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4.闇の王

「うわぁ……飛んでるっ、飛んでますよお嬢様ー」


 私に抱きついているメリンダが、少し上擦った声を出す。

 その様子はなんだか少しだけ楽しそうにも見えた。


「メリンダ、あなた馬車移動が嫌だからついてきたわけじゃないわよね?」

「そ、そんなーまさかですよー」


 もちろん軽い冗談のつもりではあったけど、メリンダの焦りっぷりを見ると、ちょっとはそんな考えもあったのかもしれない。


「楽しむのはいいがちゃんと落ちないように掴まっていてくれよ」


 キール様が苦笑いをしているので頷いておく。

 出発前にささっと象った縄で、お互いを結んでいるから安全ではある。

 彼ももちろんそれは分かった上で、心配してくれているのだ。


 戦場へ向かっているときに、馬車で通った街道が遠くに見える。

 そういえばあそこの宿場町でズィーレンさんとはじめて顔を合わせたんだっけ。

 こんなところに令嬢たちが来るなんてって怒っていたことを思い出す。

 キール様の婚約者だって聞いて、卒倒していた姿が可笑しかった。

 行きには数日掛かったそんな道程を、とんでもない速度で逆行していく。


「これでいつもより遅いんですか?」

「普段はこの倍の速度が出るぞ」

「ば、倍ですか……それはそれで怖いかもしれませんね」


 もう慣れてしまったよ、と照れたように笑うキール様。


「そういえば、結局キール様の天啓ってどういうものなんですか?」

「リアも理解しているとは思うが、天啓というのは一言で表せるものではないのでな」

「確かにそうですね。女神様から賜ったものが明確にカテゴライズされてる方が不自然ですし、そういうものなのでしょうね」

「ただ、むりやり一言で表すとするなら——闇の王、とでも呼称しておこうか」


 闇の王……とんでもなく不穏な響きだ。

 でもキール様の真っ黒な髪と赤い瞳を見ていると不思議としっくりきた。


「古くはエディンム、新しくはヴァンピールなどと呼ばれている存在を知っているか?」

「ヴァンピール……っておとぎ話に出てくる吸血鬼というやつですか?」

「そうだ。彼らは私と同様の天啓を持っていたんじゃないかと考えている」


 空を飛べたのにはびっくりしたけれど、これにはもっと驚いた。

 だって吸血鬼なんておとぎ話に過ぎないんだって、そう思っていたから。


「じゃあもしかして……キール様も血を飲みたくなる、とか?」


 そんな私の問いかけに、キール様は苦笑いを浮かべた。

 やがて微かに頷くとしばらく無言で飛び続け、それからようやく口を開く。


「……嫌いになったか?」

「はぁ、だってそれは仕方ないんでしょう? でも私、飲まれたことないんですけど」

「普段は血を飴状にしたものを口にしているんだ」

「それって誰の血を、ですか?」

「……チェリエから採血したものをラケナリアが加工してくれている」


 言いづらそうに口にした彼は、まるで怒られるのを待っている子供のようだった。

 私にしがみついているメリンダも驚いた顔をしている。


「ただ、どうしても飴が足りないときだけは直接吸うこともある……。そうするとチェリエは『自分はまるでお母様のようだわ』と言いだすんだ」

「ああ、前のチェリエがそれ言ってましたね」


 チェリエがお母様といっていたのは、そういうことだったのだと今更ながらに納得した。

 でもなんだかもやもやする気持ちが胸にあって。

 これはなんというか……もしかしたら嫉妬、なのかな。


「別にいいのに……」

「ん、どうした?」

「いってくれれば私の血を吸っていいのに! そうやって何でも黙っているところありますよね」

「リアに嫌われたくなかったんだ……」


 キール様は落ち込んだ様子で、力なくそう口にした。

 心なしかふらふらと飛行しはじめたから、危なっかしくて仕方がない。


「じゃあ、今回の件が片付いたら私のを吸ってみます?」

「……いいのか?」

「はい、いいですよ」


 あ、まっすぐ飛びはじめた。男の人って案外、単純なのかも。


「でも、そのためだけにチェリエを閉じ込めているようにも聞こえちゃうんですけど?」

「そんなつもりはない……少なくとも私は。正直にいえば父はそのためにチェリエを欲したところがあったかもしれない」


 お父様のことは分からないけれど、キール様があの子を大事にしているところを見ているから、それが嘘とは思えなかった。

 もしもチェリエが普通の人に混じって生活したら……うーん、大変なことになりそう。

 血はおまけみたいなもので、本当はそうならないために匿っているだけなんだよね、きっと。


「そういえばお城には兵士さんがいるんですよね?」

「もちろんだ、全員が戦場に向かったわけではないからな」

「じゃあチェリエは無事……ですよね?」

「ああ。私も馬鹿ではないので城を離れる前に、援軍を呼んである」

「援軍……ですか?」

「ああ、リアもよく知っている人物だ」


 そんなことを話していたら、遠くの方にお城の影が見えてきた。

 けれど、その形は記憶の中にあるものと違っていて。

 空から見ているからかな?ってそう思ったのだけれど——。


「これは……まずいな」


 キール様の緊張を含んだ声でそうじゃないことが分かった。

 さらに近づくと、お城がところどころ崩れているのが見えてくる。


「急ぐぞっ! しっかりと掴まっていてくれ」


 速度を上げて城の上に到着すると、現状はかなりまずい状況なのがよく理解できた。

 片方の塔が半壊して階段がむき出しになり、城に続く橋は崩落している。

 あの塔はチェリエがいたはずの塔だった。

 もし私の部屋の隣に移っていなかったら、今頃あの少女は生き埋めになっていたところだ。


「一体何があったのでしょう?」

「分からん」


 その疑問の答えは、城の庭園から立ち昇った火柱が教えてくれた。

 どうやらあそこで誰かが争っている、そんな気配がする。


「行くぞっ!」


 中庭に降り立つと、そこにはあの男がいた。

 無精髭で、私にカビたパンを投げつけてきたあの男だ。

 戦闘中に焼かれたのか、上半身はわずかに焦げ、着ていたであろう上着はボロボロだ。

 何より目を引くのはあらわになっているその体だ。

 筋肉が隆起して、体中に血管が浮かび上がってすらいる。

 落ち窪んだ眼窩は対峙している相手を恨めしそうに睨めつけていた。

 その相手というのが——。


「バ、バレアさんっ!?」


 メリンダが驚きに目を見開いて、誰よりも早く彼の名前を叫んだ。

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