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第八十話

「それに関しては分かっているつもりだよ、ガンファ。あんたは私よりも優しい。きっと妹さんの影響だったんだろうね。私は――今もレーチヤを恨んでいると思う。ガンファほどちゃんと割り切れてない」

「俺は、どう説明しても、当事者ではない。だから慎重なのだ。だが、メルン、お前は当事者だ。レーチヤで巫女として受けた傷や屈辱――それが色濃く残るのは当然のことだ」

「ありがと、やっぱあんた優しいね」

「抜かせ」

 少し嫌そうな顔をして、ガンファは顔を逸らした。

「ただ、正攻法でどうにかなるとは思っていない。もうしばらくは潜伏して、それから行動を起こすつもりだ。ナナ、当然メルンにも迷惑をかけるつもりはない。だから安心してくれ」

「えっと――」

 ナナは、何かを言おうとして、そのまま俯いてしまった。

「ま、しばらくは行動起こすつもりはない、ってことでしょ。それは私にとってもありがたい話だよ、ガンファ。私はここに心臓を補完する方法が見つかるかも、って誘われたんだから。でも――やれるって思ったんなら、遠慮しないでよ。私たちは他人で、友人だ」

「その言葉、感謝する。胸に留めておこう」

 私は頷くと、ふうっと空に向かって息を吐いた。

「ねえ、お腹空いた。あんたの美味い料理が食べたいんだけど」

「よせ、気色の悪い。今、用意するから、ロコを呼んでやれ」

「了解」

 私は階段を上り、ロコの部屋の前に立つ。人がいる気配がないのは、彼女が今、深い睡眠に入っている故だろうか。生活習慣を乱すのはかなりの毒なのだが、言って治るものではないのが、頭の痛くなるところだ。私はドアをノックする。

「ロコ――そろそろご飯だよ」

 しかし、返答がない。この程度では起きないか。仕方なくドアノブを回した。

「ロコ――このねぼすけ、飯の時間までには起きて――」

 ロコは部屋の中に居なかった。調べ物か買い出しか、外出しているようだ。

「出かけるなら出かけるって言っといてほしいな」

 ついでにその中でも見てやろうと、少し悪戯心と好奇心が働く。部屋の中の光景に、あまり新鮮さはない。その大半は、今も食堂の机の半分は占領している設計図や部品と同様だ。興味が向いたのは、唯一綺麗なベッド、その枕元の本だ。

「治安の街について、か。メカニカは『掟』にルーツを持つし、確かに彼女の目的の助けにはなるかもしれないね」

 記述されているのは、治安の街の一部神ロガーレフとメルネポーザについてだ。

 メルネポーザは、旅を繰り返し、絆を結ぶ、人に最も近しい一部神。その性質に見合うように彼女は自由奔放で、融通の利かないルールなどは嫌っていたようだった。そんなメルネポーザとロガーレフの相性は悪かったらしい。かといって双方が双方を嫌うような形ではなく、メルネポーザが苦手としていた、というだけのようだ。

「堅苦しいのが得意な奴なんていないでしょ」

 大した物もなさそうだし、ロコの人と成りがわかるものは特にないらしい。こんなものは目を見れば瞬時に分かることだが、何でもかんでも目に頼りすぎると大事な時に見落としが発生しそうだ。だから、今回はズルは封印。正攻法で行こうと思っている。

 ――を――。

「――ん?」

 私はマスクを着けて、薄く聞こえた願いの声に注意を向ける。聞こえたのは本からだ。

 ――雪を、降らす。

 マスクを外すと、そのまま笑みが零れる。

「ふふ、やるじゃん」

 願いではない。願いにも近い、強い決意。単身で『神秘』の街にまで乗り込んできた彼女だ。考えなしの馬鹿か、覚悟の決まった馬鹿か、どちらなのだろうと気になっていたが――。

「若者はそうでなくっちゃね。――いや、私もまだ若いか」

 私は本を改めて戻し、そこにいない彼女の頭をぽんぽんと叩いた。

「なんとなーくわかってきたな、ロコ」

 鼻歌を鳴らしながら、階段を下りている途中で、願いを聞いたらズルなのではないかと思った。私の生命にはどうやら誘惑が多すぎる。使えるものは使う、にしようかな、やっぱり。

「ロコはまだ寝ていたか?」

 エプロンをかけたガンファが階段の下から聞いてくる。

「もう料理終わったの、ガンファ。早いね」

「そんなわけあるか。好みの味付けがあるかどうか聞こうと思っただけだ」

「律儀だね。でも、それなら自分で考えるしかないよ。ロコは外出しているらしい。部屋にはいないし、さっき行ったトイレにもいなかった。きっと雪を降らすための情報収集をしているんだろうね」

 すると、ガンファは眉根を潜め、目を細めた。私は、はっとする。

「ガンファ、まさか『治安』の術を張ってた?」

「ああ、薄く、気づかれない程度にな。エポの民にバレれば気分を害するだろうし、秘匿はこの街の基本だ――ロコが外出した形跡はない。部屋の窓から出たなら別だが」

 私はすぐに身を翻して、彼女の部屋を再び覗いた。どう探してもロコの姿はどこにもない。マスクを着けなおして痕跡を探すも見つからない。

「ガンファ、この部屋に術は?」

「かけていない――かけられないんだ。『治安』は個々人の領域に対しては働かない」

「私の目から見ても、ロコの形跡はない」

「つまり、それは何を意味する?」

「誘拐の類なら、命の危機から強い思いが残るはずだ。それがないっていうことは本人が危険と思っていない、もしくは思う隙すらなかったということになる。ロコが『治安』の術に気づいて、それを極端に警戒したか、不意打ちを食らったか。そのどちらかだけど」

「彼女、気づいている様子はなかったぞ。目を、見ていたからな」

「私も同意見。ロコはまだ子供だ。神授医に対して感情の隠蔽ができるとも思えない。そうなると誘拐の線が濃厚だ。エポの夜は暗い。頼りになるのは月明かりだけ――建物の影に少し隠れただけでも、見つけるのは難しいだろうね」

 私は、ポケットから眼鏡を取り出し、そのまま燃やした。

「『炎は導、煙は本質――』」

 発見の、薄い願望だ。全てを明かすことは出来ずとも、証拠を明かすことはできる。

 煙は宙を漂い、地面へと落ち、そのままぐるぐるとゆるく渦巻いた。

 拾い上げて、月光へと照らす。

 月光は濾されて、赤い光を掌へと溢した。

「メルン、それは――」

「ガンファ。明日、祈り場に行って、エポにこのことを伝えよう。直接的な情報は得られなくていい。どれくらい揺らぎがあるか見る。この夜は――私に任せて。出来るだけ探してみせるよ。厄介事になったら、頼むから、それまでしっかり眠っておいて」

「ああ、わかった――ナナはどうする?」

「秘匿して、得意でしょ。あんたの妹さんと同じで――彼女は優しいから」

「そうだな、わかった。お前もちゃんと飯を食いに来いよ。ナナは察しがいい」

「分かってるよ、これは急いでどうにかなることでもないし――ロコはきっと無事だ」

 ガンファは頷き、いつも通りの様子で階段を下っていく。私は改めて、手の中に残されたペンダントを眺め――リーゼの言葉を思い出していた。

 ――自らを救う方法を皆が知っていなければならないのです。

「それなら、どうして――『浮雲』がロコに介入するんだ――?」

 血を濾して固めたかのようなペンダントは、煙と立ち消える。

 青白く照らされるこの手だけが残った。

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