執事としての威厳を取り戻し、一歩前に出て職人たちを見据える。
「この屋敷には、この屋敷の決まりがある。職人の皆さんには屋根の点検をお願いしているだけで、それ以上の立ち入りは認められない。どうか、ご理解いただきたい」
カールの言葉に、ヤハチ親方は片眉を上げた。
こう助は、小さく舌打ちし、苛立ちを隠そうともしない。
職人たちの間でも不満の声が漏れ始め、玄関先は一触即発の空気に包まれてしまう。
「カール、少し落ち着いてくれ。親方、もう一度よく話し合おう。屋根の点検は必要だ。だが、お客様が来訪する予定でね、その準備もあるんだ。どうにか、今日中に終わる範囲で進めてもらえないか?」
ステファンは懸命に妥協点を探った。だが、その言葉が終わらないうちに、ヤハチ親方が口を開く。
「旦那さん、あっしらだって、立場ってもんがある。屋根の点検を中途半端にやって、後で雨漏りでもしたらどうするんです? その責任、旦那さんが取ってくれるんですかい?」
八代の声は低く響き、ステファンを追い詰めるようだった。
カールがステファンの横に立ち、職人たちを睨みつけた。
両者の間に緊張が走る。
その時、玄関ホールに軽い足音が響いた。
ステファンが振り返ると、そこには、朝食を乗せたトレーを持つ美代が立っていた。
途中で食事を終わらせたステファンの為に、食堂へ朝食を運んでいるようだった。
その姿に、ステファンの心臓が跳ねた。
「ステファン様、どうかしたのですか?」
美代の穏やかな声が、緊迫した空気を一瞬和らげた。しかし、次の瞬間、こう助の目がキラリと光り、八代の口角がわずかに上がる。
「おお、女中さんじゃねぇか!丁度いい、こっちに来て話してくれよ!」
ヤハチ親方が声を張り上げる。
ステファンは咄嗟に美代の前に立ちはだかり、皆の視線から隠すようにした。
「美代さん、戻ってくれ。ここは私が対応する」
「で、でも……なんだか、呼ばれてますし……」
美代が戸惑う中、カールもまたステファンの隣に並び、職人たちを牽制する。
こう助とヤハチ親方は互いに視線を交わし、何か企むような雰囲気を漂わせていた。
「旦那様、カサンドラ嬢の来訪が近い以上、これ以上事を大きくするわけにはいきません。職人達には、最低限の点検だけでも済ませて帰ってもらいましょう」
カールが囁くように提案したが、ステファンは首を振った。
「それでは彼らの不満が残るだけだ。だが、美代さんを彼らに近づけるわけにはいかない。カール、何か手はないか?」
二人が小声で相談する間、八代は腕を組み、じっとステファンとカールを見つめている。
ついに、こう助が焦れたように足を鳴らし、美代に近づこうと一歩踏み出した。
「女中さん!ちょっとだけ話したいんだ!」
その声に、美代がステファンの背後で小さく身を縮めた。
ステファンは決意を固め、大きく息を吸うと、毅然とした態度で職人たちに向き直った。
「皆さん、申し訳ないが、今日は屋根の点検を見送らせてほしい。こちらの都合が悪い。別の日に改めてお願いするよ」
その言葉に、職人たちの間にどよめきが広がった。
ヤハチ親方の目が鋭さを増し、こう助が何か言いかけたが、その瞬間、遠くから馬車の蹄の音が聞こえて来る。
全員の視線が一斉に玄関の外へと向いた。
二頭立ての馬車がゆっくりと門を潜るのが見えた。
「まさか……カサンドラ嬢?」
カールが呟き、ステファンと顔を見合わせる。
馬車の蹄の音が近づくにつれ、ステファンの胸に冷たい緊張が走った。
現れたのは、金ボタンとオーランド商会の商標を模したエンブレムが付く、赤い上着の御者が操る二頭立ての馬車だった。
職人たちのざわめきが一瞬止まり、全員の視線が注がれる。
馬車は静かに止まり、カールが慌てて駆け出しドアを開いた。
そして、馬車から優雅にステップを踏んで降り立ったのは、まぎれもなくカサンドラ嬢その人だった。
金髪を高く結い上げ、ピンク色のドレスに身を包んだ彼女は、異様な存在感を放っていた。
手には扇子を持ち、優雅に揺らしながら屋敷を見渡している。
その視線が職人たちに止まると、カサンドラの形の良い眉がわずかに吊り上がった。
「これは何?こんな朝早くから、みすぼらしい職人達がうろついてるなんて……。私の到着を台無しにする気かしら?」
カサンドラの声は甘く響くが、底に潜む蔑みが隠しきれていない。
ステファンは一瞬言葉に詰まり、カールと視線を交わした。