「お世話になりました」
あの事件から5日、私は毎日お見舞いに通った。
メリンダが段々と元気になっていくのが嬉しくて、つい。
「とんでもございません。それにしても本当に行かれるのですね?」
「はい。今はこの街にいるほうが危ないのかなって」
本当はそれだけが理由じゃないけど。
色々考えたり、相談した結果、私は辺境伯領へ行くことに決めていた。
「まあそうかもしれませんが……彼女は?」
馬車で待たせているメリンダをシュバルトさんがちらりと見やる。
「連れて行かないつもりです」
「そうですか。旦那様からローゼリア様は誰かを連れていくつもりだ、と聞いていました。彼女のことでしょう?」
「はい。そのつもりだったんですけど、あんなことがあったのにすぐ長旅をさせるのはちょっと……」
そういいながら、あの日のことを思い出す。
ミザリィはあの血走った目で最初から私だけを狙っていた。
標的がこの街からいなくなればもうメリンダが危険に晒されることはないだろう。
「そうですか。では予定通り3日後の早朝に馬車をやりますので、ご準備だけはしておいてください」
こくり頷くとシュバルトさんが御者へ合図を出したので、私もメリンダの待つ馬車へと乗り込んだ。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「もうへーきですって。ほら、お腹の傷もこの通りっ!」
珍しくツーピースを着ているメリンダは、躊躇いもせずにがばっと上着をめくった。
「もう、馬車の中だからって……はしたないでしょ」
そういいつつ、私はメリンダの傷口をちらりと確認する。
自分が縫った跡はどうなったのか確認したかったしね。
「え、ない……? 傷が、ない」
思わず無遠慮にメリンダの服へ手を突っ込んで、生のお腹を撫で回してしまった。
「ふふん、私の回復力を舐めてもらっちゃ困りますよー。……って、いつまで触ってるんですか!」
いやいや、これは回復力とかそういう問題ではない。
あれから5日しか経っていないのに。
よしんば信じられないくらい効く薬があって、傷が塞がったとしても跡くらいは残るはずだ。
幼い頃に作った傷が大人になっても残っていることがある。
それくらい傷跡というのは簡単に消えるものではないのだから。
「お医者様の腕が良かったから……ってだけ?」
思わず口に出してしまった疑問をメリンダが拾った。
「いやぁ、治療をしてくれてた人はお医者さんというより何かの研究をしてそうな怪しい人でしたけどねー。人は見かけによらないってもんですよ」
何だか釈然としない思いを抱えながらも、馬車が目的地についたので思考を切り替えることにする。
「あれ、男爵家に帰るのではなかったのですか?」
「そうよ。帰る前に人と会っておこうと思って約束を取り付けてもらったの」
馬車を降りると、そこは平民街の外れにある古い家だった。
シュバルトさんによればここに目的の人が住んでいるらしい。
「ごめんください」
ドアノッカーが見当たらなかったので手でドアをノックする。
が、しばらく待っても出てくる気配はない。
「お嬢様、そんなんじゃダメですよ。もっとこう……」
メリンダは私に見せつけるように拳を作ると、ドアに叩きつけた。
「すみませーん! いませんかー?」
「ちょっと、メリンダ。それはやりすぎで……」
その時、ガチャリとドアが開いた。
「んだよ、うるせーな。せっかく人が寝てたっていうのに」
中から出てきたのは、なんだか不健康そうな男の人だった。
伸ばしっぱなしであろう薄緑の髪はボサボサで、眠そうな目の下にはくまを作っている。
「あの、シュバルトさんから
「あん? もうんな時間か。……顔洗ってくるからんちっと待ってろ」
そういってドアを閉めると、中からドタバタという音がする。
ややあって再び顔を覗かせると、「入れ」といって招いてくれた。
「人が座れる程度には片付けといたぜ」
そういって椅子に腰掛けた男は、先程よりは少し身綺麗になっていた。
目の下のくまこそそのままだけど、背中まである長髪は後ろで一纏めにされている。
「ええっと、バレアさん……で良かったですか?」
「ああ、そうだぜ。エルネスからは魔力を教えてくれっていわれてるが用件はそれで合ってるか?」
「エルネス……?」
「シュバルトっていったほうがいいか」
魔力について相談したシュバルトさんから紹介されたのがこのバレアさんだった。
なんでも魔力の新しい使い途について長い間、研究をしているそうだ。
部屋を埋め尽くす本の山が、その年月を感じさせた。
とはいえ、見た目に限っていえば二十代後半くらいに見えるのだけど。
「確かローゼリア、だったか? にしてもあのキール様が婚約たぁねえ」
こくりと首肯をしてから尋ねる。
「キール様を知っているんですか?」
「俺ぁ元々辺境伯領の出だからな。それにキール様にゃ色んな恩もあるし」
「色んな恩……ですか?」
「ああ、フクザツなんだよ。
バレアさんは含みを持たせてそういった。
その顔からはあまり詮索するなという拒絶を感じる。
「で、そっちの娘さんは?」
「こちらはメイドのメリンダです」
「よろしくでふー」
メリンダは口元を袖で抑えながら挨拶をした。
「んだよ。もしかして臭うか?」
バレアさんは自分の体をクンクンと嗅いだ。
「いえ、ちょっと埃っぽいな……と。もしよろしければお話している間に掃除でもしますけど?」
「あなたねえ、病み上がりなのにまたそんなことを……」
「むしろずっとベッドの上だったので暇で暇で仕方なかったんですよー」
初対面なのに失礼でしょうと諌めようとすると、バレアさんが「ははは」と笑った。
「んじゃひとつ頼むわ」
バレアさんは気を悪くした様子など微塵も見せず、軽くそういった。
むしろ嬉しそうなくらいだ。
「さて、本題に入ろうか。まず、どうして魔力のことを知りたいんだ?」
バレアさんの真剣な顔に私は居住まいを正した。
「私は
「なんのために使う? んなもんなくったって楽しく生きてるやつはたくさんいるだろ」
なんのために使うのか?そんなものは決まっている。
「少しでもキール様のお役に立ちたいからです」
私はバレアさんの目をまっすぐに見てそう答えた。
「なるほど、似てんな……。わかった、教えてやるよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「エルネスの頼みだし、なにより悪人ってわけでもなさそうだしな」
メリンダがバタバタと忙しなく片付けをしている。
そんな中、私はじっと目を閉じて集中し続けていた。
「どうだー、感じ取れそうか? あ、それはこっち置いといてくれ」
「すみません、まだ……です」
「体の中を流れる血液の流れってのを意識すんだよ。おっと、それは捨てないからこっちな」
「ええっ、これどうみてもカビてるんですが?」
「血液……流れ……」
どれだけ集中してもなかなか魔力というものを感じ取ることができない。
情けないことに、時間だけが過ぎていく。
「血っていうのは体中の管を通ってんだ。糸みたいな細い線が体ん中にあるって想像すんだよ」
「糸……」
その言葉がまさに
体の中を通る糸を意識してなぞり、辿ってみるとそれは急に見つかった。
「あ、分かったかもしれません!」
自分の体の中を通るぼやっとした感覚の
今ままで当たり前過ぎて気づかなかったのかもしれない。
知覚さえしてしまえば、今度は無視するほうが難しいほど主張してくる。
「これが魔力……」
「お、思ったより早かったじゃねえか」
目を開くと、いつの間にか部屋の中はかなり綺麗になっていた。
それほど長く集中していた、ということのだろう。
「お嬢様が頑張ってる間にこっちもだいぶスッキリしましたねー。これからはちゃんと片付けないとダメですよ?」
「おう、嬢ちゃんのお陰で今日は足を伸ばして眠れそうだぜ。ありがとな」
そんな二人の微笑ましいやりとりを眺めていると外から扉がノックされる。
どうやら約束の時間になったらしい。
「迎えみたいだぜ。エルネスからは3日間ほど頼むっていわれてるが明日も来んのか?」
「迷惑でなければお願いできますでしょうか?」
「んじゃ、そのかわりそっちのメイドの嬢ちゃんも——」
毎日送り迎えしてくれているのですっかり顔馴染みだ。
「まったく、明日も掃除しにきてくれとは……なかなか困った御仁でしたねー」
「そう? なんか二人とも楽しそうにしてたじゃない」
「何をいっているんですか! 全然全くこれっぽっちも楽しくなんてなかったですよ」
「じゃあ明日は断っておく?」
「……行きますよ。だってあの人、自分じゃ絶対に掃除しないタイプじゃないですかー」
おおっと……これは?