それからしばらくして、私はあの人の言葉を胸に活動を始めました。
『ノルーネは料理が上手だな。最高に美味いよ』
『なるほど、幾らでも食べたくなるわけだな。お店で出してみたらどうだ?』
『そしたら、用事が終わったらノルーネに会いに来る。その時はまたあのポトフを味合わってもらおう』
……我が家のポトフ。
あの料理をあの人が遠くからでも食べに来たくなるぐらい美味しくして、お店に出すことが出来たのなら――。
その時は、また…………。
――遠い日の後悔と決意を思い返していた意識が、現実に戻りました。
あれからどれだけの月日が経ったでしょうか。
野山を駆け回っていた小さな私は、今では心地よいベッドの上にいる時間が多くなりました。
強いお父さんはもういませんが、同じように齢を重ねた夫や私達にそっくりな息子と娘、元気な孫達までいます。
村は随分大きく様変わりして、たくさんの移住者が暮らすようになりました。その方達も協力し合う一員として頑張っていらっしゃいます。
人口が増えて村そのものが移転したぐらいで、あの時は本当に大仕事でしたね。
そうそう、御用達の行商人さんによれば村の評判は遠い都市部にも伝わっているようです。
「旅に疲れたら寄ってみな。あそこで人のぬくもりってヤツに触れて、何度でも行きたくなるからよ。何より伝統のポトフときたら、鍋いっぱい食い尽くせるほどの絶品ときたもんだ!」
気に入ったのならいっそ住んでしまえばいい。
冗談とも本気とも取れる愉快な言い回しは、けっこうな商人達の話題になっているとの事です。
私の家に伝わっていたポトフが名物として認められたのはこそばゆいですね。
「……もう一度食べてもらいたい人には、まだ会えていないけれど」
部屋の中に、私の呟きが空しく響きます。
あの事件以来、私は恩人に謝る事が出来ていません。
今一度会える時が来たら、そのときは改良を重ねた美味しいポトフをご馳走してあげたかった。
何より謝って、謝って……どこまでも積み重なっていくこの感謝の気持ちを伝えたい。
ソレが老い先短いであろう私の、今の夢です。
無理?
不可能?
あんなことがあって二度と会えるはずもない?
私は諦めていません。
万が一叶わなかったとしても、こうして感謝の手紙をしたためて子供や孫に託すつもりです。
「でも、できれば…………」
会いたい。会って、謝りたい。
そう想わずにはいられません。
――しかし、どうしたのでしょう。
今日はいつもと比べてもやけにあの人のことを思い出します。
また。
扉をノックする音がコンコンと聞こえてきました。
「おばあちゃん! ごめんね、もしかしなくても寝てた?」
「いえいえ、大丈夫ですよ。何か御用ですか?」
「それがね、おばあちゃんにお客様?……が来てるんだけど」
「まあ、私に? お隣さん? それとも村長さん? もしかして……ポトフの作り方を教わりたい方だったり?」
「うーん、どれも違うと思う。若い旅人さんなんだけど、武器を持ってる強そうな戦士みたいでもあって」
ドクン、と。
枯れそうな心臓が強く脈打ちました。
「もしかして……その方は槍をお持ちですか?」
「すごい、よく分かったね! あとね、すっごいお腹が減ってたみたいでウチのポトフを鍋が空になるぐらいいーーっぱい食べちゃってたよ」
その光景がありありと脳裏に浮かんできます。
ああ、でも、本当に? 本当にそうなのでしょうか?
「その方は、何かおっしゃっていましたか?」
「うん! すごい懐かしい味だったから、作ってくれた人にご挨拶がしたいんだって。どうする、ここまで連れてこようか?」
私はゆっくりと首を振りました。
年甲斐もなく心が躍っています。あの子供の時のように。
可愛い孫の手を借りながら、久々に杖をついてベッドからお店の方へと歩き出します。
少し歩くだけでもあんなに億劫だったのに、今は全然へっちゃらです。
従業員用の裏口から店の中へ。
どうやらちょうど人がいない時間だったようで、店内にいるお客さんはひとりだけ。
遠いあの日のように。
かっこよくて、あたたかい、不思議な空気を纏った人だけ。
ゆっくりとテーブルを挟んで向かいの席に座ります。
するとその人は、簡単な挨拶の後に名乗ってくれました。
変わらない眼差しとその名前を浴びて、目頭が熱くなってしまいました。こんなに人を泣かせるなんてひどいじゃないですか。
「……今度は、ちゃんとした方のお名前を聞けましたね」
ポロポロ、ポロポロと。
いくつもの雫を零しながら、ようやく向き合います。
胸がいっぱいです。
まったくもう、ショックでぽっくりいったらどうしてくれるんでしょうか。
「私、あなたに言わなきゃいけないことがあるんです」
それでは、今日は長年の想いをたっぷり味わってもらいましょう――。
あなたのお腹が、いっぱいになるまでね。