街の色は、夕方時というのもあるが、それを抜きにしても暗く、まるで火山の灰がそのまま街を形作ったかのようだった。細長くも大きな塔が至るところに建っており、これも灰が色を濃くした黒で出来ていた。その数を数えてみると、十だろうか。それぞれが街壁の円周に沿って、等間隔に並んでいる。
街の全貌は、盆地のような形を取っており、街壁から進む先には下り階段が用意されていた。ここだけではない。これも円周に沿うようにぐるっと、年輪のように段が設置されている。
「雰囲気はちょっとハウゼに似てるな」
「そうだな。ハウゼも山に囲まれた街だ。しかし、ここまで新円にこだわるのは『神秘』の派閥故だろうな。エポの民がここに惹かれたのも、今は頷ける」
横を向けば、街壁に隣接した建物があった。その構造だけでは何のための建物かは分からないが、おおよそ街に入ってきたものを確認するための物だろう。
「すごいな、あれ。ホントだったらああいうのって街壁の扉辺りか、それとも外側に設置されてるべきでしょ。でもここではその必要がないらしい」
感嘆していると、そこ――詰所とでもしよう、そこから一人の初老の男が出てきた。
「旅人さん方、ようこそ、口噛の街、エポへ。まずは祈り場へ向かうといい」
「こんにちは。私はメルンと言います。すみませんが、祈り場とは?」
男は人当たりのよい笑顔を浮かべるもんだから、内心驚いた。
『神秘』も愛想笑いとかするんだな。
「ああ。祈り場っていうのはな、一部神であるハルキュイネ様のお膝元と言われているところなんだ。そこにはこの街の名を冠した巫女――エポ様がおっての。旅人は皆、そこで挨拶を行う段取りとなっておる。それほど急ぐ必要はないが、その内に顔を出してくれ」
「ありがとうございます。まずはこの馬車を置ける場所を探しているのですが――坂道になっている場所はありますか。階段を下りるのはいささか装備不足でして」
「おお、これは気が利かないですまなんだ。あっちの方へぐるりと回っていけば、来客用の家屋へと続く坂道がある。馬車も馬も、そこに置いてくるとよい。ああ、それと――実はもう一人、旅人がおっての――その者と過ごしてもらうことになるんじゃが、大丈夫じゃろうか」
「もう一人――別に構いませんよ」
「助かるよ。この街に旅人などはめったに来ないものでな――宿屋などはないのだ。不便をかけるが、ゆっくりしていってくれ」
初老の男性は、肩をぐるぐると回しながら、詰所へと戻っていった。
「なんか――思ったより普通の街だ。むしろそれより親切だな」
「『神秘』が警戒されるのは、その知識と独特な価値観によるものだからな。それにしたって注意は怠らない方がいい。俺の知る限り、エポは比較的安全だが――旅行気分とはいかない」
はいはい、とガンファの忠告を軽く流す。
「分かってるよ。それに――すでに変な感じがしているんだよ。私だけじゃないよね?」
ちらりとナナを見るが、えっ、と慌てるのみ。ガンファは軽く頷いた。
「俺が居た頃よりも、さらに変わってる。もう一人の旅人とやらと情報交換がしたいな」
「そうと決まれば、さっさと馬を置きに行こう。早く身軽になりたい」
ああ、とため息に近い呆れ声が聞こえる。
「緊張感に欠けるな、お前といると」
私は肩をすくめて、そのまま軽く回した。
「あんたといると、肩が凝って仕方ないな」
「ふん、減らず口を」
ガチャガチャと金属音がひたすらに響いている。
案内された建物の中、食堂のテーブルいっぱいに、何らかの金属の部品が散らばっている。テーブルクロスのように思えていたのは、細かく文字が記された何かの設計図の集合体で、その内の数枚は床にまで領土を広げているようだった。
件の音を立てている人物は、これだけ広いスペースを占有しているにも関わらず、隅の方でしゃがみ込んで、よく分からない金属を捻ったり、ぶつけたりしていた。
「あ、あの――」
絶句している私達に代わり、ナナが声を掛けると、その人物は立ち上がり、目に掛けていた眼鏡のようなものを額へと引き上げて、こちらを見た。
その短い髪のせいでよく分からなかったが、どうやら女性のようだ。ともすれば少年とも見間違えそうな精悍な顔立ちをしているが、その表情の移り変わりの乏しさからは不器用な職人にも似た無口さを予想させる。そんな彼女の青く澄んだ瞳だけが、唯一の性差を示せるようにも思えた。
「あれ――まさか、こんなところで他の旅人にかち合うとは思わなかったよ」
黒く汚れた手を、何度かズボンに拭き取ると、彼女は軽く会釈をした。
「どうも。私はロコ。訳あってエポまで来たんだ。よろしくね」
「ご丁寧にありがと。私はメルン。こっちのちっこいのがナナで、こっちの無愛想なのがガンファ。ハウゼから来たんだ」
すると、ロコと名乗った少女は、少し驚いたような顔をした。
「ハウゼのお医者さまが、わざわざここまで? 結構遠いはずだけどな」
私は手で否定を示した。
「私は医者じゃない。ただの旅人だよ。こっちのガンファは医者だけど、ハウゼから離れて病気を治して回る――そういう類の医者だよ。それにしてもハウゼの地理に詳しいみたいだね。それに多くのハウゼの医者が街から出ないってことも知っている、そうだね?」
ロコはこくりと頷いた。
「昔、親友がお世話になったからね。当時、不治の病とも言われた肺の病気。ハウゼのお医者さまでも治療が難しいと言われたんだけど、それを治してくれた先生がいたって又聞きしてね。――待って、お姉さん、名前なんて言ったっけ」
「メルン、だけど」
彼女は俯いて、こめかみのあたりを数度擦る。顔を起こした時、その表情は喜びの混じった驚きに変わっていた。
「機械の街、メカニカ出身の少女。ヨミミのこと、覚えてる? あの子のことだよ」
「メルン――まさか――」
ガンファも勘付いたようだ。私は反応に困り、あー、と意味のない声を伸ばした。
「覚えてる、覚えてるよ。運命は数奇なもんだね。こんな遠い土地でさ」
ナナは不安そうにこちらを見上げるが、その頭を撫でつけた。
ロコは目線を地面へと転がしながら、
「あ、なんか――まずいこと言った、かな」
「いや、いいんだよ。気にしないで。――ヨミミは元気?」
話を変えると、彼女の顔に、少しだけ笑顔が宿った。
「うん、元気に動き回ってるよ。今じゃメカニカの酒場の看板娘だ」
「ヨミミが――。そうか。元気に、自分の足で歩いているんだ――」
彼女はいつも、友達と一緒に雪の中を走り回りたいと、そう言っていた。メカニカには雪がよく降り。それは一部神、ロクロースがやってくる予兆なのだと。ロクロースはささやかな贈り物をして、去っていき、人々の生活に花を添える――きっとその一部神は希望であり、導の灯火であったのだと思う。
そんな話を聞いていたから――私は間違いを犯したのだと思う。
希望の導になろうと、私は大火を溢しかけたのだ。
「メルンさん。私、あなたにお礼がしたいんだけど、何か欲しい物とかある?」
ロコの声で引き戻された私は、ごまかしに首を傾げた。
「いいよ、お礼なんて。私がやりたいからやっただけの話だ」
「メカニカの民にとって、経過なんて意味をなさないよ。善意の比重はその結果に傾いているからね。だから、重要なのはあなたがヨミミを救ってくれたこと。私はその結果にお礼をしたいんだ。あなたの気持ちはこの際だから無視するよ」
「とんでもないこと言うなあ、この子。でもナナよりしっかりしてる。そう思わない?」
手元の頭をぽんぽんと叩きながら聞くと、ナナは憤慨した。
「とんでもないこと言ってるのはメルンさんの方ですよ!? なんで私の悪口に繋がるんですか!?」
私は笑いながら弁明をする。
「いや、この時期は差が出やすくて面白いなあって思っただけだよ。悪口なんてとんでもない。それに、ヨミミと近い年っていうなら、ナナよりはお姉さんだよ」
言ってもナナは納得していない。あとで甘やかしとこう。
「でも、欲しい物って言っても――難しいね。いきなり言われても」
「そう? こんな『神秘』の派閥に危険を承知で分け入って、欲しい物がないってことないでしょ。ここにある秘匿の知識を求めるほどだったら、相当手に入りにくいものだ」
「よく分かってるね、ロコ。それを君が提供できるってこと?」
うーん、と彼女は唸る。しかし、その表情は不安ではなく慎重さを示している。
「提供というまではいけないかもしれない。でも私はメカニカの発明家だ。この世界でごく少数しか存在しない『機関』の派閥。その発明家ともなれば、叶えようのないことに関しても、叶えられるかもしれないよ」