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第七十二話

「口噛の街、エポへ行くのはどうだろうか」

 私達が、次の目的地を決めあぐねていると、ガンファがそう声をかけてきた。

 ごちゃごちゃとした馬車の荷車の中、ナナは首を傾げ、寝転がっていた私は、彼の声に上体も起こさずに答えた。

「口噛の街? あまり知らないところだな。派閥は?」

 ガンファは特に気にするでもなく、荷車の縁に腰を掛けた。

「『神秘』だ」

 私は思わず身体を起こした。

「ガンファ、マジで言ってる? あまり関わり合いになりたくないんだけど」

「気持ちは分かる。しかし、現行の医療や知識だけでは、心臓の問題は解決しない。多くをハウゼで学び、旅で知見を得たお前なら分かるだろう。どうしても『神秘』の秘匿された知識が必要だということが」

 そんなことは言われなくても分かってる、そう不服そうな顔をすると、

「安心しろ、とまでは言わないが、あそこは俺の故郷だ」

 さらりとそんなことを言った。

「えっ、うそ、ちょっと待って、初めて聞いたよそれ。『神秘』っぽくないよね、あんた」

 思わず顔を近づけると、ガンファは顔を逸らした。

「鬱陶しい。顔を離せ」

「え、これくらいで? ごめんナナ、もしかして私の口、臭い?」

 ナナの前ではーっと息を吐くと、読書をしていた彼女は、本を投げ飛ばして飛び上がった。

「なっ、何するんですかメルンさん! めちゃくちゃいい匂いしますよ! 花の香り! ドキドキするからやめてくれませんか? 心臓に悪い!」

「ああ。そういえば傷薬の在庫減ったから、昨日調合してたんだっけ。ついでに新薬開発で花食べたなあ。あとそのバクバク言ってる心臓、私のだから気にしなくていいよ」

「気遣ってください! あなたの身体でしょ!」

「医者だったら気遣うよ。でも旅人はね、動ければあとはどうでもいいんだよ」

「ガンファさんもなんか言ってやってくださいよ、この人に」

 しかし、ガンファは何かを言う前に、身体を引いていた。

「めちゃくちゃだな、お前――薬草をそのまま味見するのか。食えたものじゃないだろ」

「いや、私も好きでやってるんじゃないんだよ。ローデスにさあ、草を舐めただけで効能を判別できるようにしろって言われてて。そんなん無理だから今はまだ食べてる。いずれその葉先と舌先を合わせるだけで効能を判別できるようにしたいね」

「な、な、なんですかそのえっちなやり方!」

「君も何を言っているんだ、ナナ――」

 疲れた返しを投げるガンファ。あんな呆れ顔、久々に見たな。

 私は、改めて荷車の中で座りなおして、ガンファに向き直った。

「まあ、詳しくは聞かないでおいてあげるけど――医猟団が向かう先ってさあ、エポじゃないでしょ。ローデスの医師団だって進入を躊躇う派閥なんだから、医猟団はなおさら」

「ああ。医猟団の目的地とは全く異なる。なにせ、エポはあの山にあるのだからな」

 そう言ってガンファが指した方向を見ようと、荷車から体を乗り出す。

 示された山は、リネーハの街壁よりも高く、色彩のない山だった。油断すれば、景色の一部としか見ることができず、平時であれば気に留めることもないだろう。

「俺の目的地は元よりあそこだ。俺が医猟団に入ったのは、エポに戻るためだ」

 ガンファの気配が、狼に近くなっていく。それはナナでさえ感じ取れるようで、生唾を飲み込む音が聞こえた。

 彼は、その目をそのままこちらに向けた。

「あの街が、妹が亡くなった街だ。妹を――殺した街だ」

見覚えのある鋭い――狩人の目だ。

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