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第79話 モロルド王、幼馴染みに知恵を求める

「水源についての専門家か。ごめんケビン、心当たりはないや……」


 困った時の草の民。

 岳父に水源の確保を断られた俺は、さっそく次のアテ――幼馴染みを頼った。


 以前、彼女がホオズキに看病を受けた庵の中。

 板敷きの床に藁で編んだ敷物を広げ、狩猟道具の手入れをしていた白虎の娘。

 彼女は得物に油を染みこませる手を止めて首を傾げた。


 その隣ではホオズキがせっせと囲炉裏でお湯を沸かしている。


 精海竜王との戦いの後、ララはこの庵で生活している。


 一応、ララも俺の嫁だ。

 後宮に部屋を用意しようと思ったが――。


「いいっ! いいよっ! 私は草の民だから、そういうところは!」


 と、拒否されてしまった。


 遠慮しいのララらしい。

 できれば他の嫁たちと同じように、不自由ない部屋で生活して欲しかったが――慣れない生活をさせるのもかえってよくないかもしれない。


 加えて、ホオズキが「ララ姉さまのお世話は私がします!」と申し出たので、彼女たちの意向を汲むことになったというわけだ。


「ララ姉さま、お湯が沸きました。どうなさいますか」


「そうだね、葛を入れて葛湯に……あぁ、けど、せっかくケビンが来ているし。お茶にしてしまうのもいいかもしれない」


「わかりました……おい、よかったな絶倫領主! ララ姉さまのお茶が飲めるぞ!」


 喉元が過ぎればなんとやら。

 ララが捕まってからしおらしかった黒猫娘は、見事な跳ねっ返りに戻っていた。


 まぁ、元気ならいいんだ。


 手ずから摘んできた薬草をララがすり鉢で煎じる。

 手のひら大の小さな器に放り込むと、暖炉で湧かしていたお湯を注ぎ込んだ。


 野草の青臭い匂いはない。

 爽やかだがどこか甘い香りに心が癒やされる。


「これが東洋の茶か」


「うーん。どちらかというと、西洋のハーブティーの文化に近いかな。東洋の茶にもいろいろな種類があって、こうして生で煎じて飲むのはマイナーなんだ」


「なんにしても、どこの国も飲み水には苦労しているんだな」


 土の匂いに草木の匂い、潮の香りに腐敗臭。

 鉄の味に砂の味、乳臭い味に汚物の味。


 水というのは案外に繊細で周囲の影響を受けやすい。

 それでも人は水を飲まねば生きられない。水をどうやって得るかも大切だが、どうやって飲めるようにするかも工夫の連続だ。


 ララが振る舞ってくれたお茶も、そのままでは飲めない生水を、飲めるようにする工夫の末に発展した技術だ。

 ここまでの文化を、連綿と人間たちが紡いできたのだ。

 そう考えると、なおさら今回の問題から逃げられないことを痛感する。


 湯気が立つカップに唇を伸ばす。

 思った以上の熱さに、すぐに俺は器から口を離した。


 くすくすとララとホオズキが笑う。

 悪いな、猫でもないのに猫舌で。


「うまいな。どこで水を汲んできたんだ?」


「そこの井戸水だよ」


「……そうか地下水! その手があったか! すぐに井戸掘り職人を集めよう!」


「そんな一朝一夕で湧いて出るなら、水源争いで揉めることなんてないよ。そんなことするくらいなら、海の水を煮出して真水に変えた方がいい」


 ララの提案が冗談だというのは分かる。

 そんな手間がかかること、とてもじゃないができない。


 ただまぁ、海か。


 島の全景を頭に思い描く。

 東南西を大海に囲まれ、背面に内海を湛えている。

 これだけ水が周囲にあるというのに、どうして水に苦労するのか。


 岳父の言った、海水を飲めばいいだろうという言葉が、ついつい胸に響く。

 そんなことできるはずがないのに――。


「どこかに、海水を真水に変えてくれる、魔法の筒のようなものでもないものか」


「濾過器を使ってもそれは難しいだろうね」


「というか島っていうのがよくないよな。川も湖も限られる。大陸のように、大河が流れていれば、あるいは話が違ってくるのに」


「大河も大河で、不純物を多く含んでいるから、飲み水に適してるかなぁ……?」


 他の国はいったいどうしているのだろうか。

 領主の座に就いてから、はじめて俺は領主らしい悩みを抱くのだった。


 なんにしても、ララの知恵でも解決しないとは恐れいる。

 お茶を一息に飲み干すと、俺は肩を落としてララの庵を後にした。


 ふとそんな背中に――。


「あぁ、そういえばケビン! 浜辺の方がひどいことになってるらしいんだ!」


「……浜辺?」


「うん。精海竜王との戦いで、モロルド港がだいぶ荒れただろう? そのせいで、港の底に眠っていたゴミなんかが、ぜんぶ打ち上げられてしまって……!」


「戦いの後、そんな話は聞いてなかったけれど?」


「こういうのは時間が経ってからやってくるものさ。ほら、領主さまなんだから、ちゃんと視察しにいかないと。領民が不安がっちゃう」


 幼馴染妻からの、ちょっと厳しいお小言が飛んでくるのだった。

 ド正論過ぎて、ぐぅの音も出なかった。

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