「しばらく一緒に食事をとれなくなりそうだ」
申し訳なさそうに言われたのは、夕食の最中だった。
刺繍を教えていたチェリエが一緒に食べたい!と大騒ぎしたので、急遽私の部屋での食事会となり、その際に、キール様がそう口にした。
「そうなのですね。どこかへ行かれるのですか?」
「国境線へ。隣国のメルクリアへ牽制をかけにいく」
「戦争が始まるのですか?」
「いいや。まだ互いに日時を指定してのぶつかり合いではないからな。そうならないために行くのだ」
「せんそーってなに?」
甘辛く煮られた肉を頬張りながら、チェリエが口を開くと、その口からたっぷり掛けられていたソースが飛び出した。
「はいはい、口に食べ物を入れながら話さないでくださいねー」
後ろで控えているメリンダが、汚れたチェリエの口元を拭いてあげている。
子守りが嫌とかなんとか言いながらも、面倒見がいいのはメリンダらしい。
「んー、ありがとっ。メリンダは一緒に食べないの?」
「チェリエお嬢様、私はそういう線引きをちゃんとしたい女なのですよー。一人の方がモリモリ食べられるのでご心配なくー」
「そうなんだぁ。まーモリモリ食べられるならそっちの方がいっか!」
チェリエは自分が尋ねたことなどとうに忘れ、さっきとは違った料理に舌鼓を打っている。
自由奔放なところは初めて会ったときと変わらないけれど、傲慢なお姫様のような態度はなくなっていて。
今は、本当に年齢通りの素直な子供の姿に見えた。
「チェリエの性格は、基本的にあの本から形成されるんだ」
「好きだといっていたあの本ですね」
「あれは違う世界からきた傲慢な姫が冒険者になって魔王を討つ、という話でね。作中の姫の話し方や、行動がその後のチェリエに影響していくんだ」
その記憶が全部消えて、傲慢な姫になりきる前のチェリエが今の彼女、ということか。
過ごした環境によって人は変わるのだな、なんて当たり前のことを思ったりした。
「そういえばリア、チェリエに刺繍を教えることにしたんだって?」
「チェリエがやってみたい、と。いけませんでしたか?」
「いや、とんでもない。さっきこっそり『とても楽しかった』と教えてくれたよ」
一足先に食事を終えたキール様は、食後の紅茶を口にしながら礼を述べてくれた。
「
そう言われると、私も何だか楽しみになってきた。
私の大好きな刺繍を覚えてくれたチェリエは、これからどんな風に育つのだろう。
そんな思考がなんだか娘を思う母親のようでちょっと可笑しくなった。
母親といえば、跡継ぎの問題を話し合っていないことに思い至る。
「そういえばキール様、世継ぎについてなのですが……」
「……リアは、子が欲しいか?」
あからさまに嫌そうな顔をするキール様。
もしかして子が嫌いなのかとも思ったけれど、チェリエに接するキール様の姿を見ている限り、とてもそうは思えなかった。
だから思い切って正直な気持ちをぶつけてみる。
「そうですね、キール様との子ならば是非に……と」
「ふー。まぁそうだろうな……」
空のティーカップに視線を落としながらキール様は呟く。
「リア、その話は次に帰ってきた時、話すということにしてもいいか? 直ぐには考えをまとめられそうになくてな」
「はい……わかりました」
なんだか気にはなるけれど、次の機会に話してくれるというなら焦る必要もないか。
「ところでリア、戦の際に着用するものがあるのだが——」
次の日も、私は朝から刺繍をしていた。
ちなみに昨日の夜も遅くまで針を刺していたので少し眠い。
「リアー、なんか変になっちゃったぁ」
「あらあら、糸が引っ掛かっちゃったのね。生地を回さないようにして刺さないとね」
隣では生徒ともいうべきチェリエが、度々かわいい問題を起こす。
それを丁寧に指導しながらも、私は目の前の作業に集中していた。
だって、キール様にお願いされたものを大急ぎで仕上げないといけないから。
実は刺繍というのはかなり時間がかかる。ましてやこのサイズともなれば。
「リアは何を作ってるの?」
「キール様のマントに刺繍をしているの。ほら、見て」
少しだけ出来ている部分があったので、広げてチェリエに見せる。
「おー、赤いところと緑のところの色がきれいだぁ」
「そうでしょう? このお花は辺境伯領の特産なんだって」
「そうなの? 確かにいい匂いだよね、ブラッディマリーって」
「〝ブ〟ラッディ? フラッディでしょう?」
「んー? そうだっけ?」
チェリエは何だか納得いかないような顔をして首を傾げている。
私は何度も耳にしているから間違いない。これはフラッディマリーだ。
「このお花に花言葉っていうのがあるの知ってる?」
「知らなーい」
「フラッディマリーには〝あなたを守る幸せ〟って意味があるんだって」
これは旅の間にピーターが教えてくれたことだった。
昨日、キール様からマントに何か刺繍をして欲しいとお願いされたから。
だから、その時これしかないってそう思った。
「はーい、二人とも。お昼ご飯にしますよー」
集中して針を刺していると、メリンダがパンを運んできてくれた。
パンの中にはハムや野菜が挟まっていて、たっぷりのソースがかかっているみたい。
「おいしー♡」
早速チェリエは手を伸ばすと、満足そうに頬を膨らませている。
一度にたくさん口の中へ入れちゃダメですよ、なんてメリンダに注意をされながら。
「ねぇメリンダ、これを食べたら街に行こうと思っているのだけれど」
「街にですかー。うーん、私はチェリエ様の側にいてくれといわれてますからねー」
「ううん、一緒に着いてきてって話じゃないの。ただ出歩いていいかな?って。バルティさんに聞いてみてくれる?」
「分かりましたー。聞いておきますねー」
当然のようにチェリエも行きたーいと駄々をこねたけれど、それはきっと……難しい。
だからお土産を買ってくることを約束して、お留守番を引き受けてもらった。
食事が終わってしばらくすると、メリンダが指で◯を作りながら部屋に入ってくる。
「バルティさんのオッケーが出ましたよ。報告さえしてもらえれば、好きな時に好きなことをしていいと仰ってましたー」
「そう、それはよかった。それじゃあ支度するわね」
と、クローゼットを開け、市井でも目立たないようにシンプルなワンピースを手に取った。
そんな私に、メリンダが待ったをかける。
「ただ街にいくなら
「うん……ただ静かに街へ行って、静かにお買い物がしたいだけなの」
「お嬢様は目立つの嫌いですからねー。だからバルティさんには私の方からそういっておきましたよー。そしたら——」
「それで、自分に白羽の矢が?」
「うん、せめて誰かを連れて行けっていうから……。忙しいところごめんね」
「いいえ、ローゼリア様に選んで頂けて光栄ですよ。それにここの案内なら僕が一番でしょうからね。お任せ下さい」
ピーターは薄い胸を張ってそういった。