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第七十四話

 考えといてね、と残して、ロコはふらふらと自分の部屋へと戻っていった。大量の金属部品と設計図は、雑に机の端に寄せられただけだったが、それでも十分なスペースだ。

 その後、荷物を整理して、食材の買い出しを行った辺りで、完全に日は沈み、月が煌々と輝くような時間帯になってしまった。エポの夜は非常に暗く、外に出れたものではない。

「祈り場は翌日だな」

 ガンファはすんなりとそう決めると、厨房へと消えていった。小気味の良い包丁の音が鳴ったかと思うと、すぐに香味野菜の香りが漂ってきた。手際を考えると、あいつは医者を引退したら料理人を目指すんじゃないだろうか。そんなくだらないことを考えながらぼーっとしていると、本を読み終えたのか飽きたのか、ナナが隣に座ってきた。

「メルンさん、私、『機関』の派閥って初めて聞きました」

「ん? ああ、あれね。知らなくて当然だよ。『機関』の派閥は歴史が浅い。元はと言えば『掟』から派生した派閥だからね。簡単に言ってしまうと――馬を使わずに荷車を動かすだとか、人の力に頼らずに物を動かしたりすること、それが『機関』の始まりだね。イェルククにもあるでしょ、水車。ああいう道具のお化けバージョンってわけ」

「なんで『掟』から? あまり想像つかないです」

「まあ、それもそうか。『掟』と『機関』って根本が似ているんだよ。『掟』は、あれをしてはいけない、これをしてはいけないと人を縛るルールを扱うよね」

「そうですね。メルンさんの生まれも、お水を汚したら死罪、みたいな」

「えげつないよね。でも、それが生活に直結してるから、人々はそのルールを絶対に守るんだよ。ユースとかはその辺りをうまくバランス取ったんだろうけど、今でも田舎の『掟』派閥じゃ破った人間には厳罰が下ってるだろうね」

「それで、『機関』との共通点っていうのは?」

「私も詳しいことはよく分からないけどさ、『機関』っていうのは道具にルールがあるらしいんだ。そのルールに沿って動いている。逆に言うとそれ以外の形では動けない。このルールを守らないと動けないってところが『掟』と『機関』の共通点なんだ」

 ざっと説明をしてみたが、ナナは、うーんと唸っていた。

「あんまり分からないですね――ルールが両方にあるっていうのは分かったんですけど」

「その辺りは現物がないと分かりづらいよね、いったん見た方が早いよ」

「うわあ! ロコさん!?」

 いつの間にか隣に腰かけていたロコの姿に、ナナは飛び上がった。ロコは全く気に掛けないまま、手元の時計を弄ると、慣れた手つきでばらばらに分解していく。

「呼び捨てでいいよ。私もナナも、そんなに年は変わらないだろうから。それより、これを見てほしい」

 ロコは時計盤を外して、その中身を見せる。歯車がひしめき合い、それに従ってか、針はチクタクと動き続けている。ナナは吸い込まれるように顔を近づけた。

「わあ――小型の時計だよね、これ。中身までちゃんと見たことなかったなあ」

「メカニカを出てから知ったけど、人間って別に正しく時間を把握できてなくてもいいらしいね。私の街では、皆が皆、家に時計を置いている。それで仕事に行く時間を決めたりご飯を食べる時間を決めたり、遊ぶ時間だってこれで決めてたりするんだ」

「イェルククの習慣もそんな感じだけど――ご飯食べる時間とかは決めてなかったよ」

「そうらしいね。まあ、私は時間通りに動くためじゃなくて、時間を忘れないために使ってるんだ。気づいたら何も食べずに一日が終わってたこともあったから。それからだね」

「ええ――お腹空くでしょ――」

「作業が終わったら、思い出したようにね。で、さっきメルンさんが言ってた『機関』が指し示すルール――これは道具の中に組み込まれてるんだ。道具や機械は人の力を借りない代わりに人の干渉も受けない。これは神でさえそうだよ」

 ロコが歯車の内の一つを取り出すと、針は動きを止めてしまった。

「時計にとっては、この歯車が命令そのもの。どれくらい動いたらどれくらい動かすか――そのルールが、この歯の数に刻まれているんだよ。無機質な物体にルールを大量に組み込んで、一つの動きを実現する――これこそ『機関』の理念だね」

「へえ――じゃあ病気を治す機械とか――」

「部分的には可能だと思う。でも、何を治すかによるかな。それに、そういう細かいのは人の手でやった方が確実だ。メカニカはすでに様々な機械を作ってきたけど、誰も機械を作る機械を発明してない。それが何よりの証左だ」

「面白そうな話をしているな」

 料理の盆を抱えたガンファが感心するように言った。色とりどりの葉物のサラダは滑るように置かれ、食欲をそそる匂いを漏らしているスープはそっと横から差し出された。

「え、私も食べていいの?」

「君はまだ若い。食べなければ身体の成長に支障をきたす。見過ごせないのだ、医者は」

「そういうことなら――ありがとう、遠慮なくいただくよ。パン以外食べるの久々かも」

 やってきたメインディッシュには、見覚えのある料理が混じっていた。

「これ、腸詰じゃん。エポにも売ってるんだ」

 私の表情を見て、ガンファは苦笑いをした。

「そういえば、お前はこれが好きだったな。しかし、ハウゼの物のように上品な味わいではないぞ。エポの腸詰は保存食の向きが強い。だから輪切りにしてハーブや香味野菜と和えてある。そのままだと獣の体内のような匂いに全て持ってかれるからな」

 言われてみれば、確かに腸詰は黒々としており、元は乾燥していたことがよく分かる。

「エポの土地は限りがある。暖期は作物に回していたりするが、寒期は家畜の放し飼いの場となることが多い。成長した家畜を置いておける場所はないからな。故に、こうした保存食にして一年の間を保たせることが多いのだ」

 ガンファは料理の配膳を済ませると、私の対面に座った。

「どうだ、メルン。彼女ならもしかするかもしれない。それにお前の力――それも十分な等価となり得るはずだ。悪い話ではないと思うぞ」

「そうだね、十分に利益のある話だ。ロコ、君も『神秘』に立ち入った人間だ。命に代えてでも手に入れたい知識があるのだろう? それは一体、何なんだ?」

 ロコは、しかし、苦笑してこう答えた。

「大した話じゃないよ。――メカニカに、雪を降らせたいんだ」

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