美代はそんなサリーの無邪気さに少しだけホッとしながらも、八代のあまりの自然さに逆に不安が募る。隠密がここまで堂々と振る舞えるなんて、どれだけ綿密に計画を立てているのだろうか。
「じゃあ、ヤシロ!賄いは任せた! 俺、この猫を飼う準備するから!」
サリーが四郎を撫でながら言うと、ヤシロは「了解した」と軽く頷き、さっそく食材を確認し始めた。
美代はそんな料理人の背中をじっと見つめながら、頭の中で考えを整理しようとする。
ステファンの部屋を探れと言われた。
カサンドラのメモにあった「婚約」や「新居」の話も気になるが、カメラの在処を突き止めるのが最優先……。だが、ステファンがカサンドラと本当に婚約するなら、この屋敷を出ていくかもしれない。
美代の思考はぐるぐると渦を巻き、なかなかまとまらない。
そこへ、煌が、こう助の声で無邪気に割り込んできた。
「なあ、猫の名前、どうする? シロって呼んでいいかなぁ? なんか、白くてピッタリじゃねか?」
美代は一瞬ハッとして、煌を見やる。四郎をシロと呼ぶとは、隠密としての正体を隠すための完璧な技だ。
サリーは、頬を緩ませ
「シロ! いいね、それで決まり!」
と盛り上がっている。
「う、うん、シロでいいと思うよ……可愛い名前だね」
美代はなんとか笑顔を作りながら答えるが、内心では四郎の鋭い目つきが気になって仕方ない。
まるで
「美代、お前もちゃんと動けよ」
と言われているような気がした。
その時、ドタバタと足音が聞こえてきた。美代とサリーが同時に振り向くと、アリエルが息を切らして台所へ飛び込んできた。
「美代! サリー! 部屋の掃除を手伝ってちょうだい!いえ、それよりも!!大変なことになっているのよ!」
アリエルの声は上ずっていて、明らかに何か焦っている様子に見えた。
「大変って!? アリエルさん、落ち着いて話してくださいよっ!」
サリーが、こう助へ四郎預け、アリエルに詰め寄ると、アリエルは手を振ってなんとか言葉を絞り出す。
「カールが……変なのよ! ステファン様の部屋に大工達を案内して!なんだか酷くボーッとしてて!私の問いかけにも応じない!」
美代の頭の中で、ピンと何かが弾けた。
「カールさんが変って、どういうことですか?!」
美代は、取り乱すアリエルへ詰め寄っていた。
八代がさっき言っていた「ステファンの部屋を探れ」という言葉が頭をよぎり、胸のざわつきが一気に高まった。
「とにかく、二人とも来て頂戴! カールの様子を見て!」
アリエルが、連れて行こうと、美代の手を掴もうとするが、サリーが割って入った。
「アリエルさん!カールさんがおかしいって、さっきオレも思ったんですよ! 急に料理人雇ったとか言い出して、なんかボーッとしてたし……」
サリーの言葉に、美代は小さく頷きながら、ちらりと八代と煌を見る。
八代は野菜を切りながら、まるで何も聞こえていないかのように振る舞っている。
煌も四郎こと、シロを抱え、
「へえ、執事さんが変?」
などと無邪気に首を傾げている。
だが、美代にはその二人の態度があまりにも不自然に思えた。
美代は再び、頭の中で状況を整理しようとする。
カールがおかしいのは、きっと隠密の「術」のせいだ。
ステファン様の部屋に、大工職人、つまり、隠密達が入ったなら、カメラを探してる?
ただ、もし見つからなかったら……。
大工仕事の期限というものがある。それに、カサンドラとの婚約の話が本当なら、ステファンはこの屋敷を出ていくかもしれない。
(そこで、私が、動かないと…… いけない?)
美代は、ギュッと身に着けているエプロンの端を掴んだ。
「アリエルさん、じゃあ、みんなでカールさんのとこ行ってみましょうよ!ほんと、 なんか怪しい感じするし、放っとけないっす!」
サリーがアリエルの言葉に乗った。
美代も迷ったが、八代と煌の視線を感じ、意を決した。
「サリーさん、行きましょう。私も気になります……カールさんが大丈夫か、確かめたいです」
美代はそう言うと、八代に一瞬だけ目を合わせた。八代は小さく頷き、まるで「上手くやれよ」と無言で伝えているようだった。