旧都より東に馬車で一刻とちょっと。
モロルド本島の南端から、東へと伸びる海岸線の先にある漁村。
生まれ故郷の村へと、俺はセリン、ステラ、ルーシーを伴って訪れた。
馬車の到着に村が騒然となる。
父が統治していた頃は、釣りの穴場くらいにしか思われていなかった、うら寂れた漁村である。若い頃に領主がお忍びで訪れていたが……もちろん、お忍びなのでこんな風に馬車が訪れることはない。
俺が領主の落胤だとバレ、迎えの使者がやってきた時くらいだ。
すぐさま、馬車に集まってくる、人々。
今日の漁獲物の仕分けをしていた漁師。
畑仕事をしていた農夫。
針仕事をしながら顔を出した女性陣。
そして、散歩をしていた老人と、広場を駆け回っていた子供たち。
今日もこの村は平和だ。
むしろ、俺たちが騒ぎを持ち込んだようで、ちょっと申し訳ない。
「なんだなんだ! いったいどうして、こんな立派な馬車が!」
「見るベえ! こりゃ領主さまの紋章だ! モロルド家の馬車だべよ!」
「するってえと、領主さまが来たってことか!」
「「「ところで、いまの領主さまって、誰だ?」」」
「俺だよ俺! 忘れるなよ、この村の子供だったじゃないか!」
「お、お前は……村長んところの、もっこり太郎(ケビンのあだ名)!」
「なんで恥ずかしいあだ名だけは覚えてるんだよ!!!!」
もちろん、わざと彼らもやっている。
顔見知りの村民たちからのからかいにため息が口を衝く。
それでも、長らく帰れていなかった故郷の人々の変わらぬ歓待に、張り詰めていた心が久しぶりの安らぎを得た。
「愉快な方々ですね、旦那さま」
「魚が獲れ、豊かな農地があると言っても、小さな村だ。みんなで助け合わねば生きていけない。必要に迫られて、みんなどうしても仲良くしてしまうんだ」
「ぴい! なかよしさんなのはいいことなの!」
「コケッコー! クックルドゥ! ぐわっぐわっ!」
「なんや田舎娘以上に騒がしい村やなぁ……ところで旦那はん? 村人が言ってた、もっこり太郎っていうのは、どういう意味なん?」
黙ってルーシーから目をそらした。
そらした先に待っていた、セリンの視線からも逃げた。
最後にたどり着いたステラの無垢な笑顔に、いよいよ泣きたくなった。
俺にそんな説明、求めないでくれ。
大人って子供にひどいあだ名をつけるよな。
「お~い! ケビ~ン! ケビンや~い!」
妻たちを前に顔を赤らめる俺の耳に懐かしい声が届く。
村の中央。
他の家よりも大きい木造の家から、あわてて飛び出してきた獣人の男。
すけこましというあだ名をつけられた息子と違い、ふさふさとした黒髪と髭を蓄えた冴えない小太りの男だ。
しかし、この村をその類い稀なる人徳でまとめ上げている村長は――血の繋がりのない義理の息子の凱旋に息を切らせて駆けつけた。
額に浮かんだ汗を拭い、背を折って息を整える。
俺が子供の頃はもう少しボリュームのあった髪には白髪が交じっていた。
しかし――。
「おぉっ! ケビン、元気そうだな! よかったよかった……!」
子の成長を心から喜ぶ顔は変わらなかった。
「ただいま、アドレの親父どの。すまない、しばらく帰れなくて」
「よいよい! 便りがないのは元気な証拠だ! わっはっはっは!」
成長をたしかめるように、肩を抱いて背中を撫でるアドレの親父どの。
きっと、この御仁は死ぬまでこうなのだろう。
「ふむ、お前も、急に領主を任されてさぞたいへんだっただろう! 病気などはしていないか? イーヴァンたちが、なにやらお前にいろいろさせようとしているが……なにかあったら相談するんだぞ! げんこつ喰らわしてやるからな!」
「はははは……頼りにしております、親父どの」
絶賛、イーヴァンの奴には振り回されているけれどな。
彼の息子を筆頭に、俺を領主に担ぎ上げようとした者たちは――みんなアドレの親父どのに育てられた義理の兄弟姉妹だ。
いざとなったら親父どのひと声で黙らせられる。
まあ、いざとなったら頼ってみるとしよう。
すっかりと落ち着いたアドレの親父どのが、ふと俺の背中に目を向ける。
馬車から出てきたセリンとステラ。そしてルーシーに、彼はぱちくりと瞳を瞬かせた。
その瞳が最終的に吸い込まれたのは――セリン。
「ふむ! ケビンよ、まさかこちらのお嬢さんは!」
「おはつにお目にかかります、アドレさま。私、モロルド領主ケビンさまの第一夫人にして正妻、誰よりも最初に彼の妻となった、セリンと申します」
強調するなぁ……!
自らの立場をきっちりアピールしたセリンは、驚くアドレの親父どの前でお辞儀をすると、その髪をさらりと揺らして上品に微笑んだ。
渇いた笑いが漏れそうになったところで、セイレーンの姫が二人の間に割って入る。
「ぴぃっ♪ だいにふじんのステラだよぉ♪ よろしくなのぉ♪」
第一夫人と違って無邪気な第二夫人。
これには第一夫人も黙るしかない。
そんな第二夫人も黒く細長い手によってどけられる。
「はじめまして。旦那はんから、一番の寵愛を賜っております、愛妾のルーシーと申します。以後、よしなに」
一番の寵愛と来たか……!
セリンとの正妻、愛妾論争は、もう第三夫人ということにして、決着させたいのだが、なかなかに二人とも頑固で困る。そして、どうやらアドレの親父どのに気に入られることで、二人はまた優劣をつけようとしているみたいだ。
ララが参戦したら、一発で彼女に軍配が上がるのにな。
「お養父さま。旦那さまのお世話は、このセリンめにお任せくださいまし」
「アドレはん。領主の仕事いうんは危険でかないまへんなぁ。けど、安心しておくれやし。うちが目を光らせて、悪い虫も、奸臣も、田舎娘も寄りつかんようにするさかいに」
「ちょっと! なんで私まで退ける対象に入ってるのよ!」
「なんや、田舎娘なんは認めはるんやね……!」
ムキになって張り合う、セリンとルーシー。
嫁たちの見苦しい姿を見せてしまったと、恥じる一方で――。
「おぉっ! なんと愛らしい! 白い翼が生えて――まるで天使のような娘だ!」
「ぴぃっ? ステラは天使じゃないよ? セイレーンだよ?」
「うむうむ! セイレーンとの間に生まれた娘なのか! でかした! よくやったぞ、ケビン! こんなにも利発な娘をこさえるとは! それでこそもっこり太郎!」
子供好きのアドレの親父は、二人ではなくステラを気に入るのだった。
そして、俺の娘と盛大に勘違いするのだった。
まあ、分からなくもないがな。
「こんな感じで、どんどんと子供を産んでもらうんだぞケビン! 子は宝だ! 島の宝なのだ! なに、子育てならワシがいくらでも手伝ってやるからな!」
言えない。
子育てどころか、子作りもできていないだなんて。
親父どののたいそうな悦びぶりに、俺は沈痛な思いで口を噤んだ。