俺はこの街で妹を亡くした。それだけであれば、俺はここに戻ることはなかった。
妹は、物心ついたころには、もう俺の傍にいた。常に袖を引っ張ってくっついてくる奴で、俺もそれに悪い気はしていなかった。長い時間を遊んだよ、長い時間を過ごした。だからこそ、妹には謎めいた力があることに段々と気づき始めていたんだ。
彼女は怪我をしなかった。用心深かったわけではない。俺が守り続けたわけでもない。彼女が、火にかけられた鍋に触れた時、俺は慌てて彼女の手を剥がし、流水で冷やしに行った。普通であれば、翌日に水膨れが現れるはずだ。しかし、彼女の手にはその痕跡どころか火傷で負うはずの炎症もなかった。それがただの偶然ならよかったが、転んでもぶつかっても、彼女には一切の外傷がなかった。子供心ながら、恐ろしく感じるときもあったよ。だけど、妹は友人を作らなかった。『神秘』の基本は秘匿だ。俺は、彼女を守るためにも秘匿することにしたんだ。
あの頃のエポは、今のように安定していなかった。カルシャイチャはここ十数年で大きく口噛は発展した、と言っていたな。過去の口噛はあそこまで強力な変容を伴わない。元の性質を増長させる、その程度の術だった。ナナが述べたように作物が全滅することもあったし、家畜が死に絶えることもあった。だから、当時は山の下まで降りて野草を集めたり、他の街へ出稼ぎに行く者もいた。エポは貧しく、苦しい街だったのだ。
しかし、それでも自然だった。だから俺は、この街が好きだった。
妹は優しかった。俺は、そのように生活を受容していたが、エポの同胞が苦しんでいるのを見て、食事も通らないほどに落ち込んだ。そういうときはいつも粥を作ってやっていた。おいしくない、などと言いながら、嬉しそうに妹はそれを飲み込んでいた。今でも夢に見るんだ。俺の料理を悪く言う奴は、最早、妹だけだからな。
俺は、少しでも役に立とうと努力した。彼女の苦しみを少しでも軽減してやりたいと思ったのだ。子供に出来ることは限られている。だけれども体力だけはあったから、野草摘みに家畜の世話、作物の手入れ――やれることはなんでもやったよ。だが、貧困は軽減されども解決はしない。ひもじさで焦燥としたエポの民に対して、俺の秘匿は脆かった。
妹を見出したエポの民は、彼女に強い変容の力があるのではないかと考え、妹を連れて行こうとした。両親は抵抗したが、いずれ追放され、俺達だけが残されたのだ。
「ここまでみたい――ごめんね――ごめん――お父さんとお母さんは大丈夫だから――」
妹は何度も謝った。訳が分からなかった。彼女が謝る意味など、どこにもないのに。
だが、次の言葉で全てを理解した。
「でも、ハルキュイネは楽しかったよ。大好きなあなた達の傍に居れて」
彼女は、連れて行かれ、俺は変わっていく街に、不自然極まりないその進化の先が見えて、嘔吐した。何も喉を通らず、粥ばかりを食べていた。山を下り、そのまま倒れた。食べていないのだから当然のことだ。俺は――俺は――逃げ出したのだ。無力だから逃げ出したのだ。妹は優しかった。優しかったからこそあの不自然に答え続けてしまう。俺は、犠牲も省みないその態度を正さなければいけないと思った。俺は、一部神であるからと、その慈愛を利用する傲慢さを正さなければいけないと思った。
だが、勘違いしないでほしい。今の俺は、間違いなく病気を駆逐しに来た。
人ではなく、病気を。愛していた故郷に蔓延る、無辜の病を駆逐しに来たのだ。