帰宅してから、ガンファは調理の準備を始めた。
いつもは手の込んだ料理をするせいか、その魅力的な香りが漏れ出すまでには時間がかかるのだが、今夜はあまりにも早く、小麦と香草の上品な香りが漂ってきた。気になって調理場に顔を出すと、ガンファはすでに味見の段階に入っていた。
「いい匂いだね、何作ってるの?」
「パン粥だ。夜も遅いからな。消化に悪い物を食わせるわけにはいかない」
「それにしては凝ってるね。パン粥って、味気ない印象があるから」
「ああ。使うパンにもよるが――結局、粥とは言ってもこれはスープに近い。詰まるところ、味付け次第だな。もちろん、消化に良いという前提を崩してはならないから、油分を足したりはしないがな」
「そんな気遣いしなくてもいいのに」
私のからかいをわかってか、ガンファは嫌そうな顔をする。
「お前じゃない。ナナだ」
「なんだ、そう」
スプーンをくすねて、横から粥を掬ってすする。
「これが、まずいって言われたやつ?」
「――そうだな。これだよ」
パン粥の鍋に、ガンファの表情は写らない。どろどろの白い泥に、見えるものなんて何もないけれど、私はその手つきと、かき混ぜられる渦を見つめていた。
「ハルキュイネと、話せたりはするの?」
「いや。ハルキュイネ――妹は、こちらに合わせて話をしてきていた。普通の人の子のように笑い、話し、食べ、眠り。だから、俺自身に神官じみた力はない。妹は、あの日からまた一部神としての道を選び、そして人と交流することもないのだろう。あの姿を見ればわかる」
粥の渦が収まり、ガンファの手も止まっていた。彼は手慣れた様子で火を消し、器を用意しながら、話を続ける。
「両親と俺。そしてエポの民。その苦しみを、全て自らのせいだと、彼女はそう考えているのだろう。彼女の信念は立派なものだ。俺は医者として短くない時間を過ごしたが、その中でもいくつの命を取りこぼしたか、いくつの幸せを取りこぼしたか、そんなことが夢枕に浮かんでくるんだ。医猟団に入ってからは、なおさら」
「ハウゼの、宿命だね。私は、医者であることから逃げたけどさ」
すると、ガンファはその手を止めて、こちらを向いた。
「メルン、お前の選択を誤っているなどと思ったことは一度もない」
あまり聞かない強い語調に、神経を持ってかれる。
「それどころか感心だってしているんだ。きっと――ルダとローデスの教えが骨身に染みているのだろう。君の友人の言葉が、その血に流れているんだろう」
そう言ってから、ガンファは、壁で隔てられた先の、祈り場を振り返った。
「妹には、天秤を守る勇気がなかった。冷静ではいられなかった。だから――エポはこのようになった」
「ユースが背負わせた天秤――確かに忘れたことはないよ。でも、これは勇気って言えるのかな。ある種の虚無を受け入れて、諦めているだけって言えない?」
私は、心からその疑問を吐いたのに、ガンファは一笑に付した。
「本気で言っているのか、メルン。お前のその力は、願いを叶えることに躍起だろうが」
「それは――」
先生から受け継いだものだから、と言おうとして、言葉に詰まった。それを喉から押し出すほどの自信の土台がなかった。喉から胸に落ちて、拍動を焦らせた。不快な焦燥感ではないが、ガンファの指摘は落ち着かないものだった。彼の言う通り――つまり、私のこの力が、先生から受け取ったプレゼントなどではなく、私の信念から来る個人の術のようなものだとしたら――。
「勘弁してよ、私は現実主義者だよ。今さら、夢想なんか描いてないよ」
「そうか」
誤魔化しの言葉を吐いてはみるが、相手は神授医。無駄なことだ。だが、ガンファはそれを口には出さずに、私にとってはそれが余計に恥ずかしいものだった。
「あー、ナナを呼んでくるよ。用意しといて」
「ああ、頼む」
私は結局、そんな言い訳をして、調理場から離れたのだった。