そんな殺伐とした馬車を、ヤハチ親方とこう助は、ニヤつきながら見送っていた。
「お頭、それでは、この八代、カメラを探しに潜入致します」
「ああ、頼む八代。執事のカールとやらには気をつけろ。術の使用も許可する」
「……しかし、先程はステファンには術がかかりませんでした。ひょっとしたら、執事も……。お頭、異国人には、かからないのでしょうか?」
疑問を提する八代に、煌も首を捻った。
言われてみれば、そうだ。
ひょっとしたら、隠密の術は、異国人には通用しないのかもしれない。
「……八代。それを確かめる為にも、屋敷に侵入し上手く立ち回れ。あの執事に近寄り、術がかかるか確かめるのだ」
カールに術をかけ、協力者にしてしまえば動きやすくなるはず。疑念の目を向けられることもなくなり、案外、カメラの在処を知っているかもしれない。
煌の言葉に八代は、なるほどと呟いた。
「確かにあの者を押さえれば事は簡単になります。そして、術が、かからなければ、異国人に我々の力は及ばないということに……」
八代は、じっと考えているが煌が、素早く反応した。
「八代!我らが及ばないだと?!口を慎め!我らは、もったいなくも帝にも拝謁できる、隠密という立場!それを、なんと言った?!」
「も、申し訳御座いません!お頭!わ、私とした事がっ!」
今にも跪いて頭を下げそうになる八代へ、煌が睨みを効かせた。
「お前は、ヤハチ親方ではないのか!」
見習い少年、こう助に従う親方がいるかと、煌は、八代に立場を分からせる。
八代は、顔色を変え、さっと辺りを見回した。
とりあえずは、身内のみ、大工職人の振りをしている隠密達だけしかいない。
渦中のカール、そして、他の使用人の姿も見えない。
ステファンの屋敷の者達に、今までのやり取りは見られていないということだ。
「うん、こう助、お前はどうする?屋敷の中へついて来るか?」
ヤハチ親方へ、八代が戻った姿を見て、煌は満足気に頷いた。
「親方!庭の剪定がどうの言ってましたよね。おれ、庭に行ってみます!」
こちらも、見習いのこう助の顔になり、それらしく答える。
「おお、そうか。そんじゃあ、兄貴分と一緒に庭へまわれ」
「へぇーい!親方!」
こう助の声が高らかに響き渡った。
──そして、大使館へ向かう馬車の中でも、カサンドラの叫び声が響き渡っている。
「余計な事とはどういうことですの?!」
「私は、いつも通り出勤するだけです。それを、カメラの売り込みに専念するとか、居留地の重鎮達へ挨拶回りに行くとか……。それは、私にとって余計な事なのです。私は、与えられた仕事をこなす義務があります。あなたのお相手はできません」
ステファンは、変わらず渋い顔でカサンドラへ言い切った。
たちまち、互いの膝が触れそうになるほど、カサンドラは身を乗り出しステファンへ詰め寄る。
「何が、余計な事ですの?!ステファン様は、新型のカメラを売り込んでいらっしゃる!それをお手伝いして何が悪いのですか?!我がオーランド商会の仕事でもありますわっ!」
カサンドラは興奮から、顔を真っ赤にして自身の言い分を押し通した。
「ですから!なぜ、私の仕事をいきなり手伝うなどと押しかけて来られたのですか?!ましてや、大使へ挨拶など……」
ステファンが、おもむろに嫌な顔をした。
「あら?いけなくて?」
カサンドラは聞く耳持たずで微笑んでいる。
そんな強引なカサンドラの態度にステファンは内心弱りきった。
そうこうするうち、馬車が大使館の門前に到着する。
ステファンは一刻も早くこの息苦しい空間から解放されたいと願い、さっと扉を開けると素早く馬車を降りる。
背後でカサンドラが「ステファン様!」と不満げに声を上げるが、聞こえないふりをして歩き始めた。
「本当に、優雅さのかけらもないんだから! 大使館に到着したのですから、ちゃんとエスコートしてくださるべきですわ!」
カサンドラがクリーム色のドレスの裾を少し持ち上げ、慌ててステファンの後を追う。
しかし、ステファンにはただの騒がしい足音にしか聞こえなかった。そして、低い声で呟く。
「エスコートが必要なら、馬車の御者にでも頼んでください。私は仕事に来たのです。遊びではない」
冷たい言葉に、カサンドラは一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直し、ステファンの横に並ぶと得意げに胸を張った。
「遊びだなんて、誰がそんなこと言いましたの? 私だって、オーランド商会の名代として、ここにいるのです。ステファン様の仕事をお手伝いする義務がありますわ。お仕事もスムーズに進みますわよ!」
ステファンは立ち止まり、カサンドラを一瞥する。その視線は明らかに苛立ちを隠しきれていなかった。
「スムーズに進む? あなたがいることで、私の仕事が倍に増えるだけです。カメラの売り込みは私の管轄です。あなたには関係ありません」
「関係ないですって?! オーランド商会が仕切る商会ですわよ! ステファン様が売り込む新型カメラだって、うちの資金とコネクションがあってこそでしょう? 私がサポートするのは当然です!」
カサンドラの声が大使館の門前で響き、衛兵がちらりとこちらを見た。
ステファンは額を押さえ、深いため息をつく。彼女の言い分は確かに一理あるが、その押しつけがましい態度が我慢ならないのだ。
「サポートなら、黙って見守るだけで十分です。それ以上は余計なことです。さあ、私は仕事がありますから」
ステファンはそう言い残し、大使館の建物へと足早に向かう。だが、カサンドラは諦める様子もなく、彼の後を追いながらさらに声を張り上げた。
「黙って見守るなんて、私にはできません! ステファン様には私の力が必要なんです。それに、大使だって、私が一緒なら歓迎しますわよ。オーランド商会の名は、この居留地でも知れ渡ってますもの!」
ステファンは内心、「その名前のせいで面倒が増えるのだ」と毒づきたかったが、口に出すのは我慢した。
大使館の重厚な扉が開き、彼が中へ入ろうとした瞬間、カサンドラがすばやくステファンの腕に手を絡ませた。
「何!?」
驚いたステファンが振り払おうとするが、カサンドラはにっこり笑ってさらに力を込める。
「大使館では、私をちゃんとエスコートしてくださいね。ステファン様のサポートをするためにも、私にはその権利がありますもの」
「権利? 勝手なことを……」
ステファンが抗議する間もなく、二人は大使館へと足を踏み入れた。
すると、なぜか受付係りに声をかけられ、大使がお待ちだと告げられる。
カサンドラの到着を予期していたかのような言葉に、ステファンは驚くが、来客を接待する広間へ行くようにと言いつけられた。
「あら、もしかしてお待たせしてしまったかしら?」
カサンドラが軽口を叩く。
受付係りは、特に気にする素振りも見せず、自分の役目を果たしたとばかりに足早に立ち去っていく。
その姿に、ステファンは、ひょっとしてカサンドラが大使へも予め面談の話をを取り付けていたのではないかと気がついた。
だから執拗に同行すると言い張ったのだとステファンは思うが、もう、腕を組まれある意味身動きが取れない状況に、はめられたとしか言いようがなく、悔しさから自然と顔が歪んだ。
コツコツと、ステファン、カサンドラの足音が廊下に響く。
大使が待つ広間まで歩む間も、当然カサンドラはステファンにすがりつく様に腕を回して来ていた。
嫌悪しか感じえないステファンだが、ここは、大使館であり、自身の職場でもあることから、カサンドラのなすがまま、不快になりながらもエスコートを続けるしかなかった。
こうして、嫌々ながらステファンはカサンドラに従う事になり、内心は複雑だった。
甘い顔をすれば、ますますつけ上がる。しかも、カサンドラの方が手腕が上であるという事実から逃げられないのも、我慢ならなかった。