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第90話 雪の身体と氷の心

「いたぞ! 領主さまが襲われている! みんな、すぐにお守りしろ!」


「イーヴァン!」


 殺人鬼が二つに分かれた身体を再生する中、別で動いていたイーヴァンが近衞兵たちを率いて俺たちの下に駆けつけた。


 ララが火薬を放ちルーシーが槍を振るった。

 路地裏でのやりとりとはいえ、異常事態に気がついたのだろう。

 迅速な対応をしてみせた近衛兵たちを頼もしく思ったが――相手は我々の想像も及ばぬ恐ろしい妖魔だ。


「気をつけろ! そいつはいくら斬っても倒せぬ、不死身の身体をしている!」


 俺はすかさずイーヴァンたちに釘を刺した。


 不死身と聞いて近衛兵たちが動揺する。

 攻撃の通じない相手に、どうやって立ち向かえばいいのか。

 そんな中、イーヴァンが腰に下げていた鞘にサーベルを預け、代わりに隣の近衛兵からライフルを奪って構えた。


「不死身でも……捕らえてしまえばなんとでもなる! 数で抑え込むぞ! みな、一斉に銃を構えろ!」


 銃の一斉掃射で妖魔の反撃を封じる。

 力押しの一手だが、それしか打てる手はない。


 すぐさま近衛兵たちが俺たちを守るように前に出る。

 そして、まだ再生中の殺人鬼に照星を合わせ――。


「てぇッ!!!!」


 イーヴァンの号令に合わせて一斉にその引き金に手をかけた。

 旧都の夜空に銃声が木霊する。街を襲った突然の轟音に、市内は一時騒然となった。


 何事かと路地裏まで駆けてくるもの。

 娼館の窓を開けて、こちらの様子をうかがうもの。

 路地裏から立ち去るもの。


 そんな中、鉛玉の雨霰を受けた不死身の殺人鬼は――。


「うふふっ、こんな熱い熱い鉛玉を浴びせかけて。どないかなってしまいそうでありんす。溶けて、蕩けて、水になって、蒸気になって、消えてしまいそ……♥」


「くっ、化け物が……ッ!」


 やはり少しも攻撃が効かない。


 撃ち込まれた鉛玉はすべてその身体に沈み込み、本来であれば損壊されるはずの殺人鬼の四肢も胴も、綺麗に原型をとどめていた。


 はらりと着物の袖を振れば、彼女へと降り注いだ鉛玉が地面に転がる。

 まるで手品でも見ている気分だ。


 これもまた東洋の秘術か?

 神仙の技か、それとも妖魔の幻術か?

 困惑して歯がみする俺に向かって、殺人鬼は満足そうに微笑むと――。


「お兄さん、こないにたくさんの人に見られては、愛し合うのは難しそうでありんすなぁ。ほな、また日をあきらめまひょ」


「な……ッ! 逃げる気か!」


「ふふっ、日あらためまひょ、言うたやないですのん。そんなに心配しはらんといて、お兄さんの前に、わっちは必ずまた現れますよってに」


 また、幻術を見ている気分だった。

 殺人鬼の身体が、さらりと砂のように崩れたかと思えば、あれよあれよという間に風に溶けていき、あっという間にその姿を消してしまった。


 吹きすさぶ冷たい風。

 まだ冬にははやい季節だというのに、まるで氷室の中にでも放り込まれたような、そんな悪寒を俺は覚えた。

 そして、そんな俺の耳元に――。


「ほな、また。わっちの顔、よう覚えておいておくんなまし……♥」


「…………ッ!」


 心胆まで冷えるような言葉を残して、忽然と殺人鬼は姿を消したのだった。


 これだけの大人数で囲みながらまんまと逃げられてしまった。

 精海竜王に黒天元帥と、数々の強敵と相対してきたが、そのどれとも違う。

 言葉にし難い異質な強さに、誰もが口を閉ざした。


 これはもしや、殺人鬼を捕まえられないのではないか――。


「ぐっ、ぐわぁ、ぐわわ、くわっくわぁ……」


「あぁっ! トリストラム提督!」


 そんな重たい空気になったところで、トリストラム提督がひょこひょこと、路地裏の闇の中から出てきた。


 そういえば、殺人鬼に捕らえられているのを忘れていた。

 ルーシーの斬激を紙一重で躱し続け、鉄砲の雨霰の中を生き残るとは。

 侮りがたし。流石は海洋国家レンスター王国の提督だ。


 とはいえ、自慢の翼はさきほど戦いで痛んでいた。

 見るからにいたたましい彼の姿に、思わずその身体を抱きかかえたその時、俺の手を刺すような冷たさが唐突に襲った。


 まるで氷でも触っているよう。

 いや、というか――。


「トリストラム提督の羽が凍っている?」


 本当にその身体は凍りついていた。


 外側――殺人鬼が手で触れていた箇所が、まるでつららのようになっている。

 トリストラム提督もつらいのか、身体を小刻みに震わせて、俺に身体を擦りつける。


 まさか、俺たちと戦いながら鶏に攻撃を仕掛けていたとは!

 もしかして彼女が狙っていたのは、俺ではなくトリストラム提督だったのか?


 いや、きっと違うな。気のせいだな。


 おそらく、これは殺人鬼の体質ないし性質によるもの……。


「攻撃が通じず、不死身で、斬っても再生し、霞のように消え、体温が異様に冷たい。これだけ情報が集まれば、なにかそれらしい魔物や妖魔に行き当たるはず……」


「……旦那はん。もしかしてなんやけれども」


 槍の刃先を包みに収め、臨戦状態を解除したルーシーが、神妙な顔で近づいてくる。

 どうやら調べるまでもなく、心当たりがあるようだ。


 なんだ教えてくれと頼めば、絡新婦は珍しくためらいがちに口を噤む。

 そして、おずおずと不安げに口を開いた。


「ウチと同じ、東洋の島国の妖怪に、雪の精みたいなもんがおりはるんよ。ウチも存在を人づてに聞いただけで、どういう体質なんかは分からへんのやけども……身体が雪でできていると考えたら、全てのつじつまが合うと思わらへん?」


「……身体が雪! そうか! つまり雪のゴーレムということか!」


 身体が雪でできているなら、斬撃を喰らってもダメージはないだろう。

 再生だって雪の粒を集めればすぐにできそうだ。


 そういえば「溶けるのどうだの」言っていたような気がする。


 なにより、それが一番トリストラム提督の、今の状態を説明するのに適している。

 氷に抱かれていればそれは身体も冷えるだろう。


 はたして、そんな摩訶不思議な力を持っている妖魔はなんという名か。

 あらためてルーシーに尋ねると、彼女は少し間を置いて――。


「雪女、言うそうやわ。なんや、好いた男を凍らせてしまう、そうして自分のものにせえへんと気がすまへん、怖い業を持った妖怪なんやて」


 と、いつか俺たちに身の上を語ったように告げた。

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