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【幕間】或る執事について

 城から戻ってきた、キールは珍しく疲れた顔をしていた。


「お疲れさまです。陛下との会談はどうでしたか?」

「そうだな、やはり話し合いで解決するのは難しそうだということに落ち着いた」

「宣戦布告とは……また面倒なことをしてきましたね」

「ああ。ままごとのような小競り合いで満足しておけばいいものを」


 キールはくたびれた顔でため息をついた。


「ワインでもお持ちしましょうか?」

「いや、いい」

「それともマリー酒の方が良かったでしょうか」


 シュバルトが懐からスキットルを覗かせる。

 その銀の容器には信じられないほど酒精が強く、香り高い液体が入っている。


「それをそのまま飲むのはお前くらいのものだ。それに酒の種類の問題ではない、今夜中にここを発つ」

「なるほど、承知いたしました。では私も帰領への準備をして参ります」

「そのことなのだが、お前はしばらくこちらに残ってほしい」


 手早く荷物をまとめながらキールは執事にそう告げた。

 そして呆れを含んだ顔をして続ける。


「伯爵家のご令嬢が大層お怒りでね」

「ほう。前からしつこく縁談の申し入れがありましたからな」

「先日の集まりを自分との婚約を発表する場だと思っていた節すらある」

「何をどう考えればそうなるのでしょう?」

「さあな、これ女心ばかりは長生きしていてもよく分からん」


 キールは肩を竦めて、首を横に振った。

 実際、彼は女性に無関心だった。

 若い頃にその興味をすっかり無くしていたのだ。

 それでもシュバルトに頼み込まれ、夜会へ出席することにしただけ。

 だから婚約する気など一切なかった。

 呪われた自分の分身を、この世へ残すことに忌避感すらあるのだから。


 しかしそこで見つけてしまった。

 暗闇の中で咲く、フラッディマリーの花のような彼女を。


 世間的には一目惚れにも見えるだろう。

 しかし、そうではない。

 気の遠くなるほど昔に凍りついたその魂が熱を持ったのは。

 そんな陳腐なものであるはずがない。


 その胸中にあるのは、ただ失いたくないという気持ち。

 もう二度と失わない——そんな強い決意だった。



「ではくれぐれもリアを頼んだぞ。何かしらのアクションがあっても不思議はないからな」

「承知いたしました」


 シュバルトが首肯すると、キールは小瓶を手渡した。


「これを。マリー酒に混ぜるといいだろう」

「これは旦那様の?」

「ああ、そうだ。気休めだが……な」


 執事は旦那のその思慮深さに敬服し、深くこうべを垂れた。


 キールが発つと、シュバルトは自室で椅子に腰かけ目を閉じていた。

 そして集中しながら自分の体の各部位を順に動かしていく。

 彼にとっては毎晩の儀式みたいなもので、いわば健康診断ともいえた。


 やがておもむろに目をあけると、銀のスキットルを開けて口をつける。

 薄めずに飲めば大型の獣ですら昏倒するようなその酒は、彼にとって欠かせないものだ。


 震える右手を左手で抑えつける。


「まだその時ではないでしょう……エルネス」



 決して尾行をしているわけではない。

 シュバルトは建物の陰に隠れながらそう自分に言い訳をしていた。

 視線の先の女性たちはシュバルトの鋭い視線に気づかないまま街を歩いている。


 疲れたので店に入ろうと裾を引くメイド服の女性。

 それをあとちょっとだから、と諌め歩き続ける令嬢。

 どうも二人の間柄は随分と気安い関係のようだ。

 そんな彼女たちの姿に、シュバルトは過去の自分と旦那の姿を重ねて目を細めた。


「どうやら神殿に向かっているようですね」


 独りごちた執事はしばし思案する。

 あそこにはあまり近づきたくないからだ。


「しばらく様子見ですか……」


 いくらなんでも神殿の中で凶行が起こるとは思えない。

 シュバルトは、神殿の中へ消える二人の背中を見届けてから視線を外した。


 ——おかしい。


 シュバルトがそう感じたのは、どうも貴族街ここに似つかわしくない姿が度々視界に入るからだった。

 スラムのごろつきとでもいった風体の男たちは、近隣の店の看板を次々に休業中へ変えていく。

 道に出ている客寄せの案内板を通りの奥に隠す者すらいた。


「何をしているのですか?」


 思わず声をかけてしまったのは彼の気の紛れか。

 そんなことをしている場合ではないというのに。


「あ? うるせえ、帰れ帰れ。ここは通行止めだよ」

「そうはいきませんね」


 いつもとは違った街の様子に胸騒ぎを覚える。

 今回の件と関連性がなければいいのだが、シュバルトはかすかにもたげた不安を飲み込んだ。

 そして無駄だとは思いつつ、一応確認をしておくことにする。


「一体誰の指示ですか?」

「指示なんてもんはねぇ! 俺達がしたいと思ったからやってるだけだ」

「意味もなく看板を隠したり道を通行止めにしたくなったと? それは大層いい趣味でらっしゃる」


 シュバルトは嘲り笑う。

 そんな老紳士の態度にやすやすと激昂するところは、さすがごろつきらしいといえた。


「このじじい、痛い目をみたいらしいな」

「いえいえ。こちらは痛みと戦っておりますゆえ、痛みはご勘弁願いたいものです」

「はっ、じゃあ痛いことされる前にさっさと失せやがれ」


 ごろつきどもは汚い笑い顔で道に唾を吐き捨てる。


「おや、なにか勘違いさせてしまったようです。残念ながら、あなた達程度がいくらはしゃいだところで私が痛みを頂戴することはありませんので」

「このじじいどうやら俺たちのってやつを知らねえらしい。おい、お前らやっちまえ!」


 ある意味で見てくれそのままともいえるごろつきの態度は逆に好ましい、とシュバルトは思った。

 けれど、それは手加減をする理由にならない。


「……あ、ぐっ」


 同時に襲いかかった4人は、シュバルトの振るった恐ろしい速さの手刀に一瞬で意識を奪われた。

 残った一人はかろうじて意識を保っているが、これは話を聞くためにあえて残しておいたのだ。


「さて、ではもう一度聞きます」

「……うぅ……」


 誰の差し金ですか?——と、そう口にした時だった。

 吹いた風に僅か、血の匂いを感じとったシュバルトは顔をしかめる。


「まさかっ!」


 ならばもう用はない、とばかりに目の前の男の意識を刈り取る。

 そして匂いの元へと走り出した。

 もうすぐ着く、といったところで別の路地からごろつきどもがぞろぞろと姿を見せる。


「おじいちゃん、ここは通行止めでーす」


 足を止めさせられたシュバルトはその目に怒気を孕む。

 もう今更誰が何のためにこんなことをしているのか、などどうでもよかった。

 今は一刻も早く駆けつける、それだけを考えていて。


「……交渉はしない。己の力不足を感じたら早めに道を開けることを勧める」


 そういうとシュバルトは目の前の男を一撃のもとに昏倒させた。

 そして伸ばした腕で指先をくいっと折る。


「まとめてかかってきなさい」



 全てのごろつきを道に転がして、路地を急ぐシュバルトの目の前に何かが転がってくる。

 それは血の付いた——ナイフだった。


「クソがあぁぁぁッ」


 およそ淑女らしからぬ声をあげ、ナイフへ向かって走ってくるのはくだんの伯爵令嬢だ。

 その目には狂気が宿っている。


「何をしているのです!」


 シュバルトは牽制のために叫ぶと、さらに走る速度を上げた。


「うるさいうるさいうるさいッ!」


 正気を失った伯爵令嬢は、そんな牽制などでは止まらない。

 ナイフに手をかけようとしたその瞬間、シュバルトは強く足を振った。


「させませんっ!」



 伯爵令嬢は逃げ去ったものの、どうやら一足遅かったらしい。

 メイド服を来た女性が腹を刺されてしまっている。

 しかもこれはもう……とシュバルトは一目見てそう感じた。

 それでも目の前の令嬢は、腹を縫ってでもメイドを救いたいという。

 先ほどの気安い関係からみても二人の絆は大したものだといえた。


 シュバルトはスキットルを差し出した。

 もっともらしいことをいって納得させることも忘れない。

 令嬢はスキットルを受け取り、そして手際よく腹を縫った。



 血の気の引いたメイドを屋敷に運び込んだシュバルトは、ある意味ではこういうことの専門家であるラケナリーを呼びつけた。

 屋敷の地下から気だるげに現れた彼女は、ベッドに横たわるメイドを見るなり快哉かいさいを叫んだ。

 ここのところ成果の上がっていない実験に、飽き飽きしていたのもあったのだろう。


 ラケナリーの指示ですぐに血が運び込まれた。

 これから配血をするのだという。

 こうでもしないと彼女の命の灯が消えるのは明らかなので仕方がない。

 とはいえ、交叉配血は拒否反応が出ることもある。

 シュバルトはそれを危惧していた。


「なんのために実験ばっかしてると思ってんだぃ?」


 ラケナリーは自信満々に胸を叩いた。

 まあ彼女がそういうなら大丈夫なのだろう。

 シュバルトはその場を彼女に任せ、自身は血の付いた服を着替えに向かった。

 ふと窓の外に目をやると、雨がひどくなっている。


 きっと大事な人を見舞うため、慌てて走ってくるであろうあの令嬢の為に。

 いや、旦那様の婚約者であるローゼリア様の為にタオルを用意しておかなくては。

 シュバルトはそう考えながら自室の扉を開けた。

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