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第二章

1.まるで姫のような

「ようやく見えてきましたよ」


 御者の青年が振り返ってそう声を掛けてくれた。

 というのに、うちのメイドは今日も顔を青くして唸っている。

 これから住む街を早く見てみたいという気持ちが私を逸らせたのか、背中をさすっていた手を止めて腰を浮かせる。


「うぅ……いでっ……」


 立ち上がろうとすると、メリンダの頭が馬車の床に滑り落ちて鈍い音を鳴らした。

 膝枕をしてあげていたことをつい忘れていたのだ。


「ごめん、忘れてた」


 私は正直にそういうと、近くにあった毛布を丸めてメリンダの頭の下に押し込んだ。

 枕としては少し高さがあっていないようだけど、そこは自分で調整してね。


「ねぇ、ピーター」


 名前を呼ぶと彼は振り返って、それから困った顔をした。

 きっと私が荷台から手を伸ばしていたからだろう。


「ね、引っ張って」

「走っている時は危ないですから……にしてください、とお願いしたでしょう」


 困った顔でそういいながらも私の手を掴むと、御者台へと引っ張り上げてくれる。

 お願いされると断れないのがこの年若い御者、ピーターの性分。

 王都からここ辺境伯領まで、一週間ちょっとの旅でそれはもう良く知っていた。


「あの大きな街が辺境伯領なの?」

「いえ。もうしばらく前から辺境伯領には入っていたんですよ。昨日泊まった街も辺境伯領ですから」

「そうだったの。あそこはみんな優しくて居心地がよかったな」

「それこそ旦那様が安定した統治をされている証拠でしょう」


 ピーターは目を輝かせ、まるで自分のことのように胸を張った。


「あそこに見えるのはそんな辺境伯領の中心地、ルデアルです」



 街の外周には壁が広がっていた。

 大きな門の前で、行商人の荷馬車や武器を携えた兵士のような人たちが列を作っている。

 どうやら街の中へ問題がある人や、犯罪者なんかを入れないようにチェックをしているらしい。

 てっきり私達も列に並ぶのかと思っていると、ピーターは門から続く列を外れた。


「並ぶんじゃないの?」

「まさか、そんなことはさせませんよ」


 ピーターは笑うと、そのまま門へと馬車を進ませる。


「そこの馬車、止まれ!」


 門を守っている兵士から、鋭い声がかかる。

 馬が足を止めると、数人の兵士が馬車を囲むように集まってきた。

 武装した人たちに囲まれると、何もしていないのにちょっと恐怖を感じる。

 けれどピーターは顔色を変えることなく兵士と何かを話して、一枚の紙を見せた。


「失礼しました、どうぞ!」


 馬車にとりつくように囲んでいた兵士たちは、慌てて離れると敬礼をした。

 ピーターはひとつ頷いてから紙をしまうと、ゆっくりと馬車を進ませる。


「何を見せたの?」

「これは辺境伯様の印が入った通行許可証ですよ。辺境伯家の箱馬車なら誰何すいかされることもなく通れますが、今はこの馬車ですからね……不快な思いをさせて申し訳ありません」

「何をいっているの、彼らが街を守るためにちゃんと仕事をしている証拠でしょ」


 私は馬車を見送る兵士たちに小さく手を振った。



 「こちらが辺境伯様の居城になります」


 しばらく街中を進むと道の先、眼前に現れたのは——白亜の城だった。

 雲に届きそうなほど高くにある屋根は、年代物のワインのような深い紅。

 城の横にそびえる幾つかの塔が、城の威容をさらに引き立てている。


「ふぁー……ああぁ?」


 どうやら荷台で転がっていたメリンダが目を覚ましたらしい。


「お嬢様っ、見えます? お城、お城です!」

「そりゃ見えてるわよ。それより馬車酔いは平気そう?」

「はい、もうすっかりです! お嬢様の膝枕のお陰ですね!」


 まぁ枕の座は早々に毛布へ譲ったのだけど、喜んでくれているならわざわざいう必要もないか。

 馬車は城下町を抜けて、城へと続く橋を渡る。

 もちろん橋の前には兵士が詰めていたけれど、通行許可証を見せればすぐに通してくれた。


 城の門をくぐると、そこには見渡す限りの庭園が広がっている。

 もちろん色とりどりの花が……咲いていなかった。

 よく手入れをされているのは明らかなのに、そこに花は見当たらない。


「今日はちょっと日が悪いので」

「え?」

「庭園ですよ。花が咲く日は凄いんですけどね」


 私の不思議そうな顔で察してくれたのか、ピーターが先回りして教えてくれた。

 この旅の間でそんなことができるようになったのね。

 そういえば最近シュバルトさんにいわれったけ。

 分かりやすい顔だって。


「さて、お疲れ様でした。長い旅もようやく終わりです」


 馬車を止めたピーターが芝居がかった調子でいう。


「そしてここが目的地、辺境伯領ルデアルの誇る——コルヴィン城です!」


 城に向かって両手をかざし、誇らしそうに名前を口にした。

 どうやらこの白亜の城はコルヴィン城というらしい。

 あまり実感が湧かないけれど、今日からここが……私の家ということになる。


 もちろん辺境伯様ともなればお屋敷は大きいのかな?なんて考えてはいた。

 でもこれはそんなちっぽけすぎる想像をはるかに超える大きさで。


「お嬢様……いや、これからは姫様って呼んだほうがいいかもですねー」

「もうメリンダ、不敬でしょ!」


 でも私も口にこそしないけれど、ちょっとは思っていた。

 こんなところに住んだら……それってもう絵本の中の姫だよなぁ、と。

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