精海竜王との戦いからはや数日。
モロルドはすっかり平穏を取り戻していた。
第六艦隊はレンスター王国との交易船に乗りこの地を去った。
精海竜王を降したことで、モロルドの東洋での存在感は盤石となり、周辺地域の住民たちは次々に恭順を示した。今や、他国から国民になりにくる者までいる。
また、近隣の海洋国家や大陸の小国からも使節がやってくるようになった。
近々レンスター王国からもエムリスさまが訪れ、モロルドを国家として承認してくれるらしい。カインの嘘を知りつつ、艦隊を派遣した詫びだそうだ。
なんにせよ後援を得られるのはありがたい。
対外的な政策に問題はない。
これでいよいよ――。
「安心して内政に取り組めるぞ! 領地改革だ!」
これまで受動的にやってきた領地の運営を、能動的なものに変えられる。
たしかに精海竜王の援助や、領民たちの強力により、モロルドは豊かになった。
とはいえ小さな島国だ。
北に睨む大陸。東の大洋に浮かぶ西洋諸国の属国。
南に群を成す原住民たちの島国。
これらと対等に渡り合うには、もっと国を豊かにしなくてはいけない。
「ある意味、精海竜王どのという後援を封じてしまったのは、まずかったかもなぁ」
「なにを寝ぼけたことを言うておるか! ワシくらい倒せずして、この地に覇など唱えられるものか! 王の弱気は厳禁ぞ、ケビンよ!」
「そうだぞ我が君! 竜殺しの王の肩書きを誇らずしてどうする!」
いつものようにモロルド新都の執務室。
長机を囲って、俺は近衞隊長と調伏した暴れ竜に、今後の領地経営を相談していた。
目下の懸案は――。
「モロルドの住民が増えだしたことで、生活必需品が大きく枯渇している。とくに食料と真水が深刻だ」
食糧事情だ。
淡々と俺に報告したのはイーヴァン。
どうも先日、故郷の村に戻ってなかなか帰って来なかったのは、この辺りの内情の調査をしていたらしい。
「ただでさえ少ない水源を巡り、すでに村同士で争いが起きている。川や池の帰属問題がメインだが、境界を引き直せという声も多い」
「なんでまたいきなり? これまで村の中で自給できて、各村で差がでない程度には、調整してきたように思うのだが?」
「どうもな、新都で水を売るのが流行っているらしい。モロルドを訪れた旅行者が、喜んで買うらしく、そちらに回したせいで、自分たちの飲み水がないんだとさ」
「自業自得ではないか……」
と、言いつつ、領民たちを責めきれない部分もある。
西洋大陸でも真水は貴重だ。
水源地を中心に領地が形成されるほど、水は欠かせない資源なのだ。
それこそ、わざわざ安全なものを買って飲む習慣さえある。
対して、モロルドの住民は川の水を平気で飲む。
水の性質が違うのもあるが、基本的に胃が丈夫なのだ。
そんな異なる価値観がぶつかればこういうことも起きる。
自分たちが何気なく飲むものに、大金を払う者たちが現れたのだ。それも大量に。
こぞって売りに走るのも仕方ないだろう。
「とりあえず、新都の水源を確保した方がよさそうだな。このまま近隣村落に頼っていたら、そちらの生活が立ち行かなくなってしまう」
「簡単に言うがなケビン。そんな一朝一夕に水源が湧き出てたまるものか」
肩をつり上げてため息をつくイーヴァン。
彼の言葉ももっともだ。
しかし、我らには頼りになる環境大臣がついている――。
「ん、なんじゃ? なんでワシを見る、ケビンよ?」
「岳父どの、ひとつお願いがあるのですが……」
すっかり少年の姿が板についた精海竜王。
そんな彼に俺とイーヴァンは縋るような視線を向ける。
紅顔の童子が困惑して首を傾げる。
こんなあどけない少年にあれこれと頼むのは、なんとも心苦しいが――中身はこれこの通り、千年を生きた海竜である。
そしてなにより、俺の岳父だ。
「精海竜王のお力で、池の一つ二つ作れませんかね?」
俺は遠慮なく嫁の父を頼った。
はたして、彼は即座に腕を組むと、難しい顔をして唸る。
「まぁ、角を失ったとはいえ、天候を操ることくらいなんでもないが。ただ、毎日水を出し続けるというのは……面倒くさそうなので、勘弁して欲しいのう」
「そうですよねぇ……」
「というか、海水を飲めばよいではないか?」
人間とは価値観が違う。
海竜の王に飲み水の件を頼むのは、ちょっと難しそうだった。