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第八十四話

 翌日、私達は再び、祈り場近くの広場を訪れていた。ついでにエポにも話を聞きたかったが、想像したよりも、その精神に負ったダメージが大きいらしい。私も過去、神事に失敗したことは何度かあるが、自棄になって酒を飲み干した翌日の三倍くらいのだるさが襲って、身動きが取れないことがあった。逆にあそこまでの異変が起きていて、カルシャイチャに命令を下せる辺り、さすがは巫女といったところだ。

 エポに話を聞くのは、二の次だから問題ない。一番、気になっていたのは、昨日に赤の司祭が現れたこの場所についてだ。荒い石畳の広場。何の変哲もない一角。どんな痕跡が残り得るかを考える方が難しそうな場所だが、私にとっては必ず『願いの残滓』が残り得るのだ。

 もちろん、そんなごろごろと転がっているわけじゃない。胡乱な願いはすぐに霧散するし、イェルククでは秘匿された襲撃者の尻尾もつかめなかった。

 だが、赤の司祭は何か強い目的を持っているはずだ。害すだけであれば、酸を撒いてしまえばいい。そしたら皆が皆、酸による皮膚の火傷を負い、それだけで願いは完了だ。

 だが、彼はそうしなかった。特異な行動には、いつも強い願いが宿るものだ。

「にしても、これで純粋に、口がたくさんある人間を増やしたい、とかだったら笑えん」

 地面に頬ずりをしながら、願いの残滓を探していると、ガンファの膝が見えた。

「猟奇殺人は勘弁だな。高度な術を使用した社会への挑戦――だとか」

 ガンファは膝を曲げ、転がっている小石などを選別、遠くへと放っている。私は身体を起こしてから、ガンファと同じようにしゃがみ込む。

「それは推理小説の読み過ぎじゃない? 『医猟団』の奴らってそんなとち狂った主人公が好きなわけ?」

「いいや、とち狂った悪役が人気だったな。そいつの名が出る度に――架空だぞ? それなのにどのように喉笛を掻っ切ってやろうか、なんて相談を始めるんだ。医術の現場にあるときは全くそんな素振りもないのに、やはり『医猟団』は血の気が多いんだな」

「狼そのものじゃないですか――」

 ナナは呆れた声を上げながらも、同じように石畳に顔を擦り付けている。

「ナナ? あんたは別にそんなことしなくていいんだよ。というか、しても願いの残滓は見つけられないでしょ」

「いや――今のメルンさん、まあまあ不審者ですもん。私達はそのマスクがどういうものか、なんとなくは理解してますけど、傍から見たら、白い仮面付けた旅人が、地面に突っ伏してぶつくさ言ってる――って感じですもん」

「とち狂った主人公、だな」

 嘲笑混じりのガンファに、軽く裏拳を入れる。

「やかましいよ、ガンファ。でも、まあ、一理ある――いや、ないでしょ。ナナが一緒に探すフリをしてみたところで、不審者の一団って評価になるだけじゃん」

「そうかもしれないですね。でもやっぱ、じっとしてるだけっていうのも――。だいたいいっつも守られてばかりで、仕事できてる感じしないんですよ」

 ナナは不満げな声を上げる。子供とは本来、守られるべき存在なのだけれど。

「まあ、それじゃあ頼もうかな。願いの残滓以外も何かあるかもしれないし」

「はい!」

 本人にやる気があるというのなら、少し手を離してやるのも親心という奴だろう。親というよりは姉妹くらいの距離感だとは思うけれど。

「ロコちゃん、無事でしょうか――」

「多分ね。『浮雲』が関与していることだけははっきりしている。世界を守るために、冷酷な選択することもあるけど、その根底には世界を守りたいという願いがあるはずだ」

 少なくとも、彼らが直接的に、民の命を奪っているところは見たことがないし、そうする意味も感じられない。

「まあ、誰が関わっていようと、今できることをやるしかないけど」

「メルンさんは、ほんといつも冷静ですよね」

 ナナは石畳の隙間を指でほじくりながら、そんなことを言う。そこに含まれる明るさと橙色の感覚が、私にはくすぐったく、少し鬱陶しい。

「憧れるものでもないよ、ナナ。これはね、いろいろ見て、冷静になるしかないっていう経験から来る諦めだ。こうすると感情が失われていく気分でね。あまり心地よくはない」

「心地よくなくても、メルンさんはそこにいるんですよ。それなら、なおさらです」

 いつからそんな口説き方を覚えたのか、私は、肘でガンファを小突いた。

「ねえ、ナナになんか教えた? デートの誘い方とか」

「あるわけないだろ、俺に限って。大方、ロマンス小説の影響だな」

「そ、そこ! ちゃんと働いてください! 今、感動して終わる流れでしたよ!」

「流れって――さすらうのが癖づいてる旅人に、流れを求められてもねえ」

「いいから! ほら! この石とかどうですか!」

 自棄になったナナが妙な形をした石を見せてくる。放射状に棘を広げる、結晶にも似た石。ただその表面には輝きなどはなく――。

 ――ついぞ、この時、確かな器。

「ナナ、ごめん!」

 ナナの手を強くはたく。ナナは目を白黒とさせたが、すぐに意図を悟ったのか、身体を起こして石からできるだけ距離を取った。

「ガンファ、あの石――自然、で合ってる?」

「いいや――読み通りだ、メルン。ナナ、俺の傍を――」

 声が詰まった音だった。

「ナナ!」

 詰まりから放たれるその声は、号砲にも近く、私はガンファを降り返るしかなかった。

 ナナの背後に、赤の司祭が立っていた。ナナは呆然と立ち、ゆっくりと首を後ろへと向ける。その足は強張り、地面に根を下ろしてしまっている。

司祭の右手は、ナナの方へ、その首筋へと向かっていた。

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