「鶏と一緒に店に入りたいだって! どういう趣味をしているんだい! そういう特殊なプレイはウチの店はやってないよ! おとといきな馬鹿野郎!」
「うーん、たしかにかわいい鳥さんだけれど、鳥よりも私たちを愛でて欲しいかなぁ♥」
「プレゼントが鳥って! 流石にそれは嬉しくないんだけれど! しかも雄鶏って! なんなの、高度な嫌味ってこと! 意味が分からない!」
イーヴァンの手引き通り、俺とトリストラム提督は訪れる店という店から追い出された。
それはもうこっぴどいもので、怒鳴られるなら優しい方、張り手をもらったり、ひどい時には水をかけられたりもした。
問題のある男性客が狙われているとイーヴァンは言っていた。
けれどもここまで徹底する必要があるのだろうか。
ベタベタに濡れた服を絞って、水気を落としながら俺はとほほと肩を落とす。
トリストラム提督も、どの店も自分をダシにして入店を断るのがショックなのか、元気のない鳴き声をあげてその場に座り込んだ。
女遊びも夜遊びも、俺たちには向いていないらしい。
田舎くさい大男と鳥の組み合わせだものなぁ。
まだ農村の方が女性に慕われるよ。
「そう落ち込まないでくださいトリストラム提督。作戦としてはうまくいっているんですから。これですっかり俺たちは、旧都の風俗店の迷惑客ですよ」
「くぁあぁ…………」
なにか言いたげなトリストラム提督。
こんなはずではとか、もしも人間だったならとか、言っていそうだ。
人の妻や娘に手を出すほど無類の女性好きである彼にとって、セイレーンたちから拒絶されるのは地味にショックだったのかもしれない。
男の俺では慰めにならないかもしれないが、そのふわふわの羽毛を撫でてやる。
鳥になってからもしっかり羽づくろいをして、身だしなみには余念がないトリストラム提督。この触り心地を知ってもらえば、女性たちも追い出したりしないだろうに……。
「…………くぁ?」
そのとき、ひょっこりとトリストラム提督が首をもたげた。
つぶらな瞳が見つめるのは暗い店と店との狭間。
日も暮れた旧都の路地裏はすっかり闇に閉ざされている。
目を凝らしてもなかなか見通しが悪い。
この闇に紛れて、店ではなく個人で男性客の相手をする――いわゆる街娼がいると、アフロディーテからは聞いている。
そういえば、今いる区画はその比率が多いところだ。
同時に、件の殺人鬼による被害も多い。
というよりもほとんどが、目抜き通りから外れたところで起きている。
それはそうだ。
人目のあるところで、殺傷事件など起こせばすぐに捕まる。
当たり前の話だ。
そう思っていたのだが――。
「もしかして? 殺人鬼の正体は街娼? あるいは、街娼に化けているのか?」
頭の中を過った想像。
その真実味がどんどんと増していくのを感じる。
気づかれずに人を殺すのも、男性客を誘い込むのも、街娼であればたやすい。
彼女たちは、街の闇の中に生き、闇の中で仕事をする。
そして男たちは『そういうものだ』と割り切って、彼女たちがいる路地裏に踏み入る。
その背中にナイフが握られている可能性を頭の片隅に思い描きながら、命がけの火遊びに興じてしまう――。
「もし、そこなお兄さん。お一人どすえ」
闇の中から冷たい声がする。
それは、耳朶が凍りつき、耳の穴が壊死しそうな、不思議な響きがあった。
ゆらりと闇の中から現れたのは白い着物をまとった女。
黒い短髪にほっかむりを被り、ガラス細工でできた多弁花の髪飾りをつけていた。
口元にひかれているのは青い紅。
あまりに異質なその容貌が、凍るような声と合わさって男心をかき乱す。
妻たちに感じる愛情や激情とはまた違う――男としての本能的な精神を揺さぶる、名状し難い魔性をその女は持っていた。
「クワッ! グワッグワグワ! コケッコッコー!」
「……あら? 珍しい、こんなところに鶏が?」
トリストラム提督の鳴く声で俺は我に返った。
もしかすると、殺人鬼の正体が街娼かもしれないという想いを抱きながら、目の前の白ずくめの街娼を相手に、ろくでなしの男性客を演じた。
「こいつは俺の相棒なんだよ。故郷の村からの付き合いでね」
「まぁ、そないやったんですね。よう見るとたしかに、ええ羽つやをしてはりますなぁ。なんやお兄はんが、そうじしなはったんえ?」
「いや、羽づくろいはこいつが勝手にやってるだけだ……」
「あら、かしこいどすなぁ。焼き鳥にして食ってまうにはもったいないわ」
「コケぇ…………」
街娼からの食糧扱いにまたトリストラム提督が意気消沈する。
しかし、すぐにその口からは、今日一番のご機嫌な声が上がることになった。
しゃがみこんだ街娼が、トリストラム提督の喉元をその指先で優しく撫でたのだ。
多くの動物と同じように気持ちよさそうに瞳を閉じて首を伸ばす。
そして、前後不覚に陥った彼を、ひょいと彼女は胸に抱え込んだ。
「ほんに、お利口な鳥さん。ワッチのような女にも、こんなによう懐いて……」
「あぁ、その……すまない、悪いがそいつを返してくれないか? 君にとってはただの鳥にしか見えないかもしれないが、俺にとっては大切な家族なんだ」
「なるほどなぁ。ええ飼い主さんに出会えたもんで、こんなにお利口に育ったんえ。ほな、納得やわぁ……」
「あの、何度もすまない。彼を返してくれないか?」
「ええどす。その代わり、お兄さんがこっちに来ておくれやす」
すぐに彼女がその着物の裾を割って、白い生足をこちらに見せつけてくる。
闇の中に輝く女の肌に、また得体のしれない感情が胸の中に溢れ帰る。
まともに相手をしてはいけない。
そう本能は告げているのに――。
「お兄さん、遊びまひょ。遊びたくって、けど、遊べんくて、こんな辺鄙なところまで来はったんやろ?」
「それは、その……ッ!」
「こんな鳥はん連れてたら、お店に断られるのもしゃあないどすえ。袖にされてくやしかったやろうなぁ。辛かったやろうなぁ。さぁ、わっちにしっかり甘えておくんなし」
誘いに乗ってはいけない。
闇に踏み入ってはいけない。
そう思うのに、身体が言うことをきかない。
間違いない――この女が、旧都を騒がしている殺人鬼だ。
あるいは違ったとしても、なにかしら事件に関わっている。
せっかく手がかりを掴んだにも関わらず、ここできびすを返して逃げ出せないのはなんでなのか。やはり、領民たちが言うように絶倫領主なのか。好色王なのか。
女を前に自分を見失ってしまう弱い男――。
「ケビン! その女の声を真面目に聞いちゃダメだよ!」
自分の意思の薄弱さを嘆いたまさにその時、俺の足下を小さな玉が転がった。
火薬が練り込まれた導線が火花を散らす。あっと叫ぶ暇もなく、玉がはじけたかと思うと、今度は耳を焼くような強い炸裂音が場に木霊した。