台所を出る直前、美代は四郎が作業台の上でしっぽをゆったり振っているのに気づいた。こう助は、裏口で佇みながら、ヤシロは、野菜を洗いながらも、美代へ視線を送って来る。
それはまるで、事が動き始めたと告げているように見え、美代の心臓がまたドキリと鳴った。
こうして、美代、サリー、アリエルの三人は急ぎ足で、カールの様子を伺う為に、ステファンの部屋へと向かう。
時折、屋根から作業音が響くが、それがかえって不気味な雰囲気を醸し出していた。
「なにか変な感じ…… 屋敷が、静かすぎる……」
柄にもなく、アリエルが怯えた素振りで囁くと、サリーが鼻を鳴らした。
「そりゃ、アリエルさん、あんだけ騒がしかったカサンドラ様が、いないからでしょ!」
サリーの呑気な言葉に、美代は話を合わせる事で、小さく頷きながらも、内心では別のことを考えていた。
八代や煌が大胆に動いてる。カメラの在処に何か確信があるのか、それほどまで、焦っているのか。
勘の鋭いアリエルは、カールの異変に気がついた。術をかけられていると……もしかしたら、バレるかもしれない。
ステファンの部屋の近くまで来た時、廊下の奥からカールの声が聞こえてきた。
そこには、アリエルでなくとも気がつくおかしさがあった。どこか力なく、たどたどしく、絶対的にカールではない喋り方だった。
「……こちらが……ステファン様の部屋です……必要な修理を……どうぞ……」
美代たちは思わず足を止め、物陰に隠れて様子を窺った。
カールが二人の大工——おそらく八代の配下だろう——を連れて、扉を開けている。
カールの目はどこか虚ろで、まるで操り人形のようなぎこちなさがある。
「カールは、絶対おかしい……。いつもなら、ステファン様の部屋に誰も入れないって言うのに……」
アリエルが震える声で囁く。サリーも眉を寄せ、珍しく真剣な顔で頷いた。
「だな。なんか、ヤバい感じするぞ。うん、 このまま突っ込むか?!」
美代は一瞬言葉に詰まった。突っ込めば、八代たちの計画を邪魔することになるかもしれない。
「う、うん、でも、急に突っ込むのは危ないかも……。カールさんに衝突しても大変だし、もう少し、様子を見てみようよ」
美代はなんとか冷静を装いながら提案した。
サリーは
「チッ、面倒くせぇな」
と舌打ちしたが、アリエルが美代の意見に賛同したため、ひとまず三人は廊下に置かれてあるブロンズ像の陰で息を潜めた。
部屋の中からは、大工たちの低い話し声が漏れ聞こえてくる。
「……ここか。あれ、はどこだ?」
「カールに聞けよ。あいつ、術にかかってるから何でも答えるはずだ」
「静かにしろ。カメラが見つかるまでは慎重に動けって、八代様から言われてんだろ」
美代の耳に「カメラ」という言葉が飛び込んできて、心臓が跳ね上がった。
やっぱり、八代たちはカメラを探してる。ステファンの部屋に何か手がかりを求めているのだろう。
その時、カールがふらりとステファンの部屋から出てきた。
美代たちは慌てて身を縮め、息を殺す。カールの足取りはどこか頼りなく、まるで夢遊病者のようだった。
「カール……本当に大丈夫なの……?」
アリエルは、実の妹の顔になり、涙目で囁く。
美代はカールの姿を見ながら、八代の「術」の恐ろしさを改めて感じていた。
こんな風に人を操れるなんて、隠密は、本当に何でもできる。しかし、こんなことが、許されるのかと疑問も湧ていた。
「よし、美代、オレがカールさんを連れてくる! アリエルさんを見たら元にもどるかも!」
サリーが突然、勢いよくカールの方へ向かおうとする。美代は慌ててサリーの腕を掴んだ。
「待って、サリーさん。連れて来なくても、私達が行けば……」
「そう、だな。うん、なにやってんだ?!オレ達!」
サリーが、動きを止めた。
その瞬間、部屋の中からドンッと大きな音が響いた。
「なんなんだ!?」
サリーが叫ぶ。アリエルも息を飲む。
「ヤバい、書棚倒しちまった!!」
大工の声が響く。
美代は一瞬の隙を見逃さず、決心した。
「サリーさん、アリエルさん、私、書斎見てくる! カールさんは二人で頼むね!」
美代はそう言うと、二人を置いてステファンの部屋の扉へと駆け寄った。
心臓がバクバクと鳴り、カサンドラのメモや、八代の言葉で、美代の頭の中はぐちゃぐちゃになっている、しかし、今、動くしかない。隠密と共にカメラを探せるかもしれないのだから。
部屋の中に入ると、大工達が倒れた棚の前で慌てて荷物を片付けている。美代は息を整え、できるだけ自然に振る舞おうと努めた。
「あ、あの! 大丈夫ですか? 何か落ちた音がして……」
美代の声に、大工がギクリと振り返る。その目には、明らかに動揺が浮かんでいた。
「お、お前は、メイド……。い、いや!!み、美代様?! ただ、棚が倒れただけです……!」
大工の声はどこか上ずっているが、美代の顔を知っているということは、やはり、ただの大工職人ではなく、隠密ということだろう。そして、カメラの在処を探しているのだ。
「そ、そうなんですね。じゃあ、私、片付けるの手伝います! ステファン様のお部屋ですから。散らかっちゃダメですもんね!」
美代はわざと明るく振る舞いながら、倒れた棚に近づいた。そこには、書類や本、ステファンの私物が散乱している。
大工は美代をチラリと見るが、明らかに動揺している様子だった。
「い、いえ。ここは、あっしらで片付けますから!あっしらが粗相したんです!み、美代様、いや、メイドさんに手伝わせるなんて、親方に見られたら……」
「え、でも、みんなで片付けた方が早いですよ!散らかったままだとカールさんに怒られちゃうし……あ、ステファン様の書類、こんなとこに置いちゃダメですよね!」
美代はわざと慌てたふりをして、散らばった書類を手に取った。
その瞬間、書類の間に挟まった小さな革のケースが目に入った。見たことのない形——もしかして、これがカメラ!?
心臓が跳ね上がり、美代は咄嗟にケースを手に取ろうとした。だが、その瞬間、大工も「何!?」と声を上げ、手を伸ばしてきた。
きっと、これがカメラなのだろう。
美代はケースを握りしめ、立ちすくむ。
大工達の目が鋭く光り、一気に緊張が高まった。
その時、部屋の扉がバンッと開いた。
「美代! これなんだよ!どうしたんだぁ?!」
サリーの声が響き、カールと、その腕を掴んで支えるアリエルが後ろに立っている。
カールの目はまだ虚ろで、まるで何も理解していないようだった。
美代はケースを握ったまま、頭が真っ白になった。皆は、何も知らない。
このケースを戸棚に仕舞うべきなのか。いや、このまま、美代が持ち去るという事も考えられる。
どう、何をすべきか分からない。
すると、廊下から、ゆっくりと足音が近づいてきた。
「おい!何があったんだ!大きな音がしたぜ!オメェら何しやがったっ!」
低く、慌てた声が流れる。
美代が振り返ると、そこには八代が、ヤハチ親方としての姿で立っていた。粗相を犯したであろう配下の職人を、叱りつけている。
その隣では、こう助が、何事が起こったのかと呆れながらも、職人達へ鋭い目を向けている。
煌の足元では、四郎がしっぽを揺らしていた。
まるで全てを見透かしたような目で美代を見つめるために──。