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第102話 絶倫領主、銀猫の妹を見舞う

「そ、そういえば、聞いたぞアドレの親父! アンネに子供ができたんだって?」


「おぉ! イーヴァンから聞いたのか! そうなのだ、いま妊娠していてな!」


 いつまでも、嫁の話でいじられるのも嫌だった俺は、とっさにイーヴァンの妹――アンネの話を引き合いに出した。


 アンネはアドレの親父どのにとって実の娘だ。

 人ができている彼は、俺たちのような拾い子と、自分の子を差別することはないが――それでも大切な一人娘の子供には心も躍るだろう。


 というか、いつの間に結婚したんだ?


「驚いたぞ、イーヴァンの奴がなにも言わないから。いつの間に、そんないい人をこさえていたんだ?」


「いや、それがワシも驚きでな。ある日突然、妊娠したと打ち明けられて」


「…………うん? ちょっと待ってくれ? 驚いたとは?」


「それは驚くだろう! 男の影などなかった娘が、いきなり妊娠したのだから! 結婚もしていないし、相手も誰だか分からないんだ! いや、すわ大げんかだった! イーヴァンが見かねて間に入ってくれたから、丸く収まったが……!」


 なんと!


 アンネは結婚せずに身ごもったのか。

 それはイーヴァンも報告しないし、俺の耳にも届かないわけだ。


 貧乏な漁村とはいえ村長の娘。

 それなりの家に嫁ぐのが普通だろう。

 そんな女子が父親の分からぬ子を孕んだとなれば、口を噤むのも納得だ。


「アンネはイーヴァンと違って、男をとっかえひっかえするような娘ではないと思う。よほどのことがあったのだろう」


「うむ。アイツも、父親のことについては語りたがらない……」


「俺でよければ力になるぞ。いや、イーヴァンが既に手を回しているか。なんにしても、俺たちの大事なアンネを傷物にした……!」


 知らぬ仲ではない幼馴染。

 その身を襲った凶事に俺は義憤を募らせる。


 そんな矢先――。


「とはいえ! 獣人だからのう! 発情期などもあるから仕方がない! そのうち気が向いたら、父親についても教えてくれるだろう! どのようないきさつかは知らぬが、子に罪はない! ワシはアンネの子をちゃんと育てるつもりじゃぞ!」


 アドレの親父に俺はあっさりと梯子を外された。


「お、親父どの? しかし、アンネの気持ちも……」


「そもそも獣人が家やら血やらと気にしだしたのは、人間社会に関わるようになってからのことじゃからのう! 子供の親が分からぬというのは今でもよくある話! むしろ分かる方が珍しい方じゃ! 古くは、親子姉弟で子をなすというような話もあったと聞く! 気にする方がおかしいというものよ! わっはっはっは!」


 てっきり落ち込んでいるかと思ったが、どうやら違ったようだ。

 獣人と人間の価値観の違いという奴だな。


 思わず妻たちの方を振り返れば、彼女たちも困惑した顔をしていた。


「それに、アンネも落ち込んでおらん! これから生まれてくる子を、イーヴァンに負けぬ立派な男に育ててみせると、意気込んでおる!」


「……そ、そうか。まあ、アンネが納得しているのなら、それでいいかな」


「そうだ! せっかくだから挨拶してやってくれ! もう臨月も間近でな、部屋に籠もっていてすっかり退屈しておる! ララがときどき、話し相手に見舞ってくれておったのだが、最近はそれもなくなってな! お主が来たら、いい気晴らしになるだろうて!」


 まさか、ララもアンネの妊娠を知っていたとは。

 知らぬは俺ばかりか。


 話してくれればよかったのにと幼馴染みたちのことを水くさく思いながら、俺はアドレのい親父どのの家へと向かう。

 昔、イーヴァンたちと走り回った、入ってすぐの広間を抜けて――昔からのアンネの部屋へと近づけば、俺はその扉を控えめに叩いた。


「…………兄さん?」


 懐かしい、けれども少し大人びた、幼馴染みの妹の声にドキッとする。

 記憶の中にあるアンネはいつも活発で、悪さばかりするイーヴァンと俺を、後ろから追いかけ回している印象があった。

 それがすっかり落ち着いて。


 これが母になるということか。


 おそるおそると扉を引く。

 銀猫とは打って変わって、焦げ茶色をしたツタのような髪をふんわりと揺らして、乙女がこちらを振り向いた。


 記憶の中では健康的に焼けていた肌は、少し白くなったように感じる。

 小さかった身体にはしっかりと肉がつき、もはや少女の面影などない。

 腰まで伸ばしていた髪を、肩のところで切りそろえた幼馴染みの妹は、予想もしない訪問者の登場に目を瞬かせながら、大事な子が宿っているお腹をさすった。


「……もしかして、ケビン兄さん?」


「あぁ、そうだよ。久しぶりだな、アンネ」


「久しぶり! 元気にしていた! あっ……私は、兄さんから話は聞いていたけれど! モロルドの領主になったんですってね! すごいわ、信じられない!」


「ははっ、俺も信じられないよ……」


 見た目の変化とは裏腹に、人なつっこくお喋りなところは変わらない。

 口元に手を当てて、嬉しそうにはしゃぐ姿に安堵しながら、俺はアンネのベッド前に置かれている、背の低い椅子へと腰掛けた。


 それから彼女の膨れたお腹に目を向ける。


「妊娠したんだって? おめでとう! 元気そうでよかったよ!」


「ありがとう、ケビン兄さん」


「なにか困っていることはないか? 俺にできることならなんだって協力するぞ?」


「いやね、たかが出産じゃない。大げさなのよ、ケビン兄さんも、父さんも、兄さんも」


 大げさで済ましていいのだろうか?


 喉まで出かけた質問を、胃の中に押し戻す。

 アンネの決断――父親を明かさず、結婚せずに、自分一人で子供を育てるという決意を、幼馴染みとして尊重することにした。


 なによりも、今の彼女に必要なのは励ましだ。


「じゃあ、なにかあればいつでも相談にくるんだぞ?」


「……ケビン兄さんは、やっぱり優しいね。兄さんが、王の器って言うだけあるわ」


「アイツ、自分の妹になにを吹き込んでいるんだ」


「本当よね。私、ちょっと妬いちゃったもの」


 彼女はそっと俺の手を引いて、新しい生命が宿ったお腹に誘う。

 母の温もりとそこに眠る生命の脈動に、俺はしばし言葉を失った。

 そんな俺を、ひとつはやく大人になった幼馴染みが、クスクスと笑った。


「ケビン兄さんも、兄さんと同じ顔をするのね?」


「それは、だって……なぁ?」


「ケビン兄さんのお嫁さんも大変そうね……ふふっ」


 アンネが視線を上げる。

 銀猫と同じ黄色い瞳が見据える先には――部屋の入り口の扉から、顔だけを出して、こちらをうかがっている妻たちの姿があった。

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