地底湖は思った以上に深く、ステラたちがいる岩島に向かうのは難しそうだった。
ただし、俺には石兵玄武盤がある。
おそらくこの地底湖の水源である湧き水を潰さぬよう注意して、俺はステラたちの下に向かうための足場をせっせと作ってみせた。
「くわっ! くわっ! くわっ、くわくわっ、くわぁ~っ!」
トリストラム提督が、岩場をぴょんぴょんと跳ねてステラに近づく。
よっぽどステラが心配なのだろう。
東洋にその名を轟かせた鬼提督が、いまやすっかりおひとよしだ。
まあ、たしかにステラは放っておけないところがあるからな。
ただし彼が、心配以外の邪念を抱いているようならば、エムリスさまには悪いけれどもルーシーに頼んで焼き鳥にしてもらおう。
ステラも俺の妻なのだからな。
「しかし、妙な場所に妙な魔物ですね? 旦那さま、ステラと一緒にいるのは、いったいなんの魔物でしょう?」
「う~ん、西洋では美しい女性の姿をした水の精霊というのが、よくいるのだが」
「【警告】データベースに該当データなし。マスター、突然変異の魔物と思われます」
「……だってさ?」
気になるのはステラと一緒にいる透明の美女だ。
西洋風の美女――をかたどってはいるが、人間でないのは明らか。
身体には一切の色がなく、彫りによる陰影だけでその姿を現しているのは、見事であると同時にちょっと気味が悪い。
さながら水の彫像。
先に話した西洋の水の精霊でも、そのような容姿のものは聞いたことがない。
突然変異の魔物とヴィクトリアは俺に言ったが、あながち間違いではなさそうだ。
だとして、なんの魔物が突然変異したのか――。
「くわっ! くわわっ! くわぐわ、こけぇーっ!!!!」
「ぴぃっ! トリストラム! それに、おに~ちゃんたちも!」
「ステラ、これはいったいどういうことなんだ? 説明してくれるか?」
岩の足場を跳ねて渡った俺たちは、島へとたどり着くやステラに詰め寄った。
透明な美女の前に座り込み、なにやら不安げな顔をしていた第二夫人は、俺たちの眼差しに振り返ると少し顔をしかめた。
「えっと、これは、あのね、えっとねぇ……!」
しどろもどろという感じにステラが言葉を探す。
別に、隣の透明の美女――謎の魔物に説明してもらってもよかったが、彼女は陰鬱な表情で俯くだけで、なにも言葉を発しない。
「あのね! ステラ、よるのおさんぽをトリストラムとしてたの! そしたらね、かいがんでプーちゃんが、ふらふらってあるいてて!」
「プーちゃん?」
「ステラさん? もしかして、その謎の魔物のお名前ですか?」
『ぷ♪』
ヴィクトリアの問いかけに、ステラに代わって美女が応える。
ただし、それはまるで空気が破裂するような音で、おおよそ言葉と言えるようなものではなかった。
こちらを透明な瞳で見つめてくる謎の魔物。
敵意はない。
同時に善意もない。
なんとも不思議な感じだ。
ただ、返事に窮するステラを救ったあたり、ステラに恩義かなにか特別な感情を抱いているのは間違いなさそうだった。
とりあえず、危険な存在ではなさそうだ――。
「ぴぃっ! ぷって言うからプーちゃんなの!」
「またそんな安直な。ペットじゃないのですから」
「自分で名乗ったわけではないのですね、ステラさん?」
「ぴぃ! そうなの! プーちゃんは、『ぷ♪』しかいわないの! けど、ステラにはなんていってるかわかるよ! だってステラとプーちゃんは……お友達だもん!」
そう言うや、ステラがぎゅっと透明の美女――あらため、プーちゃんに抱きつく。
透明な身体が幼いセイレーンの抱擁に、ぎゅっと縮こまったかと思うと、ぽよんと跳ねる。そんな反応に、ステラが嬉しそうに笑い声を上げる。
そして、何度も何度も透明な美女を抱きしめる。
なんとも微笑ましいじゃれ合いである。
言葉は交わせないが、二人は本当に友達なのだな。
そう思った矢先――。
「ぴきゅう♪」
「うぉっ⁉ いきなり身体からスライムが⁉」
プーちゃんの身体から、ぽっこりとした玉が飛び出す。
それはすぐさま、さきほど俺たちを洞窟で襲ったスライムと同じ、愛らしい鳴き声を上げるのだった。
同時に、セリンが口に手を当てて叫ぶ。
第一夫人が目を剥いて指を差したのは、プーちゃんの透明な身体の中心。
まるで胸飾りのように、彼女の身体の中で輝いていたのは、実に見覚えのある金色をした角の破片であった。
俺たちが先日砕いた精海竜王の竜角だ。
「【考察完了】マスター。本件について、私の考察を述べても構いませんか?」
「……あぁ、頼むヴィクトリア。俺もなんとなく察しはついたが」
目の前で起きた事象を下に、ヴィクトリアが導き出した答えは――。
「ステラさんのお友達のプーちゃんは、スライムが突然変異したものかと思われます」
非定型で変幻自在な形を取るスライム。
それが、精海竜王の魔力を帯びた竜角を取り込んだことで急激に進化。
より大きく人型をした魔物になった。
ヴィクトリアの推察は実に鋭く、俺たちも納得する他なかった。
「スライムは分裂と合体を繰り返し、巨大になったり小さくなったりとサイズを変える性質があります。精海竜王の力の源である竜角にあてられて、それが進化という方向に働いたというのは、あり得ない話ではないでしょう」
「なんとまぁ、まさか精海竜王の角を落としたことが、こんな事態を招くだなんて」
「まだこれでよかったというか。父上の角は速やかに回収した方がよさそうですね」
倒すことばかりに夢中で、倒したあとのことをすっかりと考えていなかった。
これは単純に俺たちの落ち度だろう。
それにしても、スライムを人型に進化させるとは。
恐るべし精海竜王。
そして、その力の源である竜角。
『ぷ♪』
「ぴゅっ! むぴゅっ!」
「ぴぃっ! またスライムさんが生まれたの! すごいのすごいの!」
そして、その力により無限にスライムを生み出す母と化した、プーちゃん。
今もぽこぽことスライムを生み出す彼女。
どこか生気を感じさせない、とぼけた顔をする魔物娘。そんな彼女を前に、俺は気が抜けたような、けれどもなにか得体の知れない不気味さを感じていた。