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第65話 絶倫領主、幼馴染を見舞う

 ララの身は後宮の最奥にある庵に安置されていた。

 精海竜王が作った妻たちの住居は北端が山に面しており、その山裾には森が広がっている。潰してしまうこともできたが――。


「まぁ、多少は自然があった方が目の保養になるであろう」


 という、岳父の一声により残された。


 庵はそこに元からそこにあったものだ。

 過去に誰かが暮らしていた形跡はあるが、今は誰も住んでいない。


 家主をなくした、寂しい住居。


 今にして思うと精海竜王は、この庵を壊すのを躊躇したのかもしれない。

 王としての心情を吐露された今となっては、彼がその力を振るうのを躊躇した――その心根をなんとなく察することができた。


 ふと、庵の手前で、ヴィクトリアが足を止める。

 その視線の先には――。


「…………ケビン……さま」


「ホオズキ」


 黒装束を脱ぎ去り、野良着姿になった、黒猫の獣人がいた。


 彼女は庵の周辺に生えた草を摘んでいる。

 おそらく、薬草なのだろう。


「ホオズキさまは、ララさまがをずっと看病をされていらっしゃいます」


「……そうか、すまないホオズキ。お前には苦労ばかりかけるな」


「礼などおよびません。それより、ララ姉さまを見舞ってあげてください。ケビンさまがお見舞いに来られたとなれば。もしかすると目を覚ますかもしれません」


 そう口にしながら、薬草を握りしめる手に力が籠もっているのがわかった。

 うつむき悔しそうに唇を噛みしめる彼女に、ララの容態が察せられる。


 かろうじて一命は取り留めたが――。


「マスター。病み上がりなのですから、外にいては身体を冷やします。庵の中へ」


「……そうだな」


 俺を気遣うように、ヴィクトリアが言う。

 素直に仙宝娘のすすめに従い庵の中に入った。


 ホオズキが片付けてくれたのだろう。

 山中に捨てられていたとは思えぬほど庵の中は綺麗だった。

 茶色い土間の向こうには板張りの床がある。そこに筵を敷き、さらに布団を敷き、ララの身体は安置されていた。


 その胸が呼吸に合わせ微かに上下する。

 それだけで嬉しくて、俺は駆け出しそうになった。


「ララ!」


「いけません、マスター。まだ、ララさまは意識を取り戻しておりません」


「けど、そこにララが……!」


 仙宝娘の咎めるような視線にすぐ冷静になる。

 落ち着きを取り戻した俺に、そっとヴィクトリアはその手を伸ばした。

 冷たい――まるで金属にでも触れているような手を握りしめ、俺はララが横臥する布団の隣へと移動した。


 見た限り身体の治療は完了しているようだった。

 あれだけ大きな怪我をしたはずなのに、彼女の身体にそれらしい損傷は見られない。


 暗い船倉の中だ、見間違えたのか?

 いや、あの血の臭いとララの息づかいは、けして見間違えなどではない。


 ならばいったい……。


「マスターは疑問に思っておられますね。なぜ、ララさまが命を取り留めたのかを?」


「あぁ。たしかにララは死んだと思った。だからこそ、俺もあれほど激昂したんだ」


「ひとつは、ホオズキの献身によるものです」


 あの後、俺たちに遅れて船倉に突入したホオズキは、すぐにララの治療に当たった。

 俺がカインを嬲っている後ろで、彼女はララにまだ息があることに気づき、その命を繋ぐ術に全力を費やしたのだ。


 怒りにまかせて前後不覚となった俺とは大違いだ。


 自己嫌悪に陥る俺の横で、ヴィクトリアがさらに淡々と続ける。


「もうひとつは、精海竜王さまのおかげです」


「精海竜王が?」


「はい。旦那さまを止めにかかる前に、精海竜王さまはララさまに気がつかれ、すぐにその生気を分けてくださいました。もっとも……強大な竜の気は人の身に余ります。今、彼女が意識を失っているのは、精海竜王さまに注がれた気のせいです」


 俺だけではなく、ララまで救ったのか、精海竜王は。

 ますますと、偉大なる王の背中に胸が痛む。


 そしてきっと、これが彼なりの俺への手向けなのだろう。縁を切り、敵として相対するかつての娘婿に、最後の義理を果たしてくれたのだ。


「精海竜王……!」


 偉大なる男の名を呟いたまさにその時、ララの唇が動き、うめき声が漏れた。

 それからほどなくして――。


「ケ、ケビン……?」


「…………ララ!」


 彼女は目を瞑りながら、俺の名前を呼んだ。

 ララは、俺の訪問と時を同じくして、その意識を取り戻した。

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