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第2話

「バ……バイコーンだ!!」

 門番が悲鳴を上げる。

 午前9時。王都アロガンツィアの北門に、魔王は馬車をぴったりとつけた。バイコーンは不吉の象徴。黒い大きな体に禍々しい紫色の二本の角、馬の姿をしているのに、一切の音を立てない不気味な歩行。人間たちのあいだでは、魔王の使いたるバイコーンが通った場所には次々と厄災が起こると囁かれている。そもそも魔王がバイコーンを使役して、人間たちが暮らすところに降りるなど滅多にないことなので、その話についてもおとぎ話の類だったが、実際に伝承通りの魔獣が目の前に現れると、屈強な門番達であっても慌てふためいて王城へ報告へ走るほどであった。

 門の前に残った方の門番が問う。

「な、何用か」

 金の装飾を施した馬車から降りると、魔王はにこりと微笑んで小首を傾げる。

「やあ、急な訪問ですまない」

「……貴様は」

「現魔王、フィニスである。今日は、アロガンツィアからのお客人を送り届けに来た」

「何……」

 門番は馬車の中にいる人物を見てぎょっとする。

 そこには、借りてきた猫のようにおとなしく足をそろえ、俯いて座っているユウタがいた。普段ならばこんなに小さくなって座ることはあり得ない。こんなに広い馬車ならば、どっかと背もたれに寄りかかって足を組んで尊大な態度でかけているはずなのに。その横にはロベリア。彼女も、どこか疲れ切った様子だった。ユウタとは視線を合わせようとしていない。そして、その向かいにはネージュ。いつもの白い修道服に、ベール。落ち着いた様子で静かにそこに座っていた。


「入れてくれるか? 王に直接この人らをお返ししたい」

「な、何が望みだ!」

 門番は震える声で問う。魔王の圧倒的な強者のオーラに押しつぶされそうになりながら、要求を聞く、と言うのだ。マルタンはその様子を馬車の窓から静かに窺っていた。

 かわいそうな門番に、魔王は笑った。

「望み? 代わりに何が欲しいとか、そういうことは無い。……だが、そうだな」

 魔王が言いかけたところで、北門に黒い馬が到着した。馬上から、彼は叫ぶ。

「大事ないか、下がれ!!」

 この国で最も強いのは、彼――グラナードである。

 真っ白な軍服、真っ白なマント。戦闘の後、彼の白を染めるのは返り血のみ。王国の騎士となってからは、彼は一度だって深手を負ったことがない。

 自分よりも練度が低いと見える門番をすぐに後ろへ下げ、ひらりと馬から降りると、物怖じする様子も見せずに魔王の前に自ら歩み出ていった。

「初にお目にかかる。私はアロガンツィア王国近衛部隊隊長、グラナード=エル=メランジェ。貴殿が現魔王殿で相違ないだろうか」

 胸に手をあてて軽く腰を折り、礼をしたグラナードに、魔王は同じように礼を返した。

「ご丁寧にありがとう、いかにも、我が現魔王フィニスだ」

「……アロガンツィアへの害意はないとお見受けするが、用件をお話しいただけるだろうか」

 二人の様子をグラナードの背後から見ているアロガンツィア兵に、マルタン達は馬車の中から注意を払う。もし、おかしな動きをしたならば、を止めねばならない。魔王の強さも、一般人を傷つける気がないことも、そして、直接見てはいないもののグラナードの強さも知っている。あの二人が本気で打ち合う事は、恐らくない。この会話だって、茶番に過ぎないとマルタンはわかっていた。

 ――フィニスホルンを発つ前に、伝書ハヤブサを飛ばしていたのだから……。

「話が早いな、そちらの国の勇者殿をお連れしたのでお返ししたいのだが、ただ返すというのもこちらとしては……なので、王城前広場で少し話をしたくてな」

「と、いうと」

「正直、我らはこの勇者にはたくさん迷惑をかけられてきてな。で、その迷惑というのが、魔族の内に留まらぬことになりそうだ、ということを人間たちにも伝えたいと、そう思ってな」

 グラナードの背後で兵士が叫ぶ。

「グラナード殿! 魔王の話などに耳を傾けてはなりません」

「……お前たち、口を慎め。今は魔王殿は攻撃の意思はないとおっしゃっている。お前たちの不躾な発言で気が変わられたらどうするつもりだ」

 軽く振り向いて、ぴしゃりと叱責すると、グラナードは再度魔王を見る。

「承知した。すぐに王城前広場に人を集めよう。しかし、民衆は魔族を恐れているからうまく行くかは知れない。それと、万一のことが起こらないよう、勇者一行を守るためと気が変わってしまった場合のあなたを止めるための警備を厚くさせてもらいたい」

「ああ、構わない」

「それでは、案内しよう」

 魔王は頷くと、それぞれの馬車に降りるようにと声をかけた。パチンとひとつ指を鳴らすと、バイコーンは音もなく霧に溶け去り、馬車も淡い光の粒となって空へ解けていく。

「グラナード殿! 何をしているのです、早く魔王の首を!」

 ユウタは喚くが、グラナードは静かに首を横に振った。魔王の術により手を祈りの形に組んだまま動かせないユウタだが、もし自由であったならグラナードに掴みかかっていたかもしれない。それができない代わりに、噛みつくようにグラナードへ詰め寄る。

「なんで……! まさかあなたは魔王に加担するおつもりか!?」

「ユウタ殿、おやめください。……騎士というのは、己の力量を正確に理解しております。今の私では、魔王殿とは遊んでいただくことも出来ない。仮にできたとしても、今はあなたの命がかかっているのです。そのような暴挙には出られません」

「……そんな」

 愕然とするユウタに、グラナードは安心させるように、優しい声色で続けた。

「大丈夫です、あなたがたの事は近衛部隊がお守りします」

 過去のユウタであれば、自信に満ちた表情で「頼む」と返していたことだろう。今は見る影もなく、背を丸めて魔王に連行されていくだけ。その後ろに続くロベリアは、どこかすっきりした顔をしていた。馬車の中でいろいろ考えていたのだろう、彼女の中では、ユウタがどうなろうともうどうでもいいし、自分の命だってなるようにしかならないと、半ば自暴自棄にもなっていたのかもしれない。その後ろで、ネージュだけがアロガンツィアを発った時と変わらぬ穏やかな顔で、しずしずとついてきていた。

(とんだ名優だな、ありゃ)

 アドラはその様子を見て、苦笑いをかみ殺す。

 マルタンたちは、これからネージュがしようとしていることをなんとなくわかっている。

 その程度がどれくらいかこそわからないが、恐らくは国がひっくり返ってしまうようなことの、その火種を撒こうとしていることはわかった。そして、自分たちがその舞台に上がらねばならないということも。

 もとより平和主義のマルタンはこんなことに関わる羽目になるなんて、学校で過ごしている頃は思いもしなかった。それでも、世界に危機が迫っているのならばやらなければならない。見てきたもの、聞いてきたこと、感じたこと、そのすべてをもって、世界を守らなければならない。悪意あるものに、抵抗しなければならない。


 広場に到着すると、そこに王の姿はなかった。やはり王は安全な場所で控えていた方がいいという判断になったのだろう。ユウタは、自分が魔王に連行されたというのに顔を見せてくれない王の名を何度も呼んだ。王城のバルコニーにその声は届いているし、グラナードの話ではバルコニーから王の間へつながる窓と扉は開いているので声はすべて聞こえるようになっているというのに、バルコニーには一つの人影もない。目を凝らして白い手すりのあたりを見ても、誰も。

 グラナードは、「勇者が敵地から帰り広場で演説をする」と民衆に伝えたらしく、昼下がりの広場にはもう人だかりができていた。魔族がいるという事さえ知らされていなかった民衆は、その先頭に立つ魔王の存在に悲鳴を上げた。もちろん、人々は魔王の姿など見たことは無かったので、彼が魔王ということはわからなかっただろう。しかし、その頭上の二本のねじれた山羊の角と隠しきれない魔力の迸りを見て、瞬時にその男が人間ではないと理解したのだ。逃げようと惑う民衆に、魔王は告げた。

「信じてはもらえんかもしれないが、人間を害するつもりはない。落ち着いてほしい」

 民衆の中から勇気を振り絞った青年が叫んだ。

「誰が信じるか! 俺たちを殺しに来たんだろう!!」

 そうはさせない、と剣をもって家から飛び出てきた中年男性が喚く。

「魔王、覚悟!」

 魔王は軽くため息をつくと、その中年の前に右手のひらをかざす。ぴたり、と動きを止められた男は、何が起きているのかわからずに瞬きだけを繰り返した。四肢が動かない。唇もだ。


「皆、見えるだろうか。このくらいの魔法であれば、我にとっては造作もないこと。言ってしまえば、この街ひとつ吹き飛ばすことも我にとってはホットケーキをひっくり返すことと同じ。それを敢えて理由を汲んでほしい」

 言いながら、男を押し戻して解放してやる。

 男は、魔王に捕縛されながらも傷一つなかったこと、そして一時的に瞬きと呼吸以外の一切を封じられてなお生きていることに、安堵とで情けなくもぼろぼろ泣き出してしまった。

 その様子を見ていた民衆は恐れおののいて逃げるものもいたが、そこにとどまり魔王の話を聞こうとするものも同程度残った。生まれた時から魔族は悪しき者と教えられてきた人々は、魔王が王都に来るということは王都を陥落させる目的でしかないと思い込んでいたのである。しかし、今ここで魔王は、街を落とすつもりはない、とはっきり言った。それが本当か嘘かはわからないが、あの中年をいとも簡単に止めてしまったこと。もし、王国軍が数で押したとしても同じように堰き止めてしまうのだろうということも容易に想像できる。つまりは、アロガンツィアが束になってかかっていってもこの魔王一人についての勝算がないということだ。それほどまでの強者が、殺意をもたずにアロガンツィアに現れた。

 これがどういうことなのか、真相を知ろうとする者はその目をユウタと魔王へ向けた。


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