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第98話 元領主、魔王の眷属になる

 おのれケビンめ!

 よくもこの私をこんな目に遭わせてくれたな!


 トリストラム提督率いる第六艦隊を引き連れて、祖国モロルドに帰還した俺は、兄――いや、僭称領主ケビンの悪辣な罠にはめられてしまった。

 提督に寝返られ、さらに摩訶不思議な力で痛めつけられた俺は、モロルドの海へと放り出された。


 だが、私はなんとか生き延びた!

 モロルドの海は私の味方だったのだ!


 なんとかモロルド本島の浜辺にたどり着いた私は、濡れ鼠になりながらもほうほうの体で都(現在の旧都)へと向かった。

 なぜか島は厳戒態勢にあり、ケビンが建てた偽の都に人が集まっていたため、街の中に忍び込む――いや、帰還するのは簡単だった。


 かつての王宮は奴隷のセイレーンたちに占拠され、私が愛したかつての都は悪徳と色欲に支配されていた。どころか、亜人どもが我が物顔で闊歩している。


 これもすべて悪辣な僭称領主のせいだ。

 我が愛する故郷はケビンのせいで堕落してしまった。


 必ず在りし日のモロルドを取り戻さねば。


 モロルド家の威光に民が傅き、静かで秩序ある街に戻さねばならぬ。

 そんな怒りを胸に抱いて、私は都の地下に張り巡らされた、王族の一部の者しか知らぬ地下施設に隠れ――潜伏したのだった。


 そんなある日のこと……!


「泥棒! 泥棒だよ! そいつを捕まえておくれ!」


「くっ……! ケビンのせいで、この私が物盗り扱いをうけることになるとは! この屈辱、絶対に晴らしてみせるからな!」


 市場でトマトを盗む――もとい民草から徴収した私は、急いで路地裏へと駆け込んだ。そして、さっさと証拠の隠滅にかかろうとした。

 しかし、我が高貴なる足が、なにか柔らかいものを踏み抜き――。


「どわぁっ!」


「ひぎゃあっ!」


 汚物まみれの路地裏のレンガに顔から飛び込むことになった。

 持っていたトマトも、無残に胸の中で潰れる始末だ。


 まったく、ケビンめ!

 どこまでこの私の邪魔をすれば気が済むのだ!

 そんなに私が憎いなら、呪いなどかけずに直に口で言えばいいだろう!


「あ、痛たた……! あぁ、くそっ! せっかく手に入れた昼飯が!」


「な、なんなのじゃあ。人がせっかく、気持ちよく寝ておったというのに。お主、角を曲がるときは、注意して曲がらないといかんのじゃ」


「黙れ! この王都は我が庭ぞ! 自分の庭を自由に歩いてなにが悪い! むしろ、人の庭で勝手に寝ているお前が悪い!」


「ひぃっ! そ、そんな大声で怒らなくてもよいではないか……!」


 はたして俺が踏みつけたのは、金色の髪に羊のような角を生やした亜人だった。

 肌こそ白いが、身につけている衣装はボロも同然、煤に塗れた顔と隈が浮かび上がった目元がなんともみすぼらしい。

 おまけに服の下に透けて見える身体は――女性とは思えぬほどに痩せていた。


 病魔に冒された街娼か。

 なんにしても汚らわしいことこの上ない。


「あっ! トマト! 妾の好物のトマトなのじゃ! お願いじゃ、恵んでくれんかのう!」


「黙れ! なぜ俺が恥を忍んで領民から盗ん――臨時徴収したトマトを、お前のような得体の知れぬ女に譲らねばならんのだ! 働かざるもの食うべからずだ!」


「うぅっ! そう言わずに! そうじゃ、恵んでくれたならば、そなたを余の眷属にしてやるぞ! 嬉しかろう、人間ごときが夜の女王たる妾の使徒となれるのじゃぞ!」


「黙れ! 誰がそんなものになるか!」


「だから、そんなに怒鳴らなくてもよいではないか……怖い男じゃのう」


 なにが夜の女王だ!

 街娼ごときが王を名乗るとは!

 私はこの街の正当なる領主なんだぞ!


 本当だったら!


 怒りにまかせて、俺はついつい手の中のトマトを女に向かって投げつけてしまった。

 三日ぶりの食事が――と嘆いた時にはもう襲い。赤く熟れた大地の恵みは、みすぼらしい角女の口内に収まっていた。


 都の空に俺の叫びが木霊する。


「んおぉっ! 一週間ぶりの食事なのじゃぁ! 五臓六腑に染み渡るのう!」


「貴様ァッ! よくも私のトマトを! 吐け! いますぐ吐き出せ! 俺のトマトを返してくれっ! 三日もなにも食べていないんだぞ!」


「じゃから! そんなに怒鳴るなと言うておろう! 分かった分かった! トマトを恵んでもらった礼は、ちゃんとしてやるから……!」


 私からトマトを奪った角女はそう言うと――海よりも蒼い瞳を煌々と輝かせた。


 得体の知れない怖気が背筋を走る!

 彼女にトマトを投げつけた手が震え、脚が石のように固まって動かなくなる!

 こんな女に、私が恐れを抱いているだと……!


「ふむ、妾の使徒にするにはみすぼらしい男だが……よかろう! 今は妾も力を失い、一匹でも多くの下僕が欲しいところじゃ! 特に赦す!」


「貴様、誰に向かってそんな口を……!」


 なんとかそう言い返した矢先、女は俺に近づくと――首筋に噛みついた。

 鈍痛が走ったかと思えば、私の体内を得体の知れない感覚が走る。


 魔法でもない、東洋の妖しい術とも違う。

 おどろおどろしくまがまがしいなにかが、自分の内に満ちていくのを感じる。

 そして自らの身体を書き換えていくのが――。


「うがァッ! き、貴様、いったい何を……ッ!」


「言ったであろう、妾の使徒にしてやると。喜べ。この極東の地に流れ着くまでに、妾はすべての使徒と眷属を失った。お主が妾の第一の僕だ」


「だ、誰がお前などの僕などに……うっ、うぅっ、ぐあああああっ!」



「どうじゃ永遠の命を得る悦びは? なに、すぐにお主も慣れる。夜の王たる妾の僕――吸血鬼としての生き方にな!」



 なんだと! 吸血鬼だって!

 そんな伝説の魔物が、なぜ私のモロルドに!


 というかその前に――!


「いま、昼間なんだけれどォオオオッ!」



「あ、しもうた! 妾としたことが、うっかりじゃ! 真祖は陽の下でも動けるから!」


 ヴァンパイアにとって太陽の光は大敵。

 少しでも浴びれば灰になる。路地裏で、光が少ないとはいえ昼は昼。


 吸血鬼になった私は、さっそく灰燼と化したのだった。

 なんとか角女――カミラのおかげで命は助かったが、それ以来私は日の光を浴びることができない闇の住人となってしまったのだった。


 おのれ、ケビン! やはり許さんぞ!

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