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10.配血

 一通り泣いて、みっともない顔をたくさん見せて。

 それでも老紳士は優しく微笑んでくれる。

 揺るぎなく立つその存在感はキール様を想起させた。


「メリンダ嬢とお会いになりますかな?」

「ええ、もちろんです」


 シュバルトさんの先導に従ってメリンダの元へ向かう。

 廊下の途中に飾られていた花からは、最近よく嗅ぐ機会のあるあの香りを感じた。

 フラッディマリー。それは私の髪と同じ、赤い色をした小さく可憐な花だったようだ。


「失礼致します」


 シュバルトさんはそう声を掛けてからドアを開けた。

 眠っているであろうメリンダにもきちんと配慮をしているところを見ると、やはり見た目どおりの有能な執事なのだろう。


「メリンダ……」


 ベッドに寝かされているメリンダに駆け寄ると、その手を取った。

 白い肌に細い腕……こんな小さな体で必死に私を守ってくれたんだ。

 そう思ったらまた泣けてきた。

 慌ててポーチからハンカチを取り出すと涙を拭う。

 滲んだ視界でふと見ると、メリンダの腕から何か管のようなものが伸びていた。

 その中に赤いものが伝っているのが見える。


「シュバルトさん、これは……?」

「こちらはといいます。メリンダ嬢の体には血が不足しておりましたのでそれを補っております」

「配血……血? つまりこの管を流れる赤いものは……」

「ええ。血、ということになりますな」


 血を流したからその分の血を外から入れるなんて、そんな単純な方法でいいのだろうか。

 まずこんな治療方法は聞いたことがない。


「ふむ、この治療法を怪しんでおられる?」

「……有り体にいえばそうです。なぜそれを?」

「それはもうはっきりとお顔に書いておりますからな」


 そういってシュバルトさんは薄く笑った。


「とはいえ気持ちは分かるのですよ。この治療法は我が国ではまず見かけないでしょうから」

「我が国では……とするとどこの?」

「この技法は東から伝わったものと聞いております。辺境伯領の向こう側、はるか東から伝わったのだそうです」

「そう、ですか……血を入れて危険はないのですよね?」


 思わず詰め寄るような形になってしまった。

 助けてくれた恩人だというのになんという失礼だろう。

 しかしそんなことを考えている心の余裕がなかったのだ。


「もちろんですとも。旦那様の婚約者、つまりは未来の奥様の家の者にそんな危険なことをするとお考えですか?」

「いえ……すみません。じゃあメリンダは……」

「ええ、直に目を覚ますでしょう」


 私は念を押すように確認をし、ようやくホッと一息つくことができた。


「本当にありがとうございました。シュバルトさんが来てくれなければ私……」

「いえいえ。むしろ本当は謝らなくてはならないのです」

「謝る? 助けて頂いたのに……なぜでしょうか」

「旦那様からくれぐれもローゼリア様を頼むといわれておりましたのに、その身を危険に晒してしまったのですから」


 シュバルトさんは申し訳なさそうな顔をしている。

 けれど、キール様が私のことを気にかけてくれていた。

 それが嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。

 あ、そういえばまだ顔を見かけていないことに気がついた。


「すみません、メリンダのことで頭がいっぱいで……辺境伯様、キール様にご挨拶をしなくてはっ!」

「いえ、申し訳ありませんが旦那様は昨晩のうちに発たれております」

「昨日のうちに……」


 すぐに戻らなくてはならないかもとはいっていたが、まさかその日のうちに発っていたとは。

 さすがにそれほど急を要する話だったとは思っていなかったので驚いた。


「そうですか。この指輪のことを謝りたかったのですが……」


 私はポーチから2つに割れてしまった指輪を取り出す。

 指輪を目にしたシュバルトさんは一瞬険しい顔をした気がした。

 二度見した時にはいつも通りの顔をしてたので見間違えだったかもしれない。


「それでしたらその指輪は正しく使ということです」

「正しく……使われた?」

「はい。その指輪には守護の力が込められておりました。まあ言うなれば一度きりの身代わりみたいなものです。ですから指輪が壊れた、ということは貴女の命を正しく救ったということです」

「あっ、だからあの時……」


 私はミザリィのナイフが首に刺さろうとした瞬間のことを思い返す。

 確かにあの時、ミザリィの手からは不自然にナイフが弾け飛んだように見えた。


「では、キール様が守ってくださったのですね」

「旦那様もさぞ喜んでおられることでしょう」


 私は遠く離れたキール様を思い、指輪をぎゅっと抱きしめた。


「うっ……」

「メリンダ!?」


 不意にあげられたうめき声を聞き、私は急いでベッドに駆け寄る。

 そこには薄く目を開いたメリンダの姿があった。


「お、じょう……さま?」

「メリンダ! メリンダ! 目を覚ましたのね!?」

「あれ……れ? お母様が、綺麗、な川の向こうで呼んで、たはず……なんです、がー」

「あなたのお母様、メイド長はピンピンしているでしょう!」


 私がそう突っ込むと、メリンダは口元だけで笑った。


「そう、でした……あれ、なんだか眠たい、です」

「いいのよ、今はゆっくり眠るの」

「おじょうさま、心配で……ちゃんと服、着せないと……」

「服くらい自分で着ているでしょ。そりゃたまに手伝ってもらうけれど……」

「すぐ、戻りますから……それ、まで……」


 メリンダは微睡みながらそういうとやがて小さな寝息を立て始めた。


「すみませんが、メリンダをしばらくここで休ませてもいいでしょうか?」

「もちろんですとも。そもそも最初からそのつもりで連れてきておりますから」


 私のお願いをシュバルトさんは快諾してくれた。

 断られるのが不安だったけど、そんな心配は無用だったみたい。


「あと……明日もお見舞いに来ていいですか?」

「ここはいずれ貴女の家となる場所です。好きな時に、好きなだけ来ていただいて構いませんよ」


 ただ……と、紳士的な態度で続ける。


「まだは去っておりませぬ故、今後の送り迎えをさせて頂きます」


 それは有無を言わせぬような強い言い方だった。

 確かにメリンダのことで頭がいっぱいで忘れていたけれど、ミザリィさんがこのまま諦めるはずはない。

 憎悪がこもったあの血走った瞳を思い出し、私は背筋が凍るような気分になった。

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