「どうして! どうしてそいつを殺さなかった! あんたも同罪よ!!」
急に立ち上がった婦人が叫ぶ。
グラナードはそういう反応が来ることをある程度予想していたのだろう、心苦しそうに顔を歪めるだけ。謝罪をしたって、それは謝罪にはならない。箱に術を付与したあの呪術兵を逃がしたことを、罪と思ってはいないからだ。自らが悪いと思っていないことを口先だけで謝ることは、誠意と言えないと思い、彼女の『どうして』の部分にのみ答えることにした。
「それは、彼が自分の意思であの働きをしたわけではないからです。してはいけないことでしたが、家族を人質に取られてどうしようもなかったようですね。まるで誰かと同じだ」
その視線を、ソレイユにそっと向ける。ソレイユはグラナードの視線に気づいて、そちらへ顔を向けると眉を寄せた。マルタンは、そっとソレイユに寄り添う。きっと、逃げた呪術兵もソレイユのように後悔を抱えているだろう。
「失礼。……つまり、ユウタ殿は自分を担ぎ上げた王と同じ思考方法になっていたということですね」
影響されやすい存在というのは洗脳も容易くてやりやすかったでしょうね、と続ける。婦人は、般若の様相で吼えるように泣き叫んだ。
「どいつもこいつも許されるもんか、人殺し!! アロガンツィアのクソジジイが! 王の器じゃないわ! 夫を返せ!! できないならお前が死ね! 殺してやる!」
「ちょっと、落ち着いて……」
腕には赤子をしっかり抱いたまま、婦人は老婆の制止を振り切った。
「殺してやる! その兵も、そいつを殺せなかった近衛隊長も、王も、みんな殺してやる!!」
激しい怒りと憎悪に身を任せ、婦人は人混みをかき分けて、舞台のほうへ歩み出ると、一段高い位置にいるグラナードを睨み上げる。殺すと喚いているけれど、もちろん彼女の手には凶器もない。魔法を使えるわけでもない。ただ、激昂しているだけだとわかる。それでも、アロガンツィア兵は許さなかった。
「女! 口が過ぎるぞ!」
「うるさい!! 家族を殺された私の気持ちがわかるか!」
周囲の民衆は押し黙ってしまった。それぞれが、自分ならどうしただろうと、呪術兵と婦人、両方の立場を思い息を潜める。
「侮辱だ……王に対する侮辱だ! こんな危険な女を放って良いのか!」
ユウタが叫ぶ。
アロガンツィア兵は、剣を抜いた。
マルタンは舞台を飛び降りて、婦人を庇うように立つ。そして、頬袋に空気をためてバリアを展開した。自らの前にネズミの姿の魔物が立ち、兵士の剣から庇うべくバリアを張ったことに、婦人は驚いて目を見開く。バチッ、とバリアの外側が兵士の剣を弾き、大きな火花が散った。
「お怪我はないですか!」
マルタンの問いに、婦人は動揺を露わにしながらも答える。
「え、ええ、でも、あなた、どうして……」
「あなたもあかちゃんも、ここで死んでしまってはいけないから」
きっと、赤ちゃんのお父さんが悲しむから、と続け、マルタンは婦人と赤子を背に庇い、兵士を見上げる。兵士はその目の鋭さに一瞬怯んで、息を飲んだ。
「何をしている! 不敬な逆賊は早く処刑しろ!」
追い打ちをかけるように叫んだユウタの声に応えなければと再度剣を振り上げた兵士の前に躍り出たのは、次はマルタンではなかった。
「もう、たくさんだよ」
どこから現れたのか、群衆の中から飛び出てきたのはがっしりとした体躯の青年だった。右前腕に構えたバックラーで、剣を弾く。その際に、被っていた布がはらりと地に落ちた。
「ナルさん!」
以前見た時はオールバックに撫でつけられていた潮風で傷んでいる焦げ茶色の髪の毛は、今日は無造作に流されている。つぶらな赤褐色の瞳は、守る意志のおかげでなんとか揺れずにいるが、その奥底の臆病さまでは隠しきれていない。本当は戦いたくないんだ、とマルタンには伝わった。それでも、目の前にいる親子を守るために飛び出てきたのはきっと過去の自分と重なったからだろう。
人々は、彼が人間であれば耳があるはずの場所にそれがなく、頭上に丸みのある獣の耳が存在することに気づいた。
「亜人だ……」
「亜人が人間を助けた……?」
ざわざわと騒めく会場、グラナードは兵士に視線で下がるように指示を送る。
「人間とか、亜人とか、どうでもいい。もう人が死ぬのはたくさんだ」
ナルは震える声でそう言った。うん、とマルタンは頷く。
「何の権利があって剣を振るって人の命を奪う? そんなことをして、邪魔なものを消して満足?」
邪魔者を消して、自分の思うままに世界を操ろうとしている本当の悪は誰だ、と問うような言葉に、民衆はハッとする。自分たちだって、不用意な発言をすれば消されかねないのだ。この婦人ほど過激な発言でなくとも、王を批判するようなことを口にすれば、どうなるかはわからない、と。
「ナルくん、お話は聞いています」
グラナードが口を開いた。それと対照的に、民衆や兵は口を噤んでいる。
「君は熊の亜人一族の者である、と。過去に、アロガンツィア侵略の動きを見せたとして、一族を処刑されたという」
死を免れた重罪人の一人であるとグラナードの口から明かされた民衆は色めき立った。2メートルに届かんばかりの長身、がっしりした体躯。ネズミと、子を抱いた婦人を庇う男は、悪人には見えない。それでも、過去に起きたことが事実であれば、と。
「ですが、私の方で調べはついています。熊の一族に叛意があったかどうか。……記録には、こうあります。アロガンツィア西方の谷へ、モンスター退治へ、と。その案件の報告書にはどうもおかしなところが多くてですね、全く同じ日に熊の一族のジェノサイドの完遂について書かれておりまして……」
谷に出たはずのモンスターについては、一切記載がなかったというのだ。羊皮紙をぺら、とめくると、グラナードはテラスの方を仰ぎ見る。
「ねえ、アロガンツィア王。指示を出すならばもっと詳細にしないとこうしてボロがでるわけです」
それでも、王の姿は見えない。
「今のうちに、下がって」
ナルは婦人の耳元へ囁く。家族を失う痛みを知る者の言葉にようやく少しだけ冷静さを取り戻した婦人は、赤子をぎゅっと胸に抱きなおすと走り去った。
「グラナード殿! あなたまで王を愚弄する気か!」
ユウタの発言にロベリアは肩を竦める。
「あんた、ここまでいろいろ明らかになってまだどっちがおかしいかわかんないの?」
存外、このご令嬢は馬鹿ではないらしい。自分にそんなことを言ってくるなんて露ほども思わなかったユウタは、呆けた顔でロベリアを見た。
「あんたや国民が慕ってきた王は……」
言いかけたときだった。
ずん、と地響きが一つ。腹の底へ突き上げるような揺れをその場の全員が感じた。
次に、城から見て北西の方に一発、どん、と昼花火が上がった。
「何……!?」