カサンドラの客室は、屋敷の二階にある広々とした部屋だった。
窓からは朝陽が差し込み、白いレースのカーテンが光を和らげている。
しかし、その優雅な雰囲気とは裏腹に、部屋の中はすでにカサンドラの荷物で溢れかえっていた。
馬車から運び込まれたトランクが床に散乱し、サリーが一人でそれらを片付けようと悪戦苦闘している。
「もう!こんなに荷物があるなんて……。これ、どうやって片付けるんだよ!」
サリーが愚痴をこぼしながらトランクの蓋を開けると、中から色とりどりのドレスや帽子が飛び出してきた。
あまりの量に、サリーの手が止まり、途方に暮れた表情を浮かべる。
「何をグズグズ言っているの?!あなた、メイドでしょ?!」
ドレッサーの椅子に腰かけ、鏡に見入りながら、化粧直しをしているカサンドラは、手を止めてサリーを叱った。
「も、申し訳ありません」
サリーはカサンドラの気迫に負け礼儀正しく詫びたが、この山のような作業に気が遠退いていていた。
やる気も失せる量の荷物を前にしてどう手をつけるべきか迷ってもいた。
しかし、カサンドラが厳しい言葉をかけてくる。適当な仕事は許されないのも理解している。
うんざりを越え、サリーは、すっかり心が折れてしまっていた。
「サリーさん。手伝いますよ」
そこへ、美代が静かに部屋に入ってきた。
サリーは一瞬驚いたように振り返り、援軍現れるとばかりに、すぐに安堵の息をつく。
「美代!助かる!オレ一人じゃ到底無理だっ!」
「大丈夫ですよ。一緒にやれば、すぐ終わりますから!」
美代はそう言って、さっとトランクに近づくと、手際よくドレスを取り出した。
「ちょっと!どうして、現地人がいるの?それも、私のドレスに触っているわ!!」
カサンドラが立ち上がる。
「これは、どうゆうこと?!説明してちょうだい!!」
カサンドラは声を荒げながら、戸口に佇むアリエルへ鋭い視線を投げ掛けた。
「あっ、はい、サリー一人では……ですから、美代に手伝わせて……」
ステファンの立場上、大事な来客であるとアリエルは理解しているのか、カサンドラの剣幕にも耐えている。
「あなたが、手伝えば良いでしょう?現地人なんかに荷物を触らせたら、汚れてしまうわっ!いいえ、何か盗まれるかもしれないじゃないの!!」
「あ、あの、カサンドラ様……」
言い掛かりではあるが、ある種の正論を吐き捨てられて、アリエルは動揺した。
メイドが主人の物を盗むという話はどの屋敷にもあることで、それが、異質と言える現地人の美代ならば、あり得る話ではあるのだが、まさか、手癖の悪いメイドがいると認める訳にもいかず、かといって美代が、何か盗むと決まった訳でもない。
「そ、それにつきまして、サリーが見張っておりますから……ご心配には及びません……」
アリエルは、オロオロしながら答えた。
しかし、カサンドラはムッとしながら、アリエルを睨み付ける。
「あなたも作業をしなさい!サリーとかいうこの子だって、信用できないわ!あなた、メイド長なんでしょ?何かあれば責任が取れるはずよね?いえ、まず、間違いは起こらないんじゃないの?」
容赦ないカサンドラの要望に、アリエルも口を閉ざす。
「何?その態度!私はお客様よ!ステファン様と大事なお仕事の話をしに来たの。こんなつまらないことで時間を潰す気はないわ!」
アリエルの煮え切らない態度に、カサンドラは苛立たしさをあらわにした。
「い、いえ、カサンドラ様。私は……」
カサンドラにやり込められたアリエルは、拳を握りしめ言葉少なく堪え忍んでいる。
「とにかく!さっさと、片付けて頂戴!」
甲高い叫びと共にカサンドラが歩む。ピンク色のドレスの裾が優雅に揺れるが、その表情は明らかに不機嫌そのものだった。
「私は、ステファン様と今日のお仕事について相談してくるわ。さっさと、作業をしなさい!」
妙に甘い声でステファンの名を呼んだカサンドラだったが、同時に、ちらりと美代へ送った視線には侮蔑がこもっていた。
そして、カサンドラは、何食わぬ顔でアリエルへ問いかける。
「ステファン様のお部屋はどちらかしら?」
「ご、御案内いたします!」
「そう、お願い。でも、その後、この部屋の片付けにもどりなさいよ!」
どこまでも高飛車なカサンドラに、アリエルも諦めたのか、仰せの通りにと、頭を下げる。
こうして、カサンドラは、不気味なまま、アリエルに案内されステファンの部屋へ向かった。
その絵に書いたような傲慢な態度を見送ったサリーは、チッと舌打ちする。
「ったく、なんてわがままなやつなんだよ……」
サリーが思わずぼやく。
その声には疲れが滲んでいるが、カサンドラが去ったことで少しだけ緊張が解けたようだった。
「サリーさん、大丈夫ですよ。私が手伝いますから、すぐに片付きますって!」
美代は明るい声で言うと、次々トランクに納められているドレスを手に取り広げていった。
その手際は驚くほどで、まるで普段からこうした作業に慣れているかのように、丁寧に畳まれているドレスを広げては、シワが付いていないか一着一着、確認している。
「……やっぱり、アイロンをかけた方が良いのかなぁ?」
そんな美代の姿に、サリーは、戸惑ったように見つめていたが、やがて小さく呟いた。
「美代……本当に手慣れてるな。こんなに素早く動けるなんて……。おい、美代!お前、どこでそんな技を覚えたんだ?オレなんか、ドレス広げたら、絶対裾を踏んずけるぞ?!」
サリーが言っている間に、美代の腕には、カサンドラの派手なドレスがまるで魔法のように整然と収まっていた。
「これだけの量の荷物だから……。ひとまず、クローゼットに吊るした方が早いかもしれないですよね。サリーさん!とにかく、トランクを開けてください!ドレスから片付けましょう!」
美代は、ドレスを抱え、備え付けのクローゼットの扉を開けた。
「サリーさん、ドレスはまだありますよね?ここに全部収まるかしら?」
美代は、少し困った顔をしつつも、手を止めず、ドレスをクローゼットの中へ素早く吊り下げて行く。
その自然な動きと明るい態度にサリーはただただ驚くばかりだ。
「美代、なんで、そんなに楽しそうなんだ?オレ、トランク開けるだけで気が滅入ってるぞ?!」
確かに、サリーが言う様に、運び込まれているトランクの数は相当なもので、決まって中には、ドレスが仕舞われていた。それは、気が滅入るを越える量だった。
「うん、家で、お母様のドレスの入れ替えも行っていたし、衣装合わせにも付き合わされていたから、これぐらいなんともないの」
ふふっと、楽しげに笑う美代に、サリーは首を傾げる。
「……家?お母様って?」
うっかり、素に戻ってしまった美代は慌てた。サリーにまで身元がばれてしまうのは不味い。
「え、えっと、お、奥様よ!ドレス好きな方だったの!!」
美代は、とっさに誤魔化した。
「なるほどな!お前がいた御屋敷の奥様は、衣装持ちだったったのか!オレがいた前の御屋敷の奥様は、婆さんだったから、ドレスなんか決まりきった物を着てたし……。だから、こんな量の荷物を解くなんて初めてなんだ」
サリーは、美代の言い訳に不審がることもなく、ただ困った顔をして、素直に美代へすがって来た。
「大丈夫よ。二人で取りかかればなんとかなるわ!」
「そ、そうだな!できるよな!」
サリーも、美代の気丈さにつられ、笑っている。自然と二人の間にメイドとして絆のような物が生まれていた。
美代は、サリーが騙されてくれた事にほっとしつつも、欺かなければならない事に心のなかで頭を下げていた。
このまま、なんとか誤魔化して、ここを抜け出すのだと思えば、カサンドラのわがままにも耐えられそうだった。
なにより、美代は見たのだ。
カサンドラが、アリエルに食って掛かっている時、部屋の窓から、八代と四郎がこっそり覗いていることを……。
見方が側にいると思えば、多少の事は我慢できる。それに、今は美代の得意な家事を行えば良いのだ。
煌が言ったように、暫く耐えれば良い。そう思うと、どのみち、毎日家で家事をこなしていたのだと、美代の心に余裕が出来た。
もう少し、もう少しだけの我慢。
そう思い、美代は与えられている仕事に精を出す。
サリーも美代の働きに感化されたのか、黙々と仕事をこなし始めた。
忙しさの中にも、なんとなく柔らかな雰囲気が生まれたが、美代の心の隅で、何かが引っ掛かった。
──穏やかな笑み。
カサンドラから、必死に庇ってくれたステファンの姿──。
美代の心がチクリと傷む。
何故か、ステファンの事を思い出した。
それが、何を意味しているのか美代も分からない。
そうだ、カメラだ!と、思ったが、カサンドラも、カメラに詳しそうだった。ステファンにも自由に会うことができる。ならば……。
カサンドラと仲良くなり、カメラの事を探る方法がある。
かなり無謀な考えの様な気もしたが、煌と八代にばかり負担をかけるのも申し訳ない。
少なくとも、美代はこの屋敷の中にいる。カメラのありかぐらいは探るべきだ。
よし、と決意を新たにし、美代は何事もないかの様に、サリーが差し出して来たドレスを受け取ると、クローゼットに吊り下げた。