雪女牽制のため、旧都に逗留してからはやくも七日が過ぎた。
「……いくらなんでも慎重すぎやしないか?」
まるで厳戒態勢をあざ笑うかのように、ぴたりと雪女の犯行は止んだ。
そして、近衛隊たちの捜査も虚しく、依然として殺人鬼の行方はようとしれなかった。
殺人事件が起こらないのは素直に嬉しい。
旧都は微かにではあるが賑やかさを取り戻しつつあった。
しかし、根本的な解決ではない。
いつまた雪女の凶行が再開されるか。
はやく犯人を捕まえなくては――。
「ということで我が君、ちょっと旧都から出ていってもらえますか?」
「言葉遣いに反して、要求が不遜だなぁ……!」
あまりにも姿を見せない雪女に痺れを切らしたイーヴァンが、旧宮廷に置かれた対策本部で、唐突にそんなことを申し出て来た。
もちろん、雪女を捕まえられない腹いせではない。
彼なりに考えがあっての進言だ。
「警備の手が緩んだということを雪女側にアピールするためです。近衛隊を下げてしまうのは、やはり治安維持能力的にはよろしくない。もちろん我が君の、石兵玄武盤も抑止力ですが……ここはお任せください」
「そうだな。たしかに、このままだと千日手だ。頃合いとしても、俺が新都に帰っても不自然じゃない。雪女を炙り出すにはいいかもしれないな」
「いえ、行ってもらうのは新都じゃないです」
「…………なんだと?」
じゃあどこへ行けばいいんだ。
首を傾げる俺に、銀猫は懐から一枚の麻布を取り出した。
書かれていたのは「ケビン、戻ってきんしゃい」の文字。
木炭で書かれた文字には見覚えがあった。
「アドレの親父どのか!」
イーヴァンの父にして村長のアドレどのだ。
サキュバスと呼ばれた女の下に生まれ、すぐに育児放棄をされた俺は、アドレの親父どのに育てられた。彼は生来のお人好しで、困った人を放っておけないのだ。
そんな彼を慕い、村は貧しいながらも仲良くやっている。
俺も彼のやり方から学ばせてもらった。
小さな集落ではあるが、彼が治める故郷の村は、ある意味で人々の理想を体現した場所なのかもしれない。
そんな大恩人からの帰ってこいという要望だ。
もちろん無碍にできわけがない。
「ということで、我が君には生まれ故郷の我が村へと隠れてもらう。もし雪女が旧都に現れたなら、すぐに駆けつけられるように待機してもらう」
「まあ、構わないが……うぅむ……」
「親父もケビンのことを心配しているんだ。アンネのこともあるし、ひさしぶりに顔を出してやってくれ」
領民の不安を思えば軽率な行動はとれない。
この非常事態に一人のんきに村に戻るのも気が引ける。
もちろん、俺がこの街にいないことが、雪女の警戒を解くことは分かっているが――それでも無責任なことはしたくきない。
なにか別の方法はないだろうか?
そんな言葉が口から出かかった時――。
「参りましょう!!!! 旦那さまのご実家に!!!!」
「セリン⁉」
謁見の間に軽やかな声が響き渡った。
声の主は――新都で俺に変わって統治をしているセリン。
身体には紫電が走り、息は弾んでいる。
いかにも急いで駆けつけたという感じだ。
さては仙術を使ったな?
「お話には聞いておりましたが、一度ご主人さまが育った村を訪れたいと思っておりました。さらに育ての親のアドレさまにも、ご挨拶をしたかったのです。さあ参りましょう、すぐ参りましょう、いざ参りましょう!」
そして、どうやら会話も盗み聞いていたようだ。
さてはイーヴァン、こうなることも織り込み済みか。
あまりのトントン拍子に口を挟む暇もない。
いきまくセリンに気圧されて、俺は不本意な帰郷をすることになるのだった。
さて、アドレの親父どのが聞いたらなんというか……。
「ぴぃぴぃ♪ みんなでおでかけ、きっとたのしーの♪」
「こけっこー! くけけっ! こけぇーっ!」
村行きに乗り気なのはセリンだけではない。
ステラもトリストラム提督も、すっかりその気になってダンスを踊っている。
「なんやのん、自分の仕事をほっぽり出して、旦那はんと遊びに行こうやなんて。田舎娘はほんに、危機感ちうもんがあらへんみたいやねぇ」
「あら、旦那さまに着いてきたはいいものの、まったくいいところナシの無能な蜘蛛女が、なにかおっしゃいましたかしら? 貴女がもっと頑張っていれば、今回の騒動もすんなりと解決し、私の出る幕もなかったのではたのでは?」
「……ふふふ、なんや少し見んうちに、言うようになったやないの♪」
「旦那さまと会えない日々が、私を強くしたんですよ! こちらこそ、よくもやってくれましたねルーシー? 私がいないのをいいことに、旦那さまにあのような破廉恥な格好で迫るとは! あまりの怒りに父上から『神行歩の術』の手ほどきを受けましたよ!」
「ふふふふふ……!」
「ははははは……!」
さらにひと目をはばからず、視線で火花を散らす二人。
なんだかよく分からないが、この二人をアドレの親父どのに引き合わせるのは嫌だな。
嫁と仲良くやれていないのかと、いらぬ心配をさせそうだ。
「ステラ、悪いけれどここは二人だけでいこうか。旧都の守りにセリンもルーシーも居てくれた方が頼もしいし……!」
「ぴぃ? みんなでぴくにっくちゅーしなのぉ?」
「「そんな旦那さま(はん)!!!!」」
即座に矛を収め、息ぴったりに振り返った第一夫人と愛人。
普段からそれくらい仲良くしてくれればいいんだがな。
なんにせよ、久しぶりの帰郷はドタバタとしたものになりそうだ。
もうちょっと、モロルドの統治をしっかり果たしてから、村には戻るつもりだったのだけれど……。
領地経営も人生も、なかなかうまくいかないもんだ。