「いたぞ! 領主さまが襲われている! みんな、すぐにお守りしろ!」
「イーヴァン!」
殺人鬼が二つに分かれた身体を再生する中、別で動いていたイーヴァンが近衞兵たちを率いて俺たちの下に駆けつけた。
ララが火薬を放ちルーシーが槍を振るった。
路地裏でのやりとりとはいえ、異常事態に気がついたのだろう。
迅速な対応をしてみせた近衛兵たちを頼もしく思ったが――相手は我々の想像も及ばぬ恐ろしい妖魔だ。
「気をつけろ! そいつはいくら斬っても倒せぬ、不死身の身体をしている!」
俺はすかさずイーヴァンたちに釘を刺した。
不死身と聞いて近衛兵たちが動揺する。
攻撃の通じない相手に、どうやって立ち向かえばいいのか。
そんな中、イーヴァンが腰に下げていた鞘にサーベルを預け、代わりに隣の近衛兵からライフルを奪って構えた。
「不死身でも……捕らえてしまえばなんとでもなる! 数で抑え込むぞ! みな、一斉に銃を構えろ!」
銃の一斉掃射で妖魔の反撃を封じる。
力押しの一手だが、それしか打てる手はない。
すぐさま近衛兵たちが俺たちを守るように前に出る。
そして、まだ再生中の殺人鬼に照星を合わせ――。
「てぇッ!!!!」
イーヴァンの号令に合わせて一斉にその引き金に手をかけた。
旧都の夜空に銃声が木霊する。街を襲った突然の轟音に、市内は一時騒然となった。
何事かと路地裏まで駆けてくるもの。
娼館の窓を開けて、こちらの様子をうかがうもの。
路地裏から立ち去るもの。
そんな中、鉛玉の雨霰を受けた不死身の殺人鬼は――。
「うふふっ、こんな熱い熱い鉛玉を浴びせかけて。どないかなってしまいそうでありんす。溶けて、蕩けて、水になって、蒸気になって、消えてしまいそ……♥」
「くっ、化け物が……ッ!」
やはり少しも攻撃が効かない。
撃ち込まれた鉛玉はすべてその身体に沈み込み、本来であれば損壊されるはずの殺人鬼の四肢も胴も、綺麗に原型をとどめていた。
はらりと着物の袖を振れば、彼女へと降り注いだ鉛玉が地面に転がる。
まるで手品でも見ている気分だ。
これもまた東洋の秘術か?
神仙の技か、それとも妖魔の幻術か?
困惑して歯がみする俺に向かって、殺人鬼は満足そうに微笑むと――。
「お兄さん、こないにたくさんの人に見られては、愛し合うのは難しそうでありんすなぁ。ほな、また日をあきらめまひょ」
「な……ッ! 逃げる気か!」
「ふふっ、日あらためまひょ、言うたやないですのん。そんなに心配しはらんといて、お兄さんの前に、わっちは必ずまた現れますよってに」
また、幻術を見ている気分だった。
殺人鬼の身体が、さらりと砂のように崩れたかと思えば、あれよあれよという間に風に溶けていき、あっという間にその姿を消してしまった。
吹きすさぶ冷たい風。
まだ冬にははやい季節だというのに、まるで氷室の中にでも放り込まれたような、そんな悪寒を俺は覚えた。
そして、そんな俺の耳元に――。
「ほな、また。わっちの顔、よう覚えておいておくんなまし……♥」
「…………ッ!」
心胆まで冷えるような言葉を残して、忽然と殺人鬼は姿を消したのだった。
これだけの大人数で囲みながらまんまと逃げられてしまった。
精海竜王に黒天元帥と、数々の強敵と相対してきたが、そのどれとも違う。
言葉にし難い異質な強さに、誰もが口を閉ざした。
これはもしや、殺人鬼を捕まえられないのではないか――。
「ぐっ、ぐわぁ、ぐわわ、くわっくわぁ……」
「あぁっ! トリストラム提督!」
そんな重たい空気になったところで、トリストラム提督がひょこひょこと、路地裏の闇の中から出てきた。
そういえば、殺人鬼に捕らえられているのを忘れていた。
ルーシーの斬激を紙一重で躱し続け、鉄砲の雨霰の中を生き残るとは。
侮りがたし。流石は海洋国家レンスター王国の提督だ。
とはいえ、自慢の翼はさきほど戦いで痛んでいた。
見るからにいたたましい彼の姿に、思わずその身体を抱きかかえたその時、俺の手を刺すような冷たさが唐突に襲った。
まるで氷でも触っているよう。
いや、というか――。
「トリストラム提督の羽が凍っている?」
本当にその身体は凍りついていた。
外側――殺人鬼が手で触れていた箇所が、まるでつららのようになっている。
トリストラム提督もつらいのか、身体を小刻みに震わせて、俺に身体を擦りつける。
まさか、俺たちと戦いながら鶏に攻撃を仕掛けていたとは!
もしかして彼女が狙っていたのは、俺ではなくトリストラム提督だったのか?
いや、きっと違うな。気のせいだな。
おそらく、これは殺人鬼の体質ないし性質によるもの……。
「攻撃が通じず、不死身で、斬っても再生し、霞のように消え、体温が異様に冷たい。これだけ情報が集まれば、なにかそれらしい魔物や妖魔に行き当たるはず……」
「……旦那はん。もしかしてなんやけれども」
槍の刃先を包みに収め、臨戦状態を解除したルーシーが、神妙な顔で近づいてくる。
どうやら調べるまでもなく、心当たりがあるようだ。
なんだ教えてくれと頼めば、絡新婦は珍しくためらいがちに口を噤む。
そして、おずおずと不安げに口を開いた。
「ウチと同じ、東洋の島国の妖怪に、雪の精みたいなもんがおりはるんよ。ウチも存在を人づてに聞いただけで、どういう体質なんかは分からへんのやけども……身体が雪でできていると考えたら、全てのつじつまが合うと思わらへん?」
「……身体が雪! そうか! つまり雪のゴーレムということか!」
身体が雪でできているなら、斬撃を喰らってもダメージはないだろう。
再生だって雪の粒を集めればすぐにできそうだ。
そういえば「溶けるのどうだの」言っていたような気がする。
なにより、それが一番トリストラム提督の、今の状態を説明するのに適している。
氷に抱かれていればそれは身体も冷えるだろう。
はたして、そんな摩訶不思議な力を持っている妖魔はなんという名か。
あらためてルーシーに尋ねると、彼女は少し間を置いて――。
「雪女、言うそうやわ。なんや、好いた男を凍らせてしまう、そうして自分のものにせえへんと気がすまへん、怖い業を持った妖怪なんやて」
と、いつか俺たちに身の上を語ったように告げた。