「えっと、で――あんた、なに?」
テーブルに置いた本は微動だにしないが、はきはきと喋り始めた。
「よくぞ聞いてくれましたね。私はリネーハに関する全ての記録が残されている本、いわば持ち運び可能な図書館なのです。リネーハの歴史や観光所、生態や文化まで、その全てを網羅したのが、この私、本なのです」
「へえ、すごいじゃん」
よく見る売れない分厚い本の売り文句じゃないか、などと言うとカンカンに怒りそうだったので止しておいた。デリカシーはないが、面倒事を避ける勘はある。
「ところで、そんな大層なご本様なのに、名前はないの?」
「多分あるんでしょうけど」
意気揚々とした喋り口は途端に弱まり、そこからは年頃のしおらしさが覗いた。
「私には記録が残されていますが、その実、私自身の記憶というのは一切なく――出自や生み出された目的も不明なのです」
「じゃあ、自分が何歳だとかも分からないし、聖物か呪物かも分からない、と」
「はい――それに昔はもっと力があったので、自力でお話することもできましたの。しかし時間が経つと共に、私の存在は忘れ去られて――歳月と埃を被ってしまった白紙の本となってしまったのです。今や、自分にどんな力があったかもおぼろげで」
「自分で自分の記録残してたりしないの?」
軽い気持ちで聞いてみたが、本は憤慨した。
「あなた、本の余った白紙のページに自分のこと書きますの!?」
想像以上の剣幕に、私は頭を掻いた。
「そういう感じになるんだ――いや、難しいな、本の価値観」
「私は本と言えども命ある本、人間と同じように扱ってくださいな」
ふん、とでも顔を逸らすような絵が目に浮かぶ。
難しいことを言うが、意思疎通は取れてきた。目や口、それら含めた表情が見えないから心持ちを察するのは困難と思われたが、感情表現が豊かだ。目を覗き込むまでもない。
「そういえば、あんた、白紙のページばっかりだけど、どこに記録があるの?」
一番気になっていたことを聞くと、深くわざとらしいため息をした。
「はあ、これだから素人は。あなた、図書館に言ったとき、まず何をしますの?」
悪い奴でないのは分かったけれど、この鼻につく態度はどうにかならないだろうか。だけれど、言ったところで、倍になって言い返されるだろうから、私は素直に答えた。
「えっと、本棚を見るけど」
返答まで少し間が空く。多分、身体があったら、うんうんと頷いているだろう。
「じゃあ、全ての本、街一つの本全てが詰まっている図書館でも、あなた、同じことしますの?」
「いいや、さすがに司書に聞くね。腕のいい司書だったら数分で宛てをつけてくれる」
「そうですね、その通りです。なんだ、あなたも使ったことあるんじゃないですか。じゃあ答えは簡単です。ここに、誰よりも腕のいい司書がいるんですから」
「つまり、君に聞けば本を持ってきてくれるってこと?」
「私以外の本を読むですって!? 不敬ですよ!」
本は、また分からないところで憤慨した。
「めんど――ただの例えじゃん――」
頭の中に直接響いてくる声だというのに、そのヒステリックな声に、思わず耳を塞いでいた。本は咳払いを私の脳内に投げ込むと、落ち着き払った体で話を続ける。
「そうですか、失敬。つい。ええと、そうですね。あなたの希望に該当する記録を、私がページに書き記します。書く、といってもこの動作はすぐに終了するものですから、あなたはものの数秒で該当記録を読むことができるわけですね」
「なるほど、そうか――」
そうなると、この退屈な夜の時間を簡単に潰せるかもしれない。
「じゃあ、リネーハのざっくりとした歴史、知りたいんだけれど。街の人にいちいち聞いてるとキリがないから。あと、あんま難しい言葉遣いはナシね。私、学がないからさ」
本は得意げに答える。
「問題ございません。私がついていれば、どんな難解な書物も他の記録と照らして、噛み砕くことが可能なのですから。知識の分断は、私の前では無力です」
「じゃあ、そのお力、見せてもらおうかな」
言いながら、本を手に取って開くと、すでにそこは白紙のページではなかった。内容に軽く目を通してみると、確かにリネーハの歴史のようだ。ただ、他の文献から引っ張ってきた文字なのだろうか、形が違うものもいくつかある。
「ねえ、あんたの記録とやらには手書きの本もあるの?」
「あ、それは私の文字です。綺麗でしょう?」
「いや、あんた、本に自分の文字書いてんじゃん」
私は頭を掻きながら聞いたが、本はあっけらかんと答えた。
「別にこれは消せるので気にしてないです」
本の価値観は、相変わらず分からない。
リネーハの歴史は長いが、その多くは記録に残らず、文化として残ってます。リネーハが職人の街っていうのは知ってるって話だったので、ここは中略しますが、つまり、今日明日を生きるのに必死な人達ばかりでそんな記録を残している場合じゃなかったんです。
ですから、リネーハの記録が詳しく残っているのは、リネーハが大規模な街になり始めた頃。街にやってきた移民が、リネーハの服飾品を世に広め始めたところからです。
この移民たちはもともと商人としての経験があったわけではないんですが、その才がありました。なので、お金をじゃらじゃら稼いだ移民は、次第に力を持ち始め、糸にしか興味がない職人たちに変わって、街を整備したわけです。実質的な支配ですね。
「なるほどね、反発はなかったわけ?」
「当時の職人って、今で言う神官くらいの高貴さで扱われていて、外から見たら統治権は移民にあるけども、内から見たら小間使いのような扱いだったらしいです」
「そりゃあ、彼らも気をよくするわけだ」
ですが、力を持っているのは、どう誤魔化してもこの移民たち。いずれ移民は職人を担ぎ上げていくつかの商会のようなグループに分かれました。でも、本人たちは大真面目に高貴な振る舞いをしているため、その名前は「――家」という形で表されます。これを分家と呼びます。試験に出るから覚えておくように。
その中でも、当時、かなりの力を持っていたとされるのが「ルオーメ家」です。
ルオーメ家は、リネーハの統治に深く関わっていたとされてます。例えば、リネーハの大街壁や教会、公共のことの大体はルオーメ家が過去に整備したものです。ルオーメ家による統治はかなり上手く行っていたようで、多くの分家はルオーメ家に付き従う形を取っていました。ですが、優れた治世はそう長く続かないのが定め。ルオーメ家は、その独特な糸紡の術から、追放されることとなります。
ルオーメ家に伝わる秘匿された糸紡の術。それは、『運命の糸を紡ぐ』という代物。今となってはその真偽は定かではありませんが、その力によっての支配を批判されたのです。
それから、リネーハは一つの分家による支配が起こらぬよう、その統治権を分け、リネーハの中にもそれぞれの独立権を持った地域がいくもできるようになったのです。