魔王を睨みつけるユウタ、それを何か可哀想なものを見るかのような目で見る魔王。他の誰から見ても、勝負にならないことくらいわかる。それでも、ユウタの無謀は止まらない。彼の頭の中では、ネージュが考察した通り『魔王は弱っている』ことになっているのだ。先刻の恐ろしいまでの力と再生能力を目にしてもまだそんな甘い考えを持っているというのは、ある意味すごいことなのかもしれないが、ここではまったく意味を為さない。
ロベリアが詠唱を終えて、こぶし大の無数の炎の球を魔王目掛けて放つ。
「おお、たくさん作ったのか、うんうん」
何でもないことのように、魔王はその炎の球を一つずつ片手で受け止め、握りつぶしていった。最後の三つを取ると、それでお手玉を始める。その間にもユウタは魔王へと斬りかかっていっていたのだが、全ての動きを見切って動く魔王には傷一つつけられなかった。
「人間にもこんな術が使えるのだな、すごいぞ」
貴殿は魔法の素養が高い家系なのか? と興味深そうに言って、一つ炎の球を投げ返した。魔王がかけた術によって、ロベリアが放った時の大きさの2倍に膨れ上がった炎の球が、ロベリアの自慢の髪をじゅっと音を立てて掠める。
「ひぃっ」
己の髪から漂うたんぱく質が焼けるにおいに、ロベリアは涙目になっていた。後ずさろうにも、足をツタに拘束されて思うように動けない。改めて、命の危機を自覚させられたのだろうか、額には脂汗が浮かび上がっていた。
「攻撃するということは、される覚悟がある、ということだ。やりっぱなしなんてことは戦においては普通あり得んぞ」
今更悲鳴を上げるやつがあるか、と魔王はあきれたような声を出す。
「だから我は自分からはやらんのだ。痛いのは好かん」
おどけて肩を竦める魔王に、ユウタは次こそ、と剣を振り上げた。
魔王は己の右腕を瞬時に鋼鉄の如き竜の鱗で覆い、その剣を受け止める。ガチン、と音を立てた鱗は、罠のようにユウタの刃を咥えこんでしまった。ユウタは引こうとしてもびくとも動かない剣に狼狽える。
「どうした?」
その顔に微笑みさえ湛えながら、魔王は問う。押しても引いても動かない剣から、ユウタが手を離そうとしたその時だ。
「逃げるな」
魔王は、ユウタのその手首を左手でがっしりと掴んだ。
ユウタの腕は鍛え上げられたものとはいえず、その手首も、掴みこんできた魔王の手の人差し指と親指がついてしまうくらいに細い。少しずつ力を込めてユウタの手首をぎりぎりと締めあげながら、魔王はユウタに顔を近づける。
「その程度の覚悟で我に挑んできたのか? その程度で? 大した鍛錬もせずに、何をしに来た?」
「は、放せ……僕は勇者、この世界からの加護を受けて……ッ」
ここまでの差を見せつけられてなお、ユウタは自分が特別な存在であるという主張をやめない。魔王はユウタの言葉に目を丸くすると、大口を開けてあっはっはと笑った。
「何がおかしい!!」
「あっはははは、すまんすまん、いや、全てがおかしくてなあ」
ぽい、とユウタの手首を放すと、魔王は地面に叩きつけられたユウタを見下ろして、己の腕の鱗に刺さった剣を取り除いて地に落とし、踏みつけて砕くと告げた。
「誰に吹き込まれた」
瞳の奥が冷たく光っている。――吹き込まれた。かつて自分がフレイアに言ったことなど、ユウタはすっかり忘れているだろう。魔王はわかっていて敢えて聞いている。
誰に、勇者としてふるまえと言われた。
誰に、魔王を倒せと言われた。
誰に、魔族を根絶やしにせよと言われた。
そのすべてを込めて。
「現アロガンツィア国王、アロガンツィア二十五世より命を……!」
「そいつがなんだというのだ」
呆れたようにため息をつき、魔王はしゃがみ込んでユウタの顔を覗き込んだ。片膝を着いて立ち上がろうとしたユウタは、目の前の魔王の顔を睨みつけて、懐から何かを取り出す。
それは、ユウタの手のひらにちょうどおさまるくらいの魔法石であった。
「世界から受けし加護を……今こそ!」
言いながら、ユウタは魔法石を握った手を大地につけた。魔法石はまばゆい光を放ち――大地から生命力を奪っていく、と思われたその時。
「いっ……!?」
ダンッ、と勢いよく、魔王のブーツのヒールがユウタの手を踏みつけたのだ。魔法石は、ユウタの手の骨ごと砕かれる。
「させると思ったか? 待ってくれると思ったか? どこまでも甘いな」
「ぐ、うう、あ……」
骨を砕かれて悶絶するユウタは、か細くネージュの名前を呼ぶ。
「教えてやろう、その魔法石は加護でも何でもない。触れたものから生命力を奪うための力を、増幅させるものだ」
え、とユウタは顔を上げる。
魔王を倒すためにはこの魔法石を握っていつも通り大地からの加護を受け取るといい、とアロガンツィア王に戴いたものなのに。それに、生命力を『奪う』? 何を言われているんだ、とユウタはあっけに取られたような顔をしていた。黙っていられなくなったメリアが叫んだ。
「あなたが! あちこちで大地の生命力を奪って汚染してを繰り返してるんじゃない!!」
「メリア」
今にも飛び出していきそうなメリアをマルタンは止める。青筋を立てて呼吸を荒くするメリアの気持ちも、わからなくはない。自分も死にかけ、里も壊滅状態へ追いやられた彼女が怒り狂うのは無理もないことだ。
「は、はは、奪う? 違う、世界は望んで僕に力を……」
「笑わせる。考えてもみろ、自ら望んで力を渡したものが、こんなに疲弊しきって淀むと思うか……?」
先刻ユウタに生命力を吸い取られてぐちゃぐちゃの泥濘になってしまった場所を指さして、魔王は踏みつけたユウタの手をそっと取った。
「い、痛ッ……」
痛がるユウタを無視し、その手の中にある粉々に砕けた魔法石を回収するとユウタの眼前に突きつけた。
「この色を見ても、神聖なものだと信じるのか?」
魔王が踏みつける前に、ほんのわずか大地から生命力を奪っていた魔法石は禍々しい黒い色をしていた。
「なん、で……?」
「貴様の能力は、『世界から生命力を奪う』こと。そして、その生命力から転化して魔法を放つことができるが、その際に反動として己に帰る残滓……いわば魔力の汚れを『世界に押し付けること』だろう、……まさか、理解せずに行使していたのか」
ユウタは信じられないとばかりに首を振る。
「僕は……召喚されたときに願ったんだ、誰よりも強い力が欲しいと……」
「ほう」
それで手に入れたのが、無制限に強化魔法を仲間に施す力だった、とユウタは言った。正直に話したことに勇は少し驚いたが、それと同時にそんなうまい話ないでしょ、と呆れる。
「なあ、アロガンツィアの勇者よ。力とは、代償なく手に入るものだと思うか?」
魔王は冷たく問う。もう一度、貴様の周囲を見てみろ、と。
淀む大地、疲れと恐れに震えあがっている呪術師、冷めた瞳でこちらを注視しているヒーラー、黒いドラゴンに踏まれて身動きを取れずにいる猟師。やっと、やっと周囲に目を向けて、ユウタは愕然とした。勝ち目がないと、今更悟る。
「力を奪われたものは滅ぶ。力を行使した者は疲弊する。汚れを押し付けられたものは腐る。至極当然の事」
「……」
「貴様の浅慮でここまで世界を狂わせたことをまず自覚してほしいものだな」
貴様が望んで得た力は、己へ一切負担をかけないその代わりに、他者に、世界に代償を背負わせるものだったと認めろ、と魔王は静かに言う。
「そん、な、僕は、ただ」
「ただ世界を? 救いたかった? 全く面白くない冗談だな。それ以前に貴様がこの世界に来た時点で『世界は危機に瀕していた』と言えるか?」
「それは、王が……!」
言いかけたユウタにかぶせるように魔王は言った。
「王が、王が……! 貴様にはそれしかないのか。その目で見ず、状況を把握せずに何が救世だ、恥を知れ!!」
そして、魔法を使うでも剣を取るでもなくユウタの左頬を強く引っぱたいた。