同じ頃、そのステファンは、カサンドラと一緒に馬車に揺られていた。
大使館での、カサンドラの発言、婚約したと言い切った事に、怒り心頭だった。
「カサンドラ嬢!あなた、一体、何のつもりですか!」
「あら?何のことかしら?」
カサンドラは、声を荒げるステファンを気に留めることなく、窓から外の景色に見入っている。
「なんだか、居留地って地味ね。ステファン様、そう思わなくて?」
「……地味ですか?!ここは、日ノ本の国の貿易の拠点でもある場所です。限られた土地にこれだけの街並み。それのどこが地味なのですかっ!あなたも、商家の生まれなら、もっと、この場所の重要性を考えるべきだ!」
「あら?私、ちゃんと考えてますわよ?ステファン様と、婚約して、結婚するの。そうすれば、話題作りにもなるでしょう?すると、カメラだけじゃなく、他の商品の商談もスムーズに運ぶはずよ?」
ふふっと、カサンドラは呑気に笑った。
「だからっ!その婚約!私は何も聞いていない。そして、認めてもいない!」
ステファンは、らしくない程の怒りをカサンドラへぶつけた。
「まあ!ステファン様って以外と純粋なのね!やっぱり、私が側で、商売について教えてあげなきゃいけないようね」
なお、カサンドラは挑発的に笑った。
「あなたに教えてもらうことはありません!そして、婚約、結婚など、なおさらありえません!」
「まあ、今だけでしょうね。そんな事を言えるのは。我がオーランド商会の力添えがあれば、いずれ、ステファン様は、大使にだってなれるわ」
意地悪く目を細め、カサンドラは、身を乗り出して来た。
向かい側に座るカサンドラの膝が当たりそうになり、ステファンは、すっと足をずらして嫌悪感を示した。
「もう、つれないわね。でも、まあ、それも今だけ。すぐに、オーランド商会の力を見ることになる。そうしたら、きっと、考えが変わるはずよ」
カサンドラは、自信あり気に口角をいやらしく上げた。
「なにを、身勝手な!あなたという人は!!」
ステファンの、頬は怒りから赤く染まっていた。まさに、頭から湯気が出る状態だった。
「あー、新居を探さなくちゃ!今のお屋敷だと、街の中心部から離れて過ぎている。地味も地味。私には不釣り合いだもの。ねえ、これから新居探しに行きましょうよ!」
「新居!?」
「そうね、噴水があるような広場が望められる場所がいいわ!」
意地悪く笑っていたカサンドラは、すでに気持ちは上の空で、頬が緩んでいる。
新居、すなわちステファンと暮らす気満々で、カサンドラの余裕は、まるで、手ぐすねを引いて待っているかのように見えた。
「新居だなんて!何を!!」
カサンドラのあまりの図々しさに、ステファンはさらに怒るが、当の本人は、何食わぬ顔で、再び窓から、外を眺めている。まるで、新居を物色するかのように……。
ステファンの腸は煮えくり返っていた。膝の上で拳を握りしめ、必死に堪えていた。
その怒りの中に、一筋の光のような物が差し込めてくる。
美代の姿だった。あれこれ、大騒ぎの末、美代とも一緒に馬車に乗った。しかし、あの時はこんな感じではなく、どちらかと言うと安らぎすら覚えた。
(いや、美代さんは……あの時は、具合が悪かったから……)
ふと、言い訳がましい事を考えて、ステファンは首を振る。
これ以上美代のことを考えるのは……。いや、ここで、どうして美代が出てきたのか。
ステファンは、愕然とした。
この感情は、なんなのだろう。
これは、行き過ぎた感情なのではないのか?
しかし、後ろ髪を引かれるようなこの寂しさは、なんなのか……。
自分の、心の内に翻弄されたステファンの表情は硬い。
「あら?ステファン様?なんだか顔色が悪いですよ?」
空々しくも、カサンドラが労りの声を来てくる。
「きっと、あなたと、いるからですよ!」
「え?!」
ステファンの、挑むような答えに、カサンドラは目を丸くした。
たちまち馬車の中に、殺伐とした空気が流れる。
しかし、何事もなかったかのように馬車は静かに進んで行っている。
それが、歯がゆいのか、ステファンに冷たい言葉をかけられたからなのか、カサンドラは不機嫌そうにフンと、鼻を鳴らした。
「もうすぐ、屋敷に着きます。今日は大人しくしておいてください。私の予定が台無しになった。こうして、カサンドラ嬢、あなたを送らなければならなくなったからですからね。ですから、こちらの言うことは、しっかり守っていただかないと……」
「なんなの!ステファン様!大使館では、大人しかったのに!それに、大使だって、二人で出かけて来なさいって仰ったわよね!?」
「それは、あなたが、居留地をみたいと駄々をこねたからでしょう!大使も気を使った、社交辞令みたいなものです。何しろ、あなたの後ろには、オーランド商会がいますからね!」
ステファンも負けじとばかりに、噛みついた。
そのあり様に、カサンドラは、ますます不機嫌になり、プイと顔をそらさて窓の外を眺める。
重く険悪な空気が流れるまま、馬車は、ステファンの屋敷に到着した。