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第5話

 しんと静まり返る広場、一瞬で民衆の視線がマルタンに集まる。

 この魔物が、アロガンツィア一の射手アイザックを殺害した。

 視線が、そう言っていた。

 突き刺さる民衆の視線、その鋭さにマルタンは思わず身を縮こめる。


「こいつが……!?」

「こんな弱そうなネズミが、あのアイザックを葬ったってのか」

 驚きを口にする人々に、マルタンはどう説明するか迷ってしまった。やっていないと言っても、きっとここにいる人間たちは魔族に対していい感情なんて持っていない。信じてもらえないだろう。それに、弁解をしたところでアイザックに噛みついたのは事実だ。正直者であるがゆえに、マルタンは口を噤んだ。

 その時。


「私は生きておりますよ」


 民衆の中から、一人の男が声を上げた。

 その声に、マルタンは顔を上げる。

「アイザックさん……?」

 声を上げた男へ視線を向ける。男がマルタンのそばへ近づいてきた。前に会ったときの栗色のくせ毛ではなく、長い髪を後ろで束ねていた。右目には眼帯もしている。けれど、声とにおいでわかる。この人は、アイザックだ。


「アイザックは死んだと聞いたよな?」

「ええ、王室広報からそのように訃報が届いてたわ」

「どういうことだ……」


 口々に囁き合う民衆の前で、アイザックは結んだ髪の毛に手をかけて、くっと引っ張った。かつらがするりと取れて、前に見た猫っ毛が見えた。眼帯も外して見せると、鳶色の瞳が覗く。アイザックは、マルタンの方をちら、とみると、にっこり笑って見せた。アイザックの笑顔を見られたことを嬉しく思ったのもつかの間、マルタンは不安に襲われる。あの時に死んだことにして逃亡したはずのアイザックが、ここに来てしまっていいのだろうか。マルタンの百面相に気づいて、アイザックは小さくマルタンに告げる。

「ご安心ください、マルタン殿。私は自分の意思で、あなた方の力になるべくここへ来ました」

 そして、体の正面を人々に向け、広場に響く声で宣言した。

「あの時救われた命をここで見せずしてどうしましょう、私もあの日起きたことを皆さんに伝えたく、恥ずかしながら帰って参りました!!」

 救われた命、という言葉に、周囲は騒めく。あの時に入れ違いになってユウタに連れていかれてしまったアドラはアイザックの生死を知らなかったが、マルタンのことだから命を奪うことはしないとわかっていた。こんなところで恩を返しに来るなんて、人間も捨てたもんじゃないな、とアドラはわずかに微笑む。

「アイザック!!」

 ユウタの怒声が響いた。顔には明らかに焦りの色が見える。アイザックは涼しい顔でユウタの呼びかけに答えた。

「……ユウタ殿、マルタン殿は私を殺しはしませんでした。私の命を軽視したのは、むしろあなたの方です」


 勇が作った治療薬を飲んで麻痺から回復したアイザックは、マルタンたちと別れた後ディムベリスを目指した。ディムベリスならば、アロガンツィアから離れていることもあり、自分を知っている者もいないことだろう。自分の狩りの腕が役に立つ場所で生きようと考えたのだ。

 新しい人生を歩み始める前に、アイザックは思い立った。このままでは、自分の訃報を故郷に流されてしまう。王都では別にどう報道されても構わないと思ったが、大切な家族には本当のことを知っておいてほしかった。それで、筆を執ったという。故郷への手紙と、もう一通。別れ際にマルタンが、もしも困ったときは王都に頼れる人がいる、と言ったのを思い出したのである。その人物の名は――グラナード。



 伝書生物である伝書フクロウを飛ばしてから数週後、ディムベリスに雪がちらつき始めた頃に、港に見慣れない船が入ってきた。その船から降りてきたヤマネコの亜人は、港で船を見物していたアイザックを見つけるとすぐに駆け寄ってきた。

「はじめまして、あんたがアイザックかな?」

 ヤマネコの太い尾を揺らしながら、人懐っこい笑顔でスピネルはそう尋ねた。なぜ自分を知っているのかと驚いたアイザックに、スピネルはグラナードに送ったはずの手紙をひらりと差し出し、続けた。

「あんたがこの手紙を送った相手、その人が俺たちにアイザックを迎えに行ってやれって、連絡を寄越したんだ。この通り俺はヤマネコの亜人なので、一般人よりは嗅覚が発達してるわけね、そんであんたの匂いを見つけたんだけどさ。まったく猫遣いが荒いんだから」

 船の上では、眼帯を付けた男が船べりに腰かけて待っている。

「伝書生物は行った事のある場所にしか飛ばせない。グラナードはディムベリスに赴いたことは無かったわけよ。んで、俺たちが派遣されたわけ」

 アイザックは、グラナードへの文には「自分は生存している」という旨しか書かなかった。伝書生物は基本的に依頼主が指定した相手にまっすぐ届けてくれる。そのため、他の者が先に目にするという可能性は限りなく低かったが、マルタンに関する情報を書いて万が一何か不都合があっては困るからだ。

「最も、あんたがそっとしといてほしい、この街でひっそり狩人をやってたいってんなら、それでもいいってグラナードは言ってるよ。どうしたい?」

 王国からは隠れ、死んだことにしてディムベリスで静かに生きるのか、大きく揺れるであろうアロガンツィアに向かい、危険を冒してでも『あの日あったこと』を語るのか。スピネルの語り口には強制的なところはひとつもなかった。けれど、アイザックの中ではとうに決まっていた。グラナードに手紙を送った時点で、彼はもう、こうなることを望んでいたのかもしれない。スピネルの問いに、間を置かずアイザックは短く答えた。

「連れて行ってください」

「よっしゃ、決まりだ!」

 スピネルはアイザックと固く握手を交わすと、彼を船に招いた。グロセイアが、「王都についてからの命の保障はねえぞ」と念を押す。

「私も、私の正しいと思うことを行いたいのです」

 ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします、と頭を下げるアイザックに、グロセイアは苦笑いを浮かべた。

マルタンたちに関われば、王国のしもべもこの通り変わるわけか――と。

そして、グラナードの計算通りに事が運んで、ここへきたのが無駄足にならなかったことをわずかに喜ばしく思うような顔をして、すぐに船を出したのだった。



 三人は商人を装いヴェステリケ港に入り、そこから歩いて王都へ向かったという。到着したのは、数日前。変装したまま、都に潜り込んでいたのだ。

 ユウタ達を守るようにマルタンたち魔族との間に立っていたグラナードは、舞台に上がってきたアイザックを見て、何かを肯定するようにゆっくりと瞬きをした。その仕草に応えるようにアイザックは口を開く。

「――なぜ王都では私が死んだことになっているのでしょうね」

 広場の空気が、わずかに揺れた。

「それは、死にかけていた私をユウタ殿が置き去りにしたからです。ユウタ殿は私を看取っていない。そのまま死んだと思ったのでしょう? 麻痺により動けなくなった私を見捨て、捕虜の方を連れて去ったのです」

「アイザック!!」

 反射的に怒鳴りつけてしまったユウタは、慌てて言い訳を始める。

「いや、えっと、お前はあの時麻痺で混乱していたんだ、よく覚えていないんだろう? きっと気を失ってしまったんだ! それで、僕は残念だがお前ほど大柄な男を運ぶのは無理と判断し、やむを得ず、あの森へ残してきてしまったんだ、もちろん、王都へ一度戻り、丁重に弔うつもりでいたさ……! でも、あの時は」

「何言ってんのよ」

 鋭く割り込んだ声にユウタが振り向く。

「あんたまだ生きてるアイザックをどうするか聞かれて“捨て置け”って言ったじゃないの、はっきり」

「ロ、ロベリアアアァァ!!」

 あの時居合わせた呪術師――ロベリアが、アイザックの援護をするように言葉を繋げた。驚いてアイザックはユウタに怒鳴られたロベリアの方を見る。

「私も殺されかけたのよ、……偉大なる勇者様にね!」

「な、何を、何を……」

 わなわなと震えるユウタに、ロベリアはマゼンタの瞳の奥の恨みをすべて吐き出すように罵声を浴びせた。

「何が勇者よ! 味方の一人も救えない、魔王に一太刀も浴びせられない、愚図! 卑怯者!」

「な……」

 怒りとパニックが入り混じり、ユウタの腹の底が急速に凍り付いていく。

 ――遠くに、民衆が囁き合う声が聞こえた。


「……なんだ? 仲間割れか?」

「ロベリアだっけ? 呪術師の子、ずいぶんと口が悪いな……」

「でも、魔王にあっという間にやられちまったってのは本当っぽくないか?」

「まあ、現にこうやって連行されちゃってるわけだしな」

「だなあ、アイザックの死も嘘だったわけだろ?」

「俺、ユウタ様が信じられなくなってきた……」


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