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口噛の街『エポ』

第七十話

 馬車は緩やかな山道を進んでいた。道は、山肌に沿って螺旋に続いているようで、左手には代わり映えのしない森の景色が繰り返し見えたが、城壁のようなリネーハの街門が小さくなっているのを見て、ようやく私は山を登っているんだということを実感した。

「メルン、ナナ。体調には問題ないか」

 手綱を握るガンファから声がかけられる。ナナの方をちらりと見たが、読書をする穏やかな横顔から察するに、馬車酔いの心配はないだろう。

「平気だよ、ガンファ。一応、酔い止めも飲んでる。山道だって聞いたからね。それにしても驚いた。ほとんど揺れがないんだね。いつもの旅路の方がひどいよ」

「神秘の派閥だからな。それに『口噛の街』エポは自らの領土、その延長線にすら抜かりがない。そういう気質なんだ。独占的で、潔癖だ」

 語る彼の表情を、暗いと表すのは簡単だろう。細められた目、ぴくりともしない口角。それなのに顔の筋肉は所々緩んでいるようで、病気の話をしているときの、餓狼にも似た緊張感はなかった。

 どれくらい高くまで来たのか、馬車から眼下に見れば、大勢で街道を動く一団が見えた。模様までは見えないが、揺らめく旗だけでも分かる。医猟団だ。

「本当によかったの? ガンファ。今だったらあいつらにまだ追い付けるんじゃない?」

 ガンファは、ふん、と鼻を鳴らした。

「冗談を良く言うようになったものだ。旅のおかげか、それともナナのおかげか?」

「ナナが来てからは特にかな。ナナ、弄りがいがあるからね」

 ナナは、さすがに本から顔を上げ、じっとりと私をねめつけてくる。笑いだけを返すと彼女は不機嫌なふりをしながら、また本へと目を落とした。

「元から、俺の目的はこっちだったからな。リネーハでは長く足止めを食らったが」

「医猟団も、旅を安価にするために入ってたってこと?」

「それもある。ハウゼからエポまでは相当な距離だからな。だが、あの医猟団とは目的を異にしたというだけで、俺はまだ、医猟団の一員だ」

「おっかない顔してるよ、ガンファ」

 言ったものの、彼の顔に変化はなかった。だが、その語気や手綱の握り具合、背筋にかけての緊張まで、全てが殺意を醸していた。ほんの少しではあるが。

 指摘すると、洞穴に帰る蛇のように、殺意は速やかに引っ込められた。

「すまないな。性分だ」

 あからさまなごまかしではあったが、そう、とだけ返して話を切り上げた。

 隣のナナは意に介した様子はない。ただ、目が疲れたのか、軽く伸びをした。

「それにしても、綺麗な景色ですね。こんなに高いところに来たの、初めてかも」

「馬車で登れるところは限られるだろうな。獣や木々が邪魔をするだろう」

「この山はなんていうか、殺風景ですよね。見える景色は綺麗なんですけど、山自体には彩りがないっていうか――まるで砂と岩だけで出来てるみたい」

「元は火の液体を噴き出す火山だったと聞く。エポがあるのも、火の液体が固まった石の上だしな」

「えっ、それって危なくないですか?」

「火山にも生き死にがあるからな。エポの火山はすでに死を迎え、ただ静かに座しているのみの岩山だ。また火が噴き出すことはあり得ないだろう」

 ナナはそれを聞き、ほっとした表情を浮かべた。

「それにしたって、わざわざこんなところに街を作らなくてもいいと思うけどな。この分じゃ交易も難しいでしょ」

「火があるところに『神秘』はあり、という言葉を聞いたことはあるか? ハウゼの民にとって、火は不吉の象徴だ。全てを燃やし尽くし、灰燼に帰す。その恐ろしさを、俺達は味わった。しかし、『神秘』にとっては始まりであり、始まりを照らす光なのだ」

「エポの民がこの場所に惹かれるわけだね」

「肝心の火は、もう死んでいるがな」

「ガンファ、エポの中でそれ言わないでよ。あいつら、『掟』よりもキレやすいんだから」

「お前よりは場を弁えているさ」

「私もあんたよりは取り繕うの、うまいけどね」

「言ってろ」

 『神秘』は『掟』よりも厄介だ。『掟』はかなり厳しいが、生活に直結しているルールな分、その琴線が分かりやすい。現地の社会体系を理解してしまえば、取り入ることだって容易だ。

 一方の『神秘』は秘匿されていることが多く、ルールの隙間を潜り抜ける、なんていうのはできない。そもそも何が引っかかるか分かったもんじゃないから、本来であれば近づくのも避けたい派閥だ。しかし、秘匿されている超常的な知識の数々は、ハウゼのどんな治療よりも高い値段がつくだろう。故に『神秘』との交流を願う街も多い。

「『浮雲』の生き残りが『神秘』を立ち上げた、という話もあるよね」

「そうだな。『浮雲』は月を重要視していたが、滅亡を受けて、火へとその眼差しを移し替えたという話もある。どれも胡乱な噂に過ぎないが」

「『浮雲』は表舞台から姿を消してから長い。空間でも時間でも、そういう距離っていうのは物事をぼやかして、神聖化しがちだ。実際、『浮雲』は選ばれし派閥なんて言われたりするんだから」

「実際、どうだったんだ、メルン」

 ガンファは、リネーハでの一件を大体把握している。その詳細を知りたいようだ。

「私が新月病と何回もであってなかったら、実感すら湧かないような、夢物語に近いような話だったよ。それでも聞きたい?」

「御伽噺に近い存在がすでに二人も身近にいる。これでは不足か」

「そうだったね。じゃあ軽くかいつまんで話をするか。まだ、エポまではかかりそうだし」

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