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第七十六話

 夜を明かした私達は、祈り場へと向かうことにした。

 祈り場と呼ばれている場所は、建物と呼ぶにはあまりに粗雑な洞穴であった。エポの中心に位置するそれは、この火山を模したような代物で、その背丈は二階建ての建物を越すほどであった。入口はその正面にぽっかりと空いた穴だけであり、開閉する様子は見られないが、ここもあの門のように開閉するのだろうか。

 穴を潜って入ると、中は意外にも整った見た目で、教会というには乱暴だが、神具や内装からは、ここが神聖な場であるということが伺い知れる。円周状にくりぬかれた地面には、青く光る水が湛えられており、穏やかな光を溢している。しかし、壁中に焚かれた炎の赤がぶつかり、穏やかな青は煌々とした光にかき消されていた。

 円形の地面には、白い装束に身を包んだ女性が座り込んでいた。

 あれが、口噛の巫女、エポそのものだろう。

「旅の方、遠方からよくぞ参った。名をなんという?」

「お目にかかれて光栄です、巫女様。私はメルン。こちらの少女がナナで、こちらがガンファと申します。以後、どうぞお見知りおきを」

 そう受け答えをすると、エポは穏やかな微笑みを見せた。

「よい、よい。他の『神秘』ならいざ知らず、我らの街はハルキュイネ様に認められたものしか入ることはできぬ。街へ入れた汝らには実感がないと思うが、ハルキュイネ様は誰でも彼でもこの街に通すわけではない。十の人が尋ねれば十の人を突き返す――そういう方でな。なれば、この街へ通された者は同胞も同然。そのように堅苦しくなくてよい。まずはそこに座り給え」

 とは言っても――どれくらいラフにすればいいか分からない。

 助けを求めてガンファのほうを見ると、彼は軽く頷いた後、恭しく礼をした。

「お気遣い感謝します、巫女様。それでは、お言葉に甘えて」

 がちがちの敬いじゃん、と心の中で悪態を吐きつつ、私もそれに倣った。無礼講と言ったバルデル院長にタメ口を聞いたら説教を食らったのを思い出す。善人だろうと悪人だろうと、偉い奴は嘘を吐くから嫌いだ。目を覗いて行動してやろうか、と不貞腐れた気分になる。

 座ると、巫女は私達と同じくらいの年のように見えた。しかし、その所作は全てが神聖を纏うように、そのためだけに生まれたかのように荘厳で、抜けがない。『神秘』の派閥だから、想像の三倍の年齢は行ってるかもしれない。

「さて、旅の御三方。我ら『神秘』の民も、他の民がわざわざ立ち入る理由を知らないわけではない。秘匿の知識――それを求めてやってきたのだろう」

「はい。詳しいことはお時間を取らせてしまうので省くのですが――心臓の代わりを作る方法、もしくはその術を探しております。巫女様は何か心当たりがございますか?」

「ふむ――」

 巫女は興味深そうにナナの方を見つめた。一部神のハルキュイネやらと繋がっているんだったら、ナナに違和感を持って当然だろう。心臓の共有を行っているとはいえ、彼女は一部神と繋がりを持てる存在だ。それも巫女や神官のような、間接的なものではなく、もっと直接的な。

「残念ながら、その具体的な解決策があるわけではない。しかし、それは『神秘』の観念、『神秘』の観点を以て判断されること。異なる派閥から来た汝らであれば見つかるものもあるだろう。述べた通り、我らは同胞。エポの街で過ごすことにより、見つけられることもあるやもしれぬ。案内役をつけよう。ゆっくりと過ごしていくがよい。近くには口噛の儀も開催される」

「感謝します、巫女様」

 再び、ガンファの様子を伺いつつ、倣って礼をする。が、偶然合ってしまった無表情な目からは恐ろしいほどの憎悪を感じ、私はたじろいだ。彼は、昔から感情を荒立てるような人間ではない。だが、この一幕においてだけ、彼はとてつもない怒りを、胸の奥底に隠していたのだ。

「それでは、失礼いたします」

 落ち着き払った様子で、ガンファは立ち上がり、出るように促した。天に近づいたエポの街では、太陽はより一層、刺すような光を放っている。

「さて、これからどうしたものか」

 何もなかったかのようにガンファは言う。

 再び、彼の目を盗み見たが、先ほどの恐ろしさはすでに身を潜めており、白昼夢でも見たのかと錯覚するほどであった。だが、あれは間違いなく、憎悪であった。数瞬しかその感情を覗けなかったから、仔細は分からないものの、昨日今日で育ちあがるような、そんな恨みでないことは確かだ。

 それほど根深い物に、ずけずけと触れる勇気は持ち合わせていない。彼の調子に合わせて、私は話を進めた。

「それで――巫女様が言ってた人、どこにいるんだろうね」

「すみません、お待たせしたでしょうか」

 祈り場から、巫女と似た白い格好の女性が出てきた。その背は私より少し高く、ガンファよりは低いくらい。ふんわりと話す姿とたおやかなお辞儀。月の下で静かに咲く、花のような魅力を持った女性だ。

「カルシャイチャ、と申します。皆様の案内役を務めさせていただきますね」

 私は思わず祈り場の方を見遣り、カルシャイチャへと目線を戻す。

「あそこ、巫女様しかいないと思ってたんだけど、他にも部屋あったんだ――」

「祈り場こそ『神秘』の最高峰。目に見える物が全て、というわけにはいかないんですよ」

 思わずタメ口で喋ってしまったけれど、カルシャイチャは気にする様子もないようだ。

 それならご厚意に甘えさせていただくとしよう。私は、『治安』みたいな堅苦しいのは嫌いなんだ。長らく旅をしてすっかり他者への敬語が日常になっても、それは変わらない。

「よろしくね、カルシャイチャ。もう聞いているかもしれないけれど、こっちがナナでこっちがガンファ。出来ればエポの歴史だとか文化だとか、そういったものを聞きたいんだけど、いいかな?」

 カルシャイチャは、また、そよ風に花が流されたかのような礼をした。

「ええ、構いません。それでは皆様、こちらへどうぞ」

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