美代なりに、異国の料理を作ろうと苦戦したようだった。その様子をステファンは微笑ましく思う。


「ありがとう。美代さん。じゃあ、頂きますね」


「沢山さん食べて下さい!でも、カールさん達の分は足りるかしら?」


 悩みながら、美代は作業台所を見つめている。


 いつの間にか、皿に山盛りのスクランブルエッグと、パンが用意されていた。


 ステファンは、美代の気遣いに感謝した。同時に、家事をこなせる能力に驚いてもいた。


 やはり、妃候補とは考えられない。


 何か、訳があるのは確かだ。


 ステファンは、美代の正体を暴かなければならないだろうと、密かに思うが、どうも気乗りがしなかった。


 甲斐甲斐しく働く美代を見ると、このまま、何も知らない方が良いのではないかと、迷い、胸も締め付けられる。


 複雑な思いで、ステファンはスプーンを口に運んだ。


 そこへ、玄関の呼び鈴が鳴った。


 カランカランと、微かに台所へ流れてくるそれに、ステファンのスプーンが宙で止まった。


 美代もまた、微かに首をかしげた。


 コツコツと玄関ホールに足音が響いている。


 カールが応対に出たのだろう。


「……こんな朝早くから、お客様が?」


 呟く美代に、ステファンは、はっとした。


「美代さん。食事をありがとう」


 早口で美代へ礼を述べたステファンはスプーンを置いて立ち上がる。


「朝早くから来客だなんて……。気になるので様子を見に行きます」


 ステファンはそのまま、台所から玄関ホールへ向かった。


(一体、誰なんだ?まさかとは思うが、カサンドラ嬢が予定を繰り上げてやって来た?)


 あの性格なら予定を変更するのもあり得ると、ステファンは、気が気ではなかった。


 玄関ホールでは、カールが渋い顔をして応対している。やはり、真似かねざる客なのかとステファンは目を凝らす。


 開かれたドアには、大工職人姿の男達が複数いた。

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