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第86話

 煌と八代は、ステファンの慌てようにチラリと顔を見合わせた。


 二人は、美代にもっと近づく為、そして、問題のカメラをなんとかして手に入れる為、屋敷の中へ自由に立ち入れればと考えていたのだ。


 そして、ステファンへ術をかけ、自由に立ち入ろうと企てたが、何故か、術が通用しない。


 不思議なことに、美代も術にかかることはなかった。


 子供の頃、八代が、我儘を言う美代に術をかけ、言いつけを守らせようとしたのだが、見事に空回りしてしまった。


 皆は、さすが妃候補と関心したが、実のところ、美代は鈍感なだけではと、煌も八代も感じていた。そして、もう一人、術にかからない人間、ステファンが現れ、どうしたものかと焦ってしまう。


 どうすれば、隠密として潜り込むのではなく、自然に屋敷へ入り込めるのか?あのカサンドラという女に振り回され混乱している状況下では、色々と困難だろうと読み、ステファンへ術をかけたのに……。


 そのステファンが、なぜか煌達の話に乗って来そうな勢いを見せている。


「へぃ、なんでしょう?」


 八代こと、ヤハチ親方は、平静を保ちながらステファンを見る。


「何でも出来ると言ったね?剪定はどうだろう?できるかい?高い木が一本あるんだよ」


 ステファンは、事情を話し始めた。


 美代と一緒に剪定作業をしたと聞かされた煌と八代は、驚きよりも怒りが湧いたが、今は事を荒立たさてはならない。


「お安い御用ですぜ!旦那さん、うちは、剪定もやってんですよ。大工仕事で修理に伺うと、案外剪定作業は?と、旦那さんのように尋ねられる事が多くて……」


「これは!好都合!親方!庭の剪定を頼めるかい?」


 ステファンが弾けた。


「もちろんでさぁ!ですが、それだと、今日中には終わりませんぜ?」


「ああ!そうだな。しかし、あのまま、放置はできない。構わないよ。いや、もう、この際だ。屋根の点検もだが、屋敷の中も見てくれ。傷んでいる所は多いはずだから……」


「へい。かしこまりました。それでは、仰せの通りに。どうか、安心してお出かけを!」


 偶然の産物で、煌と八代はステファンから屋敷への立ち入りを取り付けた。


 思い通りになったとばかりに、八代は、大工の親方として、いかにも誇りを持っているとばかりに胸をポンと叩いてステファンへ答えたが、内心では、カメラを見つけられるとやる気になっている。


「あっ、来た!」


 煌が、こう助として、幼さから場の空気を読めない振りをして、指差した。


 先には、クリーム色のドレスを来て、扇を優雅に揺らしているカサンドラの姿がある。


「これ、こう助!旦那、失礼しやした。あっしらは、これで……。御屋敷の事はどうぞおまかせくだせぇ」


 品位に欠けると、八代は、親方として、こう助を注意しつつ、ステファンを伺った。


「ああ、親方、宜しく頼む」


 言って、ステファンが会釈をした所、


「ステファン様!なんですの?!この者達は!私がいるのに、作業を続けているのはなぜですの?!」


 玄関に一人佇むカサンドラは、ぐるりと見渡し、作業に勤しむ職人達の姿を確認した。


「あっ、ええ、彼らに屋敷の点検を頼んでいるのです。この屋敷も手入れが不十分ですから」


 ステファンは、渋々口を開く。


「お言葉ですが、こんなに、バタバタされては、私は落ち着きませんことよ!」


 カサンドラは、扇を口元に当てて、下等なものを見るかのように目を細める。


「しかし!カサンドラ嬢!あなたが、予定よりも早く到着したのだから、バタバタしていても仕方ない!」


 ステファンは、さっと踵を返し、馬車の扉を開けて乗り込もうとした。


「えっ!ステファン様?!私、どうすれば?一人で馬車に乗るのですか?!」


「ああ、手はお貸しします。どうぞ馬車へ」


 ステファンのぞんざいな口振りに、カサンドラは呆然としつつ、扇をパタンと閉じると地面へ投げつける。


「エスコートがないって、どういうことなの!」


 誰に言うわけでもなく、カサンドラはひどく苛ついた。


 周囲の空気が一瞬にして張り詰める。


 馬車の扉を開けたまま、ステファンは、カサンドラの態度に眉を寄せながらも冷静を装っている。


「エスコートがどうとか言っている場合じゃないでしょう、カサンドラ嬢。大使館へは遊びに行くわけでは無いのです。私の出勤時間というものもある。遅れれば、オーランド商会の評判に関わるでしょう。さあ、早く乗ってください」


 ステファンの声は低く抑えられていたが、その中に滲む苛立ちは明らかだった。


 カサンドラは一瞬、目を丸くしてステファンを睨み返したが、やがて唇を尖らせ、仕方なさそうに馬車へ近づいた。


「本当にステファン様って、優雅さのかけらもないんだから……」


 ぶつぶつと文句を言いながら、カサンドラはステファンが差し出した手を無視すると、自力でステップに足を乗せ、馬車に乗り込んだ。


 その動きはぎこちなく、クリーム色のドレスの裾がめくり上がり乱れるが、カサンドラ本人は気付かぬふりで座席にどっかりと腰を下ろした。


「優雅さ以前に、時間厳守が大事でしょう?私は、大使館へ出勤しなければならないのですよ」


 ステファンはため息をつきながら馬車に乗り込み、扉を閉める。


 御者が鞭を鳴らすと、馬車はゆっくりと動き出し、玄関の前から遠ざかっていった。


 カサンドラは窓の外を眺めながら、なおも不満げに扇を拾わなかったことを悔やむように呟いている。


「あの扇、お気に入りだったのに……。ステファン様が拾ってくれても良かったのに……」


「拾う暇があったら、さっさと乗れば済む話です」


 ステファンのそっけない返答に、カサンドラは「もう!」と声を上げ、頬を膨らませた。


 しかし、ステファンはそれ以上相手にせず、懐中時計を取り出して時間を確認する。


 その渋い表情は、まさにカサンドラに振り回されながらも付き合うしかない状況に辟易しているようだった。


 すると、カサンドラが再び我儘を炸裂させた。


「ステファン様、大使館に着いたら、私をちゃんとエスコートしてくださいね。さっきみたいに放ったらかしにされたら、私、泣くんだから!」


 ステファンは窓の外を見ながら、深くため息をつく。


「泣くなら静かにしてください。せめて大使館では大人しくしていてくれれば、それで十分です」


「何!? 大人しくって、私を誰だと思ってるの! オーランド商会の名代みょうだいよ!」


 カサンドラの声が馬車内に響き渡り、ステファンは額を押さえて目を閉じた。


 渋い顔がさらに渋さを増し、ステファンの我慢が限界に近づいているのは明らかだった。しかし、カサンドラにはそんな気配すら気付かず、得意げに髪をかき上げ、次の要求を口にしようとしていた。


 大使館への道のりは、まだ少し長い。ステファンの忍耐と、カサンドラの我儘がどこまで続くのかは、誰にも分からないことだった。



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