遠い遠い昔。
グラッドレイが不老不死の呪いを解く旅に出る前。
マール王国が健在だった時代。
二人の少年は城と城下町を一望できる丘に寝転んでいた。
明るい太陽と青い空の下。緑の絨毯を揺らす風が肌を撫でるのが心地よく、昼寝をするには持ってこいだ。
「グラッドはいつまでそんな仏頂面をしてるんだい?」
「誰のせいだと思ってるんだアルバスト」
「ああ、大の親友をそんな顔にするなんて許せないな一体誰なんだろう」
「そうだな、きっと命令違反をしたどこぞの見習い騎士様じゃないか? 暇を見つけては悪い気配を察知して、単身即座に行動するような素敵なヤツだ」
若きグラッドの意地悪な発言に、好青年然としたアルバストは申し訳なさそうに苦笑した。
事の始まりは、アルバストが王国に属する町に巣くった悪人共を偶然発見して成敗したことだ。
町の人々を救うために危険を顧みず行動したのは王国を守る騎士(見習い)の一員として大変素晴らしい。しかし、アルバストの行動は無茶な独断専行でもあるため、事が発覚した後には隊長や団長のありがたきお説教と罰の嵐が吹き荒れたのである。
この嵐にはグラッドも巻き込まれた。
親友をたった一人で危険な場所に行かせてなるものかという熱い友情を発端とした行動だったが、基本的に人当たりの良い親友と違って、腕前も愛想も劣っているグラッドは余計に長く罰を受けるハメになってしまった。
そんなケースは一度や二度ではない。二人が立派な騎士を目指してから両手の指では数えきれない程にあったりする。
もちろんこの程度でグラッドが親友と袂を別つことはないが、不服は不服だし不満は不満。そういう気分の時は仏頂面のひとつもしたくもなる。
今もまためんどくさいだけで意味の薄い仕事をこっそりサボっているため、帰ってバレたらお小言を喰らうだろう。ちなみに言い出しっぺはアルバストで、毎度振り回される側は決まってグラッドだった。
「よし、少し休んだら最近出来た美味しい食べ物をご馳走するよ。美味しいパンにこそぎ落とした肉を敷き詰めた食べ物なんだけど、濃いめのソースとピリっと辛い香辛料をかけて食べると絶品なんだ」
「オレを食べ物で釣るなんて舐めてるのかアルバスト。まさか、一人分程度で納得するなんてないだろうな?」
「OK、わかったよ。二個三個なんて言わず、好きなだけ食べるといいさ! なんだったら飲み物とデザートもつけるよ!」
「その言葉忘れるなよ。それと、もし口に合わなかったら承知しないからな?」
「僕がキミの言葉を忘れた事が今まであったかい?」
「忘れてない癖に従わないことなら何度もな」
互いに最も信頼できる者に向ける笑みを浮かべながら、身体を起こして握り拳をごつりとぶつけあう。グラッドの仏頂面もいつの間にか消え失せていた。
「はぁ~、やれやれ。それじゃあ早速お前の財布を空にしに行くか」
「あははは! そんなに食べたら豚になっちゃうぞ?」
「――あらあら、王国を守る大事な騎士様が豚に? 一体どんな魔法をかけられてしまえばそうなるのかしら」
不意に響いたおかしそうに笑う少女の声。
その声にアルバストがピシッと姿勢を正して生真面目に臣下の礼をとった。
「これはルーミカ姫様! どうしてこんな場所に」
一方グラッドはのそのそと不真面目に、首だけ動かして声の主を確認する。
「まーた、お一人でこんなところまで……。後でドヤされるのはオレらなんですけどね」
「グラッド! キミって奴は、姫様に対してなんだその態度は!!」
「いや、お前こそ何真面目子ぶってんだって。そんなことしたら――」
言い終わるよりも早く、美しいドレス姿ではなくお忍び用の変装――旅人を参考にしたらしい――姿のルーミカ姫が礼をとるアルバストに歩み寄り……。
「あたし達しかいない時にそんな態度を取るなんて、アルバストの白状者! 私達の仲はそんなものだったのかしら!」
「気持ちは分かりますが、もう幼い子供じゃありません。昔のように接するのは問題がありましょう」
「はははっ、怒られてやんのっ」
「グラッドはシンプルに無礼。もっと敬いなさい」
「我儘すぎだろ!? 前にちゃんとした挨拶したら“お願いだから止めてね”って頼んだのはどこのどいつだ」
「だってあの悪ガキグラッドが真面目な態度って調子狂うじゃない」
「そう呼ばれる一端を担ったおでんば姫にだけは言われたくない」
「こらグラッド。姫に対してなんて言い草だ」
「そうね、無礼を働いた罰を与える必要があるわ」
「2対1とは卑怯な……この仲良しちゃんめ」
数で負けているのに、相手は権力も腕っぷしも上だ。
これではグラッドに勝ち目はない。やれやれと嘆息したあと、グラッドは降参とばかりに両腕を上げた。
ルーミカ姫がくすくすと満足気に微笑んでいるのは、幼き日に何度もあった同じような光景を思い出したからかもしれない。
釣られるようにアルバストが笑い、グラッドもそれに続く。
今の立場はお姫様と騎士。
生まれた時の身分は貴族と平民。
けれど、幼馴染三人の絆は途切れることなく結ばれている。
「それで? 今日は二人揃ってどんな悪だくみをしているのかしら」
「滅相も無い。決してそんなものは企んでないよ」
「むしろ企んでるとしたらお城を抜け出してるルーミカ姫じゃないのか?」
「あらあら。私は窓の外を眺めていた時にこっそり抜け出す二人を見かけたから、こらーなにしてるの! って叱りにきただけよ?」
(退屈だったんだね……)
(暇してたんだな……)
「あなた達が考えているか当ててあげましょうか? 当たってたら一人一発ずつね」
「何をするのか明言しないのが」
「逆に怖えよ!」
「ああ、そうですかそうですか。それじゃあ道すがら二人が内緒話を聞かせてちょうだい」
お姫様が乗ってきた馬を引いて城下町へと向かいながら、グラッド達は悪党を成敗したら上官に怒られた経緯を話した。そこには主と臣下の堅い雰囲気はなく、あくまで友人としての気さくさがある。
「――というわけで困ったものだねって話だよ」
「……それってあなた達がちゃんと許可を取ればいいだけじゃないの?」
「知能の低いモンスター相手ならともかく、騎士団が動いたら悪い組織のトップが逃げちまう可能性が高いだろ。戦力的には十分でも大元が仕留められないんじゃ別の場所で同じことが起きるかもだし」
「だったら僕達だけの方が動きは迅速だし、相手に察知する可能性も低くなるって事だね」
「アルバストはもう少し自重しとけ」
「う~ん、騎士団も大変なのね。でも、二人が頑張ってなんとかなってるのなら止めろとも言いづらいし」
「まあ……最近は別の問題が起きてるんだけどね」
思うところがあるのか、アルバストが俯く。
「やっぱり危険が大きい?」
「それよりもアルバストの名前と活躍が知れ渡ってきたのがマズイ」
「有名人になるのは悪い事じゃないでしょう?」
「こいつの場合、その名前が知られてるせいで町や村の人にすぐバレるんだよ。さながら正義の味方が来て我らを助けてくれるんだ!! みたいに歓迎される」
「……皆に悪気はないんだけど、派手に歓迎されると敵に気付かれてしまうんだ。少し前にも拠点に踏み込んだら逃亡する寸前で……」
「名前が知られてると、そういう面も出てくるのね」
「ついでに理不尽に怒られる時も増える。どこどこで盗賊団を片付けたのはどーせお前だろ! って別の隊から身に覚えのない濡れ衣を着せられたり難癖をつけられたり」
「ひどいな、一体誰のせいでそんなことに」
「全部お前のせいだっつーの!」
「困ったなぁ」
「まったくめんどくさい……」
少年達の会話を聞きながら、ルーミカ姫は青空を見上げて何事か思案を始めていた。
――少し経って、閃いたと強調するようにポンと手を叩く。
「ねえねえ、名前が広まって困ってるなら、困らない名前にするのはどうかしら」
男子達が揃って首を傾げる。
「放っておいてもあなた達は誰かを救うために駆けつけるんでしょ? そういう時が来たら、偽名を使うの。悪党を成敗する時に高々と宣言してもいいわね、本来とは異なる名が広まってそっちの方が有名に――讃えられ誰もがその存在を噂するように」
「それ、何がいいんだ……?」
「……いや。グラッドはピンときてないみたいだけど、ルーミカ姫の案はかなり良いよ」
「どの辺が」
「マール王国の騎士団に属する僕らが勝手に動いたとされるから、後で困るわけだよ。でも正体不明の誰かがやったと思ってもらえれば、団長にしばかれる事もないわけで」
その噛み砕いた説明で、グラッドも多少分かってきた。
「架空の有名人をでっちあげて、その名前と噂に罪をなすりつけようってことか!」
「すごい悪い言い方だけど大体そんな感じだね!」
「けどな、それって上手くいくのか? やってるのはオレ達だけど、偽名を名乗って正体を隠すんだろ? その内に誰かが気づかないか?」
「何も顔見知りばかりいる城下町でやるわけじゃない。ちょうどいいことに今度遠出の話があったろ? その時にやってみればいいさ。騎士の正装で行動するわけじゃないし、顔を隠してもいいけど……まさか僕らが密かにやってるなんて気づく人はいないよ」
遠くまで情報を伝える手段は多くない。
魔法による通信は使い手が限られ、連絡が必要な時は直接人を送るか手紙を送るか。曖昧でも良いのであれば情報を得る手段としては見聞きした人を求めるか、噂を聞きつける程度だろう。
「偽名が広まれば、あとは彼らがやった事にすればいいさ。少なくとも確たる証拠もなく周りが僕達を犯人にはしないだろう」
「……オレはそれでもいいけどな。お前はいいのか?」
「うん?」
「せっかくの名誉が得られなくなるぞ。誰よりも早く騎士団長になるんだったら手柄は多い方がいいだろ」
「ははははは! らしくないなぁグラッド。そんな心配は無用だろ?」
近づいてきた城下町。
そこで暮らす人々――ひいては王国中の守るべき存在を思い浮かべながら、グラッドの親友は言い切る。
「僕がなりたいのは守るべきものを守れる騎士であって、騎士団長の役職に執着なんてないよ!」
「……お前は本当にカッコイイよ」
内心思うところがないわけではないが、グラッドはそれ以上を口にしなかった。
親友のアルバストが上に行こうとする理由には、純粋な好意を抱いているお姫様と共に歩みたい気持ちがあるからだ。
だが、そんなことを本人達を前に言えるはずもなかった。
「話しはまとまった? それなら早速いい偽名を考えましょうよ」
「お姫様が話に加わるのもどうかと思うが、そもそもいい偽名って……どんなのだよ?」
丘を下りていく緩やかな斜面を移動しながら考え込む三人。
真っ先に思いついたのはアルバストで、彼は胸を張って自分の偽名を名乗った。
「じゃあ僕はダルグだ」
「その名前はどっから飛び出てきたんだ?」
「キミからだよ」
「意味がわからん」
「…………あ~、分かった。名前を逆にしたんでしょ」
「正解です♪」
いまいち理解が及ばないグラッドが不満気にすると、命名者と正解者の二人が同時に理由を教えた。
命名法が見つかればグラッドの偽名もおのずと勝手に決まる。
「アルバストがダルグ。グラッドはアヴァラ。そして私がアキムール♪」
「ルーミカ姫は偽名を付ける必要ないだろ?」
「あら、仲間外れなんてイヤよ。本当はもう一人誰か誘って偽名を交換したいぐらいなんですからね。あーあ、秘密を守れる兄弟でもいれば…………」
ルーミカ姫がニコリと微笑む。
それは何かを思いついた時の顔だ。
「ねえねえアヴァラとアキムールは姉弟って事にしましょうよ。名前似てるし、何かで役に立つかも」
「何かって何だ…………いやちょっと待て。その顔は絶対何かに使おうとしてるだろ! まさか抜け出した後に利用する気じゃないだろうな」
「~~~~♪」
「おいアルバスト! お前もなんか言ってやれ」
「僕の名前はダルグです」
「なんでいきなり偽名になってるんだよ!? わかったダルグでいいから、このおてんば姫をなんとかしてくれ」
「僕からはなんとも……。というか、ダルグって名乗るのは構わないのかい?」
「は? だってオレがお前の名前を元にした偽名で、お前がオレの名前を元にした名前なんだから…………ぐっ、嫌な予感がしてきた。もしかしてこのまま行くと、お前の偽名はオレに不利益をもたらすんじゃないか?」
「そんなことないさ! まさか親友の名前をもじった偽名だからって、何かやらかした時に追及されるのがキミになるなんて思いもしないよ」
「こ、こいつ……! 待て、逃げるな~~!!」
城下町はもう目と鼻の先。
そんなところで追いかけっこをする少年達。
可笑しそうに見守っていたはずなのに、いつの間にか追いかけてるお姫様。
そう遠くない未来。
あるいはずっと遠い未来のどこかで。
彼らの偽名が、誰かが語り継ぐ英雄譚になることを知る者は――まだ誰もいなかった。